59 ガルバイン砦
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バサバサと鳥たちが羽ばたく音が、静寂に包まれていた森を騒がす。
まるで迷惑そうに飛び立っていく鳥たちの姿に、歓迎されぬ余所者の存在を知覚できた。
そこに見えたのは森を二分するかのように真っ直ぐに奥へ奥へと続いている細道。その周りで朝露もすっかり消え失せた草木が、風も吹いていないのにガサガサと揺れ始めていた。
身の丈は50センチメートル程度だろうか。子供でも上半身は隠れないような高さの藪だ。
ただ、姿が見えないにしても何者かがそこに居ることだけは間違いない。
その証拠に草木が揺れた瞬間、草木の合間にちらりとだけ何かの影が映っていた。
と、その場所に何者かの剣がまるで草でも刈るかのように振り下ろさる。それと同時に新たな魔物の死骸がまたひとつ出来上がっていた。
「やはり虫系の魔物か……」
後ろを振り向き確認することすらしていない。
ほとんど止まりもせず、走り抜けながら軽々と魔物を片付けたアケイオスの口からそんな呟きが漏れる。
アケイオスが見た映像はそのままポートラルゴのほうに送られる手筈になっており、そのためにわざわざ言葉を発したのかも知れないが、ドールに過ぎないアケイオスが独り言を漏らしたぐらいだ。
ここまで幾度となく魔物を始末しているというのに、次から次へと現れる魔物の姿に、アケイオスとしては事の異常性を感じずにはいられなかったのだろう。
この森は大断崖地帯のほうまで続いている。魔物もそれなりに存在することはアケイオスとて知っていた。しかし、さすがにこの数は多過ぎる。
しかもそのほぼすべてが虫系の魔物ときている。まるで何かに引き寄せられているかのように、虫系の魔物だけがジェネットの町に向かって移動しているとしか思えないほど。
魔物の生態や習性はいまだ未知数な部分が多いとはいえ、現在起きていることは明らかに異常事態であるようにアケイオスには思えた。
「どっちだ?」
不意にアケイオスがその場に立ち止まる。急に前方の視界がひらけ、目の前で道がふたてに別れていたからだ。
一方の道はそのまま薄暗い森の奥へと続き、もう一方の道はどうやら切り立った崖のほうへと続いている様子。そしてその崖の真下には建物の屋根らしきものも見えていた。
その場に残されていた轍の跡を見ると、一度崖下にある建物に立ち寄ったあと、再び出発したような感じだった。
ただ森のほうへと続く轍の跡がうっすらとしか残っていないことからすると、この場所で馬車から何か重い荷物を降ろしたあと再び出発したと見るべきだろう。
途中で轍の痕跡を見失う可能性はあるが森の奥への道をこのまま追跡するか、建物のほうを先に調べるか。
中腰になって轍の跡を調べていたアケイオスが、どちらにしようかと悩みながら崖のほうを一望する。
そもそも、ここに来るまでの轍の跡ですらドールであるアケイオスだからこそ判別可能であっただけで、通常の人間にはここまで追跡することすら難しかっただろうが。
ただ、ここが盗賊たちの隠れ家という線は充分に考えられる。
それにこの場所で重い荷物を降ろしたということは、プッチはこの場所に捕らわれているのではないか。
そう判断したアケイオスは少しだけ道を戻って藪の中に入ると、横手から建物がある場所へ静かに近付くことにした。
だが、だんだんと建物が近付くにつれ、アケイオスの視界に見えてきたものは予想外の光景だった。
「いったい何があった?」
建物の入口はほぼ半壊している状態。
建物の外側に瓦礫が散乱していることからしても、ごく最近建物の内部で爆発でも起きたかのよう。
ガスも電気もないこの世界では爆発などそうそう起こりえないことだろうが、この世界には魔法という存在がある。けっしてあり得ない話ではないだろう。
ただその推測はすぐにアケイオスの頭から消えることになった。何故なら建物の入口から裏にある崖のほうへ向かって、巨大な何かが這って移動したような痕跡が地面の上に残っていたからだ。
現在の状況からしても、それが虫系の魔物の痕跡であることは想像に難くなかった。だが、その痕跡から想定されるサイズとなると、これまでに遭遇したものより桁違いに大きいことになってくる。おそらくドレイクと同じくらいか、もしかしたらそれ以上の大きさだろう。
そんな巨大な魔物がすぐそばをうろついていることはアケイオスも気になったが、今はプッチの救出を優先しろとの命令。魔物のほうは後回しにするしかなかった。
念のため建物内部の物音に注意しながら、アケイオスが建物の中へと入っていく。
といっても、内部に潜んでいる人間を警戒したわけではない。
その相手が盗賊かそれとも奴隷商か、はたまた別の種類の悪党ということだってあり得るが、いずれにせよそいつらはとっくに逃げ出しているとアケイオスは睨んでいた。
この惨状でいまだ内部に賊が潜んでいるとは考えにくい。馬車が森の奥に向かっていることからしても、おそらくこの場所は放棄したと見るべきだろう。
むしろ警戒したのは魔物のほうだ。
足跡が内部から外部へのものだけということは、どこかほかの侵入経路があってもおかしくない。そうではなく何らかの理由により、閉じ込めておいた魔物が逃げ出したという可能性も考えられたが。
どちらにせよ内部にまだ別の魔物が潜んでいないとも限らない。ピットなら生体反応からその辺りも調べられたのだが、ジェネットの町に向かって移動している魔物の調査も重要。現状ではアケイオスが乗り込んでいって直接調べるしかない。
倒れかけている柱を身を低くして潜り抜けたアケイオスは、慎重に建物内部へと侵入していった。
内部を見ると、室内はだいぶメチャクチャに荒らされており、魔物による襲撃があった模様。
と、建物内部の奥のほうに子供らしき死体があることに気付く。
ただ、その死体がプッチでないことはアケイオスにもすぐにわかった。ほとんど原型を留めていなかったが、人間と亜人では身体的特徴が多少異なっているためプッチでないことがすぐに見てとれたからだ。
そして死体のすぐそばには地下へと続いているらしい階段があった。
となると、魔物はこの下からやって来たのかも知れない。もしかしたら地下を掘り下げているうちに魔物の棲み処とでも繋がってしまったのか?
ほかに入口がないのなら、そう考えるのが無難な答えであるように思えた。
そしてその魔物から逃げようとした子供が、ここで捕まった、と。そんな推測をしながら、アケイオスが地下への階段を下りていく。
だが、いざ地下に下りてみると、左右と奥にいくつか部屋があっただけで、すぐに突き当りになってしまった。
「もうひとつのほうか」
新たに地下通路の奥で見つけたぐちゃぐちゃの死体を見下ろしながら、アケイオスがそんなことを呟く。
地下通路にほかの出入り口らしきものが見当たらなかったことから考えれば、魔物が外部から侵入したとは考えにくい。
それに突き当りにあった頑丈そうな鉄扉も破壊されており、通路横の岩壁を抉るようにしながら何かが地上へと出ていったような形跡がある。
それらの状況から考えれば、この場所に閉じ込めておいた魔物が逃げ出したと見るべきだろう。
そう結論付けたアケイオスは急いで通路を戻ると、通路横にあった部屋を調べ始めていた。
地下通路の途中にあった木製の扉が付いている部屋がいかにも怪しい。プッチが捕らわれているすればそのうちのどこかだろう。
その扉を次々と力任せに破壊し、こじ開けていくアケイオス。
と、ある部屋の中でアケイオスは床の上に倒れているプッチを発見した。
「意識はないが、呼吸や脈拍などは正常値の範囲内。薬か何かで眠らされているだけだな」
それだけを確認したアケイオスはまるで荷物のようにプッチの身体を肩に担ぎ上げる。
少々乱暴な扱いにも見えたが、アケイオスの両手が塞がってしまえば剣を扱えなくなる。帰りがけにも魔物と遭遇しかねないことを考えれば、それも仕方がない扱いだったのだろう。
奥の部屋でもう少し色々と調べれば、魔物のことについても何かわかったのかも知れない。魔物はあの場所に捕らわれていたはずだからだ。
だが、プッチのことを肩に担いだアケイオスは、これ以上この場所には用がないとばかりに建物の中から急いで出ていった。
◆
「サ、サイードよ……。さすがに少しばかりやり過ぎだったのではないか?」
ウルシュナ平原から50キロメートルほど東に進んだ先にあるガルバイン砦。
そのガルバイン砦の城壁の上に佇んだマクシミリアン侯爵は、現在グースの町を一望しながら思わず息を呑んでいた。
眼下に見えたのは恐ろしい光景。
自らが命令したことだとはいえ、ここまでやれと命令した覚えなどない。マクシミリアン侯爵がそう声を荒げたくなるほど、ガルバイン砦とその城下町であるグースの町に一方的な殺戮の痕跡が残っていたからだ。
兵士のみならず、一般市民のほぼすべてが冷たい骸と化した状態。
いまだほうぼうから火の手が上がっており、家は破壊し尽くされ、女は乱暴に犯されるか、女子供でもむごたらしくその場で斬り伏せられているような有様だった。
「戦争とあらば、それも致し方なきことかと」
「だが、そちも申していたであろう。相手は同じマガルムーク人。やりすぎは遺恨を残すだけだと。そもそも無関係な民にまで手にかける必要がどこにあるのだ」
「はて? 某がそんなことを申し上げましたかな?」
「とぼけるな、サイード! そうではないと言い張るのならば、なにゆえシアードの小倅を逃したというのだ!」
「マクシミリアン様、そうご立腹なされるな。皆殺しにせよと仰せられたのは某ではなく、ゼ・デュオン様。某にお怒りになられるのはいささか筋違いではないかと」
「くっ……。だが、グースの住民たちは武器すら手にしていなかったではないか。見逃してやることもできたであろう」
「それがなんだと言うのです? まさか貴人であらせられるゼ・デュオン様のご下命に逆らうとでも?」
「そ、そのようなことは申しておらぬ。だが、のちのちの統治を考えれば、いたずらに民草の命を損なうことはけっして得策ではあるまい。まさかこの私に死人たちの国を統治しろとでも言うつもりか?」
それは比喩でも何でもなかった。
実際にガルバイン砦の攻略には大量のグールが投入されていたからだ。
戦況はマクシミリアン侯爵有利に運んでいたというのに、忌避感を抱かれ兼ねないグールを何故隠さなくなったのかはわからない。ただ、ひとつだけはっきりしていたのは、そのグールの多くはウルシュナ平原で戦った敵兵の死体から作られたものだということ。
となると、ガルバイン砦で死んだマガルムーク人も新たなグールとして戦線に投入させるとみて間違いないだろう。
マクシミリアン侯爵が死人の国と言ったのも、あながち見当外れの言葉ではなさそうだった。
「民草など後でいかようにもなりましょう。あやつらは雑草のようなもの。放っておいても勝手に増えていきますので。今はマガルムーク全土を掌握するのが肝要かと」
「それは確かにそうかも知れぬが……。だが、グールの存在を衆目の元にさらしてしまったことについてもワシはいまだ頷けずにいるのだ。醜聞が悪くなるのは確実であろうし、現在中立を保っている貴族がそのせいで敵方に付いてしまえば、戦況とてどう転ぶか」
「いまさら何を仰っておられるのか。あなた様が魂を売った相手をどなただと考えておられるのです。マクシミリアン様、あなた様に残された道はひたすら覇道を突き進むことのみ。慈悲はおろか、人の心すらかなぐり捨てることですぞ」
「サイード、ワシは……」
「大丈夫。こちらが圧倒的権力を手に入れてしまえば、貴族連中などたいがいのことには目をつぶりましょう。幸いにもマガルムーク国内はイシュティール教の力がそこまで強くありませんので」
「う、うむ。そのことは理解しているつもりだがな」
まるでそれまでの迷いを振り払うかのようにマクシミリアン侯爵が左右へとかぶりを振る。
今サイードが言ったように、この戦いの勝者になりさえすれば残りの貴族連中などどうにでもなるという考えが、マクシミリアン侯爵の頭の中にあったのもまた事実だった。
「もっとも、野心がある連中はそうはいかないでしょうが」
「グラン家か……。だが、あそこは今となっては名ばかりの貴族に過ぎない。野心があろうがなかろうが、こちらに反抗する力などほとんど有しておるまい」
「意外とそういうところのほうが危なかったりするものですよ。貴族という連中は他人の下にはなるべく付きたがらないもの。名門というだけの旗印のほうが何かと都合がいいのです。シアード殿下を降したあと、そのような理由から残党勢力の拠り所にされては敵いませんからな」
「サイードのことだ。当然手を打っているのであろう?」
「むろん。今頃はひと騒動起きている頃合いかと。馬鹿な小娘を唆して、そうなるように仕向けてありますので」
「それはいったいいかような策なのだ?」
「暗部についてはマクシミリアン様がお知りになる必要はありません。のちのち事が露見した場合も某が勝手に仕出かしたことだと、とぼけることができますので」
「う、うむ。そうか。となると、あとはジュリアス公辺りか……」
「ジュリアス公は現在病状が悪化しているとの情報。すぐにどうこうなるほど酷い容態でもなさそうですが、この先表舞台に立つことはおそらく無理でしょうな」
「シアードの小倅さえ倒してしまえばあとはどうとでもなるか」
そんな会話がマクシミリアン侯爵とサイードの間に交わされる。
ただ、その陰でサイードの顔が愉快げに歪んでいることに、マクシミリアン侯爵はついぞ気付かないままだった。
ジュリアス公に薬を盛ったのが自分だと伝えなかったことにしてもそうだ。
これまでの忠言にどこか一貫性がなく、一見深く見えるマクシミリアン侯爵に対して忠誠心も、表向きに見えるものと少しだけ違っているような雰囲気が感じられた。
マクシミリアン侯爵の眼下では、民家の中に隠れていた平民の女がまたひとり兵士の手により屋外へと引っ張り出され、今にも犯されようとしているところ。
その様子から目を背けるように後ろを振り向いたマクシミリアン侯爵の顔には、何とも言い難い困惑したような表情が浮かんでいた。




