リヒターの本名。
冬休みに入った。帰省する生徒もいれば、残る生徒もいる。ただ、年末年始ともなるとほとんどがいなくなるという。参加していた自治委員たちも、年末に近づくにつれ、参加人数も減っていた。それもカイゼリンの計らいである。次の出動は年が明けてからになる。
「……」
いつもの活動場所。いるのはシャーロットとリヒターだけだ。朝から日中、そして日が暮れるまで。ずっと自治活動を行っていた。
「―それじゃ、休憩にしよう」
シャーロットの方で定期的に休憩を入れていた。そうでもしないと、リヒターはずっと働きどおしだからである。
「……っていっても」
シャーロットも人のことが言えなかった。静かで穏やかな時間。作業に慣れてきたこともあり、彼女も夢中になっていたのだ。もう、夕焼け空。日暮れ時だ。
「ジェム様。もはや休憩の意味はないのでは?」
「言われちゃった。でも、気分転換にはなるし。少しだけでもとらない?」
やっぱりこの男は指摘してきたが、シャーロットにはわかりきったこと。そのまま、お茶を淹れる準備を始めることにした。
この部屋には一通りのものが揃っている。いつの間にシャーロット専用のマグカップがあったのも、きっとリヒターが用意してくれたのだろう。お礼をいってもとぼけられたが。
「あ」
その前にとシャーロットは気づく。部屋は薄暗くなっていた。灯りをつけようとしていた。
「―このままで構いません」
照明のスイッチに触れようとしたシャーロットの手。背後まで来ていたリヒターが。―その手を重ねてきたのだ。
「……でも、暗いとほら。作業がやりづらいし」
「本日は終いにしましょう」
「え……」
シャーロットは驚く。粗方片付いたとはいえ、完全に終わったわけではない。それでも、リヒターは考慮してくれたのだろうか。シャーロットの言ったことを、善処してくれたのだろうか。リヒターがお開きというのなら、シャーロットも反対することもない。
「うん、わかった。……あの、リヒターさん」
それなら、この手がどうしたものか。どのみち点灯はしないようだ。シャーロットはスイッチから離そうとするも。
「リヒターさん、帰るんだよね?なら、この手が……」
手は重なったままだ。それだけでは済まされない。
「……これからの時間。『リヒター』は、お休みします」
「……!」
「あなたが言ったのでしょう。休んでも良いと」
耳元で囁かれたと同時に、重なった手は繋ぎ合わされる。シャーロットの心臓はトクンとなった。
「あの、リヒターさん」
「……ああ、いけませんね。言ってもいませんでしたが。お教えしましょうか」
この雰囲気はなんだろうか。流されてはいけないと、シャーロットは振り向く。振り向きざまに目が合う。
―リヒターの金色の瞳がそこにあった。彼はそのような目の色だったか、シャーロットがそう考えている間に、彼の瞳の色は戻っていた。リヒターの顔がさらに近づく。
「リヒターさんではありません。―『リヒト』です」
「リヒト、さん……?」
「はい。リヒト・リヒター。私の本名です」
「……」
この雰囲気で言うことではないと、シャーロットも理解はしていた。でも、頭から離れてくれないのが、『リヒリヒ』というフレーズ。あの陽気男子の言う通り。そう呼びたくなった。
「他の男のことですか」
「……いえ、そんなことは」
思ってはいたが、それは言ってはいけない気がした。
「……考えられなくさせましょうか」
「!」
手が離されたかと思うと、シャーロットの両手は壁に打ちつけられた。リヒターの大きな体躯が、彼女を覆う。
「……リ、リヒターさん。ううん、リヒトさんのことを考えてました!」
わりと嘘ではない。シャーロットは慌ててそう言った。
「……まあ、良いでしょう」
リヒターの体が離れた。ここはドアの近くだ、シャーロットは失礼承知で帰ろうとするが。
「紅茶淹れます。あなたは席に着いてお待ちください」
「あの、リヒトさん。それなら、ここで解散でいいんじゃないかなって」
仕事が終わったなら、二人で残ることもないのではないか。シャーロットは帰ろうとリヒターに伝えていたが。
「それはあんまりではありませんか」
「あんまりって……」
「……私の心をここまでかき乱しておいて。ひょっとして、私は弄ばれていたのでしょうか」
「ちょっと待って、リヒトさん……」
リヒターの中で話が進んでいる。シャーロットは誤解でもあると、落ち着いてからの話し合いを求めるが。
「自治委員になったのは、余程の事情があったのでしょう。それは良しとしましょう。そのおかげで、私はあなたとの時間が増えたわけですから」
リヒターは紅茶の準備をしながら、語り始めた。シャーロットはただ、入り口の近くで立ったままだ。その場で動けずにいた。
「あなただけです。私の心をこうもさせるのは。あなたが。―シャーロットさんが。あなたといると、私は『リヒター』ではいられなくなる」
「リヒトさん……」
ふと呼ばれたのはシャーロットの名前だ。そこに込められた感情は。
「着席してください。シャーロットさん」
「……はい」
「ええ、お待ちくださいね」
シャーロットは逆らえなくなった。彼の瞳にこうも強く見つめられて。抗えなくなっていた。シャーロットが席に着くと、リヒターは満足そうに笑った。
「……『リヒト』はね。一般家庭で、教養ある両親の元で暮らしていました。都から外れたところ。近くには川も流れる丘の上で。幸せだったんです」
ポッドに茶葉は入っている。リヒターはお湯を注いだ。
「この茶葉は、私の故郷の名産。蒸らす時間、お湯の温度まで。リヒトは、こだわりのある子でした。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。こだわりが強い、面倒な子でもあったでしょうね」
リヒターが自身にげんなりしている言い方だった。
「……面倒。それでも、愛されていたんじゃ」
「ええ、シャーロットさん。両親はとても愛してくれていました。夫婦仲も良かったですし。子供心に困ったりもした時もありましたが、理想の姿でもありました」
ポッドからティーカップに注がれる、綺麗な色の紅茶。入れるのは砂糖だけ、それを少々。彼にとっての適量。
「ああ、私、思い出したんですよ。私の好み。さすがに大量投入は困りましたから」
どうぞ、とシャーロットの前に置いた。シャーロットはいただきますと口にした。おかしいとは思わない。リヒターが提供してくれたから、すぐに飲むだけだ。
「美味しい……」
「ええ。これが私の味です」
これが彼の味。シャーロットのような健康を害するものとは違う。
「リヒトはね、幸せだったんです。―大事な家族が、『賊』に殺されるまではね」
「!」
シャーロットの背後に立った彼は、そう告げてきた。シャーロットは絶句した。
「親を失った私は、孤児院で育ちました。……極悪なところで。私は、ただ自分を押し殺して生きてきました」
シャーロットと同じ孤児だった。別のところだろうが、そのような境遇であったこと。シャーロットはどう声をかけたらいいか、わからない。
「迎え入れてくださったのが、『リヒター』家でした。養子となり、私はカイゼリン様と出会いました。養父は私に言いました。―この方が、私に仕える方だと。私に役割と使命を与えられることになりました」
「……カイゼリン様と」
そう、リヒターにとって大切なのはカイゼリンだ。カイゼリンのはずなのだ。カイゼリンこそが―。
いつもありがとうございます。
苗字と名前被るものですね。




