16 エレナ・ジークバード
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「マーカス、早くしないと置いてくわよ!」
「エレナお嬢様、お待ちください。あまり勝手な行動をされては……。それに今からポートラルゴに行くとなると、どうしてもあちらで一泊することになります。お館様に許可を取ってからでないと」
「何言ってんのよ。いちいちお父様にお伺いなんかたてたら、お前は大人しくしていろと言われるに決まってるじゃない。この前だって、キメラを退治するところを見たいから騎士団に付いていこうとしただけなのに、こっぴどく怒られたのよ。別に私が一緒に戦うだなんてひと言も言ってないのに」
「それは至極当然のお叱りかと。いったいどこのご令嬢がそんな危険な場所にのこのこ付いていくと言うのですか」
革の乗馬服に身を包んだ、亜麻色の髪をした妙齢の女性。
その女性が馬の鐙に片足を乗せると、反対側の足を蹴って颯爽と愛馬へ跨る。
そのかたわらで女性よりもだいぶ年下に見えるひとりの少年が、必死に女性の行動を諫めようとしていた。
女性のほうはエルセリア王国東部の領主ベーリット・ルイス・ジークバード伯爵の娘、エレナ・ジークバード。
そしてそのエレナを諫めようとしていたのは、従者であるマーカス・ハミングという、まだ顔にあどけなさが残るような少年だった。
「そんなこと言って、本当はマーカスだって気になってるんじゃない? だって、これってエルセリア王国にとっては大事件じゃないの」
「それはまあ……。国を揺るがすような事件であることに間違いございませんが」
「でしょ? だったら、是非見物してみたくなるのが心情ってもんじゃない。それに今回は危険な場所に行くってわけでもないんだし。もしかしてマーカスはお父様が治めているポートラルゴの町に、盗賊やらなにやらがゴロゴロと居着いているでも言いたいのかしら?」
「そんな滅相もございません。お館様が治められている領地にかぎって、そのようなことは」
まくしたてるようにエレナの言葉を否定するマーカス少年。
その慌てた様子からもマーカスが心の底からジークバート伯爵を尊敬していることが伝わってきそうだった。
「だったら問題ないでしょ。それに仮にそんな不届き者が居たとしても、マーカスが守ってくれるから安心だしね。レオン団長が褒めてたわよ。最近、マーカスの剣筋が鋭くなったみたいだって」
「本当でございますか!」
「ええ、本当よ。そう言えば、将来マーカスに団長を任せてみようかみたいなことを言っていたような?」
「え? 将来、わたくしめを団長にですか? そんな……レオン様がわたくしのことをそこまで評価してくださっていただなんて」
「うっ、うん。まあまあ、そこら辺はたしかそんな感じのことを言ってたような気がするってだけで、はっきりとそう言っていたかどうか覚えてないけど」
「身に余るお言葉……。ですが、それとこれとはまったくの別問題。むろんエレナお嬢様のことはこのわたくしめが身を挺してお守りいたしますが、だからといってエレナお嬢様が勝手な振る舞いをしていいという理屈にはなりませんので」
一瞬だけエレナのおだてに頬を緩めたマーカスだったが、本来の役目を思い出したのだろう。すぐに表情を引き締め、真面目な顔をしてエレナのほうに向き直る。
そのエレナはと言えば、弟のように年が離れた少年からの諫言に、口を尖らせてブスっとした表情を浮かべていた。
顔立ちは美姫として有名な母親によく似ているが、真っ黒に日焼けした肌が貴族のご令嬢にはとても見えない。ここリンガーフッドの町では、お転婆姫としての振る舞いのほうが有名だったぐらいだ。
その容貌から密かに慕っている男性も多かったが、当の本人は色恋沙汰なんかより自らの好奇心のほうが大事。父親であるジークバード伯爵からしても、そろそろいい年頃だというのに、いまだにそんな様子の娘の嫁ぎ先をどうするかで頭を悩ませているほどだった。
「なんでよ! まだ何か文句があるって言うの? マーカス、わかってないわね。これは巡察なのよ。領主の娘が自分の領地に視察に行くってだけ。それがそんなにおかしなことかしら?」
「いえ、そういうわけでは。ですが、こんな時間からではポートラルゴに辿り着く頃にはすっかり日も暮れてしまいますので、やはりお館様にひと言でもお知らせしておくべきだとは思います」
「あー、もういいわよっ! マーカスが一緒に来ないと言うなら、私ひとりでも行くからね」
「一緒に行かないと申しているわけでは! わ、わかりました。しばしのお待ちを。すぐに身支度をしますので、少々お時間を下さい」
「ふんっ! 最初からそういえばいいのよ。早くなさい、マーカス」
今にも愛馬クローネを走らせようとしていたエレナを、マーカスが慌てた様子で制止する。
そして、すぐさま厩から走り去っていく小さな後ろ姿がエレナの目には見えていた。
このとき、これから起こることへの期待感で胸が一杯になっていたエレナは、マーカス少年が密かに家令のスチュワードに報告するために屋敷へ戻ったことなど、まるで気付いていない様子だった。
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エレナと同じ亜麻色の鬣が風にたなびく。
何度か休憩を挟みながらも速足で愛馬クローネを駆けさせること4、5時間ほど。ようやくポートラルゴの町並みが前方に見えてきた。
ポートラルゴの街並みが一望できる小高い丘まで来たエレナは、そこで愛馬クローネを速足から常足へと変えた。
ここまで乗馬服のまま、ろくな荷物も持たずにクローネを走らせてきたエレナ。
途中の街道で旅商人らしき人影ともすれ違っていたが、高貴な身分にも見える出で立ちでひたすら馬を走らせているエレナの姿に、何事が起こったのか旅商人のほうが驚いていたぐらいだ。
「久々にポートラルゴまで来たけど、この潮の香りが堪らないのよね」
「ふう……。何とか日が落ちる前にたどり着きましたね。道中、このまま馬を乗り潰してしまうおつもりなのかと焦りましたよ」
「馬鹿ね、マーカス。私がクローネにそんな仕打ちをするわけがないでしょ。しっかりと休憩も挟んだし、水も飲ませてあげたじゃない」
「ええ。ですがそれは、わたくしが忠告したあとの話ですよね?」
「そんなことマーカスに言われなくたって、この私だって最初から気付いてたんだから。だいたいね、そんな年からまるでお父様のようにガミガミと小言ばかり言ってたら、大人になる頃には眉間に皺ができているわよ」
まるでどちらのほうが年上かわからないマーカスの言葉に、エレナが整った眉根を上げて抗議する。
だが、そんなエレナの態度など毎度のことなのか、マーカスのほうは丸っきり相手にする様子もなく、馬首をぐるりとめぐらすと、町のほうに向かって馬を歩ませようとしていた。
「わたくし、先触れを出してきますので、エレナお嬢様はこの場にてしばらくお待ちください」
「ま、待って、マーカス。そんなに大袈裟にしなくてもいいからね。そうね、ちょこっと門番に報告するだけってのはどうかしら?」
「そういうわけには参りません。最低でも港町ポートラルゴの代官であるストレイル男爵様にはお話を通さなくては」
「えー。でも、そうしたら挨拶だの歓待の席だので、自由な行動を取れなくなってしまうのが目に見えてるじゃない。私が堅苦しいのは嫌いだってわかってるでしょ? いい、マーカス? 私たちはお忍びで来たのよ?」
「それはエレナお嬢様のご都合なだけですよね? 万が一、町の者がエレナお嬢様に対して無礼でも働けば、ストレイル男爵様の責任問題にもなりかねませんので」
「それなら、まずは港に例の船を見物に行って、そのあとすぐストレイル男爵のところにお邪魔するって形はどうかしら? ね、いいでしょ? そのくらいの時間だったら、そこまで問題にならないと思うけど?」
「衛兵にエレナお嬢様のことを話せば、自然とストレイル男爵様までお話が伝わるはず。どうせ同じことかと思われますが……」
「なら、なおさら構わないじゃない。見知らぬ異国の船さえ見物できれば、私としても充分に満足だから。じゃあ、マーカス。そういう段取りでお願いね」
「はいはい、承知いたしました」
不承不承といった様子で、町の出入り口に佇む衛兵の元へと向かうマーカス。
港町ポートラルゴは基本的に人の出入りが自由。
商人の積み荷に対してはしっかりと租税が課せられていて、港町ポートラルゴの中に入る直前一旦止められることになっていたが、領内の人の移動に関しては比較的自由だったからだ。
そうは言っても、この地を治める領主のひとり娘であるエレナが素知らぬ顔で入っていくわけにもいかない。怪しい人間だと思われて、その場で誰何でもされたら何とも気まずい事態になってしまう。
たとえ父親が治める領地だとしても、いやむしろ父親が治める領地だからこそ、何事が騒動に巻き込まれる可能性も考えて、来訪したことだけは事前に告げなければならなかった。
そんなこんなで、視察に訪れたことを説明するためしばらく衛兵と話し込んだあと、ようやくマーカスがエレナの元へと戻ってくる。
「エレナお嬢様。衛兵がたったいま、ストレイル男爵様のところへ使いの者を走らせたそうです。その者が戻ってくるまで、兵舎のほうでしばらくお待ちくださいとの話でした」
「どういうこと、マーカス? さっき私が頼んだ話と随分と違うじゃない」
「一応、エレナお嬢様の意向はきちんとお伝えしたのですが……。私たち衛兵だけではなんとも判断が付かないと言われまして……」
「もう! 嫌な予感はしてたけど、結局こうなってしまうのね。それで、私はいつまで待たされるのかしら?」
「さあ? それをわたくしめに聞かれましても」
「じゃあ、いったい誰に聞けばいいって言うのよ」
不満そうに頬を膨らませ、マーカスに当たり散らすエレナ。
といっても、本気で怒っているわけではないのだろう。
エレナはその顔に気に食わないといった表情をありありと浮かべていたが、大人しく愛馬から降りると手綱を引いて兵舎のほうに向かって歩いていく。
マーカスにしても、そうなってしまったエレナの扱いは手慣れたものであるらしく、はあ、まあそうですねと右から左に受け流している様子だった。
そんなふたりのやり取りは兵舎の中に入ったあともしばらく続いていたが、ようやく使いの者がひとりの男を連れて戻ってきたようだ。
息せき切って走ってきた小太りの男がエレナたちの前に姿を現すなり、うやうやしく頭を下げてエレナに礼を交わす。
「これはこれは、エレナ様。本日は港町ポートラルゴまで、ようこそおいでくださいました。わたくし、この町で代官代理を任されておりますハワードと申す者にございます」
「ハワードさんね。もしかして初めましてだったかしら? 私のほうは名乗らなくてもおわかりのはずですわね」
「はい、もちろんでございます。エレナ様のお姿は一昨年、リンガーフッド城にて催された晩餐会において、遠目からちらりと拝見しただけでございますが、そのあまりの美しさに私など心の中でひれ伏すばかりでございました」
「あら、随分とお口がお上手なのね」
「滅相もございません。エレナ様のご美貌は領内の隅々にまで響き渡っておりますので。私などは生来の口下手のせいで、エレナ様のことを褒め称える言葉を満足に並べられないような有様でして」
「その言葉、ありがたく受け取っておくけど、そういった社交辞令は今は必要ないわ。それより例の話を早く聞きたいのだけど」
代官代理がやってきたことで、もう入っても構わないと考えたのだろう。
エレナはすぐさま兵舎から出ると、愛馬クローネを引いた状態でマーカスやハワードとともに西門をくぐっていく。
「は、はい。それなのです。例の相手は何でも遠い東方にある島国らしく、セレネ公国という名前の国だという話でした。まさか東の深海を越えたその先にそのような国があったとは……。それでご領主様は、そのセレネ公国に対してどういった感じの対応を取れとのお達しにございましたか?」
「えっ、対応? ああ、そうね。私はお父様からとりあえずお前の目で確認してこいと言われているだけだから。多分、あとできちんとした使者が来るんじゃないのかしら?」
「なるほど。あまりにもお早い対応で驚かされたうえ、ご使者としてわざわざエレナ様がお越しになられるのも少々おかしな話だと思っておりましたが、そういうことでしたか」
「ええ、まあね。それでハワードさん、そのセレネ公国とやらの船を見るにはどこに行けばいいのか、私を案内してくださらない?」
「あっ、はい。こちらでございます」
馬を引いたエレナと並ぶようにすぐ隣を歩いていたハワードが、手で港の方角を指し示す。
すっかり薄暗くなっていたポートラルゴの街並みに、かがり火の灯りがぽつぽつと灯り始めていた。
そんな中、エレナに付き従うような形で従者のマーカスとハワード、そして数人の衛兵がポートラルゴの港に向かい、ぞろぞろと歩いていった。




