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97 秘薬の効果

 ◇


「かなりよくなってきているようですな。このご様子なら咳のほうもしばらくすれば自然に治まってくるかと」

「コホッ。確かに……。先日に比べれば、ずいぶんと呼吸も楽になったような気がするな」

「胸の痛みのほうはまだ?」

「うむ。そちらはまだ少しだけ痛む」

「そうですか。ならば咳が完全に治まるまで多少痛むかも知れません。とにかく今は安静にしていることが大事ですぞ。師よ、今の見立てで合っていますか?」


 ジュリアス公爵とそんな会話を交わしている男性。

 その男性はこのブルーム城の主であるディクソン伯爵がジュリアス公爵のために手配したアンソニーという治療師だった。


 俺がブルーム城に戻ってからすでに2日が経過。

 ジュリアス公爵には里から持ってきた秘薬だと偽って治療薬を飲ませており、それとともに体調のほうも徐々に回復している様子。

 といっても、敢えてゆっくり回復するように調整しているが。

 実際のところ、カリドの毒さえ防げればすでに投与済みのNBSのみでも8割程度は回復させることができたはず。さすがにそこまで効果が高いと悪目立ちしてしまいそうなので、秘薬の効果が徐々に現れているように見せかけているというわけだった。


「今ので大丈夫だと思いますよ、アンソニー先生。後はさきほど魔道具で計ったバイタルの数値から患者様の状態を判断してみてください」

「わかりました。えーっと、上から血圧が135、心拍数89、体温36.5度、血中酸素飽和度が95%ですな。この結果からすれば、血圧がやや高めで酸素飽和度が少しだけ低いという認識で合っておりますよね?」


 そんなアンソニーの手に握られていたのは俺たちが貸し与えた魔道具。

 これだけでなくいくつかの医療用機器をアンソニーには渡してある。

 ジュリアス公爵の経過観察のために必要なものだったからだ。

 少しばかりオーバーテクノロジーなものではあるが、この程度なら魔道具だと誤魔化せば問題ないだろう。

 どちらかと言えば医学知識に対する理解ができるかどうかのほうが心配だったが、アンソニーが意外に優秀だったこともある。

 簡単な知識に関してはラウフローラの話をほぼ理解できたらしく、医療用機器の使い方のほうもすぐに覚えていたという話だった。


「そのとおりです。この程度ならそこまで問題になりませんが、もしこのバイタルが正常値から大きく逸脱した場合にはさきほどお渡しした薬をそれぞれ患者様に投与してみてください」

「わかりました。師よ、ご教示ありがとうございます」


 そう言って、すでに老境に差し掛かっていそうなアンソニーが孫のような年齢のラウフローラに頭を下げてくる。

 何故そんなことになっているかといえば、ラウフローラに対してアンソニーが弟子入りを懇願してきたからだ。

 むろんラウフローラのほうは断ったそうだが、何度も弟子入りさせてくれと頭を下げてくるアンソニーに最後は根負けしたらしい。

 もっとも、ジュリアス公爵が完治するまでずっと俺たちふたりがブルーム城に滞在するわけにはいかない。そのためにラウフローラの代わりになる治療師が必要だったので、こちらとしても実は都合良かったのだが。


「この分なら今後はアンソニー先生にお任せしても大丈夫だと思います。閣下、私の役目はここまでということでよろしいでしょうか?」

「うむ。これまでの尽力に感謝しまずぞ、ローラ殿。それに貴重な秘薬をわけていただいたディーディー殿にも。おふたりはワシの命の恩人。このご恩は必ずやお返し致す」

「秘薬のことは気にしないでください。それにまだ完全に治ったわけでは……」

「いやいや。いただいた秘薬の効果はこのワシが一番実感しているのだ。一時はこのまま自分は死ぬ運命だろうと諦めておったぐらいだからな」

「そうはいってもあまり無茶をしてはいけませんよ。お身体が完全に良くなるまではしっかりと静養することが大切です」

「そうですよ、叔父様」


 と、それまで黙ってやり取りを見守っていたリミエルが口を挟む。

 アンソニーとラウフローラの言葉を聞き、ほっと胸を撫で下ろした様子のリミエルだったが、まだ少しだけ不安気な表情も残っていた。


「わかっておる、リミエル。ただ、こうなると王都ドガに残してきたロザーナとポールのことが心配でな……」

「叔父上、心配要りません。マクシミリアンを尋問してみたところ、おふたりには一切手出ししていないそうです。無関係な貴族郎党まで手にかけるつもりは最初からなかったと。といっても、本心は人質として手元に置いておきたかっただけでしょうが」

「いずれにせよ、それが本当なら良いのだが……」

「大丈夫ですよ、叔父上。この後すぐに僕が王都ドガまで赴き、おふたりをここへ連れてまいります」

「頼む、ルメロ。というか、ディーディー殿とローラ殿のおふたりはすぐに帰られてしまうつもりか? ワシはこの度の礼をまるで出来ていないのだが」

「ええ。最初の予定よりだいぶ長く滞在してしまいましたから。兄さん、今日中にでも出発する?」

「ああ、そうだな。向こうである程度事情を話してきたが、さすがにこれ以上留守にするのはマズい。申し訳ありません、ジュリアス閣下。私たちはこれでお暇させていただくということで」

「そうか、残念だ。だが、これ以上命の恩人に無理を言うわけにもいかんな」

「師よ。閣下の容態が安定し次第、エルセリア王国まで教えを請いに行ってはいけませんか?」

「そのことならお断りしたはずですよ。アンソニー先生」

「アンソニー殿。ローラ殿が再びマガルムークを訪れる日もそのうち来るであろう。そのときにでも教えを請えばよいではないか。ワシのほうも盛大に歓待させてもらうのでな」

「ふぅ……。わかりました」


 どうやらアンソニーという治療師は高潔で開明的な考えの持ち主らしい。

 どこの馬の骨ともわからぬラウフローラに対して、こうして頭を下げて教えを請おうとしてくるぐらいだ。

 アンソニーの性格次第では、こんな怪しい薬をジュリアス公に飲ませるわけにはいかないと言って治療の邪魔をしてくることもあり得ると思っていたのだが。 


「ディーディー。出立を見送るよ」

「いえ。ルメロ殿下はお忙しい身。見送りはけっこうです。それにそう遠くない日にまたマガルムークを訪れると思いますので」

「そうか。わかったよ。叔父上のこともそうだが、色々と助けてくれて感謝している。この借りをどうやって返したものか……」

「気にしないでください。というか、そのことについては先日お話したはずですよ」

「ああ、そうだったね。ディーディーには要らぬ心配だろうけど、マガルムーク国内は今治安が多少悪くなってる。道中はくれぐれも気を付けてくれよ」


 そんなルメロの言葉に軽く頭を下げたあと、俺とラウフローラは荷物をまとめてジュリアス公爵の部屋から出ていこうとする。

 そんな俺に一瞬だけリミエル王女が何か言おうとする仕草を見せたが、結局は無言のまま深々と頭を下げてきただけ。

 リミエル王女だけではない。

 ジュリアス公爵やアンソニーやルメロから向けられる、どこか含みのある視線を背中に感じながら、俺とラウフローラはジュリアス公爵の部屋から静かに出ていった。


 ◇


 部屋に戻った俺の耳にルメロたちの会話が聞こえてくる。

 ここがジュリアス公爵のすぐ隣の部屋で、ジュリアス公爵の容態が悪化したときのために一時的にラウフローラの部屋として充てがわれていたからだ。

 といっても、壁越しに聞こえてくるほどルメロたちが大声で喋っていたわけではない。ラウフローラが隣部屋の音声を拾って、俺にも聞こえるように再生しているだけ。

 隣部屋に盗聴器を仕掛けることも考えたが、さすがにそれは止めておいた。

 現在、ジュリアス公爵の周りは厳戒態勢が敷かれている模様。万が一にもおかしなものが見つかった場合に騒ぎになることが目に見えているからだ。


『ルメロ。リミエルとアンソニーのふたりには用事を言い付けてしばらく遠ざけた。そろそろワシには種明かしをしてもいい頃合いではないのか?』

『はい? 種明かしとはいったい何のことでしょうか?』

『あのご兄妹のことよ。いったいどこの家のお方なのだ?』


 そんなジュリアス公爵の言葉がイヤーカフを通して聞こえてくる。

 もちろん俺たちの素性を多少疑われるだろうと俺も思っていた。

 ラウフローラも何度かジュリアス公爵にエルセリア王国のどこの出なのか質問されたらしく、その度に名も知られていないような小さな村だとはぐらかしていたそうだが。


『どこの家も何も……。エルセリア王国からいらした僕の友人ですよ。普通の平民だと紹介したはずですがね』

『多少エルセリア訛りがあったので、エルセリア人であることは疑っておらぬ。だが、あれほど高い教養と見識の持ち主だ。それにあのような秘薬を単なる平民が所持しているわけがあるまい。ワシの予想ではエルセリア王国の貴族の子息辺りではないかと睨んでいるのだが』

『叔父上……。実のところ僕も彼らの本当の素性を聞かされていないのですよ』

『ん? ルメロもか?』

『はい。一応ディーディーから素性を聞かされましたが、それが本当かどうか。あまり詮索してほしくなさそうな感じでしたので』

『なるほど。ワシもそんな感じは受けていたな。となると、訳ありか……。エルセリアの貴族ならリミエルを嫁にやることも考えたのだがな』

『姉さまをですか? それはまた何故?』

『リミエルのやつ、どうやらディーディー殿に一目惚れしたらしいのだ。幼いころからリミエルのことを可愛がってきたワシにはあれの様子がおかしいことがすぐにわかったのでな。それでもしやと思い鎌をかけてみたら、珍しく慌てて顔を真っ赤にしておったわ』

『あの姉さまがですか……』


 マガルムークでもまた俺への縁談話か。

 むろんこの世界の王族貴族の子女の婚姻は政略結婚がほとんどのはず。俺やセレネ公国がその相手として申し分ないと判断されるのはそこまで不思議な話でもない。

 が、その相手が赤い瞳の持ち主だということになると、そこに何かあるんじゃないかと勘ぐってしまう。


『ああ。いずれにせよ今のマガルムークの状況でエルセリアとの繋がりが出来るのは大きい。だが、向こうが素性を明かす気がないとなれば、さすがに難しくなってくるな』

『いえ。そういうことなら、なかなかいい話かも知れませんよ』

『いくら何でも身元の不確かな者にはやれんぞ。リミエルは曲がりなりにも王族だからな』

『姉さまに降嫁していただくという手もありますよ。この際、叔父上には正直にお話しますが、たとえ彼が平民であろうと僕としては彼の協力が必要だと考えています。マガルムークの将来のためになりますので』

『それほどの人物なのか?』

『ええ、間違いありません。ディーディーからの紹介でベルナルド商会のグランベルという人物と最近懇意になりましたが、それだけでも相当な利になっているかと』

『ふむ。ワシの命の恩人でもあるので、是非とも縁を持ちたいところではあるが。とはいえ、やはりリミエルの件は難しいだろうな。最低でもディーディー殿が爵位持ちでないと、ワシやリミエル自身が望んでいても周りがけっして納得せぬはずだ』

『そうですか……』


 ルメロとしては俺との繋がりをより強固なものにしたいのだろう。

 政略の道具として姉が使えるという話に飛びついたのは、ルメロのしたたかな性格からすれば充分あり得る話ではあった。

 もっとも、その後の話の流れからすれば、ジュリアス公爵のほうは本気で言ったわけではなく、リミエル王女のことを茶化すために冗談半分で言っただけだろうが。

 とはいえ、そのジュリアス公爵にしてもエルセリア貴族との縁が出来るという損得勘定があってもおかしくはない。

 現在、マガルムークは内乱で国力が弱っている状態。ドゥワイゼ帝国に対抗するためにもエルセリア王国との繋がりを少しでも強めておきたいという気持ちはどこかにあるはずだ。

 いずれにせよ、この話はおそらくお流れになるはず。

 ルメロは俺たち兄妹のことをマトゥーサ人の末裔だと思っているはず。そのことについて言及しなかったということは、そこは喋る気がないのだろう。

 

『それよりもルメロ。お主が捕まえた実行犯のルーカスが牢内で自害していたと聞いたが?』

『すみません。僕の落ち度です。こちらが黒幕について吐かせる前に、どこかに隠し持っていた短刀で自害してしまったようで……』

『ふっ。結局は何もわからず終いか』

『ですが、少々おかしいのです。念入りに身体検査をしたはずなのに、短刀をどこかに隠し持っていたらしく。まるで何者かが自害に見せかけてこっそり殺したような……。ただ、現在の状況でそれが可能な人物となると』

『ルメロ、それ以上口にするのは止めておけ。今は味方を疑っていられるような状況ではないのだ』

『それはそうでしょうが……。叔父上はそれでも構わないと仰るのですか?』

『ルーカスのことがこちらに露見した以上、ワシにはもう手を出してこないだろう。そもそも権謀術数けんぼうじゅっすうが世の常。これがワシとシアードを離間させるための罠かも知れんのだぞ』

『これもマクシミリアンが仕組んだことだと?』

『それはどうかの。ワシの暗殺はマクシミリアンが仕組んだことだとしても、ルーカスの殺害には関与できるとも思えん。それにほかにも疑わしい人物なら何人かおるのでな。というか、マクシミリアンは何か吐いたのか?』

『相変わらずですよ、叔父上。自分は気付かないうちに流れの魔道士に操られていただけだと。その魔道士に唆されたせいで、今回の謀反を起こしてしまったという言い訳の一点張りです』

『何とも往生際の悪いことを。して、その魔道士の名前は?』

『顔も名前もまったく思い出せないそうです。ほかの兵士にも確認を取りましたので、顔や名前を思い出せないという点に関してはマクシミリアンが嘘を吐いている可能性は低そうですね』

『捕まえた者たちの中にそれらしき魔道士は居なかったのか?』

『はい、残念なことに。もしかしたら戦の途中で死んでいるかも知れませんが、逃げたという可能性も』


 もしかしてその魔道士というのはフランテール湖畔の南にある森で俺たちを襲ってきたゼ・デュオンという貴人のことか?

 あの貴人が俺たちのことを邪魔をしている鼠と罵ってきたことからすれば、マクシミリアン侯爵陣営の人間と見るべきだろう。

 それにゼ・デュオンが姿を消すような魔法を使えたことからしても、同一人物と考えてよさそうな気はするが……。


『顔や名前を思い出せなくさせる邪法か……。大昔の魔道士にそういうことができる者がおったことは知っているが。となれば、黒幕は魔道士が多いドゥワイゼ帝国という線も出てくるな』

『ええ。エルセリアやラーカンシアとは比較的友好的な関係が続いていますし、さすがにこのような策謀は巡らしてこないはず。もっとも、兵士たちはともかくとして、マクシミリアン本人は邪法に操られたフリをしているだけということも考えられますが』

『ここはマクシミリアンの仕業にして、すべて終わらせるべきなのかも知れんな。これ以上、マガルムークの混乱を長引かせるわけにはいかんだろう』

『いくら何でも毒殺未遂の黒幕はそのままにしておけませんよ、叔父上』

『ならん。調査のほうは引き続きルメロに任せるが、この一件を公表するのならマガルムーク国内が落ち着いてからだ。いいな、ルメロ?』

『ふぅ……。わかりました。それでは叔父上、僕はこの後王都ドガへ向かうことにします。すぐにロザーナ婦人とポール卿を連れてまいりますので』

『頼んだぞ、ルメロ』


 扉を開く音が聞こえ、ルメロがジュリアス侯爵の部屋を後にしたことがわかる。

 その音を最後に盗聴を辞めると、俺とラウフローラも城から出て行く準備に取り掛かることにした。

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