65 凍えそうな空
◇
「ほら見て、マーカス、孫六。港町ポートラルゴがあんな遠くに見えるわよ」
「すごい。魔導船とはこんなにも速いものなのですね」
「みょおおおおおお!」
港町ポートラルゴから東に1海里ほど進んだ海洋上。
その場所で魔導船の船首部分のへりに立ったエレナが、後ろを振り返りながらそう呟く。
そのエレナの言葉どおり、魔導船は波をかき分けながらぐんぐんとポートラルゴから遠ざかっていた。
といっても、そこまで速度を出していたわけではない。
湾内から出たあと、エレナの要望に応えて少しだけ速度を上げるよう指示したものの、それでも20ノットほどの速度しか出ていないだろう。
まあ、この世界にはおそらく動力船など存在していないはず。となると、いくら頑張ったところで10ノット程度が限界だろう。エレナやマーカスからすれば、かなりの速度が出ているように見えても不思議ではなかった。
「それにしても海の上をものすごいスピードで走っているというのに、ほとんど揺れないわよね。いったいこの船ってどうなっているのかしら?」
「おいおい。あまり調子に乗って、船の外にまで身を乗り出すなよ」
「この程度の揺れで、海に落ちたりなんかしないわよ。それにこう見えて私って泳ぎが得意なのよ?」
「これだから素人は……。今は水温が低くなっている時期なんだ。もし海に投げ出されたら、それだけで命にかかわるような事態にもなりかねないんだぞ」
そんな偉そうなことを言ってみたものの、俺も海のことになると、てんで素人も良いところ。
表向きは島国であるセレネ公国の人間ということになっている手前、海に詳しいフリをしただけだ。それにこの場にはリリアーテがいるので、たとえエレナが海に落ちたとしてもすぐに救助することが可能であった。
「ふんっ。だったら海に落ちなければいいだけでしょ。わかったわよ」
「エレナお嬢様。レッド様の仰られるとおりだと思います。ここは普段のような陸地ではないのですから。海を甘く見たら危険ですよ」
「なによ。まさかマーカスはあいつの味方をするつもり? ふーんだ。ねえ、孫六。孫六は私の味方よね?」
「みょ?」
呼びかけられた孫六が不思議そうにエレナのことを見上げる。
さきほどからエレナと行動を共にしているぐらいだ。孫六としてはまだ何か貰えるものと勘違いしているのかも知れない。
昨日まではあんなにエレナのことを嫌がっていたというのに、ちょっと干物をプレゼントされただけでこんなにも懐いたことに呆れるが。
「万が一にもあんたの身に何かあってからじゃ遅いからな」
「なに? 一応は私のことを心配してくれているわけ?」
「いや。たとえあんたの不注意であっても、こうしてセレネ公国船籍の魔導船に乗せている以上、結局俺たちの責任になってしまうからな」
「そこは嘘でも肯定しておくところでしょ? レッドさんって、レディの扱いがまるでなってないんだから」
「わかったわかった。エレナお嬢様のことが心配ですので、どうかあまり危険な真似をされないようお願いします。これでいいか?」
「はあ……。レッドさんにちょっとでも紳士的な振る舞いを期待した私が馬鹿だったわ。孫六やリリアーテさんも大変よね。こんな方といつも一緒だなんて」
そう言ってあからさまに俺の目の前でため息を吐くエレナ。
ジークバード伯爵に命じられて、こっそり魔導船の内部を調べに来たとか、多少なりとも裏があるのではないかと勘繰っていたのだが、これまでのところエレナはおかしな行動を取っていない。
それに多少棘のある言い方をしてくるものの、丸っきり無視してくるわけでもなかった。こうしてしきりに突っかかってはくるが、かといって嫌われているわけでもなさそうな感じ。
となると、バルムンドの見立てどおり、単なる好奇心からということになりそうだが……。
「というか、もう満足しただろ? そろそろポートラルゴへ戻りたいんだが」
「え? もう? まだ魔導砲を撃つところを見せてもらってないじゃない」
「もうすっかり日が沈んでしまっただろ。夜の海なんか真っ暗なだけで面白くも何ともないぞ。それに魔導砲をそう気軽に撃てるわけないだろ。あれはかなりのマナエネルギーを消費するものだからな」
「むぅ、そういうものなのね。仕方がないわ。また明日にしておく」
「は? まさか明日も魔導船に乗ろうって気か? その場合、また俺が付き合わされることになるんだが?」
「フローラ様には護衛が必要ないって、この間レッドさんも言ってたじゃない。だったら、交渉が始まるまで特にすることなんてないんじゃない? それとも何か用事でもあるのかしら?」
「そりゃまあ、暇といえばそのとおりだが……」
「だったら決まりね。明日のお昼頃に屋敷を訪ねると思うので、それまでにレッドさんのほうも出掛ける準備をしておいてね。あっ、お昼ご飯を食べてからでもいいわよ」
「ったく……。こっちの予定まで勝手に決めるなよ」
「申し訳ございません。エレナお嬢様はいつもこんな感じでして」
「ふぅ。こんな我儘お嬢様相手じゃあ、マーカスもかなり苦労しているんだろうな」
「いえ、けっしてそんなことは……。あの、レッド様。私からも少しだけお尋ねしたいことがあるのですが?」
それまで興味深げに海を眺めていたマーカスが突然口を開く。
「ん? なんだ? 俺に答えられる範囲なら構わないが。まあ、聞くだけは聞いてみるぞ」
「湾内に停泊しているセレネ公国の商船のことです。ああしてたくさんの方々がエルセリア王国にやってこられていますが、もし交渉が上手くいかなかった場合、大丈夫なのでしょうか? それに食料品などは交渉が延期になっただけでも、どんどん腐っていってしまいますし」
「ああ。そのことなら問題ないので気にしなくていい。あいつらだってエルセリアという新規の販路を開拓できるチャンスに賭けてやってきたんだ。多少の損ぐらい想定内のはずさ。それにそもそも今回船に積んできたのは、見本として贈呈する分がほとんど。最初から商売で儲けようなんて考えていないはずだ」
「え? そうだったんですか?」
「あら? マーカスは知らなかった? ストレイル男爵のお屋敷の保管室や食堂は、セレネ公国からの贈答品で山積みになっているわよ。お酒や果実、美術品にアクセサリー、服や綺麗な生地まで。見たこともないような品でいっぱいだったわ。あれを一度でも目にすれば、セレネ公国のことを馬鹿にしていた御使者様なんか、その場で目を回してしまうんじゃないかしら?」
「もしや昨夜エレナお嬢様がひとりで食堂のほうへ赴かれたのは?」
「ええ。見たこともない色んな果実が置いてあったんですもの。是非、味わってみたくなるじゃない。そうね。昨夜、食堂でつまみ食いしたセレネ公国産の果実はどれもこれも美味しかったけど、中でも“イチゴ”という果実が絶品だったわね。あれはきっとイシュテオール様がお創りになられたという禁断の果実に違いないわ。あのイチゴをエルセリア王国でも育てられればいいのだけれど……」
「それは少しばかり難しいだろうな。あの果実はセレネ公国のような特別な気候と、豊かな土壌に恵まれないかぎり満足に育たないはずだ」
当然ながら、地球産の作物や果実の種がエルセリア王国内で広く流通してしまったら交易の意味がまるでなくなってしまう。
だが、それ以前の話で、実験農場での栽培により地球産の作物などは第一世代しか育たないという結果が出ていた。
元からある地球産の種を植えた作物や果実自体は育つが、その作物や果実から取れた種は発芽しないということだ。
言ってみればF1種に近いか。
といっても、けっしてF1種自体が子孫を残せないわけじゃない。
父親と母親異なる遺伝子を持つ種同士をかけ合わせると、確実に両親どちらかの優性遺伝子を受け継いだ種だけが生まれてくるというメンデルの法則を利用して交配させられるのがF1種。
ただし、優性遺伝子が必ずしも良い影響を与える遺伝子だとは限らないし、そのF1種とF1種同士をかけ合わせた第2世代には劣性遺伝子を持った種が一部現れてしまう。さらに第3世代、第4世代と続けてかけ合わせていけば、劣性遺伝子を持った種がより多く生まれてくることになる。
そのためF1種の多くは第2世代の種を作らないように、敢えて雄性不稔性を持たせ子孫を残さないようにしているってわけだ。
ウーラアテネによれば、その雄性不稔性と似たような感じで異常な濃度のマナ粒子が地球産の作物や果実の交配に悪影響を及ぼしているのではないかという話。
むろん農場施設内ならマナ濃度を調整することができるし、品種改良することによって、その問題を解決することも可能だという話だったが、今のところ後者のほうはするつもりがない。
この世界には種子や種苗の権利など存在しないはず。この世界でも世代を重ねられるように品種改良をした場合には、気候や土壌の条件さえ合えば勝手に栽培されてしまうだけだろう。
「へええ。そうなんだ、残念。まあ、これから交易品として定期的に手に入れられるようになるのなら、それでも全然構わないのだけれど。あとは“チョコレート”とかいうお菓子も最高ね」
「それもこれもすべて交渉が上手くまとまったらの話だな。リリア―テ、そろそろ帰港するぞ。船員たちに魔導船の進路をポートラルゴへ変えるよう指示を出してくれ」
そんな俺の言葉にリリア―テが黙って頷いたあと、操舵室のほうへと歩いていく。
といっても、俺の指示はすでに船員たちに伝達済み。エレナたちが一緒に乗船していたため、リリアーテが直接出向いて伝えに行ったように見せかけただけの話だ。
と、しばらくして汽笛の音が聞こえたかと思うと、弧を描くようにゆっくりと魔導船が旋回していく。
魔導船が湾内を出てから、まだ小一時間と経っていないはず。だが、エレナにも一応は満足したような雰囲気が見られる。
俺の目には、そんなエレナの心情を表すように西日が反射した亜麻色の髪がキラキラと輝いている様子が映っていた。
◆
「マルカ。そっちの様子はどんな感じだ?」
「はっ、イオス様。今のところ二台ほど荷馬車が北門を通過しましたが、いずれの荷馬車にも怪しい点は見られませんでした。一応御者席に居た者の顔は覚えましたが、二台とも荷台が丸見えでしたので、あれで誰かを誘拐することは少しばかり無理がありそうですね」
「そうか」
「あの……。プッチは無事でしたか?」
「うむ。こっそり連れてきて、天幕の奥に寝かせてある。あとは薬さえ抜ければ自然に目覚めるはずだ」
「ありがとうございます。それにしてもイオス様には何から何まで助けられてばかりで」
「気にするな。ところでシリィの姿がどこにも見当たらぬようだが?」
「シリィには西門を見張らせております。ほかにも何か所か町への出入口があるみたいなのですが、荷馬車が普通に通れそうな広さとなると、ここと西門ぐらいなのではないかと」
「そいつは助かる。もうだいぶ日が沈んだきたからな。まもなく城門も閉ざされよう。すまんが、それまで見張りを頼めるか?」
「そんな。どのような難題であろうとイオス様の思うがままに命じてくだされば、我々としてはただ従うのみ。念のために夜間も交代で見張りにつけましょうか?」
「いや、そこまではしなくていい。すでにジェネットの町へ戻ってしまっているかも知れないし、数日間ほど戻ってこない可能性だってある。というか、実は今回の犯人にそこまでこだわっているわけでもないのだ」
「そうなのですか?」
「ああ。前にも話したと思うが、たとえ犯人の目星が付いても我々亜人にはどうすることもできん。領主に訴え出たところで信じてもらえるか怪しいし、いたずらに藪をつつく結果になり兼ねないのでな。ただ、怪しい人物の顔がわかればそいつらには極力近づかないよう皆に周知させることは可能だと思ってな」
「なるほど。そういうことでしたか」
「いずれにせよ、怪しい荷馬車や人物にはけっして近づかないように、マルカのほうからも皆に話しておいてくれ」
「かしこまりました」
と、イオスとマルカがそんな会話を交わしている最中、後ろのほうから騒ぐ声が聞こえてくる。
ふたりがそちらを振り返ってみると、北門の近くで小角鬼族のラプラールとラオが城の兵士と何やら揉めている様子だった。
「この寒空の中、我々に凍え死ねと仰られるつもりですか?」
「貴様らは我が領に税を納めているわけではない。グラン家が守るべき領民とは言えぬのでな」
「それはそうかも知れませんが、この地を追い出されてしまったら我々はどこへ行けば?」
「そんなこと私には与り知らぬ話だ。そもそも今回の騒動の原因は貴様ら亜人のせいではないかと町では噂されているのだぞ。貴様らが南の大断崖地帯のほうでやたらと魔物を乱獲したせいで、魔物のスタンピードが起きたのではないのかとな」
ラプラールたちと話している偉そうな男は、領主アンドリュース伯爵の子息デニウス。
そして、どうやらそのデニウスがラプラールたち亜人全員にこの地から立ち去れと命じている様子だった。
「そんな馬鹿な。これまでにも冒険者が大量に魔物を狩ってきたことはありましたが、そんなことが起きたという話は聞いたことがありません」
「それならば何故貴様らが魔物を狩り始めた途端、ジェネットの町に魔物の群れが押し寄せてきたのだ! どう考えても偶然ではあるまい。それこそ、これまでこんなことは一度も起きなかったのだぞ」
「うっ。それは……」
デニウスからの追及を受け、ラオが言葉を詰まらせる。
さきほどイオスから余計なことは言わないほうがいいと釘を刺されたばかりだ。そのせいでラオとしては、ほかに犯人が居るのだという言葉を呑み込むしかなく、納得のいかない顔のまま俯いてしまう。
だが、そんなやり取りを見守っていた亜人の集団の中から、デニオスに言い返す声が聞こえてくる。
「俺は知ってるぜ。今回の魔物騒動に町の連中が関わってるってな。何でも子供を攫っている悪いやつらが居るって言うじゃねえか。そいつらが今回の魔物もおびき寄せたんだとよ」
亜人の集団の中、ゴルドンがそんな声を上げる。
どこからどう伝わったのかはわからないがゴルドンはイオスが話した内容を知っているらしく、外野からデニウスに向かって言い返していた。
「貴様! まさか我々のせいにするつもりか?」
「だって、そうじゃねえか。魔物の狙いは俺らじゃなく、この町だったんだ。それが俺たち亜人には関係ないっていう何よりの証拠じゃねえかよ。というか、あんたらこそ何かしでかしたんじゃねえのか?」
「おのれ、言わせておけば……」
デニウスの顔がたちまちのうちに怒りで真っ赤に染まる。
そして、その場で後ろを振り向いたデニウスは、ジェネットの町の住民に向かって大声で叫んでいた。
「聞け、善良なる我が領民たちよ。こいつら亜人こそが此度の騒動の元凶である。中には家をなくした者、怪我をした者、家族を失った者もおるであろう。それもこれもすべてこいつら亜人が招いたことだ。哀れだと思い、これまで情けをかけてきたが、こいつらは仇として返してくるばかりか、我々の仕業だという嘘まで吐いて言い逃れようとする有様。やはりこいつらは邪教徒に間違いない。兵士たちよ、邪教徒を皆殺しにしてしまえ!」
デニウスのその言葉に周りに居た兵士たちが殺気立つ。
兵士たちが事の真偽をどう思っていたかはともかく、デニウスがそう命じたからにはその言葉に従うしかなかったからだ。
「待たれよ!」
と、今にも刀傷沙汰になりそうなその場にイオスが割って入る。
これまで城に居たデニウスはともかく、兵士たちはさきほどイオスの活躍を目の当たりにしたばかりだ。
血なまぐさいことになりそうな雰囲気を肌で感じ取った兵士たちの間に、一瞬で緊張が走っていた。




