表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/121

78 赤い宝石

 天翔けるアヒル亭に入った途端、ツンと鼻腔を刺激する黒コショウの匂いと、ローズマリーのような爽やかなハーブ系の香りが俺のことを出迎えていた。


 ちょうど夕方のかき入れ時だったのか、店内のテーブルはほぼ満席に近い状態。

 客同士がガヤガヤとお喋りに興じ、食器にナイフがぶつかるカチャカチャという騒々しい音があちこちから聞こえてくる。

 すでにかなり酔っぱらっているのか、陽気に肩を組んで流行歌らしきものを歌っている客たちも居た。

 そんな客と客の間を忙しそうに飛び回っているウェイトレスたちの中にラァラの姿を俺は見つける。

 が、声をかけずに黙って空いている席へと俺は座った。

 今は忙しい時間帯だ。声をかけるのは夕飯時のピーク過ぎにしたほうが無難だろう。

 そんなわけで、俺はすぐ近くを通りかかった年かさでふくよかな体型のウェイトレスを呼び止めて注文をし、大人しくラァラの手がすくまで待つことにする。


「すまん。オーロックスステーキの香草焼きをひとつくれ」

「あいよ。パンは要らないのかい?」

「ああ、パンはいい。それと麦酒ビールを一杯頼めるか」

「それなら全部で16マールだね」


 ジャラジャラと小銭を出しテーブルの上に代金を置くと、ウェイトレスがその硬貨を手にして無造作にポケットの中へと仕舞う。そして一度厨房のほうへと戻り木製のジョッキに注いだ麦酒を持ってくると、厨房の中に居る料理人にも俺の注文を伝えていた。


 だが、そんなやり取りをしている間にも、ラァラの気を惹こうとして必死に話しかけている男たちで店内は溢れ返っていた。どうやら俺のラァラに対する気遣いは不要だったらしい。


「ラァラさん。是非ともこのルビーのペンダントを受け取っていただきたい。これほど大粒のルビーともなると、我がノースウェイ商会においてもとびきりの品なんですよ。赤い輝きがラァラさんには大変よく似合いますので」

「駄目よ、ノルックさん。そんな高価なプレゼントは受け取れないわ。というか、こんなことをしたら後でお父様に怒られてしまうんじゃないのかしら?」

「ラァラちゃんの言うとおりだ。どうせ勝手に店から持ち出してきた品だろ。そんなものを贈られても誰も嬉しかねえっての。それよりラァラちゃん。今夜仕事が終わったあと、俺と一杯飲みに行かないかい?」

「てめえなんかとラァラが飲みに行くわけねえだろ。一度てめえの面を見てみろってんだ」

「あ? オッドのジジイ。おめえには嫁が居るんで関係ない話だろうが。そもそも俺はラァラちゃんに話しかけてんのよ」

「ワシはなあ、ブスな嫁の顔を見ながら飲むより、ラァラに酌をしてもらったほうが断然酒が美味くなるんで、わざわざこの店に通ってんのよ。お前らと違ってラァラのことを狙ってるわけじゃねえんだ。そんなちょっとした楽しみを邪魔すんじゃねえってんだ」

「あら、オッドさん。そんなに調子にのったことを言って、後でミムさんに怒られても知らないわよ」

「ラァラがうちのかかあと仲が良いのは知ってけどな。ラァラはそんな告げ口なんかしねえだろ」

「そりゃあ私は告げ口したりなんかしないけれど、女性の地獄耳をあまり甘く見ないことね」

「けっ、嫁が怖くて酒が飲めるかってんだ。嬶なんざあ一度俺がこうするっていやあ、はいわかりました、旦那様ってなもんよ」

「へんっ、良く言うぜ。数日前、地べたに頭を擦り付けてミムおばさんに謝ってたのはどこのどいつなんだよ」

「ぐっ……。そいつはいったい誰のことだ? そんなやつ、ワシは知らんぞ」


 この町でもラァラは人気者らしい。

 冒険者のような格好をした男性、駆け出しの商人ふうの若い男、そして赤ら顔をした壮年の男性。今のところ声をかけていないが、それ以外に何人もの男たちがラァラの周りには群がっていた。

 ディララの町に居たときとは異なり、地味めなチュニックの上にエプロンドレスを重ね着しているだけだったが、そんなことではラァラの魅力は少しも損なわれなかったと見える。


「で、どうかな? もちろん食事代や飲み代は全部俺が出すからさ。上手いこと大型の魔物が討伐できたんで、依頼料がたんまりと入ったんだよね」

「いや。それよりもこのルビーのペンダントをもらってください。といっても、そこまで深い意味があるわけではないので、気軽にお受け取りいただければ」

「ボルトさん、ノルックさん。この前も話したはずでしょう。私には愛しい恋人が居るので、そういうのは全部お断りしているって」

「だけどよ、そいつはラァラちゃんのことを放って、ひとり田舎に帰っちまったっていう話だっただろ? そんな薄情なやつのことはさっさと忘れちまったほうがいいって」

「だから違うのよ。彼は一緒に付いてきてほしいと言ってくれたのだけど、私のほうがしばらくの間結婚したくないと我が儘を言ったせいなんだって」

「そ、それでも自分だったらラァラさんとずっと一緒に居ますよ。たとえ故郷を離れなければならないとしても」

「俺もだぜ。こういっては何だけどさ、きっと今頃そいつは田舎に別の女をこしらえてると思うぜ」

「あら、そうなのかしら? ディーディー」


 そう言って俺にも聞こえるような声を発したラァラが、唐突にこちらを振り向く。

 どうやら俺が来たことにしっかりと気付いていたらしい。

 そんなラァラの様子に一瞬だけアグラのことが頭の片隅をよぎったが、ラァラは俺の存在を感じ取っていないはず。

 おそらく店に入ってきたときにでも俺の姿を見掛けたということだろう。


 と、ラァラが男たちの囲いをするりと抜けて俺のほうへやってくる。

 そして周囲の客に見せつけるように俺の膝の上に腰をおろすと、甘えた様子で俺に抱きついてきた。


「まあ、私としてはそれならそれで全然構わないけどね。それこそ私が第2夫人、第3夫人になったとしても」

「ラァラ」

「ん。それで今回は長く逗留できそう?」

「いや。実は明日の朝にはまた旅立たねばならなくてな」

「そうなの……。でも今夜は泊まっていけるんでしょう? 私ね、城壁の外にある小さな一軒家を借りたのよ。静かないい場所だから、ディーディーも絶対に気に入ると思うわ」

「そうか、すまんな。今夜は世話になる」

「ふふふ。あなたがいつ訪ねて来てもいいようにと借りた家なの。そんな他人行儀な言い方をしないでちょうだい」

「だが、一軒家となると家賃が大変じゃないか? 金が足りなければいつでも俺に言ってくれていいからな」

「ううん。実を言うとディーディーが村に帰った後、ジェネットの町が魔物に襲われてね」

「ああ、知っている。実を言えばそんな話を人伝に聞いたんで、出来るかぎり急いでやってきたんだ」

「そうだったの。といっても、この辺りは被害が出なかったから大丈夫よ。ただ、そのせいでみんな城壁の中に住みたがっているから、家賃のほうはそれほどでもないのよね。それに最近はしばらく誰も住んでいなかった家だから」

「なるほど」


 恋人同士の甘ったるい会話。

 いや、それ以前にさきほどまでとは打って変わったラァラの情愛に満ち溢れた態度に、男たちは皆愕然としている様子だった。

 とはいえ、ラァラとしては男避けのために敢えてそう演じているだけなのかも知れない。

 恋人である俺がやっかまれることも甘んじて受け入れなければならないのだろう。


 と、そんな中、さっき注文を頼んだウェイトレスが料理を運んでくる姿が見えた。


「はいよ、お待たせ。あんたはたしか、オーロックスステーキの香草焼きだったよね。というか、ラァラ。こんなにも忙しい時間だってのに、長いこと仕事をサボってんじゃないよ」

「いえ、その。女将さん。あ、あの……今日は早上がりさせてほしいのですが」

「は? なんだい、突然」

「すみません。忙しい時間なのに突然こんなことを言い出して」

「ああ、なるほど。そういうわけかい。そうやっていちゃついているところを見ると、この男前が以前あんたが話していた良い人ってことなんだね」

「ええ。久しぶりにこの町にやってきたみたいで。明日からまたきちんと働きますので今日はこれで」

「まあ、最初からそういう約束だったからね。そういうことなら、あとは私たちで何とかするんで今日はあがっても構わないよ」

「ありがとうございます」

「このあたしも若い頃はあんたと同じように今の旦那にのぼせ上がっていたからね。それにたしか、たまにしか会えないっていう話なんだろ。だったら存分に羽目を外しておいで」


 そう言って意味ありげに去っていく女将の背中にラァラが頭を下げる。

 ただし、膝の上に座った状態でいちゃついていたことを女将に指摘されてしまい、さすがに恥ずかしかったのだろうか。少しだけ顔を赤らめたラァラはすぐに隣の椅子へと腰掛け直していたが。


「良かったのか? 見たとことろ、ずいぶんと多くの客で賑わっているみたいだが?」

「それがね、町の南側は倒壊してしまったお店がけっこう多かったみたいなの。今はそのお客さんが一時的に流れてきている感じね。それでなくても天翔けるアヒル亭は繁盛しているお店だったけれど」

「なるほどな。まあ、この場所まで被害が及ばなかったのなら幸いだ。そうだ、ラァラ。これを受け取ってくれるか」


 俺はそう言って懐から一対のブレスレットを取り出してテーブルの上に置く。

 ラァラに渡そうと思い、わざわざ格納庫から持ってきた品だ。さきほどの話を聞いて対抗しているみたいでいささか気恥ずかしい感じもするが、途中でジェネットの町に立ち寄った理由のひとつにこのブレスレットをラァラに渡すことがあった。


 赤い宝石がひとつだけ石座に嵌まっているブレスレット。ただし、小さな宝石でそこまで目立つことはないはず。

 現状天然ものの宝石も掘り放題だが、あまり大きな宝石を身に着けていると盗賊や物取りから襲われやすくなってしまうだけだろう。ラァラのようにか弱い女性に贈るには大粒で目立つ宝石類は避けたほうがいいと判断したってわけだ。


「ありがとう、ディーディー。本当に嬉しいわ」


 すぐにブレスレットを手に取り、喜んで手首に嵌めるラァラ。

 そんな様子を黙って眺めていた客たちが、いつの間にかすぐそばに近寄ってきており、俺の席はむさ苦しい男たちに囲まれていた。

 

「ふんっ。赤黒い色合いからするとおそらく安物のガーネット辺りだろうし、こんなにも小さな宝石ではね。ラァラさんだって内心はガッカリしているんじゃないかな?」

「そんなことないわ。宝石だって綺麗だし、細工だって見事なブレスレットですもの」

「ん? すまんがちょっとだけ近くで拝見させてもらってもいいか? ワシは鍛冶仕事の片手間に、細工師のほうもちょっとだけやっておってな。宝石には五月蝿いんじゃ」

「オッドさん」

「むむ、やはりな。石座に嵌め込まれているこいつはおそらくアレキサンドライトだろう。光の加減で色が変わったように見えたんでおかしいと思ったのだ。それに腕のほうにはふんだんに魔晶石が使われておるな。ということは、このブレスレットは魔導具ってことか」

「そんな馬鹿な。爺さん、耄碌したんじゃないのか?」

「ふう……。お主の代になったらノースウェイ商会との付き合い方を考え直さなければならんかもな。市場には滅多に出回らないアレキサンドライトのほうはともかく、魔晶石が使われていることも見抜けぬようではな」


 アレキサンドライトは自然光の下だと青緑色に見え、蝋燭の炎などの前だとワインレッドに近い濃厚な赤色に見える珍しい宝石だ。

 地球では5大宝石のひとつとして数えられているほど希少で貴重な宝石でもある。

 とはいえ、この世界ではそれほど宝石としての価値が高くないらしい。

 むろんその希少性からそれなりに高価な宝石であることも間違っていないみたいだが、この世界では大きさや透明度、輝きのほうがより重要視される傾向にある。そのためにこの程度の大きさのアレキサンドライトならそこまで目立つこともないだろうと考えたってわけだ。


 といっても、宝石のほうはどうだっていい。それに魔晶石のほうも魔導具に見せかけるためのダミーで、使っていることに特段意味はない。

 重要なのはこのブレスレットが魔導具のような機能を持っていても不審がられないって点だろう。


「ああ。こっちの親父さんの言うとおりだ。このブレスレットはラァラの身に危険が迫ったとき、守ってくれる魔導具なんだ。両方に付いている宝石の部分を重ね合わせると、しばらくの間周囲に結界が張られる仕組みになっている」

「ディーディー。魔導具なんてそんな貴重なものを……」

「俺がずっとそばに付いていられるわけじゃないんだ。せめてもの代わりに、これぐらいのものは贈らせてくれ」

「そう……。ありがとう。大事にするわね」


 グランベルが近くで見張っているので、そうそう滅多なことも起きないとは思うが、グランベルが駆けつける前にラァラが被害に遭ってしまうことも考えられなくはない。そのための保険にというわけだ。


「そんな魔導具なんかに頼らなくても、俺なら直接ラァラのことを守ってやれるんだがな。男なら自分の女ぐらい自分の体を張って守れなくてどうすんだよ」

「ボルトさんは聞いたことがないかしら? ディララの村の近くに棲み着いてしまったドレイクを、よそからやってきた凄腕の冒険者が倒したっていう話を。私はちょうどそのときディララ村に滞在していたのよね」

「そういや、そんな話があったような。というか、実際にドレイクの皮を使った防具がこの町にも流れてきているんで間違いない話なんだろうけどさ。だけど、それが何だって言うんだい?」

「その凄腕の冒険者っていうのは、実はこの人のことなんだけれど?」

「は? そんなまさか……」

「ラァラ。それぐらいでもう充分だろう。周りからすれば恋人ののろけ話にしか聞こえないはずだぞ」

「ごめんね。そんなつもりではなかったのだけれど」


 まあ、そこまで秘密にしなければならない話でもない。

 そもそもそのためにわざわざディーディーという別人格を用意したのだし、たとえ悪目立ちした結果こちらの都合が多少悪くなったとしても、そのときにはまた姿や名前を変えれば済む話なのだから。


「それとあんたらには悪いが、ラァラは俺の女だ。誰にも渡すつもりがないんでラァラのことは諦めてくれ」

「なっ!」

「止めとけ、ボルト。これ以上しつこく言い寄ったところでラァラに嫌われるだけだぞ」

「でもよ、オッド」

「ごめんなさい。ずっと一緒に居ないからおかしな関係のように思えるのかも知れないけれど、私はこの人のことを本当に愛しているから」


 はっきりそう言い切ったラァラと比べて、俺のほうは返す言葉に詰まってしまう。


 その愛情がイシュテオールに操られているだけの偽りの感情だとしたら?

 そう口に出してしまいたくなる気持ちをどうにかこうにか抑え込んでいたぐらいだ。

 まだそうだと決まったわけではない以前の話で、そんなことラァラに対して聞けるわけがない。

 アグラに対して忠誠を誓わなければならないことに関して、マトゥーサ人や亜人がどう考えているのかはわからないが、少なくともラァラはアグラから逃れられない運命でいることにずっと悩んでいる様子がある。

 そんな状態の相手に、もしこの俺がアグラだったらどうするかなんて冗談でも聞けるわけがない。


 いや――。

 仮に俺がアグラだったとしても、ラァラと別れるような行動はけっして取らないはずだ。

 そんなふうにラァラのことをしっかり受け入れているくせに、誰かにお膳立てされているのが気に入らないという、俺のエゴに過ぎないこともわかっているつもりだ。


 そんな矛盾した感情に因われていた俺は、宝石のように赤いラァラの瞳を黙ったまま見つめることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ