91 カリドの毒
◇
「ゴホッ、ゴホッ。それで私の命はあとどれくらいの期間持ちそうですかな? お若い治療師殿よ」
俺のすぐ目の前には、胸をはだけた状態でベッドの上に横たわっているジュリアス公爵の姿があった。
俺たち兄妹がエルセリア人である点を少しだけ警戒している様子もあったが、ルメロたちから腕の良い治療師だと紹介されたこともあってか、ジュリアス公爵はラウフローラによる診察を比較的すんなりと受け入れていた。
いや、ラウフローラがたとえどのような人間であっても構わないと思っているだけなのかも知れない。どんな治療を受けたところで自分はもう無理に違いないと、なかば諦めている様子があったからだ。
「そんなに心配なされずとも大丈夫でございますよ。閣下の病が思いのほか進行していることは事実です。ですが、現段階ならまだ治療が可能だというのが私の見立てです。里にある治療薬をお飲みになり、しばらく静養しておられれば、元通りご健康な状態に戻られるはずですよ」
「本当ですか? ローラ様」
「あくまで未熟者の見立てではありますが、私としてはそう判断いたしました。とはいえ、これでも肺患いの患者を何名か診た経験がございます」
「だそうですよ、叔父様。本当に良かったですわ」
「ふふふ。アンソニー殿も似たようなことを申しておったわ。治療師という職業の人間は、患者が駄目でも希望があるかのような言葉を口にするものだからの。ゴホッ、ゴホッ」
「叔父上。そんなふうに疑ってかかるのは、治療師であるローラさんに対して失礼ではないでしょうか?」
「何、これでも褒めておるのだよ。治療師というものは総じてそうでなくてはならん、とな」
「申し訳ありません、ローラ様。叔父様が」
「いいえ。病に罹った人間はどうしても気弱になってしまうもの。今の閣下がそうなるのも致し方なきことかと。実際に病が治ったあとで感謝の言葉をいただければ私としては充分ですので」
「ふふふ。若いのになかなかはっきりとものを申す治療師殿だ。それに容姿のほうも宮中のご婦人方に比べて引けを取らぬときている。ゴホッ。マガルムーク人であれば、是非ともポールの嫁にと考えていたところだがな」
そんなジュリアス公の言葉にラウフローラはにこりと微笑んだだけで、ジュリアス公の胸元を元通りに直して診察を終えていた。
「兄さん、私はこの場に残って閣下の容態に変化がないか診ておくことにするわ。その間、兄さんが里まで薬を取りに行ってほしいんだけど?」
「わかった」
「それと、肺患いの薬で間違いないはずだと思うけれど、念のためにジーナ様にジュリアス閣下の容態を詳しく伝えてほしいの。ここで話すのも何だから部屋の外に行って伝言内容を言いましょうか」
「ああ、そうだな。すみません、ちょっとだけ席を外しますね」
そう言い残して俺とラウフローラは部屋から出ていく。
そして部屋から出た途端、俺たちふたりは前の廊下で小声で話し合っていた。
「それでどんな感じだ?」
「あれは多分毒物の類いが用いられているわね」
「ん? 感染症による肺炎じゃなかったのか?」
「私も最初は細菌やウイルスによるものではないかと疑っていたけど、まったくそのような痕跡がなかったの。それなのに気管から肺に渡って重度の炎症をひき起こしていたわ」
「それで毒か。仮に毒物だとして何の毒か判明したのか?」
「ごめんなさい。それはちょっとわからなかったわ。毒そのものを入手できればもう少し何かわかるはずなんだけど。ただ、私たちにとって未知のものである可能性もあるわね」
「うーむ。そうだとしたらジュリアス公の治療も難しいんじゃないのか?」
「それは大丈夫。NBSを投与して、気管や肺内部の洗浄をすればいいだけだから。体外へ毒を排出したあとにも炎症を抑える薬を使って、しばらくの間肺機能の自己回復を待つ必要があるけどね」
「なるほどな」
「ただ、あれって長期間に渡って毒を混入されている可能性が高いのよね」
「そうなのか?」
「炎症の度合いから判断しても、何回かにわけて少量ずつ毒物を混入されていないとおかしいのよ」
「バレないようにってことか?」
「そう考えるのが妥当でしょうね」
「だが、いったい誰がそんな真似を?」
「敵対しているマクシミリアン侯爵の仕業と考えるのが普通でしょうけれど、病に見せかけていることを考えれば、味方の陣営の誰かがやっているという可能性も考えられるわね」
「王位継承権がジュリアス公より下位のシアード王子やルメロということか?」
「今回の内乱の混乱に乗じて、邪魔なジュリアス公を排除しておこうと考えても不思議じゃないでしょ?」
「いくらしたたかなルメロと言えども、さすがにそこまではしないと思いたいな。が、いずれにせよ俺たちがこのことを黙っているのも不自然だ。ジュリアス公を治療すれば、どうせこれを仕組んだ張本人には俺たちが気付いたこともバレてしまうからな」
「そうね」
「とりあえずルメロとリミエルを呼んでくる。今の話をそれとなく伝えて、反応をみてみたい。治療法があることも伝えるが問題ないな?」
「ええ、大丈夫よ」
部屋の扉を少しだけ開け、廊下からルメロとリミエルのことを呼ぶ。
ルメロたちはその声に気付いたようで、部屋から出てすぐに俺たちのところまでやってきた。
「ん? どうかしたのかい?」
「私もたった今ローラから聞いたのですが、実は問題がありまして」
「もしや叔父様が仰られたとおり、さきほどのローラ様のお言葉はただの気休めだったということなのでしょうか?」
「いいえ。そうではありませんよ、リミエル殿下。ですが、ローラが言うにはジュリアス閣下の病はどうやらただの肺患いではないようだと。人為的に引き起こされた可能性が高いという話なのです」
「何だって?」
「そんなまさか……。故意に病をどうにかできるなんていう話は一度も聞いたことがありませんが?」
「いや、僕は以前古い書物で読んだことがある。カリドの毒というものを用いて人為的に肺患いを起こす邪法があることをね」
「カリド、ですか?」
「マガルムーク北部の山でごく稀に遭遇する魔物ですよ、姉様。体内に毒素を持っているのですが、カリドの毒自体はそこまで猛毒ではないと聞き及んでいますね」
そんなルメロの言葉にリミエルの顔が一気に青ざめる。
俺と対面したときは完全に感情を隠し切っていたというのに、リミエルは相当に驚いているらしく、その様子が思いっきり顔に現れていた。
「念のためにメイドや食事係を調べたほうがいいかも知れません。毒ならば少量ずつ混入させているはずなので」
「それだと叔父上は病に見せかけて毒殺されようとしていることになってくるけど……。それは確実な話なのかい? マクシミリアンの手の者なら確かにやりかねないけれど、シアード兄上ではなく叔父上のほうが狙われた意味が僕にはちょっとわからないんだよね」
「すみません、誰が何のためにやったのかまでは。そもそも確実にそうとは言い切れない話なので」
「そうだよね……。わかった。そっちの調査は僕がするよ。だけど、それならそれで治療法があると受け取っていいんだよね?」
「はい。手持ちの薬でも多少症状を和らげることならできますし、その毒の混入さえ防げれば、あとは普通の肺患いと変わらない対処法で済むと思いますので」
「わかったよ。ただし、ディーディーたちにはしばらくこのことを黙っていてほしい。当然使用人のことも調査するけど、そいつらを捕まえてもあまり意味がないんだよね。仮に使用人がやったのだとしても、この城に居る誰かが命じてないとおかしい。マクシミリアンの口からその裏切り者の名を吐かせないといけないんだ。もちろんそれ以外の可能性だってなくはないんだけど……」
「わかりました」
さすがに味方の仕業かも知れないとは、ルメロの口からは言えないらしい。
ルメロからすれば黒幕として一番手に頭に浮かぶのはシアード王子のはず。
それに状況的にみればここブルーム城の主であるディクソン伯爵が関わっていてもおかしくはない。
「それでは私は一度里のほうへ戻って、薬を持って参ります。なるべく急ぎますが、少し時間がかかるかも知れません」
「うん、本当にすまないね」
「ディーディー様、何卒よしなにお願い致します」
ラウフローラをその場に残し、俺はルメロたちにそう言ってブルーム城から出て行こうとする。
ルメロたちの反応がどうだったかはイヤーカフを通じてラウフローラから後で報告が来るはずなので、これ以上ここに居ても意味がない。
一度エルセリアまで戻って帰ってくるふりをしなければならないので、1週間ほど間を空けたほうが無難か?
実際に俺が赴くのだとしても途中からエアバイクを使えば半日以内に帰ってこれるし、アケイオスに薬を取りに行かせてもいいのだが。
ただし、薬を持ってきてからも経過を診るために数日程度はブルーク城に滞在することになるはずで、何とか予定日内にはエルセリア王国へ戻れるって感じだろう。
そっちはまあいいんだが、問題は1週間ほど俺が暇になってしまうことだ。
ちょっと早い気もするがラァラのところへ顔を出しておくか。
近いうちにまたやってくるとは約束したが、こんなにも早く顔を出したらラァラは驚くかも知れない。
かといって、エルセリアに戻っても意味がないし、格納庫のほうでもこれといってやることがなさそう。せいぜいモーライズ村の少女の様子を見てくるぐらいか。
そうなってくると、ジェネットの町でひと晩かふた晩過ごしたあと、隠れ里エルシオンに移動して、そこでのんびりするしかないだろう。
そんなことを考えながら俺はブルーム城を出て、グレゴリー爺さんのパイプ亭へと戻っていった。
◆
地下牢へと続く薄暗い階段にコツコツと足音が鳴り響く。
その場には松明の灯りにぼんやりと照らされたふたつの影が映っていた。
「ルメロ様、どうなされますか? 逆賊マクシミリアンのほうから尋問されますか?」
「うーん、そっちはどちらかといえば後回しでいいかな。尋問なんてどうせ形だけのことだからね」
「承知致しました。使用人のほうは誰も寄り付かないような場所へ隔離してありますので」
「わかった。それで使用人は何か喋った?」
「はい。本人はアンドリュース伯爵に命令されて事に及んだものと思い込んでいる様子でした。家族を人質に取られて仕方なくやったと。どうせ家族はとっくに殺されているでしょうが。おそらくアンドリュース伯爵ご本人に直接会ったと錯覚するように呪術の類いが用いられているのではないかと」
「ふーん、さすがはサイード導師というところかな。そういえば、そのサイード導師は戦場から上手く逃げ延びたのかい?」
「多分、大丈夫でございましょう。総攻撃の前にこちらからその旨をお伝えする密使を出しましたので。今頃は予定通りグラン領へお戻りになられている頃かと」
そんな会話を交わしながらルメロとカイルがブルーム城の階段を下りていく。
そして階段を下りきったところでふたりはふと立ち止まっていた。
「残るは叔父上毒殺にアンドリュース伯爵が関与している証拠の手紙がどこからか出てくるだけだね。でも、そのタイミングがなあ……」
「ルメロ様。ひとつだけ苦言を呈してもよろしいでしょうか?」
「もちろんさ。カイルからの言葉は僕はいつでも聞く耳を持つつもりだよ。それで何だい?」
「ほかならぬサイード導師のことにございます。あの者を本当に信用していいものかどうか……。此度の戦でも、結局首なしの存在を我らに伝えようと致しませんでしたので」
「わかってるって、サイード導師が蝙蝠だってことぐらいはね。あっちが僕のことを利用しようとしているのと同じように、僕もサイード導師のことを利用しているだけなんだから、そんなに心配しなくてもいいよ」
「それならばいいのですが。申し訳ございません。不要な言葉でした」
心配そうなカイルにそう悪戯っぽく言葉を返したルメロだったが、そのあとすぐ口からふうっとため息をこぼす。
腕を組み、真っ暗な地下牢の天井を見上げたルメロは、少しばかり後悔している様子でため息に続く言葉を口にしていた。
「それにしても失敗したなあ。まさかディーディーたちにこちらの予定より早く気付かれてしまうなんてね」
「カリドの毒を用いていることは絶対に露見しないと、サイード導師自身が太鼓判を押していましたから。あの者の言うこともまるで当てにならないということかと」
「そうなんだけどさ。古き民の知識や技術を侮った僕の失敗でもあるんだ。こうなってくると、その使用人には口を噤んでもらわないとマズいことになるね。まあ、そこまで計画が狂ったわけではないんだけど」
「本来ならばルメロ様が毒に気付かれる段取りでしたから。こうなるとなおさらクリスティーナ姫とのご成婚を急がねばなりませんな」
「ああ。アンドリュース伯爵とデニウスの首を刎ねるのは、クリスティーナとの婚姻の後にしないといけないからね。僕がグラン領を手に入れる名分が今のままじゃあちょっとだけ足りないように思うんだよね」
そう言いながらルメロが自分の首を掻き切るようなポーズをする。
その残酷な様子は普段のルメロからすれば、あまり想像が付かなかった。
「アンドリュース伯爵を処刑する際、クリスティーナ姫のほうはいかがなされるおつもりでしょう?」
「うーん、そこなんだよね。王族毒殺なんていうとんでもないことを企てたんだ。アンドリュース伯爵は領地云々を抜きにしても助ける気なんてさらさらないけれど、クリスティーナのほうは助命してやってもいいんだよね」
「アンドリュース伯爵の娘となると、さすがに難しいのでは?」
「ギリギリで命を救った僕が頼めば叔父上も頷いてくれると思うんだけど、駄目かな? 婚姻関係を結んでしまったからという理由付けもちゃんとあるしさ。もちろん幽閉という処遇にはなるだろうけど」
「ルメロ様がそれほどクリスティーナ姫に想いを寄せておられるとは存じ上げませんでしたが」
「いやいや、そうじゃないよ。多少気が咎めるってだけなんだ。僕だって叔父上に毒が盛られていることを知っていながら、ずっと見て見ぬフリをしてきたんだ。それどころかその計画を密かにサイード導師から打ち明けられて、己の野望のために利用しようとしているぐらいだからね。何も知らないクリスティーナが斬首されるのはちょっとだけ可哀想かなって」
「なるほど。お優しいのは結構ですが、のちのちに遺恨を残すことになりますよ」
「まあ、まだそうすると決めたわけじゃないんだ。結局はクリスティーナの態度次第だよね。それよりそろそろ使用人を囚えてある牢獄へ向かうことにするよ。一応は形だけでも尋問をしておかないとね」
そう言って静まり返った地下牢の廊下をさらに人気のないほうに向かって歩き出すルメロ。
その後ろから黙って影のように付き従うカイルの姿もあった。




