46 天翔けるアヒル亭
◇
奥の炊事場のほうから、包丁で食材を叩くようなリズミカルな音とともに、香ばしい匂いが漂ってくる。
近くにほかの客の姿はなく、どうやら現在この場所に居るのは俺とラウフローラふたりだけの様子だった。
そんな俺たちが居るのは、天翔けるアヒル亭という宿屋の一階部分にある食堂。
といっても、ちょうど客が捌けた時間帯だったのだろう。朝食にしてはだいぶ遅い時間だったし、昨晩の混雑っぷりを見ればこの宿がかなりの賑わいを見せていることは明らかだった。
それにルメロが胸を張って薦めてきただけのことはある。
グラン・オーロックスのステーキはこの世界で摂った食事にしては、一応のこと満足がいくレベル。舌の肥えた俺でもそれなりに食べられたことからしても、この宿の料理人の腕の良さがうかがわれた。
そんな天翔けるアヒル亭に泊まった俺は、朝二階の部屋から下りてきてすぐに朝飯を注文すると、ひさひそとラウフローラに向かって話しかけていた。
「ローラ、ラァラを起こしてこなかったのか?」
「ええ。部屋に行ったけど、まだ寝ているみたいだったので止めておいたわ」
「そうか。多分、歩き疲れたんだろうよ」
「そうかもね。それで昨晩はどうだったの?」
「ん?」
「ラァラさんとずっと一緒だったんでしょ」
「もしかして興味があるのか?」
「ええ、興味あるわ。といっても学術的な興味だけど。肉体の構造上、性交渉が可能なことはわかっていたけど、違いがあるのならば是非とも知りたいところね。今後自動機械を用いたハニートラップを使用する際に活用することだってできるでしょうし」
まさかラウフローラからそんな言葉を聞くとは思ってもみなかった俺は驚きを隠せなかった。
深夜自分の部屋を出て、ラァラの部屋に行ったことがラウフローラにバレていないと思っていたわけではない。
ドールであるラウフローラが俺のプライベートなことにまで干渉してくるとは思わなかっただけだ。
おそらく性格設定をしたことによる変化だろうが、余計なお喋りをしないドールの反応に慣れきっていた俺にとっては、そんな反応が新鮮にも感じられた。
といっても、ラウフローラの言葉どおり下世話な好奇心からではなく、生物学上の興味に過ぎないのだろうが。
それとハニートラップに関してはのちのち実行に移すことも考えている。
もちろんそれはお近づきになりたい重要人物や、どうしても秘密を知りたい相手が出来た場合の話で、今のところ誰かに仕掛けようという話ではないが。
この世界の住人に化けさせた自動機械をウーラに遠隔操作させれば、怪しまれずに対象の相手とも接触できるってわけだ。
「そうだな。見るかぎりでは地球人とまるで変わらなかったぞ」
ラァラの様子を参考にしてまったく同じだと言い切ることもできないが、いずれにせよそれほどの違いはないはず。
まあ遺伝子的にみても、極めて近い種であることが判明している。最初からそこまでの違いがあるとも思っていなかったが。
「そう……。それでラァラさんは私たちに付いてくるって?」
「いや。この町に残って仕事を探すから、たまに会いに来てくれればいいんだとさ。その点はあっさりとした様子だったな」
「あら、フラれたのね。てっきり一緒に付いて来たがるものだとばかり思っていたけれど。社会的な価値観が違うせいかしらね?」
そう言って冗談っぽく笑うラウフローラ。
結果的に要らぬ心配だったのだが、ラァラが俺たちに付いてくると言った場合を考えなかったわけではない。
男女の仲になれば当然そういった話になる可能性が出てくるわけで、冷淡に突き放すには少しばかりラァラに対して情が入り過ぎていた。
かといって、さすがに俺たちの秘密をバラしてウーラアテネに連れていくわけにもいかない。隠れ里を俺たちの村だと偽り、しばらくあそこを仮初めの拠点にすることも考えたのだが。
「どうだろうな。ラァラもあれで訳有りの様子だからな。ラァラ自身の問題のほうが大きいのかも知れないな」
「その問題については何か聞けた?」
「いや。そんな野暮なことを聞くような雰囲気じゃなかったんでな。それよりもそっちのほうはどうだったんだ? ルメロが話していた、この町で起きている問題とやらについて何か情報を掴めたのか?」
「多分、このことなんじゃないかっていう話ならあったわよ。どうやらこのジェネットの町で、最近子供の誘拐が相次いでいるらしいのよね」
「ふーん、誘拐ねえ」
ラウフローラからその話を聞いても、俺はさして驚かなかった。
犯罪を取り締まる機関がきちんと機能しているとはとても思えないような未開な世界だ。誘拐だけにかぎらず、強盗や殺人なども多発している様子がある。
取り立てて騒ぐほどのことでもないと言ってしまうと言い過ぎな感はあるが、珍しい話でもなんでもないというのが正直なところだろう。
「元々、この世界でそういった犯罪が横行しているというのは、エルパドールからの報告でもあったでしょ。ただ、比較的狙われやすいのは、突如居なくなったとしてもあまり騒がれない、亜人の子供や貧しい家の子供という話だったはずなのよね」
「ということは、今回は違うってことか」
「ええ。今回連れ去られているのは、亜人の子供よりも人間の子供のほうが多いって話よ。それに圧倒的に女の子のほうが多いみたいなの」
「単なる奴隷目的ではないってことか。まあ性奴隷という線は考えられるが」
「それと攫った子供たちをどこに連れていっているのかが謎なのよね。そのままずっと町中に隠しておくとも思えないし、外に連れ出したのだとすれば、どうやって現在の厳戒態勢をかい潜って城壁の外に出ることができたのか不明だわ」
「城門の兵士の中に共犯者が居るのかも知れないな」
「ええ。そうじゃないとちょっと厳しそうね。いずれにせよ、すでに何人もの子供が街中から忽然と姿を消しているらしいのよね。おそらく組織的な犯罪でしょう」
「なるほどな……」
「どうする? もうちょっと詳しく調べたほうがいい?」
「いや。そういう話なら俺たちが手を出すべきではないだろうな。それこそ、ここの領主が解決すべき問題だ」
いささか冷たいようだが、ディララ村での一件もある。
俺たちが出過ぎた真似をして、後味の悪い結末を迎えてしまうのでは意味がない。
そう考えて手を出すのは止めたのだが、俺は何となくその揉め事に巻き込まれてしまいそうな悪い予感がしていた。
「わかったわ。あとはそうね。アケイオスが首尾よく白狼族のグループの中に紛れ込んだようよ」
「そうか。斬られた亜人の男の様子は?」
「ほぼ問題がないって。私もアケイオスから送られてきたデータを見たけど、あれならば後遺症も残らないはずよ。でも、よかったの? アケイオスをこの場に残すことになってしまうけど」
「構わないさ。危険といっても、ドレイク程度の魔物に過ぎないことがわかったんだ。俺たちにとっては、わざわざアケイオスを切り札に取っておく必要がないレベルの脅威でしかない。ローラと俺だけで充分に対処が可能だ」
「それはそうだと思うけど、魔物に関してだってすべてが判明したわけじゃないわ。油断は禁物よ」
「ああ、わかっているさ。ただ、ここでの用事が済み次第、あとは魔導船に赴くだけなんだ。そうたいした危険にも遭わないだろうよ」
「そうね。それでどの程度の期間、このジェネットの町に滞在するつもりでいるの?」
「どうするかな? なかなか面白そうな人物に出会えたんだ。当初の予定よりも多少滞在を引き伸ばすかも知れない。とはいえ、一週間以上は滞在しないつもりでいるが」
「了解、そのつもりで動くわ。そうねえ。今、報告できるのはこんなところだと思うわ。ちょうどラァラさんも起きてきたみたいだし、お喋りはここまでにしましょう。もうすぐ階段から下りてくると思うわよ」
ラウフローラがそう言ってまもなく、ゆっくりと二階から階段を下りてくるラァラの姿が見えてくる。
ラァラは階段を下りてすぐに俺たちの姿を視界に捉えたらしく、まっすぐ俺たちのほうへと向かって歩いてきていた。
だが、ラァラは俺と視線を合わせようとはせず、俺たちの座っている丸テーブルへ黙って腰掛けただけ。
そればかりでなく、うっすらと頬をピンク色に染めており、どことなく恥ずかしがっているような様子も見られた。
そんな生娘のようなラァラの反応に、こちらまで気恥ずかしくなってきたほどだ。まあ、それもこれも俺が調子に乗って色々したせいではあるのだが。
「おはよう、ラァラさん。よく眠れたようね」
「ええ。おはよう、ローラちゃん。それにディーディーも……」
ラウフローラの朝の挨拶にラァラが微笑みながら返す。
だが、そのあとちらりと俺の顔を見るや、ラァラはすぐに顔を背け、頬を赤らめていた。
最初ディララ村で会ったときには、したたかな商売女という印象を受けたのだが……。
「今、ちょうど朝食を頼んだところなんだ。ラァラも食べるんだろ?」
「え、ええ。そうね。頂こうかしら」
どことなくぎこちない様子のラァラと、そんなラァラの反応に少しばかり戸惑っている俺のことを見て、ラウフローラがまるで本当の妹のように生温かい視線で眺めてくる。
あくまでそう演じていることもわかっているが、俺はなんとなくバツの悪い思いをしていた。
◇
「その話は本当かい?」
真向いに座ったルメロが驚いた様子で、そんな声を上げていた。
お昼を過ぎてまもなく天翔けるアヒル亭へとやってきたルメロと談笑している最中のことだ。
食堂内は昼飯にありつこうとする客の姿で溢れ返っており、そんな中忙しそうに給仕として働いているラァラの姿も見えた。
昨晩ここに着いたばかりだというのに、いつの間にかラァラはこの天翔けるアヒル亭で給仕として働くことなったらしい。
客受けがいいラァラの容姿も関係しているのだろうが、おそらく避難民が増えたことにより、この宿屋も人手が足りなくなったのだろう。ラァラからしても、思いのほかとんとん拍子に話が進んだと感じるほど、すんなりと話がまとまったらしい。
「ああ、成り行きでな。こちらとしてはどうしても塩が欲しかったので、村長の提案に乗った感じだ」
ルメロが驚いたのは、ディララ村で俺がラウフローラや村の冒険者たちと一緒にドレイクを退治したことを話したからだ。
俺が自慢げにその話を持ち出したとルメロに思われても仕方ないが、いずれジェネットの町にも伝わる話に違いないのだ。当事者であるこの俺がその話にまったく触れないのもおかしい。
それにルメロに根堀り葉堀りとエルセリアのことを聞かれるよりかは、その話題に食いついてくれたほうがこちらとしては助かるということもあった。
多少エルセリアのことも予備知識として身に付けてきてはいるが、所詮付け焼刃に過ぎなかったからだ。突っ込んで聞かれたらボロを出す可能性だってなくはない。
だったら、こちらからドレイク退治のことを話して、そちらのほうに話を誘導してしまおうというわけだった。
「それが本当だとすれば、ディーディーってよほど腕がいい冒険者なんだろうね。ドレイクってけっこう危険な魔物のはずだけど? カイル、お前だったらどう? 5人だけでドレイクを退治できそうかい?」
「ふむ、そうですな。なかなか難しいかと。最低でも魔術師がひとりは居て、ほかにも腕の立つものを揃えればどうにか、という感じでしょうか……」
「やっぱりそうなんだね。こう見えてカイルは、マガルムークきっての腕利きなんだよね。そのカイルが難しいと言うからには、ディーディーは相当な腕の持ち主ってことになりそうだけど?」
「さあ、それはどうかな。さっきも言っただろ。たまたま大型の魔物に効く、麻痺薬を持っていたおかげだと。薬で弱っているドレイクならば、カイルさんだってそこまで手間取ることはないだろうよ」
そうやって謙遜する俺の言葉を、ルメロは半信半疑の様子で頷いていた。
俺の言葉を頭から信じていないというわけでもなさそうだが、何か腹に一物ありそうな感じ。
まるで俺のことを見定めようとでもしているかのようなルメロの眼差しに、この俺も気付かざるを得なかった。
「でもさ、さっきの話だと危険な大断崖地帯を突っ切ってマガルムーク国内に入ったっていうじゃないか。その道中だって危険な魔物にまったく遇わなかったわけじゃないんでしょ?」
「まあ、そりゃあ多少はな。一番やばかったのは、野営の準備中にクローリーニードルと遭遇してしまった時だろうな」
「そのクローニーニードルっていうのは?」
「地を這う細長い虫の魔物ですな。大型になると2メートルから3メートルはあるという話だったかと。私も小さな個体ですが、以前一度だけ見かけたことがあります。身体は硬い外殻に守られていて、尻尾に付いている毒を持った針のようなものを使って獲物を仕留めると聞いたことがありますね」
「へええ、カインも見たことがあるんだ。それで、ディーディーはどうしたんだい? そのクローニーニードルとやらまで倒してしまったのかい?」
「いや、ローラと一緒に一目散にその場から逃げ出したのさ。動き自体はそれほど素早くはなかったからな。まあ、後で現場に戻ったら、夕食のために準備していた鍋やら置いてあった荷物の一部やらが滅茶苦茶にされていたがな」
実際に遭遇した経験などないのだが、ルメロに冒険者らしい話を聞かせるためにそんな作り話をでっち上げる。といっても、どのような魔物なのかはわかっていたが。
エルパドールやピッドが調査した、比較的危険とされる魔物の中にクローリーニードルが含まれていたからだ。
DNA的には節足動物であるムカデに近いらしく、外見的には古生代に棲息していたとみられるアースロプレウラ類に酷似しているいう話だった。
といっても、アースロプレウラ自体は草食だし、ムカデではなくヤスデの祖先だ。地球の種と繋がりがあるとしても、おそらく別の系統なのだろうが。
「ははは。それはとんだ災難だったね」
「冒険者の場合、野営中に魔物に襲われるのが一番危険だと聞きますね。軍隊や隊商などの場合はある程度の人数で固まって動くので、魔物のほうも警戒してそこまで安易に近付いてこないのですよ」
「なるほどなあ。危険なのはわかるけど、楽しそうでもあるんだよね。僕もいつかそういう冒険をしてみたいなあ」
ルメロが物思いに耽った様子で、そんなことを口ずさむ。
本当にルメロが王族であるのなら、あまり自由が利かない身ということも考えられる。それにルメロぐらいの年齢なら冒険譚に憧れてもおかしくないはずだ。
本心からそう言ってるのかはわからないが、その顔には年相応の純朴さが浮かんでいるような気がした。
と、そのとき。
「ルメロ様、ずいぶんと探しましたぞ。こんな場所におられたのですね」
入口のほうからルメロのことを呼ぶ声が聞こえてくる。
振り向いてそちらのほうを見ると、どうやら身なりのよさそうな若い男がほかの客の迷惑も考えず、大声でルメロのことを呼んでいる様子がある。
「デニウス殿か……」
そうひと言だけ呟いたルメロの顔に心底嫌そうな表情が浮かぶ。
だが、それも一瞬のこと。ルメロの真向いに座っていた俺でなければ、もしかしたらその変化に気付かなかったかもしれないほどだ。
すぐさまにこやかな表情へと戻ったルメロが席を立つと、俺のそばを通り過ぎざま小声で俺に話しかけてくる。
「ごめんよ、ディーディー。ちょっとだけ相手をしなければならない客が来たみたいなんだ。そっちの用事が済みそうになったらカイルを使いにやるから、屋敷のほうまで来てほしいんだけど駄目かな?」
「行くのは全然構わないが、あと何日かはここに滞在する予定なんだ。日を改めてってことでもこちらは構わないぞ」
「いや。実を言うと、ここではできないような大事な話もあるんでね。まあ、そういうことだから、できればディーディーたちに屋敷のほうに来て欲しいんだ」
それだけ言うと、俺の返答も待たず何気ない様子で若い男の居るほうへと近付いていくルメロ。
カイルも俺たちに軽く一礼だけすると、すぐにルメロの後を追いかけてこの場から離れていく。
そんなふたりを見送った俺はラウフローラに目配せして、会話の内容を盗み聞きさせ、相手がどこの誰でルメロとどんな関係なのかを確かめようとしていた。




