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79 不運な男

 ◇


「気を付けてね」


 激しい寒風が通り過ぎ、ラァラが身体に纏っているローブの裾がバタバタと音を立てて揺れていた。

 俺の身体にギュッとしがみついていたラァラが顔を上げ、抱きついた腕を少しだけ緩めてくる。

 城壁外にある狭苦しい一軒家の中で恋人との一夜を過ごした俺は、翌る朝旅立ちをどこか寂しそうなラァラの顔に見送られていた。


 これから戦場に赴くことを見透かされているように聞こえた俺はラァラのそんな言葉に押し黙ってしまう。

 いや、俺の考え過ぎか。

 このあとは特に予定もなく、村に帰るだけだとラァラには話してある。

 おそらくは他意のない別れの言葉に過ぎないはずだ。いくらラァラの勘が良くても、エルセリア人であるこの俺がマガルムークの内乱に関与する理由などどこにもないのだから。


「おそらく次回は近いうちに来れると思う」

「そう。そのときを楽しみに待っているわ」

「それと万が一にも、このジェネットの町に戦火が及びそうな場合は迷わずエルセリアへ逃げろ。港町ポートラルゴなら比較的ここから近いし、俺の耳に情報が入り次第すぐに迎えに行く」

「ええ、そうするわ」


 マガルムークの内乱がいつ決着が付くのかはわからないので、俺が長いことその場に張り付いているわけにもいかない。エルセリア王国との交渉だってまだ残されていることだし、俺たちは遅くてもふた月以内にポートラルゴへ戻る必要があった。

 それまでに決着が付かない場合には俺とラウフローラは途中で切り上げて、後はアケイオスに任せるつもり。といっても、アケイオスの姿はジェネットの町で一定数の人間に目撃されている。そこから変に何かを嗅ぎつけられても困るので、それは最終的な手段だ。

 逆にそちらが早いこと片付けば、帰り道ジェネットの町で何泊かしていくことも考えているのだが。

 

「それじゃあ行くな」

「ん、ディーディー。待ってるから」


 そう言ってラァラが上目遣いに俺を見上げてくる。

 言いたいことを言えずにいるような、どことなく感情の一部を押し殺している様子があるラァラ。まあ、そこは俺も似たようなものでお互い様だったが。

 そんな歪な関係を隠すようにもう一度だけしっかりと抱きしめ合ったあと、俺はラァラの抱擁から抜け出して背を向ける。


 どことなく寂しそうなラァラの視線を背後にずっと感じながら、俺はジェネットの町から少しずつ離れていった。


 ◆


「不吉だ……」


 エルセリアから南東方向に数十キロメートルほどいった沖合。

 その沖合では商船旗を掲げた一隻の船舶の上で、空を眺めていた男からそんな呟きが漏れていた。

 甲板上では船員たちが忙しそうに動き回っており、そんな男の呟きなどまるで耳に入っていない様子。

 が、ひとりだけ背後から近付いた人物がおり、男に対して怪訝そうに声をかける。

 もう冬間近だというのにふたりとも半袖。

 その肌は真っ黒に日焼けしており、年中温暖な南方の人間だろうということだけは容易に想像が付いた。


「何が不吉なんだ、おっ父?」

「ルカルナか……。あの空を見てみろよ。こんな朝方だってえのに雲が薄っすらと赤みががってるだろ。ありゃあ、これから海が荒れる合図だ」

「へええ。大時化(しけ)になりそうなのかい?」

「ああ、多分な。一旦、どこか近くの港に立ち寄る必要があるかも知れん。ったくよお、出航した途端このざまだよ」


 がっしりとした体型に毛むくじゃらの顎髭が特徴的な壮年の男。

 そしてもうひとりは年若い女性のようで、男より頭ひとつ分ほど低い身長ではあったが、均整の取れた体躯が男とは正反対の印象を与えている。

 男性のほうはラーカンシア諸島連邦所属のゴードウィン海運商会会頭ドラガン・ゴードウィンであり、女性はその娘であるルカルナ・ゴードウィンだった。


「それでおっ父のギフトに変化は?」

「いや、まるで反応がねえ。つうか、このギフトは潮目や天候を予測できるわけじゃねえんだ」

「ちぇっ。血統ギフトなんて御大層なもんのくせしやがって、まるっきり役立たずじゃんか」

「馬鹿か、おめえ。ギフトってもんは使い方次第なんだよ。それに先祖代々受け継がれている有り難いものなんだぞ」

「それならその貴重なギフトでいったい何が予測できるのさ」

「そりゃあれだ。人生における好機や危機ってえやつよ」

「その好機ってやつを読み間違えたせいで、現在こんな目に合ってるんだとあたしは思っていたんだけどね」

「ぐっ……」

「長いこと取引を続けてきたエルセリア南部での商談がパーになったのは、ギフトの動きを見誤ったおっ父が、ロレーヌ伯爵様が催す招宴の誘いを断ったせいだろ?」


 ルカルナからの追求を受けてぐうの音も出なくなったのか、途端に言葉を詰まらせるドラガン。

 今のふたりの会話どおり、ドラガンは先祖代々継承されてきた《《ボ》》ードウィンの天秤という血統ギフト持ちで、これまでその動きを見て商売をするかどうかの可否を決めていた。

 ただ、そのせいでロレーヌ伯爵領内や、伯爵に付き従う貴族の領地における取引が難しくなってしまったのは紛れもない事実。


 といっても、それでまったく商売ができなくなったわけではない。

 少量なら自分で露店を開いて売ることが可能だし、きちんと税金さえ収めていればそれで捕まることもない。

 しかしながら、エルセリア王国外の商会がエルセリア王国内に支店を構えたり、ほかの商会と大量に取引するためには領主の承認が必要。

 だが、招宴への誘いを断ったせいでロレーヌ伯爵の不興を買ってしまったのか、ゴードウィン海運商会が有していた認可が取り消されてしまい、取引していたすべての商会から今後は取引できない旨を通達されたというわけだった。


「天秤が左右に激しく動いている間は手を出さないのが、このギフトにおける鉄則だってことは何回も説明してるだろ。最終的に俺たちにとって利に傾くのか、損に傾くのかは5分5分なんだからよ」

「でもさ、そうやって躊躇しているうちにデルーチ商会に全部持っていかれたんだろ。慎重になった結果、ゴードウィン海運が潰れかかってりゃあ世話ないじゃんか」

「まさか認可を外されるとは思いもよらなかったんだよ。まあ俺の判断ミスだってことは認めるがな。だからこそ、今回の商いでたんまりと稼いで一息つこうっていう寸法なのよ」

「岩塩より割高の海塩を買い集めてかい? わざわざポートラルゴくんだりまで海塩を運んで、ろくに売れなかったらどうすんのさ」

「う、売れるさ。ポートラルゴでは現在塩が不足しているはずだからな」

「だけど、到着する頃にはマガルムークの内乱だって収まっているかも知れないだろ。そもそもジークバード伯爵様の領地ではこれまで一度も取引したことがなかったじゃないか」

「仕方ねえだろ。エルセリア南部では今後商売できなくなっちまったし、王都方面は昔から大手の商会が地盤を固めていやがるせいで、販路を伸ばすのが難しいんだからよ」

「だけど今度の商売で下手打ったら、いよいよもってヤバいことぐらいおっ父だってわかってるよね?」

「そんなもんおめえに言われなくたってわかってらあ」

「だったら、なんでこんな一か八かの賭けみたいな真似をするんだよ。深き海付近を航海するとなりゃ、海獣に襲われる心配だってしなきゃならなくなるだろ」

「このままじゃあ、どうせジリ貧だからだよ。どっちみち今後はゴードウィン海運商会の規模を小さくしねえとならねえけどな。北に活路を見出して地道に商売を広げていくしかあんめえ」

「規模を小さくするって……。そりゃ若い連中は別の働き口が見つかるかも知れないけれど、モースじいさん辺りはけっこうな年なんだ。そんな連中にまで暇を出すつもりかよ」


 呆れた様子でルカルナがそう尋ねる。

 先々代の頃にはそれなりに隆盛を誇っていたゴードウィン海運商会ではあったが、今では従業員数も20名ちょっとにまで減っている。が、そのほとんどは先祖代々ゴードウィン海運商会で働いている人間。いわば主従関係を結んだ一族郎党のような関係の者たちだった。


「そこなんだよ、ルカルナさんや」

「なんだよ、おっ父。急に気持ち悪い声なんか出しやがって」

「いやな。そんなわけでルカルナさんにもいっちょ協力してもらいてえなあ、と。たとえどんな状況になったとしても、新しい働き口が見つからないような老人連中だけは何とか雇い続けてやりてえんだ。おめえは死んだおっ母に似て、見た目だけは抜群にいいからよお」

「あ? まさかとは思うが私に娼婦にでもなって、身体で稼いでこいとか言わねえよな?」

「さすがにこの俺だってそこまでの無茶は言わねえよ。ジークバード伯爵領内で金持ちの後ろ盾をこしらえてくるだけでいいんだ」


 冗談とも本気ともつかぬ様子でそう言い放つドラガン。

 そんなドラガンに対し、ルカルナはしかめっ面で言葉を返していた。


「はんっ、変わらねえじゃねえか。冗談もたいがいにしとけ」

「いやいや。おめえももういい年頃なんだ。たまには綺麗なドレスでも着て、お貴族様や大店おおだなの息子なんかと懇意になる努力をしたほうがいいと思うわけよ。将来ルカルナがゴードウィン海運を継ぐときにも、良い後ろ盾が居たほうが何かと心強いだろ?」

「このろくでなしが!」 

「あいたっ! 何すんだ、おめえ」

「売れるものは何でも売るのが商売人ってもんだとはいえ、実の娘まで売ろうとするんじゃねえよ」

「おめえこそ実の父親のことを軽々しく蹴るんじゃねえ」

「だったら馬鹿なことを言うなってんだ」

「娘に頼るなんざ甲斐性なしにもほどがあるってこともわかってるがな。ご先祖様が苦労して作り上げた商会なんだ。何があっても俺たちの代で潰すわけにはいかねえ」


 口ではそんな台詞を吐き捨てていたルカルナだったが、一応はドラガンの言うことも理解していた。もし兄か弟でも居れば、自分は貴族や有力商人の家などに嫁がなければならなかった運命。

 貴族や商家に生まれた女性は家同士の繋がりを生み出すための道具でしかない。それがこの世界における一般的な認識だったからだ。


「そりゃああたしだって、ゴードウィン商会を潰したくないって気持ちはおっ父と同じだけどさ。あたしみたいな変わりもんに興味を持つ男なんかそうそう居ないってえの」

「そんなことねえだろ。おめえは跳ねっ返りで女らしさの欠片もねえが、顔の造り自体はいいんだ。白粉かなんかで顔面を真っ白に塗って猫をかぶっとけきゃ、男勝りなところも何とか誤魔化せるだろ」

「ちっ。開き直って、言いたい放題言いやがって」

「まあ、ポートラルゴで何か新しい取引でも出来るようになりゃあ、そんなこともせずに済むんだ。そうなるようおめえもイシュテオール様に祈っておいてくれ。おいっ。モース、ロン。どうも嵐が来そうだ。一番近くの港に避難するぞ」


 これ以上蹴られてはたまらないとばかりにドラガンは話題を切り上げると、そそくさとルカルナから離れていく。

 一方、まだまだ全然言い足りない様子のルカルナだったが、追いかけて文句を言うのも馬鹿らしいと思ったのか、黙って船倉へと続く階段を降りていく姿があった。


 ◇


 豊かな田園風景が広がるモーライズ村。

 だが、本来なら畑仕事に勤しんでいるはずの人影がその場にはなく、それどころか誰ひとりとして動いている者の姿が見当たらなかった。

 モーライズ村は反乱軍の進路からも南に外れていて、戦略的に重要な場所だとも思えない。

 物資強奪のためだとしても、こんな小さな村には一個小隊を送るだけで充分だっただろう。


「酷い有様だな……」


 が、その場に見えたのは、焼け焦げた建物の残骸と、村人たちの死体の数々だった。

 すでに南方へと避難していた人間も居るのだろうが、少なくない人数がこのモーライズ村に残っていたのだと見える。もしかしたらガルバイン砦が陥落したという情報がこの村にはまだ伝わっていなかったのかも知れない。

 ロッキングチェアまであと数日というところで、マクシミリアン侯爵の軍隊が急に進路を変更したので、急ぎ駆けつけてみればこの有様だ。


 何故わざわざ一度南下してモーライズ村を襲ったのかは不明だし、これほどの虐殺行為が行われるなんて俺も少々予想外だった。

 戦闘行為が行われるとしても、せいぜい見せしめに何人か始末するぐらいだろうと思っていたのだ。


 他国への侵略行為だったり、異教徒への弾圧という話ならわからなくもない。

 地球だって歴史上こういった残虐行為がまったく行われなかったわけではないのだから。

 が、モーライズ村に住んでいたのは反乱軍に敵対する気もない自国の平民や賤民たちのはず。

 たとえマガルムークの王がマクシミリアン侯爵に変わったとしても、唯々諾々とその統治に従っていたに違いない。

 食料や物資なども勝手に奪っていけばいいだけの話だし、村人すべてを虐殺する必要などどこにもないはず。いや、これからの統治を思えば、気でも狂わないかぎりこんな真似などできなかったはずだ。


「駄目ね。生体反応がまるで感じられないわ」

「そうか」

「こちらのほうも駄目でした。それと農作物や村にあった物資などもすべて奪われていますね」

「士気を高揚させるために兵士たちに略奪行為でも許したのか? それにしてもやり過ぎだとは思うが。マクシミリアン侯爵とやらはいったい何を考えているんだ?」

「わかりません。ピットを東に移動させてしまった後だったので、詳しい情報は何も」

「いや、この場に残しておいてもどうせ大した情報を得られなかったはずだ。声を拾えるような距離まで近付けたらマナ反応に気付かれる恐れがあるので、けっこう距離を取らせていたからな。それで、ピットを向かわせた正規軍のほうの動きは?」

「ようやくロッキングチェアの町を発ったところです。この分ならあと2,3日中には反乱軍とぶつかることになりそうかと」

「やっとか。そんな悠長に構えていて大丈夫なのか?」

「兵力差だけ見ると、現時点でも正規軍のほうがやや優勢といった感じでしょうね。それに正規軍のほうはまだ余力を残しているみたいだったから」

「この惨状を目にした後だと、ルメロのことは関係なく、是非とも正規軍のほうに勝ってほしい気持ちになるな」


 と、俺がそんなことをラウフローラやアケイオスと話し合っていたそのとき。


 ガタンッ。

 と、俺の背後にある物陰で何かが倒れるような物音が聞こえていた。

 とっさに俺の背後へと周り、身体を張って俺の盾になろうとするアケイオス。

 と同時に、ラウフローラが物音がしたほうへ駆け出していく。


「警戒を解いていいわよ、アケイオス。生存者が居たけど敵ではなさそうな感じだから」

「生体反応はまったくなかったはずだろ?」

「仮死状態とかで引っかからなかったのかも知れないわね」

「ということはこの村の人間か?」

「ええ。ただ、今にも死にかけているみたいだけど」


 ラウフローラのその言葉に俺とアケイオスもその場へと近付く。

 鈍器のようなもので頭を殴られたのか。

 真っ黒い血がベッタリと髪にこびりついた、ひとりの少女がその場には倒れていた。

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