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63 ジェネットの黄昏

 ◆


 そこらじゅうで歓声が沸き上がっていた。


 ただ、喜んでいるのは何も歓声を上げた者だけではない。残った魔物の掃討をしている兵士たちの顔にも安堵の表情が浮かんでいたぐらいだ。まるでジェネットの町全体を覆うように、喜びの感情がそこらじゅうで溢れているかのように感じられた。

 その声を聞き、何事が起きたのだろうかと建物の陰から恐る恐る顔を覗かせる住民たち。

 そして安全になったようだと気付いたそばから、その者たちも少しずつ表通りに姿を現し始めていた。


 とはいえ表通りでは、いまだに魔物と兵士が戦っている状況。

 完全に安全になったとまでは言えなかったが、変異種が倒されたことによりこの騒動が収束に向かっていることも間違いない。

 そんな中、いかにも自分の仕事は終わったとばかりにその場から離れ、亜人たちの元へゆっくりと歩いていくイオスの姿があった。


「アグランソル様だ! この地に救世主が現れたぞ」

「ソル様!」

「どうか蒙昧な我らのことをお導きください、アグランソル!」

「ようやく我ら亜人が救われる日が来たのだ。これで人間なんかに……」


 そんなイオスに駆け寄ってきて、周りを取り囲むようにして再び平伏し始める亜人たち。その顔はイオスに対する崇拝と、未来への希望に満ち溢れている様子だった。

 見る者見る者すべてが顔を輝かせ、頻りにアグランソルという名を口にしている。

 ただ、すべての亜人がそうだったわけではない。

 ぼうっと突っ立ったまま、この状況が面白くないとでも言いたげな亜人の男がその場にはひとりだけ居た。


「ちっ。いったい何だってんだ。こいつら一斉にとんでもないでたらめなんか抜かしやがってよ」

「なんだ、あんた? もしかしてケチを付けようって腹か? あんた、たしかゴルドンとか言ったな……」

「あん? だったら何だって言うんだよ」

「ゴルドン、止めておけ」

「うっせーよ、マルカ。お前には何も言ってねえだろうが」


 非難めいた白狼族のゴルドンの言葉を聞き咎めた小角鬼族の若い男がゴルドンに詰め寄る。

 その様子を見て咄嗟に止めに入ったマルカだったが、ゴルドンのほうはまるで聞く耳を持とうとしなかった。


 それでなくても相手は何かとお世話になっている小角鬼族の若者だ。

 怪我をしたマルカが天幕のひとつを貸してもらった件にしてもそうだし、男手が少ない白狼族に対し、全員に食料が行き渡るように少しだけ配分を多く分けてもらっているという恩もある。

 だが、ゴルドンのほうはそんな恩義など少しも気に留めていない様子で、小角貴族の若者に対して食ってかかりそうな勢いだった。


「そんじゃあよお、いったいどんな証拠があるって言うんだよ。あいつがアグランソルだっていう証拠がよ。もしあるんだったら見せてみろ」

「今の戦いを見ていただろ。あのお方が怪物をひと突きで倒す瞬間をな。アグランソル様以外のどこのどいつにあんな真似が可能だと言うんだ?」

「はんっ。そんなのたまたまだろ。それに実はもう弱ってたとかなんじゃねえのか? そりゃあ、ちっとばかし腕は立つかも知れねえがな」

「城の兵隊が束になってかかってもまるで歯が立たなかった相手だぞ。それに魔法だってそれほど効いていなかった様子。それなのにただの冒険者があんな簡単に倒せるもんか」

「そんなもの何の証明にもならねえだろうが。だいたいよお、肝心のアグラ様は大昔にお隠れになられたまんまじゃねえかよ」

「それは……。現在は世に姿を現せない深い事情があるに違いない。そんな状況下におかれても、我ら亜人の窮状を見兼ねたアグラ様が自分の代わりにアグランソル様を遣わせてくださったってことだろ」

「何ともおめでたいこったな。よくもまあ、そう都合よく受け取れるもんだよ」

「そういうあんただって、イオス様はアグランソルではないと何の証拠もなく言い張っているだけじゃないか。そういえば、あんたってこれまで事あるごとにソル様に突っかかっていたよな? おおかたソル様の凄さを認めたくないだけのひねくれ者なんだろうが」

「いや、ラオ。こっちのゴルドンの言うとおりだぞ」


 と、そんなふたりの言い争いに横から口を挟む者が現れる。

 それは、ほかでもないイオス本人だった。


「ソル様……」

「ラオの期待を裏切るようで悪いが、俺は単なる流浪の冒険者。残念ながらアグランソルではない」

「ほらみろ。本人だってこう言ってんじゃねえかよ」

「そんな。嘘ですよね?」

「止めんか、ラオ。イオス様がお困りになられているのが、わからんのか」


 小角鬼族の若者ラオに対し、長老であるラプラールからの叱責が飛ぶ。


「ですが、長老。我々がどれほどこの瞬間を待ち望んだことか……」

「このジェネットの町にはイシュティール教徒もそれなりに住んでいるのだぞ。今この場で尊名を口にすることがどれほど愚かしい行為なのか考えてみよ」

「それは……」

「それにイオス様がそう呼べと仰られるのならば、我々のほうは素直に従えばいいだけ。イオス様がたとえ誰であろうとも、我らの救世主であることには違いないのだからな」

「それはそのとおりなのですが」

「けっ。ったくよお、揃いも揃ってこんなやつに騙されやがって。皆して頭がおかしくなっちまったのか」

「貴様! 他部族の者ゆえこれまで見逃してきたが、その無礼な態度にはいい加減我慢がならん!!」


 ラオのそんな剣幕を受け、その場からすぐに逃げ出すゴルドン。

 といってもラオだけではない。イオスの周囲に集まった亜人たちのほぼすべてがゴルドンのことを白い目で見ていたぐらいだ。

 そのことにゴルドンも気付き、旗色が悪いことを悟っただけなのかも知れない。


「ラオ殿。ゴルドンには私のほうからきつく注意しておきますので、此度ばかりはお許しを」

「マルカ殿は少しばかり身内に甘過ぎるのではありませんか?」

「ラオ、少し落ち着け。ただでさえ今は皆、困難な状況に置かれているのだ。亜人同士が争っている場合ではない」

「ぐっ……。ですが、ソル様!」

「ラオ。あやつのことはもう放っておけ。そもそも、それもこれもすべてイオス様が判断なされること。あのような者にも等しく情けをかけるべきだというイオス様の考えに我々は従うべきであろう。最初から我々ごときが出しゃばるような問題ではないのだよ」


 そう説き伏せたラプラールの顔にもどこか苦々しげな表情が浮かんでいた。

 これまでイオス殿とずっと呼んでいたのが、イオス様に変わっているぐらいだ。今回のことで以前より強い崇敬すうけいの念を抱いたことは間違いなかった。

 相変わらずゴルドンだけはそんなことなどお構いなしで、ラプラールやラオのことを馬鹿にした様子であったが。

 そんな周囲の反応に困り果てた様子のイオスに対し、横合いからおずおずとしたか細い声がかかる。


「あ、あの……。イオス様、プッチのほうはどうでしたか?」

「レミか。それにシリィも無事のようだな。安心しろ、プッチは無事に見つけたぞ」


 そんなイオスの言葉を受け、レミの顔に喜びが浮かぶ。

 ただ、シリィのほうは何を言うでもなく、頬を紅潮させ、黙ったままイオスの顔に見惚れている様子だったが。


「ほっ。ありがとうございます。それでプッチは今どこに?」

「うむ、それなんだが。魔物がジェネットの町に押し寄せてきていたため、近くの農場の納屋に寝かせてある。ただし、少しばかり問題もあってな。今すぐこの場所に連れてきていいものか悩んでいるところだ」

「その問題とはなんでしょうか?」

「マルカ。お前はここジェネットの町において、最近誘拐事件が多発しているという話を聞いたことは?」

「すみません。初耳です」

「私のほうは城門前の兵士たちからそんな噂話を聞いておりますね。まさか、そのことと何か関係が?」

「ラプラール殿はすでに知っておったか。マルカにもわかるようにもう一度説明すると、どうやらこのジェネットの町で最近子供を狙った誘拐が多発しているという話でな。プッチもその子供たちと同じように、馬車を使って誰かに誘拐されたらしいのだ。俺が見つけたときには薬で眠らされている状態だった」

「誘拐……。それに馬車ですか?」

「うむ。プッチが居なくなったと思われる場所近くに、うっすらと馬車の轍が残っていたので、もしやと思ってな。その轍を頼りにアジトらしき場所を突き止めたまでは良かったのだが、内部はもぬけの殻だったという次第だ。そういうわけで俺は犯人を見ていない。ただ、もしかしたら今回の魔物騒動と何か関係があるかも知れないとも考えていてな」

「なんとっ! それは、まことですか?」

「わからん。今のところ確実なことは何も言えないのだ。プッチが犯人の顔を見ている可能性はあるが、それもプッチが目覚めたあとでないと何とも言えないのでな。いずれにせよ、このことはここだけの話に留めておいてくれ」


 イオスのその言葉に皆が顔を見合わす。

 プッチが攫われたというのなら犯人の顔を見ていてもおかしくない。ただそのことはあまり重要な問題にはならなかった。

 亜人の立場はマガルムークにおいてもかなり弱いものだ。亜人の子供が攫われたからといって、城の兵士がまともに取り合ってくれるかどうか。

 そうでなくても誘拐事件など世間的にそこまで珍しくない話ではあったし、その対象が亜人ともなれば泣き寝入りするしかないというのが現実だったからだ。


 だが、そこに今回の魔物騒動が関わってくるとなれば、話はずいぶんと変わってくるはず。


「もちろん。イオス様がそうせよと仰られるのならば」

「すまんな。正直なところ確たる証拠がないのだ。あくまで今の状況から推測すれば、どうやら魔物騒動とも関係がありそうだというだけで」

「それでは、このことを城の兵士に報告されないのですか?」

「ああ。それも止めておくべきだろう。町に入るより、町から出るほうが比較的チェックが緩いとはいえ、この犯人はこれまで普通にジェネットの町へ出入りしていたことになる。だとすれば城門前の兵士の一部がグルか、それとも城門前の兵士たちでは馬車の中身を確認できないような重要人物である可能性が高い。我々が下手に騒いでも、藪蛇になるだけだ」

「確かにそれはそのとおりかも知れませぬな……」

「ですが、町をお救いになったイオス様のお言葉なら、さすがに城の兵士たちも信じるのでは?」

「いや。問題はプッチの身の安全なのだ。もし今回の魔物騒動と誘拐事件が関係しているとすれば、犯人が唯一の目撃者であるプッチのことを始末しようとしても不思議ではない」

「では、いったいどうすれば?」

「今回のことに関しては口を噤んでおくしかないような気がする。それとプッチはこの土地から離れたほうがいいのかも知れん。ひとまずは天幕の中へかくまっておくにしてもな」

「イオス様がそのほうが良いと仰られるのならば、我らに異論はありません。そもそも我々が騒いだところで、城の兵士たちや町の住人には信じてもらえないでしょう」

「それとだ。俺はこれからレミと一緒にプッチのことを迎えに行く。その間、怪しい馬車が通過しないか、北門の近くで見張っていてほしい。だが、もし怪しそうな馬車が通過しても下手に騒いだり、余計な手出しはしないようにな。その場合は御者の顔を確認するだけでいい。マルカとシリィ、そのことを頼めるか?」

「はい、もちろんです。イオス様」


 イオスのそんな言葉にうっとりとした表情を浮かべて答えるシリィ。

 そのすぐ隣ではマルカも真剣な表情を浮かべ、イオスの言葉に聞き入っている様子があった。


 ◇


「アグランソル?」

「今の状況から察するに、アグラに関連する呼称のようなものではないかと」

「言葉の意味はわかりそうか?」

「古代語かと思われるので正確には。ただ、“ン”は体言に接続する格助詞。“ソル”のほうはつるぎ、または道具や手足のような意味だと考えられますね」

「だとすれば、アグラの剣って意味になるな。その言葉を素直に受け止めれば、アグラの従者のような存在にも思えるが」

「はっきりと断言はできませんが、おそらくはそんなところではないのでしょうか?」

「だが、いったい何でだ? たとえ戦闘が圧倒的だったとしても、何か特別なことをしたわけではない。そのアグランソルと誤解されるだけの何かがあったようにはとても思えないのだが」


 アケイオスが英雄視されることまでは織り込み済みだ。

 今まではなるべく目立たないようにと指示を与えていたが、最大戦力であるアケイオスをいつまでもジェネットの町に張り付けておくわけにもいかない。そろそろアケイオスのほうもジェネットの町から引き上げさせるつもりでいた。

 だったら、変に時間をかけてこれ以上被害を拡大させるより、さっさと片付けてしまったほうがいいと判断したってことだ。


 そもそもアケイオスをあの場に残した理由は、亜人たちを助けるためというより、隠れ里のほうに亜人たちを誘導できないかと考えたからだ。

 最初は自動機械オートマタを隠れ里の住人に偽装させて誤魔化すつもりだったが、この世界の住人がその役目を担ってくれるのならそのほうがいい。そう思ったからこそアケイオスに亜人たちの手助けをさせていたわけだが。

 かといって、そこまでここに居る亜人にこだわっているわけでもない。人間の奴隷を購入して入植させてもいいのだ。

 小角鬼族の長老であるラプラールがあまり乗り気でなさそうだったため、俺のほうは半分諦めていたぐらい。

 ただ、どちらに転ぶにしても、アケイオスはもうお役御免だろう。今回、多少目立ったところでそれほど問題にならないだろうと俺は考えていた。


「わかりません。あの大型のクローリーニードルをいささか簡単に始末し過ぎたせいでしょうか? 正直それぐらいしか」

「その点は仕方ないだろうな。あれ以上はジェネットの町の被害が大きくなり過ぎる」

「それでいかがなされます? きっぱりと否定して、アグランソルと呼ぶのを止めさせますか?」

「いや。否定するにしても、少しぐらい含みを持たせておいたほうがいい気がする。それで亜人たちからアグラについて何か聞けるようになるなら儲けものだ。それに隠れ里に亜人を連れていくのにも一役買ってくれそうではあるからな。それと、そうだ。アケイオスのほうに自動機械オートマタの補助役を何人か付けるよう手配してくれ」

「了解しました。マヤのほうは予定どおりで?」

「ああ。ルメロには少しでも重く責任を感じてもらいたいからな」

「わかりました。それとラウフローラからの連絡になりますが、エレナ嬢がどうしても船に乗りたいそうです。少しだけでもいいので、動いている魔導船に乗船してみたいとか」

「何か思惑でもあるのか?」

「いえ。バイタルの状態からすれば、嘘を吐いたり隠し事をしている様子はありませんでしたね。おそらく単なる好奇心からでしょう」

「ふんっ。まったくわがままなお嬢さんだな。仕方がない。この俺が案内することにするか」


 そう言って俺は席を立つ。

 これでマガルムークのほうはしばらく動きがないはず。あとはプッチを攫った犯人が見つかるか否かだが、そちらのほうはさほど重要視していない。

 犯人がわかったところであまり騒ぎにする気がないからだ。

 もちろんどうやって魔物を誘導したのか、そしていったい何の目的があってこんなことをしたのか気になるところではあったが、それが魔法の仕業であるのならば解明することはおそらく難しいはずだ。それにどんな目的が隠されているにせよ、その狙いはアンドリュース伯爵でしかない。

 念のためにアケイオスに犯人を調べさせるつもりではいるが、それでどうこうしようという気はあまりなかった。


 俺はそんなことを考えつつも、エレナを魔導船に案内するためにラウフローラの部屋から出ていった。

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