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77 進軍の開始

 ◆


 マガルムーク北部に位置するガルバイン砦。

 そこからシアード王子が拠点としているロッキングチェアの町までは徒歩でおよそ1週間ほどの距離。

 その間、いくつかの町や村々などが点在しているが、エルセリア王国やドゥワイゼ帝国からは遠く離れた最奥部に位置している関係上、ロッキングチェアの町を含め防衛拠点になりそうな都市はあまりない。

 それゆえシアード王子がいざ反乱軍を迎え撃つとなれば、ロッキングチェアの町から出て平野部などに自陣を展開するしかなく、そこまで有利とは言えない状況。

 しかしながら、ガルバイン砦に駐留しているマクシミリアン侯爵率いる反乱軍は、しばらくの間動きを見せていなかった。


 むろん王都ドガ以南にある周辺の町や村々を占領することで、後方の安全を計るとともに、食料の確保にも時間を割いていたという一面がある。

 だが、それ以外にもマクシミリアン侯爵が動かなかったのには理由があった。

 いや、マクシミリアン侯爵からすれば、なるべく早く進軍を開始したかったに違いない。時間をかければかけるほど、シアード王子に態勢を立て直す時間を与えてしまうだけなのだから。


「マクシミリアン様。このままいたずらに時間をかければ敵に利するばかりかと。早々に進軍なされることを某は具申致します」


 城下町グースの町にある屋敷内の一室。

 アドミラール将軍がいかにも苛立たしげな様子で、主君であるマクシミリアン侯爵に対して苦言を呈していた。

 と、まるで主君に詰め寄るようなアドミラール将軍の物言いに、少しだけムッとした表情でマクシミリアン侯爵は言葉を返す。


「そのほうの意見も尤もながら、現在は機をうかがっているところよ。しばしの間、この場所にて様子を見るつもりだ」


 そう答えたマクシミリアン侯爵だったが、実際にはサイード導師に止められていたためにガルバイン砦から兵を動かせないだけだった。

 進軍を止めている理由も薄々は察している。

 グースの町の住人の死体をガルバイン砦の中へと運び込み、夜な夜なゼ・デュオンがグールに変えているせいだ。

 

 そんな薄気味悪いことをしているゼ・デュオンとはすぐにでも手を切りたいと願っていたし、他者の顔色をうかがわなければならないことも腹に据えかねていたぐらい。

 とはいえ、ゼ・デュオンの助けがなければ此度の反乱がこうも上手く運ばなかったことはマクシミリアン公爵とて理解している。

 王都奇襲の際だって、自分たちの力だけではどうにもならなかったはずだ。

 それに中立貴族たちの調略の効果がいまいち芳しくなかったこともある。

 今更になって梯子を外し、ゼ・デュオンを追い払ったところで、シアード王子に打ち勝つための秘策が何かあるわけではなかった。


「それにしても、あのように得体の知れぬ者をいつまで重用されるおつもりですか? グースの町の惨劇を見た貴族や兵士たちの間にただならぬ空気が漂っていることぐらいマクシミリアン様もご存知でしょう。あの様子ではこちらを裏切ってシアード陣営に駆け込む者が現れるかも知れませんぞ」

「くっ、わかっておる。だがな、シアードからすればウルシュナ平原、ガルバイン砦と連続で散々な目にあったばかりであろう。そんな負け戦の直後に寝返ってきた者などけっして信用せぬはず。間諜だろうと疑われ、処刑されぬともかぎらないのだから、そう容易く裏切れるはずもなかろう」

「ですが、このままではあまりにも醜聞が悪いかと。戦後の統治にも影響が出かねませんぞ」


 そんなことを言われても、マクシミリアン侯爵だってあそこまで非道な行いを許した覚えはない。

 邪法に頼ったことに関して、のちのちそしりを受けるのは仕方がないとしても、グースの町の住民の虐殺まで己の仕業にされてしまってはたまったもんじゃない。

 たとえ今更だとしても、早いうちにゼ・デュオンとは手を切ったほうが賢明ではないのか?

 マクシミリアン侯爵の頭にそんな想いがよぎったのも無理からぬ話だった。

 王都に続き、ガルバイン砦も奪ったことにより戦況はだいぶ良くなってきている。あとは正々堂々刃を交えたとしてもこちらに勝ち目がないわけではない、とも。


「ならば、そなたはこのワシにどうしろと言うのだ」

「あのように胡乱な輩など、早々に斬って捨てたほうが今後のためになるのでは?」

「馬鹿を申せ。ガウルザーク将軍がどうなったのか、そなたもその目でしかと見ていたであろう」

「あれはガウルザーク将軍が油断して隙を突かれただけかと。戦場では稀にそういうことも起こりますゆえ。魔道士風情など不意を付いて接近してしまえば、あとはいかようにも料理ができましょうぞ」

 

 アドミラール将軍はゼ・デュオンのことを怪しい野良魔道士としか認識しておらず、マクシミリアン侯爵のほうもゼ・デュオンが貴人という存在であることは聞かされていたものの、真の意味で理解しているとは言いがたかった。

 それというのも、イシュティール教がアグラと邪神にまつわる記録のほとんどを禁書として葬り去ったために、貴人の存在まで歴史の闇に埋もれてしまっていたせいだ。


 何と言っても伝説の時代の話。

 その時代に貴人という存在が暗躍していたことは伝わっていても、貴人の名前まで後世に伝わっているわけではない。

 マクシミリアン侯爵にしても、まさかゼ・デュオンがその時代に存在した貴人その人だとは思ってもみなかったし、邪教徒の中でも支配階級に居る人間を貴人と呼ぶのではないかぐらいの認識に過ぎなかった。

 それゆえ恐ろしい魔道士だとは思っていたものの、人知を超えるような存在とまでは考えていなかった。

 

「そのように簡単な相手ではないぞ。本当に斬り捨てることができるのならまだ良いが、万が一にも失敗してゼ・デュオンの矛先が我々のほうに向いたら、いったいいかが致すつもりだ?」

「ご心配召されるな。この私にかかれば魔道士のひとりやふたり、造作もないこと。マクシミリアン様のご許可さえいただければ、すぐにでもこの手で仕留めて参りましょうぞ」

「だが、サイード導師はどうするのだ?」

「導師とてきちんとご説明差し上げれば、ご理解していただけるはずかと。ただし、あくまで抵抗するというのなら、一緒に退場していただくしかないでしょうな」


 そんなアドミラール将軍の言葉にマクシミリアンが考え込む。

 アドミラール将軍がマガルムーク国内でも屈指の勇名を馳せていること自体は間違いない。

 ただし、将軍になることができたのは狂戦士化というギフトの持ち主であったことが大きい。


 これは周囲30メートル内に居る兵士を狂戦士化させることにより、弱兵でも一定の戦力に変えることが可能なギフトだった。

 といっても、その兵士の能力が上がるわけではなく、一定時間痛みや死を恐れなくするだけ。

 敵陣への突破力が高くなる一方、味方の損耗率も著しく上がってしまうため、最初から兵士を捨て駒にする気で使うしかない。

 それに敵味方関係なく狂戦士化させてしまうため、ひとたび乱戦になってしまえばあとは使えなくなるという欠点もあった。

 ようは使い所やタイミングによっては役に立つギフトといったところだ。素人同然の亜人でも戦線の矢面に立たせることができるので、それなりに有効なギフトではあったのだが。


 いずれにせよ、マクシミリアン侯爵としては悩みどころであった。

 サイード導師のほうはともかく、ゼ・デュオンのことが邪魔になってきたのは事実だ。

 ただ、本当にアドミラール将軍に任せても大丈夫なのかという不安な気持ちもある。

 それに、非道な行いのすべてをゼ・デュオンの仕業に出来たとしても、それで綺麗さっぱり自分の汚名が晴れるわけではない。


 だが、このまま何もせずに手をこまねいていれば、イシュティール教から邪教徒として弾劾される可能性すらある。そんな事態になる前に何らかの手を打っておくべきではないかと、このときマクシミリアン侯爵は考えていた。


「ん? 今、何か申したか? 最近は耳が遠くて難儀しておってな。ただまあ、そのほうには軍の指揮権を与えてある。風紀を正すために誰を処罰しようが、そのことは不問に致すのが当然であろうな」

「ふふふ、左様でございますか。委細、承知仕りました」


 マクシミリアン侯爵の答えを聞いたアドミラール将軍がニヤリと相好を崩す。

 そのままマクシミリアン侯爵に向かって一礼し、静かに屋敷を後にするアドミラール将軍の姿があった。


 ◇


「ん? マヤのことをルメロが貰い受けたいと言ってきているのか?」


 隠れ里エルシオンを出てジェネットの町へと向かった俺は、町に入ってすぐベルナルド商会の商館に赴き、その場でグランベルと話し合っていた。

 アケイオスとラウフローラも一緒に連れてきてはいるが、今は町の外で待機させているところ。どうせ明日にはジェネットの町から旅立つ予定だったからだ。


「はい。戦争に勝ったあとの話になりますし、マヤが平民という身分のため愛妾という形になるとは申しておりましたが」

「うーむ。こちらが考えていたより、ずいぶんと話の進み具合が早いような気がするな」

「ええ。何かと理由を付けてルメロ王子にマヤを近付けていたことも確かなのですが、そこまでの関係に至るまでにはもう少し時間がかかる見込みでしたので」

「それなら何故、現時点でそういう話に?」

「はっきりとは断言できませんが、ルメロ王子には我々との関係を確たるものにしたいという狙いがあるのでは?」

「のちのち俺たちを味方に付けるためにか?」

「ええ。さすがに悪意があるとまでは考えにくいですからね」

「なるほどね。マヤには惹かれているかも知れんが、結局のところ打算交じりというわけか」

「といっても、この世界における貴族の倫理観からすれば、多少容姿や性格が気に入ったというだけで、愛妾に迎え入れる気になってもおかしくありませんが」

「ルメロはそこまで手が早くないはずだ。どちらかといえば朴訥で、女性には奥手そうな印象を受けていたぐらいだからな。利害関係からこの話を持ちかけてきたというほうがまだしっくりくる」

「その可能性が一番高いかと。ただ、こちらの思惑とも合致していますので、計画のほうに支障はなそうですが」

「ああ。狐と狸の化かし合いになってしまうが、こちらがコントロールできるようなら問題ない。仮にマヤという繋がりが出来たとしても、ルメロだってそこまで無茶な要求はしてこないはずだ」


 ああ見えてルメロは抜け目ない性格をしているような気がする。なので利害関係から今回のような行動に出たとしても不思議じゃない。

 ギフトが何か関係している可能性はあるが、俺たちが名乗ったとおりの人物でないことにもすぐに気付いたぐらいだ。

 まあ、俺たちのことをマトゥーサ人ではないかと疑ってかかる分には問題ないというか、いい感じに勘違いしてくれてこちらとしては助かっているぐらいだ。

 それにマヤとの関係に付け込んで、俺たちを味方に引き入れようとしていることについても何ら思うところはない。

 そこら辺はお互い様だろう。何しろこちらはもっと灰汁あくどい仕掛けを弄しているのだから。


「承知しました。このままマヤにはルメロ王子の籠絡を続けさせます」

「ああ。それで兵士のほうはどれほど戦場に連れていった?」

「500名程度かと」

「そいつはずいぶんと動かしたな。守りのほうが手薄になってしまうんじゃないのか?」

「ええ。おそらくここが勝負どころだと読んだのでしょうね。マガルムーク全体にとっても、ルメロ王子とアンドリュース伯爵の陣営にとっても」

「まあそうだろうな。この内乱が治まったあとのことを考えれば、どれほど武勲をあげたかでマガルムーク国内での影響力も変わってくるだろうからな」

「それで、ルメロ王子には手を貸すので?」

「それはまだわからん。というか状況次第になるな。ルメロに上に立ってもらったほうが俺たちに利するところが多いとは思うが、まだ完全にルメロのことを信用したわけじゃないんでな。危なそうだったら少しぐらい助けてやるかって感じだな」

「そうですか。アケイオスがおそばに控えていれば大丈夫だとは思いますが、念のため充分にお気を付けください」

「ああ。わかった」


 その言葉を最後に俺は席を立つ。

 そんな感じにグランベルとの話し合いを終えた俺は、天翔けるアヒル亭で働いているラァラと会うためにベルナルド商会から出ていった。


 ◆


 ディーディーがジェネットの町にたどり着く10日ほど前の話。

 マガルムーク北部にあるガルバイン砦では、そこかしこからガチャガチャと鎧が擦れる音が聞こえていた。

 砦のすぐ外には、全身鎧に身を包んで整列している大勢の兵士たちの姿が見える。

 そんな物々しい兵士たちの装いに、まるで血なまぐさい戦争の匂いまで漂ってきそうな雰囲気があった。


「前進開始!」


 隊長格らしい男の叫び声とともに、進軍の開始を告げる太鼓の音が鳴る。

 そして先頭に居る部隊がゆっくりと前進をし始めると、それに倣って後方の部隊もゆっくりと動き始めていた。


「マクシミリアン様。いよいよ大勝負にございますな」

「う、うむ」


 そんなサイードの言葉に心なしか顔を青ざめた様子のマクシミリアン侯爵が小さな声で返事をする。

 そのすぐ近くには将校や貴族たちも立ち並んでおり、これからの戦に身震いしたり、勇み立っていたりと様々な表情がその場には浮かんでいた。


「ふふふ。何か心配事でもお有りでしょうか? 何も問題は起きておりませんので、心配なさらずとも大丈夫でございますよ。マクシミリアン様は大船の乗ったおつもりで、すべて私どもにお任せください」

「あ、ああ。頼りにしておるぞ、サイード導師」

「そうですね。ならば先陣はアドミラール将軍にお任せしてみてはいかがでしょうか? ずいぶんと血気に逸っているご様子でしたので」

「くっ。そのほうの好きに致せ」


 自棄やけになり、まるで吐き捨てたようなマクシミリアン侯爵の言葉を耳にし、馬鹿にしたような様子でニヤリと口角を上げるサイード導師。


「承知致しました。というわけで、アドミラール将軍。先陣は頼みましたぞ」


 そう言ってマクシミリアン侯爵のそばに控えていたアドミラール将軍に対してサイード導師が恭しく一礼する。

 が、当のアドミラール将軍からの返事はなく、サイード導師に対する反応も一切示さなかった。


「ア、ア、ア、ガガガ、グワアアアアア……」


 ただ、その場には魔物が威嚇するときに発するようなくぐもった唸り声がきこえていた。

 その声のせいでアドミラール将軍の近くに居た将校たちがギョッとしたほど。

 全身鎧姿で顔まですっぽりと兜に隠されていたせいで表情のほうは読み取れなかったが、どうやらその薄気味悪い唸り声はアドミラール将軍から聞こえている様子だった。

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