52 第2公女
◇
桟橋の上に立ち並ぶ兵士たちの姿が見える。
ドールたちの目を通した映像で何度か確認をしているので、その兵士たちの先頭にいるのがストレイル男爵だということは俺にもすぐにわかった。そして、そのすぐ隣にはバルムンドとリリアーテの姿も見える。
隣に並んだバルムンドとにこやかに話しているストレイル男爵の様子を見ても、これといって問題は起きていない様子。
ジークバード伯爵の娘、エレナ・ジークバードは現在リンガーフッド城のほうに戻っているらしく不在。王都からやってきた使節団とともに再びこのポートラルゴにやってくるという話ではあったが。
そんなふうに逐一状況報告を受けているので、おおむねこちらの計画どおり進んでいることもわかっている。あとはエルセリア王国側の代表がポートラルゴにたどり着き次第、二国間における話し合いになるはずだが。
一足先に艀舟(*1)から桟橋のほうへと移動した俺は、手を伸ばしてラウフローラのことを陸地へと引っ張り上げる。
そのラウフローラはマガルムークでの冒険者姿と違い、現在は華美なドレス姿。そのせいでいくぶん足元が覚束ないのか、ラウフローラが足元を確かめながらゆっくりと桟橋のほうへと上がってくる。
と、俺たちふたりが桟橋へと到着するなり、ストレイル男爵とバルムンドが近付いてくると、ラウフローラに向かって話しかけていた。
「長旅、誠にお疲れ様にございました」
「久方ですね、提督。息災そうで何よりです」
「姫様こそ、思ったよりご健勝の様子。二週間の船旅もたいして堪えなかったと見えますな」
「それはそうです。この私もセレネ公国の人間ですから。この程度の船旅ぐらいでは音を上げませんよ。それで隣にいらっしゃる殿方はどちら様かしら?」
「ああ、そうでしたな。この港町ポートラルゴを治めていらっしゃるストレイル男爵でございますよ、姫様。こちらのストレイル男爵にはずいぶんとお世話になっておりましてな」
「フローラ姫様ですな。ようこそ、エルセリア王国へとおいでくださりました」
「まあ、あなたがストレイル様ですの。初めまして、わたくしは今回の交渉の使者を任されたセレネ公国のフローラ・エリザベート・リアムです」
そう言いながらストレイル男爵に向かって優雅にお辞儀をするラウフローラ。
俺は目立たないようにラウフローラの後ろに控え、黙ってその様子を見守っていた。
「これはしたり。ご挨拶がまだでしたな。某はエルセリア国王ダノン陛下から男爵位を賜っております、ストレイル・マッカーシーと申す者。フローラ姫様にお目にかかれて光栄にございます」
「その姫様というのは。確かに現公王の第2息女ではありますが、現在は降嫁して王族の籍を離脱していますので、単にセレネ公国の使者という扱いで構いません。バルムンド提督にもフローラと呼ぶように何度も申し渡しているのですが、この者は昔から頑固で……」
「ははは、承りました。エルセリア王国の使者殿にも某からその旨をお伝えしておきますゆえ」
「何卒よしなに。それはそうと、何でも我がセレネ公国のために屋敷をご用意くだったとか? すでに提督のほうからお礼を申し上げたはずかとは存じますが、私からも感謝の言葉を述べさせていただきます」
「いえいえ。なにぶん急なご来訪だったゆえ、たいした屋敷を用意できず、誠に申し訳ありません。フローラ様に狭苦しい思いをさせないかと心配なぐらいでして。もしご不便などがございましたら、この私めにおっしゃっていただければ、すぐに対処致しますので」
「お気遣い心より感謝致しますわ」
「それにしても何ともお美しい。仙姿玉質(*2)とはまさにフローラ様に相応しい言葉ですな。提督からお聞きしていたとおり、高貴な気品に満ち溢れておられる」
形式的な挨拶に続き、ストレイル男爵の口からは過剰なまでにラウフローラに対する賛辞が送られていた。
といっても、お世辞ではなくおそらく本心からだろう。それというのも、一般的な認識として高貴で上品そうに映るようにラウフローラの顔の造形を変えていたからだ。
ローラとしての顔も美人には違いなかったが、あえて一部バランスを崩すことで多少の親しみやすさを持たせている。
が、フローラのほうは完璧といっていいほどの美貌。完璧すぎて逆に近寄りがたい印象を抱きかねないほど。今回ラウフローラに与えた役回りからすれば、そのほうがいいと判断したってわけだ。
容姿の変更はそこまで手間取るものでもないので、今すぐローラの姿へと戻すことも可能だったが、しばらくラウフローラにはこのままの姿でエルセリアに滞在してもらうつもりでいる。エルセリア王国との交渉の矢面に、この俺が立つ気はなかったからだ。
「あら、お世辞がお上手ですわね」
「世辞などとはとんでもない。思わず口をついて出た本音ですよ。それはそうと、いささか驚きましたぞ。お国のほうからずいぶんとたくさんの船を引き連れてやって来られたようですね」
「ええ。といっても、ヴィクトーリア号とアフロディーテ号以外の船は民間の商船ですの。新しくエルセリア王国と交易できるようになるかも知れないと聞きつけた商人たちが、我先にと今回の航海に付いてきてしまって」
「あれらの船が全部商人たちの船ですと? それはまた何とも……」
「申し訳ありません。正式な国交が結ばれるまではけっして上陸しないようにと厳しく命じておきましたので」
「いやはや、そこまでしていただかなくとも。このポートラルゴの中だけならば、私の責任でもって自由にしていただくことも可能なのですが。とはいえ、確かに少しだけ気が早いような気は致しますね」
「私も集まった商人たちに、まだエルセリア王国と取引できると決まったわけではないとはっきり申し渡したのですが。ですが、それならそれで別の取引相手を探すからいいとまで言われてしまい。この西大陸にはエルセリア王国のほかにもたくさんの国があると、どこかで聞きつけてきたらしいのです」
「なるほど。耳が早いですな。まあ、どこのお国でも商人とは得てしてそうしたものなのでしょうが」
「セレネ公国は島国という関係上、ことのほか商人たちが商売に熱を上げる気風がありましてね。あのガイア帝国相手ですら――」
「姫様。この場で立ち話も何です。一度、屋敷のほうでお休みになられてから、改めてお話をされてはいかがでしょうか?」
「あら、そうですわね、提督。わたしったら」
「ははは、そうですな。長い船旅でさぞやお疲れのことでしょう。さささ、屋敷へと向かいましょうぞ」
そう言ってラウフローラのことをエスコートするように、ゆっくりと前を歩き始めるストレイル男爵。
そのまま俺たちも桟橋から離れると、ストレイル男爵の後に続き、ポートラルゴの大通りを中心部のほうに向かってぞろぞろと歩いていく。
桟橋から大通りをそれほど行かないうちに横手に見えてきたのは商館ふうの大きな建物だった。
映像で見たときの印象よりも実物は大きい感じがする。
敷地全体を綺麗に刈り揃えられた生垣が囲っており、外からは中の様子が見えなくなっていた。庭もそれなりに広く、手入れが行き届いている様子もある。
何でも元はマガルムーク人の商館だったらしく、本国の情勢が悪くなったことを機に売りに出されたとか。
たいした屋敷を用意できなかったと、ストレイル男爵が謝罪していたわりには、周囲の建物と見比べてもずいぶんと立派な様子。実際に20人前後が住むことになったとしても、充分な広さがあるように思えた。
「本日はこの屋敷でごゆっくりしていただき、後日改めて某の邸宅のほうで歓迎の宴を開かせていただくつもりです」
屋敷の前にたどり着くなり、ストレイル男爵がラウフローラに対して言葉少なにそれだけ言ったあと、深々と一礼をして去っていく。
二週間近くの船旅だったと聞いて、気を効かせたのだろう。今のところストレイル男爵に俺たちのことを疑っている様子はなく、諸手を挙げての歓迎ぶり。
セレネ公国との交易に関してはかなり乗り気らしく、ポートラルゴ近くの湾口に大型船が寄港できるような新しい港を造る計画まである。
といっても、バルムンドがそのように話を振った結果ではあったし、工事自体はセレネ公国が半分受け持つという形で裏ではまとまっていたが。
寄り親であるジークバード伯爵のほうもその件に関しては異論がないらしく、中央から交易の許可がおり次第、開発を進めるつもりだとか。
「さあ、屋敷の中に入りましょう」
ストレイル男爵が完全に見えなくなったことを確認したのち、バルムンドがそう言って俺とラウフローラのことを促してくる。
すでに部外者は居なくなっていたが、警戒しておくに越したことはない。俺はラウフローラに付き従うようにしながら、黙ったまま屋敷の中へと入っていった。
◆
「お初にお目にかかります。手前はエルセリア王国内で細々と商いをしているベルナルド商会のグランベルと申す者。そして、隣に居るのが娘のマヤにございます。マヤ、ルメロ殿下にご挨拶を」
「は、はい……。ルメロ殿下、ご機嫌麗しゅう存じます。わ、わたしはグランベルの娘のマヤと申します」
グラン城が建つ丘を下ってすぐに見えてくる高級邸宅街。
現在、その一画にあるルメロの屋敷内には、遥々エルセリアから来たという2名の客人が訪れていた。
「マヤと言ったね。そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。普段どおりにしてくれて構わないからね」
「申し訳ございません、殿下。ご覧のとおり親子共々田舎者でして。王族のお方とはついぞご縁がなく」
ルメロがそんな言葉をかけるぐらい、マヤという少女はその細い身体をブルブルと震わせていた。
ルメロの後方へと控えていた護衛のカイルですら、その様子を見て心配そうな顔を浮かべていたほど。今にも卒倒しそうなマヤの様子を見て、内心では娘のほうだけこの部屋から退出させたほうがいいのではないかと考えていたぐらいだった。
「そりゃまあそうだろうね。あっ、別にグランベルたちが田舎者だと言っているわけじゃないよ。王族と付き合いがある商人というのも、そうそう居ないだろうということが言いたかっただけさ」
「はい。わたくしのような下賤な者がこうして直接殿下とお話ができる機会をいただけただけで夢のような話。これも商売の勉強になるかと思い娘を連れてきたのですが、ご迷惑ならばマヤのほうは退出させますが」
「ううん。この場に居てくれても全然構わないんだけどね。というか、もしかしてこの娘さんに商売を継がせるつもりなのかい?」
「ええ。生憎と男児に恵まれず、マヤに婿を取ることも考えたのですが。生来の引っ込み思案からか、そういった相手といっこうに巡り合えないらしく。仕方ないので将来はこのマヤ本人にベルナルド商会を継がせる予定です」
「ふーん。まあ、いいんじゃないかな。女性の会頭というのもなかなか面白そうだしね。というか、グランベルもそうかしこまらなくていいからね。あまり堅苦しいのは好きじゃないんだ」
「承知致しました。殿下の仰せのままに」
わかっているような、いないようなグランベルの返答にルメロが諦めたようなため息をこぼす。
とはいえ、ルメロにとってはいつものことなのだろう。ルメロはそれ以上何か言うこともなく、呑気そうに話を進めていた。
「それじゃあ早速だけど、肝心の商売の話をしようか。何でも、ずいぶんと食料が余ってるんだってね」
「ええ。商売人としてはお恥ずかしいかぎりなのですが、売れもしない食料を大量に買い集めてしまい、大量の在庫を抱えて困っているといった次第です」
「なるほどね。だけど、いいのかい? そんな正直に話してしまっても?」
少しだけ驚いたような表情がルメロの顔に浮かぶ。
これから商売の話をしようというのに、在庫を抱えて困っているなどと正直に話してしまえば足元を見られるだけ。
やり手の商売人ならばその辺は上手いこと隠しつつ、少しでも高く買い取ってもらえるように話を進めてくるはずだと、ルメロとしては思っていたからだ。
「はい。もう安く買い叩かれること自体は覚悟しております。殿下のような方とお近づきになれただけで、わたくしにとっては願ってもないような僥倖。儲けのほうは完全に度外視しておりますので」
「ふーん。早い話、この僕と今後も商売を続けたいから、現在余っている食料については安値で譲ってくれると?」
「はい、そのつもりでいます。それと今日持参した食料については、お近づきの印として殿下に献上させていただきたく存じます」
「それは何とも怖い話だね。その代わりにいったい僕はどんな見返りを要求されるんだい?」
ルメロからすれば、これまでにまったくなかった話でもない。
甘い話を持ち掛けてきて権力者であるルメロと繋がりを持とうとする商人はそう珍しくなかったからだ。
ただ、その代わりに相手が何か見返りを要求してくるのはいつものこと。
もちろんルメロとしてもそのすべてを頭から突っぱねることはしないし、かといってどのような要求にも気安く応じていたわけではなかった。
その要求がどの程度のものかによって対応が変わってくるのは当たり前の話で、欲の皮が突っ張った商人の場合は、すぐにカイルの手によって屋敷の外へと叩き出されていたぐらいだ。
「これは汗顔の至り。殿下におかれてはすべてお見通しというわけですな。ならば正直に申し上げます。現在の内乱が治まった暁には、岩塩などのマガルムークからエルセリアに向けた商品の取り扱いを、我がベルナルド商会で優先するように配慮していただければと。それと、このジェネットの町にベルナルド商会の支店を置くことを許可していただければ」
「うーん、そうだね。支店のほうは問題ないだろうけど、交易品の取り扱いの優遇となるとどうかなあ? 正直なところ、そこまで口出しができる立場かと言われれば、微妙なんだよね」
「その筋のお方に口添えしていただくだけでも構いませんので。ご必要とあらば、最新の武器防具などをご用意させていただく準備もあります」
「ん、グランベル。それはどういう意味だい?」
と、急にルメロの表情が険しくなるのがわかった。
ルメロだけではない。護衛のカイルにも少しだけ緊迫したような表情が浮かんでいる。
言葉遣いこそ優しいものだったが、明らかに触れないほうがいい話題だということにグランベルもすぐに気付いたのだろう。その様子を目にした途端、グランベルのほうは慌てた様子でまくしたてていた。
「あっ、いえ。若様、いやディーディー殿のほうから近々殿下がご出陣あそばす可能性があると伺いましたもので。何かお気に触られたのならば謝罪致しますが」
そんなグランベルの言葉を聞き、すぐに元の穏やかな表情へと戻るルメロ。
ただ、その顔には何事かに気付いたかのような訳知り顔が浮かんでいる様子もあった。
「ああ、そういうことか。いや、すまなかったね。僕の早とちりだったみたい。うーん、武器と防具かあ……。そっちは今のところ大丈夫だと思うんだよね。といっても、いずれ頼むこともあるかも知れないんだけどね。というか、グランベルとディーディーって古くからの付き合いなんだって?」
「ディーディー殿ですか? ええ、まあ。私が若い頃に商会を立ち上げたときからの付き合いにはなりますので」
「そうだったんだ。それじゃあディーディーたちの住んでいる村にも、よく商売をしに行ったりするんだよね? 差し障りがなければ、どんな村なのか教えてもらうことはできるかい?」
「いや、これといって特徴のないただの農村ですよ。100人前後の小さな村で、大部分の住人が細々と農業を営んで生活しているといった感じの。そのことが何か?」
「ううん。ちょっと聞いてみたかっただけさ。実をいうと、この前ディーディーに僕の臣下になってくれないかという誘いを袖にされてしまったばかりでね」
「へええ。そうだったのですね」
「残念だけど、本人にまったくその気がないみたいだったからさ。村で重要な役目を担っているという話だったから、どんな村なのか気になったんだよね。それでマヤのほうもディーディーとは仲がいいのかい?」
「は、はい。ディーディー様にはいつもよくしてもらっております」
「そう。古き民は排他的だと聞いているけど、最近はそうでもなかったりするのかねえ。それともグランベルやマヤもそっちの出ということなのかい?」
「そっちの出というと? 我ら親子はディーディー様と同じ村の出身ではありませんが」
「いや、そういうことじゃなくてね……」
「はい? 申し訳ありませんが、殿下が何をおっしゃりたいのか、わたくしには少々わかり兼ねます」
「まあ、この僕には関係がないことだから、どっちでもいいんだけどね。そうだね、グランベルの申し出については一応理解したよ。といっても、いくら何でものちのちマガルムークの御用商人にならせろとまでは言わないよね?」
「それは無論。そこまで烏滸がましいことを申すつもりはありません。商売上、多少の便宜を計っていただけるだけで」
「将来的な話にはなるし、どこまで便宜を計るかの約束もできないよ? 支店については問題ないと思うけどね」
「はい。それで充分にございます」
「わかったよ。そういうことならこちらとしても助かる話だからさ。今後、必要な物資をグランベルが格安で提供してくれると考えてもいいんだよね?」
「はい」
その場には今まさに謀を企てているかのような薄暗い雰囲気が流れていた。
何事かよくわかっていない様子のマヤと、余計な口出しはせずにその場に突っ立っているだけのカイル。
そのふたりとは対照的に、ルメロとグランベルの一見にこやかに見える顔の裏には、それぞれの思惑が隠れているような気がした。
*1) 艀船 大型船などと陸の間で、荷物や人を運ぶための小型船。
*2) 仙姿玉質 仙女のように高貴で、玉(宝石)のように磨き上げられた肌の持ち主。




