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82 英雄リグルズ

 ◇


「思いのほか少女の生命力が強く、危険な状態は脱した模様です。しかしながら、脳のほうには障害が残るかも知れません。こればかりは医療ポッドによる治療でもどうにもならない部分ですので」

「現在、少女の意識は?」

「依然として薬で眠らせたままになります。ウーラアテネの秘密保持のためでもありますが、しばらくは眠らせておいたほうが少女の回復にも良さそうだとウーラが判断したためです。いずれにせよ若様がお戻りになられてから、ご指示をいただいたほうがいいかと」

「そうか。少女のことは了解した。それだけか、アケイオス?」


 フランテール湖畔から少しだけ離れた鬱蒼と暗い森の中。

 戦場からもそこそこ離れており、死臭もさすがにここまでは漂ってこないそんな場所だ。

 俺は今そこでアケイオスからの報告をラウフローラとともに聞いているところだった。


「いえ。もう一点だけご報告したいことが」

「ん、なんだ?」

「現在セレネ公国のバルムンドの元に数多くのエルセリア商人が訪れていまして。その商人たちが贈り物を持参してやってくるそうです」

「その話は聞いている。両国の話し合いにより、ストレイル男爵とバルムンドが取り引きの許可を出すという形になったんだろ? が、実質的な商取引の権限を握っているのはバルムンドにしか見えないはずだ。優先的にセレネ公国と取り引きしたいという商人が押し寄せ、贈り物を持参してきてもおかしくはない。賄賂にせよ何にせよ、何食わぬ顔で受け取っておけばいい」


 こちらも清廉潔白な対応をする気はない。

 この世界の価値観が賄賂ぐらいは当たり前という感じなのだから、その価値観に合わせるべきだろう。

 その見返りとしてこちらが何らかの約束をしなければいいだけだ。

 バルムンドには相手が何か要求してきても突っぱねろとは最初から言ってある。


「それがセントルーア商会のロジャーという男が、男女10名の奴隷を贈答品として連れて参りまして」

「奴隷が贈り物か。まあそういうこともあるだろうな。地球だって昔は人間が贈り物として扱われていたことがあるぐらいだからな」

「ええ。ただ、その奴隷たちの反応にいささか怪しい面が見られるという報告なのです」

「それはどんな感じにだ?」

「我々の質問に対する受け答えに嘘の反応が見られたそうです。10名のうち5名ほど何かを隠している様子だったため、バルムンドとしてはそれが少し気になっていると」

「嘘の種類にも依るな。何かを企んでいそうなのか?」

「いえ、そこまではまだ。誰かひとりを選び、薬物を投与して無理やり吐かせてみますか?」

「いや。そのロジャーってやつが何か指示を出しているのだとしても、潜り込ませた奴隷にまで詳しい内容を話すとは思えん。しばらくは泳がせておくしかないだろうな。そもそも商売人なんてものは、ほかの商会に先んじて情報を欲しがるものだ。単にその程度の話なのかも知れない。ただ、そうだな。念のために裏で国と繋がってないかだけエルパドールに調べさせてくれ」


 一応そう指示を出しておいたが、正直俺としてはそこまで問題視していない。

 結局のところ、そのセントルーア商会とやらがセレネ公国に対して何か出来るわけでもないのだから。

 その意図が掴めないのが問題といえば問題だろうが、放っておいても差し支えないレベルだろう。

 むろんまったく監視をしないという意味じゃない。そこら辺は俺が言わなくたってバルムンドが当然対処しているはずだ。 


「わかりました。エルパドールとバルムンドへそれぞれ指示を伝えておきます」

「それじゃあ俺たちは戦場に戻るからな。アケイオスは依然として待機のままだ。よほどのことがないかぎりアケイオスの出番はないと思っていい」

「はっ」


 マガルムークの内乱は一昨日、昨日、今日と3日間に渡って正規軍優勢に運んでいた。

 ウルシュナ平原、ガルバイン砦という2度もの敗北に襟を正したのか、シアード王子が軍の運用を慎重に行っていたためだろう。


 消耗戦になってくれば、決め手となるのはやはり単純な兵力差。

 元々が同じ国の兵士なんだから武器や装備だってほとんど変わらないはずだし、兵士の練度だって似たようなもんだろう。

 更にいえば、正規軍のほうが兵数が元々多かったうえにまだまだ増援が見込める状況の様子。現時点では正規軍のほうが俄然有利なはずだ。

 そこに俺とラウフローラも手を貸しているので、それだって影響がないわけではない。

 そのことによりマガルムークの玉座をシアード王子に傾けてしまっている点は俺も否めなかった。

 散々ルメロに手を貸すかどうか悩んでいた俺が、結局はルメロに味方すると決めたのは実際にこの目でモーライズ村の惨劇を見たことが大きい。

  

 ただし、これはルメロの功績を際立たせるためにしていることでもあり、わずか2名の活躍程度で戦況が引っくり返るほどではないはず。

 局部的に勝ってもそれだけで勝負が決まるわけでもない。

 最終的にはシアード王子が率いる本隊と、マクシミリアン侯爵が率いる本隊とのぶつかり合いにより勝敗が決するというのが俺たちの予想だった。


「行くぞ、ローラ」

「ちょっといいかしら、兄さん。明日はもう少し派手に暴れ回ってもいいんじゃない?」

「ん? そこまで手加減している気もないが?」

「でも、本気は出していないでしょう?」

「そりゃそうだが。だが、そこまでする必要があるか?」

「そのほうが決着が早く付きそうだからね。左翼の部隊が中央に回ることが出来れば一気に方がつくはずよ」

「現在だって数的優位な状況ではあるんだ。それにその分どうしても俺たちが目立つことにはなる」

「もう手遅れなぐらい目立っていると思うけど。そもそも最後はふたり揃って戦死する筋書きなんだし、元々こちらの人格は目立っても構わないという話だったはずよ」

「それはそうだが……。いや、やはりほどほどにしておく。どうしても勝たせなくてはならない戦いってわけでもないからな」

「そう、わかったわ」


 ラウフローラの言い分もわからなくはない。

 消耗戦を続けるより、一方的な戦いになったほうが味方の兵士の損害だって少ないはず。

 それにこの際戦場で目立っても仕方ないと俺が言ったのも事実だ。だったら早いことケリを付けたほうがいいのかも知れない。

 結局のところ俺自身がどこまで介入していいかと悩んでいるだけだ。

 それだってアグラがこの俺だという可能性を認めたくないあまり、極力この世界へ干渉しないようにして責任逃れしているだけだろう。


 手に持った兜をすっぽりと頭からかぶる。

 俺はそのまま闇の中に溶け込むようにして、ラウフローラとともに死臭が漂う戦場へ戻っていった。


 ◆


「英雄リグルズとワルキュリアの生まれ変わりだって?」

「はい。現在、兵士たちの間で盛んに持ち上がっている噂話です。我々の味方であることは間違いないのですが、その兵士がどこの所属かが不明で」


 平野の真っ只中に設置されたにしては少々綺羅びやかな天幕の中からそんな会話が聞こえてくる。

 その天幕の中に居たのはどうやらルメロとカイルのふたり。

 ふたりとも鎧を着込み、いつ何時夜襲をかけられても即座に動けるよう、いまだに警戒を解いていない様子だった。


「ふーん。まあ、こっちは混成部隊だからね。へええ、そんなにもすごいんだ」

「敵方の被害に比べて、こちらの被害が驚くほど少なくなっているのは事実です」

「でも、何でおとぎ話に出てくる英雄が突然?」

「ふたりのうちの片方がどうも女性らしかったということが関係しているのかも知れません。英雄リグルズとそのリグルズに影のように付き従った女性剣士ワルキュリア。そのふたりによる恋愛譚は有名なおとぎ話ですから。それほど目覚ましい活躍だったのではないかと」

「ということはカイルは実際にその姿を目にしていないのかい?」

「私はあまり長い時間ルメロ様の元を離れられなかったので」


 カイルは指揮官としても優秀で部隊の指揮を任されてもおかしくない。だが、さすがに今ルメロのそばを離れるわけにはいかなかった。

 あくまで今回は護衛という立ち位置でルメロに同道している。

 いざとなれば自らが犠牲になっても、ルメロのことを戦場から逃さなければならない。

 そんな覚悟を持ってこの戦争には臨んでいるからだ。


「なるほど。それにしてもマガルムークにまだそんな逸材が隠れていたんだね。戦後の論功行賞になれば、その正体もわかるはずだと思うけど。有力な貴族のお抱えでもなければ、僕の陣営に是非招き入れておきたいところだなあ」

「私のほうもそれらしき人物が居ないか探してみます」


 そんなカイルの言葉にルメロが鷹揚に頷く。

 ルメロとしてはそれほど期待していたわけではなかったが、どこかの貴族が一時的に雇った傭兵ということだってあり得る話だ。

 もしそういうことならば、ルメロとしては大金を積んだり、将来の地位を約束してでも自分の陣営に迎え入れる気があった。


「というか、僕にもようやく運が巡ってきたのかな? 昨日の奇襲も上手くいったし、反乱軍にかなりの打撃を与えられたと思うんだけど?」

「はい。これほどの戦果を上げたのですから、今後は誰もルメロ様のことを軽んじなくなるかと」

「サイード導師がそれとなく、敵部隊を上手いこと誘導してくれたおかげだけどね」

「ルメロ様がこの辺りの地形や気象を熟知していたからこそ成功した作戦です」

「多分、2度目は使えないだろうけど。ただ、そのおかげで参謀殿の反応も芳しくなっていてね。ずいぶんと僕も指揮を執りやすくなったよ」

「ゲンペルー男爵ですか。彼はシアード王子がこちらに送り込んできた監視役なのでは?」

「まあ、実際にそのとおりなんだろうけど、彼だって心から兄上に忠誠を誓っているわけでもなさそうだったからね」

「では、心変わりしそうだと?」

「うーん、ゲンペルー男爵は我々が提示する領地や地位次第かな。元からシアード派の人間ではあるけど、金に汚い人物としても有名だからね。兄上を裏切るとすれば、そっちのほうが効果がありそうな気はする」

「そういう人物なら尚更声をかけないほうがよろしいのでは?」

「僕だって選り好み出来る立場ならそうしているさ。それこそアンドリュース伯爵に頼らなくても済むのならそうしたいぐらいだからね。だけど、そういうわけにはいかないことぐらいカイルだって理解しているだろ?」

「すみません。余計な差し出口を」

「いや。カイルの言いたいことだって僕もわかるんだよ。今はひとりでも味方が欲しいってだけで、何が何でもゲンペルー男爵を調略しなければならないと言っているわけではないのさ」


 いかにも不本意そうに最後にはそう呟くルメロ。

 だが、その表情はけっして曇っていなかった。

 ほぼルメロの狙い通りに事態が進んでいるからだ。

 おそらくこのまま内乱に勝利し、兄のシアード王子がマガルムーク国王に即位する流れになるはずだ。

 が、その治世はけっして盤石ではなく、そのときにはこのルメロ・ドランガル・ジェス・マガルムークの存在を無視することが出来なくなっているだろうと。

 そんなルメロの瞳の裏には、煌々と燃える野心の炎が宿っている様子だった。


 ◆


 ルメロたちの天幕からは少しだけ離れた場所。

 どちらかと言えば、そこはシアードが居る本陣のほうにより近い位置だった。


 焚き火にした薪がパチパチと爆ぜ、煙の匂いが死臭をかき消す。

 その炎で暖を取りながら、支給された硬いパンへとかぶり付き、ほとんど味のしないスープで胃の中に一緒に流し込でいる兵士たちの姿がそこにはあった。


 皆、疲れ切った顔をしている。

 中には今日の戦いで受けた傷の痛みに苦悶の声を漏らす兵士だって見られる。

 といっても、今この場にいるのは比較的軽症だった兵士だけだろう。

 重症の兵士は衛生兵の手でとっくに後方へと運ばれているはずなのだから。


 昨日も今日も圧勝だったとか、思っていたよりも優勢に戦いが運んでいるとかはそれほど関係がない。

 明日になればそれだってどうなるかわからないし、兵士にとっては毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際であることに代わりはなかった。

 しかも相手は同じマガルムーク人。

 元は同郷の人間だっているだろう。ほとんどの兵士は、心の中でこの戦いが早く終わってくれることを望んでいる様子だった。


「くそっ。酒が欲しくなってくるな……。ドノバン、どっかに隠し持ってねえのか?」


 と、ひとりの兵士がそんな声を上げる。


「んなもん持ってないに決まってんだろ、マイルズ。酒なんか隊長に見つかったらただでは済まないからな」

「ちっ。寝る前に一杯ぐらい飲ませてくれたっていいのによお」

「敵に夜襲をかけられでもしたらそのまま天国に行っちまうけど、お前さんはそれでもいいのかよ?」

「大丈夫だろ。こっちには英雄リグルズ様とワルキュリア様が付いているんだからな。俺がくたばっちまう前にその敵を叩き斬ってくださるはずさ」

「リグルズ様とワルキュリア様かあ……。いったいどこのどんなお方なんだろうなあ?」

「リグルズ様のほうはどこぞのお貴族様の3男坊だっていう話みたいだぜ。これまでずっと剣の修行で世界各地を飛び回っていたらしいが、急遽今回の戦いに馳せ参じたんだってさ」

「へええ。そうなのか」

「そりゃそうよ、おめえ。あんな剣の鬼神がこれまでまったくの無名だったってのがおかしいんだわ。下手すりゃガウルザーク将軍よりも腕が立つかも知れねえんだからよ」

「俺も戦っている最中、ちらっとだけお姿を拝見させてもらったけど、ありゃあ味方の俺でも背筋が凍るぐらいだったなあ。あのお方ひとりで敵を全滅させちまうんじゃないかって勢いだったからな」

「つうかもしかしたらイシュテオール様が遣わせてくだされたのかもな。となりゃあ、シアード様が正義だってことにもなる」

「そこら辺は無学な俺にはよくわかんねけどな。知ってるか、マイルズ? デインのやつ、自分がワルキュリア様に助けられたもんだから、まるで女神様のように崇拝しちまっていてな。どうせ中身は醜女しこめだろうって囃し立てた兵士に殴りかかっていたんだぜ」

「そりゃあどう見てもそいつが悪いだろ。俺だってその場にいたら殴りかかっていたかも知れねえ。おふたかたの活躍のおかげで俺たちもこのとおりピンピン生きていられるんだからよお」

「ああ、それは間違いねえ」


 その夜、兵士たちが野営する陣地では、そこかしこで今の話と似たような会話が交わされている様子だった。

 マガルムーク人同士が争わなければならないという、兵士たちにとってはどうにもやるせない戦い。

 そんな中にも英雄リグルズとワルキュリアのことだけが一筋の光明にも見える喜ばしい話題だったからかも知れない。


 が――、

 このときその野営地に向かって、死した者たちの行軍する足音がひたひたと近付いていることに気付いた者は、兵士たちの中には誰ひとりとして居なかった。

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