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73 隠れ里エルシオン

「隠れ里エルシオン……」

「ああ、それがお前たちの終の住み処となる村の名前だ。なのでお前たちはこの先、エルシオンの住民ということになるな」


 イオスのその言葉を聞き、亜人たちが口々に騒ぎ出す。


「おい。今のイオス様のお言葉を聞いたか? ここがこれから俺たちが住む村だってよ……」

「そうなると、俺たちは今後マガルムークの国民ではないってことになるのか?」

「だけどなかなかよさそうな土地じゃないか。そんなに寒くなさそうだし、作物もよく育ちそうだ。それにこんな綺麗なところに住めるのならマガルムークの国民でなくても構わないだろ?」


 詳しい理由は知らないが廃村になった村だとイオスから聞いていたのだ。

 だというのに真新しく整然とした町並みに、亜人たちが近付くことさえ躊躇うぐらいの見事な建物しか周囲には見当たらない。


「そっただこと言っても、どこさおらたちの家を建てればいいんだ。見るからにこの辺りはお偉いさんの居住区だども?」

「元々この村に住んでおられた方々は、引っ越しなさって今はもうおられないって話だったと思うが……」

「そんじゃ、おらたちがこの辺りに住んでも構わねえのけ? だども、こんな高級そうな邸宅の近くにおらたちみたいなもんが住み着いたら、後で文句ば言われねえがな?」

「爺さん、あっちのほうをよく見てみろよ。向こうのほうまでずっと道が続いてるだろ。向こうの隅っこなら俺たちが住んでも怒られないだろ。イオス様も、俺たちはこの村の住民だと仰られているんだ。村の端っこに住み着く権利ぐらいあんだろ」

「ほう。たしかにずうっと向こうまで続いているみたいだのお。あとは水場が近くにあれば助かるんじゃが……」


 さきほどまで霧の深い森の中に居たのに、それにいつの間にか朝になっているとあれほど騒いでいたのに、そんなことはもうすっかり忘れてしまったのか。

 亜人たちの会話はここエルシオンがこれから自分たちが住む村だという話題に移り変わっていた。

 わからないものはいくら考えたってわからないままだ。ましてやアグランソルのご主人様が治める土地ならば、多少不思議なことが起きてもおかしくない――そう考える亜人がほとんどだった。


「お前ら静かにせぬか! イオス様のお話の途中だぞ」


 そんな亜人たちのことをラオが一喝する。

 と、亜人たちが静まり返ったのを見計らい、イオスも言葉を続けていた。


「皆、現在の状況に戸惑っていることとは思う。が、初めに断っておくがそれらの疑問に答えるつもりはない。この場所、ここにある施設、そして道具のいくつかは古代人の叡智によるもので、本来ならば秘匿すべきものだからだ」

「古代人の叡智……」

「納得できないこと、不思議な物があったとしても、それはそういうものだと受け入れてもらうほかない。施設や道具の扱い方については我々が教えるし、たとえ壊しても責任を取らせることはない。一部を除き、この村にある物は領主である若様からお前たちに貸与された物だと考えてくれればいい」

「わかりました。ご領主様の寛大さに感謝致します」


 亜人たちを代表してラプラールがそう答える。

 亜人たちからすれば正直わからないことだらけだっただろうが、とりたてて疑問の声を上げる様子もない。

 そもそもこの場に居る亜人のほとんどは元々賤民という立場。為政者から一方的に言い渡されることが日常的過ぎて、いちいち疑問を挟むなど思いもよらなかっただけかも知れないが。


「それで、そのイオス様……。失礼にあたるやも知れませぬが、お隣におられるお方のどちらかがご領主様だったりは?」

「いや、若様はお忙しい身だ。ここエルシオンにはそう滅多に来られる機会がないと思っていい。といっても、最初のうちは何度かご視察に来られる予定だとも仰られていたがな」

「左様でございますか。そうなると、こちらの方々は?」

「そういえば紹介がまだだったな。ラングル、ジーナ。お前たちふたりは今後しばらくエルシオンに住み着くことになるのだ。自分の口から自己紹介したほうがいいだろ」


 と、イオスのその言葉に隣に居た亜人男性が一歩前へと歩み出る。

 亜人の年齢は人族に比べて見た目からでは判別しにくいが、貫禄があるところをみるとそれなりの年齢のようにも思える。

 ラングルはイオスと比べれば一回り小さな体躯の持ち主であったが、それでも充分に偉丈夫と呼べるような体格の亜人だった。


「じゃあ、まずは俺様からだな。俺はラングルといって、黄虎族出身の者だ。お前たち避難民に農業指導をするよう若様から命じられてここへやって来た」

「ラングル様ですか。お初にお目にかかります。私は小角鬼族の長でラプラールと申す者。そしてすぐ隣に居る若輩者が息子のラオにございます」

「ラプラール殿にラオ殿か。イオス様から聞いたが、避難民たちを上手く取りまとめているそうだな」

「そんな滅相もございませぬ。マルカ、ゼント、それにガウスとサリウティーヌ……。すぐにこちらへ来てくれ。ラングル様にご挨拶を」


 そんなラプラールの呼びかけに応え、各部族の代表者たちが亜人たちの中から姿を現す。

 そしてラプラールとラオの後に続き、マルカ、ゼント、ガウス、サリウティーヌと順々に丁寧に頭を下げながら挨拶を交わしている様子があった。


「申し訳ありません。さきほどの話に戻りますが、ラングル様の仰られていた農業指導と言うのものは?」

「そうだな。お前たちの中にもライ麦を育てた経験がある者は多いと思う。が、これまでとは多少やり方を変えてもらうつもりだ。それ以外にもお前たちがこれまで一度も見たことがない作物を育てたり、家畜を飼育してもらう予定でいる。なので、これまでとは農作業の方法がずいぶんと違ってくるはず。そのための補佐役というわけだな」

「私どもがこれまで一度も見たことがない作物や家畜ですか……」


 この世界でも一応のこと家畜は育てられている。

 グラン領内にて有名なオーロックス辺りがそうだ。

 とはいえ、家畜を飼育するためには大量の餌が必要になってくるし、魔物にも狙われやすいため、小さな村では育てようとする者があまり居ない。それゆえ食肉はおおむね狩猟に頼っているというのが実情だった。


「ああ、そうだ。お前たちにも馴染みが深いライ麦や大豆も育ててもらうが、若様の領地には世界各地から取り寄せ、この地の風土と合うように改良された作物がたくさん存在する。じゃがいもやとうもろこし、或いは家畜である鶏などだ。お前らはそれらの名前すら聞いたことがないだろう?」

「じゃがいもやとうもろこし? それに鶏という家畜ですか?」

「うむ。すでに領地内の各村々から農作物が届いているので、あとで実物を見てもらえばわかると思う。それに今言ったじゃがいもやとうもろこしだけではないぞ。いきなり様々な種類の作物を育てるのも難しいだろうと思い、今は種類を限定しているだけだからな」 

「それは私どもでも育てられる作物や家畜なのでしょうか?」

「そんなに難しく考えなくてもいい。多少手間がかかるものもあるが、誰にでも問題なく育てられるものだ。それにわからないことがあれば、その都度俺に聞いてくれればいい」

「かしこまりました。お手数をかけます」


 そこまで話したのを確認したのち、イオスがラングルの言葉に少しだけ補足する。


「それとラングルには農業指導のほかにも色々な役割を担ってもらう。ゆくゆくはラプラール殿にこの村を一任するつもりでいるが、しばらくはこのラングルが相談役として運営に携わるという感じだ」

「そういうことですか。委細承知しました。ラングル様、これからご指導のほどよろしくお願い致します」


 そう言ってラプラールが深々と頭を下げる。

 と、その会話にジーナと呼ばれていたもうひとりの女性が加わってくる。


「もういいかしら? 私の用事のほうを先に済ませたいのだけど?」

「ああ、すまん。そうだったな。ジーナの用を先に済ませるべきだった」


 目尻には多少皺が見えるが、年齢的にそこまで年を取っているような感じには見えない。

 ジーナはどことなく知的な雰囲気の持ち主で、その顔には幾分厳しそうな表情も浮かんでいた。


「ジーナよ。ラングルと同じく若様から命じられて、ここエルシオンにやって来たの。見たとおり私は人族だから、あなたたちは抵抗があるかも知れないけれど、私の指示にもきちんと従ってもらうからね」

「は、はい。よろしくお願いします、ジーナ様」

「挨拶はいいわ。さっきのを聞いていたから。それよりも今すぐあなたたちにしてもらわなきゃならないことがあるの。動けない病人と怪我人をそこの白い建物の中まで運び込んでちょうだい」


 ややキツいジーナの言い方に亜人たちが顔を見合わせる。

 それでなくともジーナが人族だったこともある。いきなり病人や怪我人を建物の中へ運び込めと言われた亜人たちはその場に固まったまま動けずにいた。


「心配するな。ジーナはこう見えて凄腕の治療師だからな。ここに居る病人や怪我人もジーナに任せておけば間違いない。薬のほうもさきほどひと通り中に運び込んでおいたのでな」

「なるほど。ジーナ様は治療師様でございましたか。ですが、我々には高価な治療費を払えるほどの余裕などなく……」

「ラプラール殿。若様は農奴を末長く働かせるために、治療を行うのは当然のことだと考えておられる。治療に金を払う必要はない」

「そんなまさか……。無料で我々のような者を診ていただけると?」

「結果的には税の中から負担されることになるので、無料というわけでもないがな。税が高いのはそのためでもあるのだ」

「はあ。そういうことでございましたか」

「わかったらグズグズせずに治療院の中まで運び込んでちょうだい。動ける者は自分の足でやって来るようにも言うこと。そうね、あなたたしかサリウティーヌと言ったかしら。あなたにお願いするわ」

「わたくしですか? でも、わたくしそんなに力があるわけでは……」

「何もあなたに直接病人を運べと言っているわけじゃないの。周りに居る者に指示して、その者たちを上手く使いなさいってことよ。それと今後あなたたち半妖精族には、治療院の仕事も手伝ってもらうことになると思うからそのつもりでいなさい」

「しょ、承知しました。ジーナ様」

「それとマルカ。イオス様からあらかたの話を聞いているけど、あなたの傷はまだ完全に癒えていないはずよ。後で怪我の状態を診るので、あなたも私と一緒に付いてきなさい」

「は、はい」


 ジーナの強い口調にサリウティーヌとマルカはビクビクとしながらも従い始める。

 ゼントやガウスもジーナに対しては少しだけ苦手意識を持ったらしく、その姿が治療院のほうへ消えていったあと、ほっと胸を撫で下ろす様子があった。


「それじゃあ、ゼントとガウスには倉庫のほうを手伝ってもらうか。残った連中を集めて、この俺に付いてきてくれ。女性陣には倉庫にある食料を使って、朝飯の準備に取り掛かってもらうからな」

「わかりました」

「力仕事なら任せてください」

「あの……、それなら私とラオは何をすれば?」

「ラプラール殿とラオには俺と一緒にこれから皆が住む住居の割当を考えてもらいたい。建物の数がまだ足りていないので、近くの村から大工がやって来るまでは1軒に何人も固まって住んでもらうことになるがな」

「もしや、周囲に見える見事な住居まで我々に貸し与えていただけるのでしょうか?」

「最初にそう言ったはずだ。エルシオンにあるものは一部を除き、若様がお前たちに貸与されたものだと。なので誰でも遠慮なく使えばいい。正面に見える一際大きな建物は若様が滞在されたときにご使用していただく屋敷なため、代表者と使用人以外は立ち入り禁止にするが」

「本当にありがとうございます、イオス様」

「俺ではなく若様に感謝することだ。俺は若様のご命令に従っているだけだからな」

「は、はい。もちろんにございます。ほかの者にもご領主様に重々感謝するよう申し伝えておきます」


 泣き顔になりそうなラプラールが今にも土下座しそうな勢いでイオスに対して頭を下げる。

 もちろんラプラールはイオスのことを信用していたはずだが、正直なところ不安が少しだけあったのかも知れない。

 近くで事の成り行きを見守っていた亜人たちの顔にも一様に、喜びや希望のようなものが浮かび始めていた。


 ◆


「この食料はいったいどこから……」


 ラングルに連れてこられた巨大な倉庫の中、ゼントとガウスはその場の光景に目を見張っていた。

 

 ラングルの話では、無造作に積み上げられている布袋のひとつひとつにぎっしりと穀物類が詰まっているという話。

 これだけでも避難民全員が半年以上は持ちこたえられるほどの量があるようにゼントたちの目には見えていた。

 だが、昨日の今日でこの場にあるすべての食料を運んでこれるとも思えない。となると元の住民がここに置いていったことになりそうだが、果たしてそんな勿体ないことをするだろうか。

 そう思ったゼウスからそんな言葉が出るのも当然のことだった。


「各村々の輸送用倉庫が魔法のゲートで繋がっていてな。今朝方ここに運ばれてきたのだよ。この先税としてお前たちが納める予定の農作物も、ここにある魔法の門を通じて若様の元へ運ばれるというわけだ」

「はあ……」

「まあ、そこは無理に理解しなくてもいい。こちらの輸送用倉庫は俺が管理するので、そういうものとだけ覚えておいてくれ」

「すみません」

「でだ。これからここにある食料をお前たちが使う、もうひとつの倉庫へと移動させる。そっちはお前たちが自由に使っていい倉庫なんでな。それとこの食料は皆でよく相談して消費しろよ。不足したときにはまた届けてもらうことも可能だが、その分はお前たちの借金に加算されるだけだからな」


 借金と聞いて慄然りつぜんとしたガウスが思わず唾を呑み込む。

 現状で自分たちがいかほどの借金を背負ったのか心配になったが、背に腹は変えられない。餓死してあのまま死ぬよりかはマシだろう。

 一方ではそう思うものの、現在の自分たちはほぼ一文無しに近い状態。その状況を考えれば、ガウスが不安になるのも仕方ない話だった。


「こちらの檻に入れられている鳥の群れもそうなのでしょうか? 食肉用にしてはいささか数が多い気もしますが」

「それがさきほどの話に出た鶏という鳥だ。年がら年中、卵を生む鳥でな。肉用鶏ブロイラーという捌いて食肉にするための鶏も少数混ざっているが、ほとんどは産卵鶏レイヤーと呼ばれる卵を産むための鶏なんだ」

「年がら年中……ですか?」

「ああ。ほぼ毎日のように卵を産んでくれるぞ」


 普通、鳥類は一年に一回繁殖期が訪れるだけだ。

 その繁殖期間中に複数個の排卵をすることはあっても、せいぜい1桁がいいところ。

 そして繁殖期間中に雄と交尾をすれば有精卵として産まれてくるし、もし交尾できなければ無精卵としての卵が排出されるだけの話だ。

 鶏の祖先だと言われているセキショクヤケイも同じで、年間に1回しか繁殖期が訪れず、そのときに4個~6個の排卵をするだけ。

 そのセキショクヤケイを家畜化して、中でもよく卵を産む個体を5000年近くかけ合わせていった結果、現代のような周年繁殖をする鶏という種になったと言われている。


 が、どうやらその過程がこの世界では起きていないらしい。

 種としてセキショクヤケイに近い鳥は存在するが、家畜として育てられておらず、野生のまま。

 むろん世界中を探せば、鳥を家畜として育てている場所があったのかも知れないが、少なくとも鶏のような種は市場に一切出回っていない。

 そのため、この世界の人間にとって卵とはけっこう貴重なものであり、そうそう食べられるものではない。ゼントやガウスからすれば、毎日のように鳥が卵を産むなど俄には信じられない話で、その視線は鶏という変わった鳥に釘付けになっていた。


「まあ、お前たちも実際に鶏を育ててみればわかることだ。この鶏は専用の鶏舎があるのでそちらに運んでくれ」

「わ、わかりました」

「おっと、肉用鶏ブロイラー用と産卵鶏レイヤー用で鶏舎が違うんだった。俺も一緒に付いていかなけりゃわからんわな」


 あんぐりと口を開け放ったまま、ゼントとガウスが揃って頷く。

 あまりにも違い過ぎる隠れ里の常識を前にし、なかば放心状態になったふたりは、唯々諾々とラングルの指示に従うことしかできなかった。

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