95 エルシオンの祭り
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夕日が山の裏側へ落ちそうになる頃。
隠れ里エルシオンでは共同の炊事場のほうから食欲をそそる香ばしい肉の匂いが漂っていた。
炊事場のすぐ横には集会所のような建物も見える。
そこにはいくつものテーブルが設置されており、所狭しとご馳走が並べられている様子があった。
この建物は元からあった施設ではなく、空いていた広場に亜人たちが協力して作り上げたもの。
むろん建築資材は元の住民が置いていったものだし、ラングルから逐一教わりながら建てたものではあったが。
右も左もわからない亜人たちにこれからのことを説明をするためだったり、食材のほとんどをほかの村からの物資でやりくりしている現状、皆で一緒に食事を取る必要がある。そのために集まる場所がどうしても必要だったというわけだ。
そんなテーブル上に並んでいたのは主に鶏肉を使った料理らしく、ハーブや胡椒がふんだんに使われたローストチキン、豆板醤を使ったピリ辛の照り焼きチキンに、カレーパウダーがまぶされた唐揚げと種類も豊富。
比較的辛めな味付けが多かったのは、隠れ里エルシオンに住み始めた亜人たちに辛い食べ物が大人気だったせいだろう。
むろん子供用に甘めの味付けだって用意されていたし、肉料理以外にもスープや野菜、じゃがいも料理、さらにはデザートや菓子と様々な料理がその場には並んでいた。
そればかりではない。
大人向けに麦酒が入った樽がいくつか置かれており、酒を飲めない者や子供たちには果実を絞ったジュースまで用意されている様子だった。
亜人がエルシオンに移り住んでからというもの、農奴とは思えないほど贅沢な暮らしをしていたが、何もこれが日常的な光景だったわけではない。
今日が祝いの席というだけ。
ハウス内にて光線量や温度を調整したり、成長促進肥料を用いて生育を早めていたため、一部の穀物や野菜が収穫時期を迎えており、そのお祝いとして豪華な食事がテーブル上に並んでいるというわけだった。
むろん促成栽培とはいえ、いまだ育ちきっていない野菜のほうが多い。お祝い席のために多少未成熟な野菜まで収穫されている様子ではあったが。
いずれにせよ、亜人たちにとってはエルシオンに来て今回が初めての収穫。
テーブル上にある料理に手を伸ばしながら、この野菜は自分が育てたものだと誇らしげに語る亜人の姿も見られた。
「かあああ、酒がうめえ」
そんな中、虎牙族のガウスが鉄製のジョッキから口の奥に麦酒を流し込んだあと、恍惚とした表情でそんな呟きを漏らす。
「ああ。こうして酒が飲めるのもいつ以来だろうな。避難してからはまったく手に入らなかったからな」
「何言ってんだ、ゼント。そういう問題じゃなく、酒の色からして全然違うだろ。普段俺たちが飲んでいた酒とは別物ってだけだ。こりゃあおそらく大麦100%の麦酒だな」
「むうっ。言われてみれば確かにそんな気も……」
「寒さに強い大麦はマガルムーク北部のほうが生産量が多いからなあ。あっちのほうは大麦のみで作られた麦酒が多いらしいぞ。ただ、俺も一度だけ飲んだことがあるが、そのときに飲んだものともちょっとだけ違う気がするな」
「そうなのか? 俺はそこまで酒に詳しくないのでよくわからないが」
「若様の領地で作られているものは麦酒に至るまで特別ってことなんだろうよ。ほら、見ろよ。小角鬼族の連中もどうやら酒好きが多いみたいだぞ。麦酒の樽に群がってやがるじゃないか」
「ガウス。お前は酒のおかわりを貰いにいかなくてもいいのか?」
「いや、いい。こんなにもご馳走が並んでいるんだ。酒で腹が膨れちまったら、勿体ないじゃないか」
ガウスやゼントの顔に自然と喜びの表情が浮かんでくる。
元住んでいた村でも収穫祭のような祭りならあったが、亜人である彼らは隅っこのほうでその様子を眺めていただけ。
自分たちが収穫した作物を自分たちで味わいながら祝う。そんな経験はふたりにとってこれが初めてだったのだろう。
ふたりだけではない。
ほかの亜人たちも思い思いに祝いの席を楽しんでいる様子があった。
「皆の衆。楽しく食事をしているところを邪魔してすまないが、この場で話しておきたいことがある。飲み食いのほうはそのまま続けてもらっても構わないので、私の話にちょっとだけ耳を傾けてくれ」
亜人たちがを飲食を楽しんでいる最中、小角鬼族の長であるラプラールからそんな声があがる。
「本日こうしてめでたく作物を初収穫することができた。これもすべて皆の協力のおかげだ。今日は存分に食事や酒を楽しんでいってくれ。ただし、皆も知っているとは思うが、この収穫物のうち7割をご領主様に納めるお約束だ。が、今回の収穫物に関しては少しばかり多く納めねばならなくなった」
そんなラプラールの言葉にちょっとしたざわめきが起こる。
ある日突然為政者が約束を反故にし、無理難題をふっかけてくる。亜人たちがこれまでも散々そんな目に遭ってきたからだろう。
今回もその手の話かと不安になったに違いない。が、亜人たちが不満の声を上げるよりも先にラプラールから話の続きが語られていた。
「心配するな。ご領主様が約束を違えられたわけではない。物納する作物とそうではないものがあるというだけだ。皆のテーブル上にマヨネーズの瓶や焼き菓子が置いてあるだろう。それらの商品は子供たちが世話している鶏の卵から出来ていることは知っておるな?」
そのことならこの場に居る亜人たちも皆よくわかっている。
これまでの食事の際にも幾度となく出されてきたからだ。
そんなふうに女衆が調理したり加工したものを、近々売りに出す予定だという話も聞いている。
「その商品が先日からエルセリア王国で売りに出されておる。ここエルシオンの特産品としてな。最初に送った分は喜ばしいことにすでに完売したそうだ。そしてそこで得られた利益はすべて我らの財産として扱うようにというご領主様からの仰せ。その代わりとして、ほかの作物で物納する量が少しだけ増えるという感じだ」
そこまでラプラールに説明されても、ほとんどの亜人たちにはあまり理解できなかったらしい。
皆が顔を見合わせながら、今の話はいったいどういうことなんだと悩んでいる様子があった。
「今の説明で理解できなければ、あとで一族の長にでも聞いてくれ。いずれにせよ、我々にとっては願ってもない話。これもすべてご領主さまのご温情によるものだ。むろん我らの財産になるといっても、借金すべてが返済されるまではそちらに充てることになるがな」
ガウスとゼントのふたりはラプラールから事前にこの話を聞いていたようで、特別驚いた様子がない。
本来卵や鶏肉の7割を物納しなければならないところをほかの作物で代替し、売れた商品の代金はすべて自分たちの財産になるというのだから、亜人たちにとっては得になる話だ。
それにただでさえ7割という重い税率なのに、作物によってはそれ以上納めなければならなくなった事実についても一切心配をしていなかった。
毎日農地で働いているガウスやゼントの目には一目瞭然。
作物の育ちも良好だし、今のところ病害のほうもまったく起きていない。
それゆえ収穫できる見込み量が桁違いに多いのだ。
仮に作物の7割以上を税として取られたとしても、亜人たちが手に入れられる量は以前よりも遥かに多いことになるだろう。
ラプラールの話はまだ続いていたが、そういう事情を理解しているガウスやゼントはウンウンと頷きながらも普通に食事を楽しんでいる様子だった。
「なあ、ゼント。何か嬉しくなってこねえか?」
「ん? 何がだ?」
「いや、今の話だよ。自分たちで作った商品が売れて、それが俺たちの財産になるんだぜ。そりゃあこれまでだって余った作物なんかを売りに行ったりはしてたけどよお。実際のところ物々交換みたいなもんで、生活に必要なものを手に入れるためにやむなく売ってる感じだっただろう?」
「まあな」
「今回は違う。加工して商品として売るんだ。まるで商売人にでもなった気分にならねえか?」
「それもこれもジーナ様やラングル様が詳しい作り方を指導してくれたおかげではあるがな」
「ああ。別の村の名物とかなんだろうな。というか、もしかしたらエルシオンの元住民が作っていたのかも知れないが。いずれにせよ、それを俺たちの村の特産品にしても構わないと仰ってくだされてるんだ。有り難い話じゃねえか」
「それにしてはさっきから遠慮もせずに、バクバクと焼き菓子を食っているようだが? お前、もしかして昨日ラプラール殿が話していたことを聞いていなかったのか?」
「ん? このマヨネーズや焼き菓子をエルセリア王国で売り始めたっていう話だろ。ちゃんと聞いていたぞ」
「その焼き菓子の値段だよ。その焼き菓子1箱で3000マールもするっていう話なんだが」
「え?」
3000マールといえばマガルムークにおける平民の月収に近い金額。
むろん砂糖を使った菓子は総じて高額であったし、裕福な商人や貴族にとっては手を出せない金額でもない。
が、ガウスとしてはそこまで高級な焼き菓子だと思っていなかったのだろう。ゼントから値段を聞いた途端、口に運ぼうとしていた手がピタリと止まり、そのまま元あった場所へと焼き菓子を戻していた。
「で、でもよ。それだったら俺たちの収入もけっこうな金額になるってことなんだよな?」
「馬鹿を言え。この焼き菓子には貴重な砂糖やチョコレートがふんだんに使われているんだ。それらの材料費を差し引いたものが我々の収入になるときちんと説明をされているだろ。それに砂糖やチョコレート以外にだって材料費がかかっているものがいくつかある。マヨネーズだってそうだ。卵の黄身だけで出来てるわけじゃないんだからな。その焼き菓子が3000マールもするのは、それらの材料費がすべて含まれているからだぞ」
「んー、細かいことはよくわからねえが、売れたら売れた分だけ俺たちの財産が増えるってのは間違ってねえんだろ?」
「そりゃあそうだが……」
「だったらいいじゃねえか。多少高くたって、これだけ美味けりゃお貴族様辺りが気に入って、たくさん買ってくれるはずさ。俺はよお、ちっとばかし気が早いかも知れねえが、エルシオンの民ということに誇りや愛着を持ち始めてんのよ」
「ふっ。このエルシオンに住み始めてまだ日も浅いのにか? まあ、ガウスがそうなる気持ちは俺もわからなくないがな」
そんなガウスの言葉にゼントの口元が綻ぶ。
ガウスほどではなかったにせよ、ゼントも似たような気持ちを抱いていたのだろう。
極めて厳しい避難生活の末に、ようやく手に入れた安寧の地だ。
ここに居るガウスやゼント以外にも隠れ里エルシオンに対して愛着を感じ始めている者が多数居てもおかしくなかった。
と、ふたりがそんなことを話している間もラプラールの話は続いており、ほとんどの大人たちは一時的に飲食するのを止め、神妙な顔つきになって話に聞き入っている様子。
ラプラールの口からエルシオンの民として、この先の展望が語られていたからだ。
「これでだいたいのことは話し終えたと思う。ただ、この後ラングル様からもお話があるそうだ。大切なお話だということなので、皆一旦食事の手を止めてラングル様のお話をお伺いしなさい」
そう言ってラプラールが進行役をラングルに譲る。
「うむ。まずは無事初収穫を迎えられたことをイシュテオール様に感謝するとともに、ご領主様にお前たちの働きぶりが素晴らしかったことを報告しておくと約束しよう。この調子でこれからも一層励むように」
ランガルからの褒め言葉に亜人たちの顔に満足げな表情が浮かぶ。
「しかしながら、ひとつだけ厳しいことも言っておかなけねばならん。それは最近お前たちが各種族の長などに相談している内容についてだ。離れ離れになっている家族親族や知り合いなどをここエルシオンの里に迎え入れてほしいという嘆願のことだな」
ラングルの言葉を聞いた途端、ガウスやゼントの顔が急に曇る。
ガウスやゼントの元にもそういった嘆願をしてくる亜人がけっこう多かったからだ。
一応、そういう話が出ているとだけはラプラールを通じてラングルに伝えてもらっているが、それが厚かましい願いであることはふたりとしても充分にわかっているつもりだった。
「止むを得ぬ事情があり、親や子と離れ離れになってしまった者も中には居るだろう。そういう者を何とかこのエルシオンに迎え入れてあげたいと思う気持ちはわからなくない。が、この里は外部との接触を絶っている状況。お前たちもすでに理解していることとは思うが、ここエルシオンは古代人の叡智や魔道具などが数多く使われている特別な場所だ。軽々しく新しい民を迎え入れることができないのはわかるな?」
おそらく今の嘆願をした張本人だったのだろう。
今のラングルの言葉を聞いて、がっくりと肩を落としてうなだれるの様子があった。
「といっても、その願いを聞き届けられないと言っているわけではないぞ。若様も今後エルシオンの民を増やすことについては肯定的な意見をお持ちだ。農地のほうだってまだまだ全然余っているぐらいだしな。だが、今後エルシオンに迎え入れる者が居るとすれば、それは当然信用のおける者でなければならない。その選別はこちらがするので、お前たちの希望通りにならないことがあるとだけはあらかじめ伝えておく」
さきほどの亜人とは別の者が顔を上げる。
働き盛りの壮年といっていいぐらいの年齢だ。
この亜人も故郷から離れようとしない親を村に残して避難してきた身で、エルシオンに住み始めてからというもの、何とか親をこの地に呼びたいと思っているところだった。
「そういったわけで、マガルムークに送る者を誰にするか今決めているところだ。基本的には小角鬼族のラオにこの役目を任せるつもりではあるが、あと何人か一緒に行ってもらいたい。エルシオンの存在を秘匿しつつも、説得してこっそりここまで連れてくるという難しい役目だ。ラオ、出来るな?」
「はっ、お任せを」
「頼んだぞ。とにかく、そんな感じに順次新しい民を迎え入れることにはなると思う。が、先ほど話したように信頼のおける者だけだ。過度な期待をせずに待っていてくれ」
「私のほうからもひとつだけ注意事項があるわ。現在、若様が領地内の視察をひと通り終えられて、こちらへお戻りになられているそうです。最後にもう一度エルシオンの様子を視察なされたいという話なので、明日辺りにお見えになられるかと思います。その際に労いのお言葉をいただけるという話なので、各種族の長たちはそのつもりでいなさい。それと、半妖精族には明日からの若様のお世話に関して重要な話があるので、あとで屋敷のほうに集まるように」
「俺たちからは以上だな。皆、この後も収穫祭を楽しんでいってくれ」
そう言ってラングルが話を締めくくる。
多少難しい話もあったが、隠れ里エルシオンの住民たちの顔に見えたのは明るい様子。
自分たちが育てた作物を無事収穫できたことに対する喜びで一杯の様子だった。




