27 冒険者
◆
いくら崖の上で見晴らしがいいといっても、遠ければ遠いほどどうしても木々に視界を遮られる部分が多くなってくる。そのせいもあってか、コルトがドレイクの姿を見たのはほんの一瞬だった。
ほかのふたりに至っては、何かが通ったような気がする程度。それがドレイクなのかそれともまったく違う何かなのか、まるでわからなかったぐらいだ。
そのうえ、すぐにドレイクは木々の中へと姿を隠してしまったようで、距離が遠いこともあって現在どこに居るのか皆目見当が付かなくなっていた。
「見間違いってことは?」
「いや、間違いねえ。あれはドレイクだ」
ダンの問い掛けに確信を持って答えるコルト。
ダンもジャックもこういったときのコルトが言葉が間違っていないのを経験からよく知っている。ふたりもコルトに倣い、息を殺して木々の切れ間に見える何もない空間を探し始めていた。
見えたのは一瞬だったが、方向的にこちらに向かってきていることは確かだ。
3人はさきほどより手前側で木々が途切れている辺りを注視し、どこかにドレイクが居ないかと探し回っていた。
「居たぞ!」
いち早く気付いたのはコルトだった。
ただ、今度はだいぶ距離が近かったおかげで、ほかのふたりにもそれがドレイクの姿であることが認識できた。
ドレイクだけではない。すぐそばに人間らしき人影が存在していることにも気付いたほどだ。
「ジャック、よかったな。まだ妹のほうも生きてるぞ」
そこに見えたのは、頭部を上下へと振りながら前進しているドレイクの姿。
まるで鳥が餌を啄むように縦に首を動かし、必死に獲物を捕食しようとしているのがわかる。
獲物とドレイクの距離は数メートルと離れていないだろう。
とてもじゃないが誘導に成功しているようには見えなかった。その距離の近さからすれば、襲いかかってくるドレイクから必死に逃げようとしているだけ。
そして、ドレイクが追いかけている獲物は、少し前に一緒に行動していたローラという少女で間違いなかった。
「ちっ、ヤバそうだな」
「ど、どうするよ?」
「どうするもこうするもあんな状態でいったい何ができる? 弓を射かけようにも、下手をすれば同士討ちになってしまうだけだぞ」
そもそもが、まだまともに弓が当たるような距離ではない。
高所からの射撃ということもあり何とか届きそうな距離ではあったものの、狙いを付けるのは相当厳しいだろう。
その証拠にダンも弓を手にしていたが、まったく引き絞ろうとしていなかったぐらいだ。
まあ弓を射るタイミングについては兄妹のほうから笛で合図を送るという取り決めがあったので、最初からダンとしてはその言葉に従うつもりでいたが。
いずれにせよ、コルトとジャックにはああ言ったが、ダン本人としては見殺しにしていいとまでは考えていなかった。
ただし、崖を降りて加勢にくわわるなんてのは以ての外。
そのうえ、こんな状況になってしまい弓も使えなくなっている。現実問題として、ただ黙って見守ることしかできないような状況だった。
「危ない!!!」
ジャックの悲鳴がその場に轟く。
ドレイクがローラのすぐ間近まで接近し、その小さな身体をえぐり取るように大きくかぎ爪を振るっていたからだ。
しかし、ローラの身体は宙を舞うように横方向に一回転すると、間一髪のところでドレイクのかぎ爪を躱していた。
その回避行動は身軽さを売りにしているコルトでさえ、見惚れてしまったほど。
コルトがドレイクの前で同じことをやれと言われても、恐怖心を抜きにしても出来るかどうかは疑問だった。
だからといって逃げ切れたわけでもない。
ドレイクは執拗にローラの姿を追いかけ、鋭い顎と腕の先端に付いているかぎ爪を武器にして襲い掛かっている。視線の先でドレイクとローラの姿が重なり合うたびに、冒険者たちの息を呑む声が聞こえていた。
今にも甲高い悲鳴が聞こえてきそうな状況だった。
首の上下運動を使っての噛みつき。
短い腕ながらも、ローラの顔のすぐそばをかすめるかぎ爪。
それらの攻撃を二度、三度とドレイクは繰り出していたが、そのたびにローラは軽やかな体捌きを披露してまんまと逃げおおせている。
それなりに場数を踏んでいるダンの目から見ても、ローラの動きは洗練されたものだ。
それにローラのほうも一方的にやられていたわけではない。
ドレイクの隙を見て応戦し、両手にそれぞれ持った2本の武器で切り付けている場面も何度か目撃している。
とはいえ、その攻撃はそれほどドレイクにダメージを与えたとも思えず、ドレイクの攻撃のほうは少しかすめただけでも重症を負い兼ねない。
ダンも内心では、いつかローラがドレイクの攻撃を避けることに失敗し、その後の悲惨な光景を見るはめになるのではないかと気を揉んでいた。
と、そのとき。
ビュンと風を切る音が聞こえてきそうなほど鋭い矢が、どこからともなくドレイクに向かって放たれていた。
むろんその出処が兄のディーディーであることは3人にも容易に想像が付く。3人ともローラとドレイクのやり取りに気を取られ、ディーディーの行方をすっかり見失っていたが、どうやら近くに隠れていたらしい。
「よしっ! ドレイクに命中したぞ!」
ジャックの口から歓声が上がる。
だが、ジャックの言葉はダンによってすぐに否定されてしまった。
「いや、駄目だ。ドレイクの皮膚はかなり分厚いはずだ。あれでは浅過ぎて、どこまでダメージを与えられたものか」
「ああ。だが、一瞬だけ怯んだ様子も見せたぞ。というか、何故今のうちに逃げなかった?」
もどかしそうにそんなことを言うコルト。
確かに今のコルトの言葉どおり、少しでもドレイクとの距離を稼ぐチャンスだったはずだ。
しかしながら、ローラはさきほどまでの軽やかな動きとは打って変わり、ほとんどその場から動いていなかった。その様子からすると、まるでその場で足が固まってしまったかのようにも見える。
「クソっ! 何してんだ! ぼやぼやしてないでさっさと逃げろ!」
「まさか、いつの間にか足でもやられたんじゃ……」
そんなジャックの心配を一蹴するかのように、再びドレイクが動き出した瞬間、美しい金髪がその場に揺れていた。
ローラが華麗なバックステップを使ってドレイクの攻撃を躱したのだ。
「……どういうことだ?」
コルトの口からはそんな疑問の声が漏れ始めていた。
コルトには今のローラの行動が明らかにドレイクを誘っている動きにしか見えなかったからだ。
それこそ囮としての行動そのもの。
それが本来の役目だとはいえ、現状そんなものは便宜上の話でしかなくなったはずなのに。
そんなことをコルトが考えているその裏で、崖下ではさきほどと似た光景が繰り返されていた。
まるで踊るようなステップを踏んで、ドレイクの攻撃を次々と躱し続けるローラ。
その隙を縫い、百発百中でドレイクへと命中し続けるディーディーの矢。
いくらドレイクの身体が大きく的も広いとはいえ、弓の射線上には妹の姿が入り込んでいるはず。
それにドレイク自体も常に激しく動き回っている。
それでもドレイクにしっかりと矢を命中させているあたり、兄のほうも並々ならぬ技量の持ち主であることがうかがい知れる。
ここまできてようやく3人は、崖下に居る兄妹がドレイクからただ逃げているわけではないことに少しだけ気付かされていた。
「すげええ」
「あいつらっていったい……」
広い視野で全体をよく見てみると、兄のディーディーのほうが弓を射ったあと少しだけ後方に下がり、その動きに合わせて妹のローラもドレイクを誘導していることがわかる。
まるで計算され尽くしたような兄妹のコンビネーションを目にした冒険者たちの心に、もしかしたらこのままドレイクをC地点まで誘導できるんじゃないかという気持ちが湧いてくる。
「だが、あれで体力的にもつのか?」
「今のところ疲れた様子は見せてない。おそらくは回避行動が最低限の動きで済んでいるからだろうが」
「むしろ、ドレイクの動きのほうがおかしく見えないか?」
「ああ、それは俺も気付いた。足取りがおぼつかなくなったというか、ほんの少しだけフラフラしているような感じがある」
「弓矢の攻撃が効いているってことか?」
「どうかな。モーザ・ドッグでも大型になると、あの程度の攻撃など意に介さず突っ込んでくる。臓器まで達してないような攻撃がドレイク相手にそこまで効いたとも思えんが」
モーザ・ドッグというのはディララの村周辺では比較的よく見掛ける黒い犬の魔物だ。
群れをなして襲い掛かってくるので旅人にとって危険な魔物ではあるが、冒険者である彼らからすればそこまで恐れる魔物でもない。
とはいえ、そのモーザ・ドッグですら普通の獣に比べれば生命力が高くてしぶとい存在。
モーザ・ドッグなんてたいしたことはないと魔物を見くびった冒険者が、痛い目を見ることだってけっしてないわけではない。
そんな話を普段から見聞きしているダンからすれば、あの程度の矢傷が元でドレイクがそんな簡単に弱るとも思えなかった。
「ってか、今なら俺たちが崖下に降りて加勢すれば、ドレイクのやつを殺れるチャンスがあるんじゃないか? ダンの兄貴、どうするよ?」
「いや。こちらは事前の打ち合わせどおりに動くだけだ。下手に手出しして、あいつらの作戦をぶち壊してしまう可能性だってあるからな」
「じゃあ、予定どおりあいつらがC地点にドレイクを引っ張っていくのを期待するってだけか?」
「ああ、そういうことになるな……」
コルトの提案に対して、難色を示すダン。
事前の作戦を優先したのは事実だが、正直ドレイクを倒すだけの自信がなかったとも言える。
確かにここでドレイクを退治しておけば、再びディララ村近くに棲みつかれるという憂いは消える。
だが、そのために命を賭ける気にはまるでならなかった。
「それよりお前ら、合図があったらいつでも撃てるように弓だけは構えとけよ。この距離なら誤射も少なくなるはずだ」
ダンが掛けた声にコルトとジャックが慌てた様子で弓を構える。
眼下に繰り広げられている光景にすっかり目を奪われ、ただの傍観者になっていたふたりだが、ダンの言葉により依頼中だったことを思い出す。この辺で一度ドレイクを引き離すために援護が必要になるかも知れないことは、ふたりも充分に理解していた。
と、冒険者たちがほぼ真下を見下ろすような形になったそのとき、兄妹の動きに変化があった。
ローラのほうがその場に立ち止まり、左右へのフットワークだけでドレイクの攻撃を躱し始めたのだ。
それだけではない。
ディーディーのほうも片膝をついてその場にしゃがみ込むと、弓を射る態勢に入っていた。
「ん? いったい、何をする気だ?」
崖下に居る兄妹たちから、その答えが返ってくるはずはない。
だが、しばらくその様子を見守っていたダンだけは、兄妹が何をしようとしているのか少しだけ思い至ることがあったようだ。
突如ディーディーの構えた弓が光の渦を呼び、まばゆく輝き始めていたからだ。
よく見ると、ディーディーのほうはしゃがみ込み弓を引き絞ったままだったが、妹のローラは一転して踵を返すと、兄のほうに向かって真っすぐに走り始めている。
「まさか……」
ダンの認識では、その光は大気中のマナを吸引するときに起こる発光現象にほかならなかった。
そして自然に存在するマナが一気に魔力へと変換された証拠でもある。
といっても、一流の魔術師でも大気中のマナを体内に取り込み、一気に魔力へと変換するのは不可能だとされているぐらいだ。
ダン自身は魔法を使えないが、どういう仕組みかぐらいなら多少は理解しているつもりでいる。
一般的に言って、大気中から取り込んだマナが、体内で長い時間をかけて自然に魔力へと変換されるというのがその認識だった。
仮に大気中のマナを吸収し一気に魔力へと変換することが可能なら、いくらでも魔法を使えることになってしまう。
そんな魔術師が存在するなど、ダンは見たことも聞いたこともなかった。
そんなことが可能なのは、おそらくアーティファクトと呼ばれる古代の魔道具だけだろう。
しかも、現存するアーティファクトの中でも極めて希少性が高いものだ。
「アーティファクトなのか?」
「え?」
ジャックがダンに聞き返そうとしたそのとき――、
妹のローラが兄のディーディーのそばを駆け抜けたかと思うと、ディーディーの構える弓の先で膨れ上がった光が収束し、ドレイクへと向かい一直線に放たれていた。




