120 砦を越えて
ラグナヒルト宰相が激痛に悲鳴を上げる。
ベルディック男爵。いや、かつてはベルディック男爵だったと言ったほうが正確だろう。
人狼の姿になったベルディック男爵がラグナヒルト宰相の右腕に噛み付いたまま、猛獣が獲物を食べるときのように乱暴に頭を振りたくり、ラグナヒルト宰相の肘から下半分を噛み千切っていた。
あきらかに尋常ではない咬合力。
その異形といい、まるで魔物そのものだった。
突如そんな魔物に襲いかかられたラグナヒルト宰相は、一瞬何が起きたのかわからなかったらしく、呆然と失くなった自分の右腕へ目を落としている様子。
とはいえ、すぐさま気を取り直したらしい。ラグナヒルト宰相は苦痛に顔を歪めながらも自分の右腕に向かって止血の魔法を唱えていた。
その様子を見た人狼がボトリとその場にラグナヒルト宰相の右腕を落としたあと、ペロリと舌舐めずりする。
そしてまるでどこから喰らってやろうかとでも言わんばかりに、ラグナヒルト宰相の周りをゆっくりとうろつき始める人狼。
「くっ、ベルディックめ。よくも裏切りおって……。まさかふたりとも化け物だったとはな!」
そんなラグナヒルト宰相の悪態が、衛兵が居なくなった石造りの王宮内にこだまする。
ラグナヒルト宰相もコンスタンス男爵のほうは警戒していたようだが、ふたり揃って裏切っているとは思わなかったのだろう。
といっても、ベルディック男爵の武装も解除していたし、タガトートス騎士団の面々がラグナヒルト宰相の周りを固めていたのだ。
こんな事態になると、いったい誰が予想できたというのか。
いや、どことなくおかしいとは感じていたのだ。不用意にベルディック男爵を近付けるべきではなかったか……。
「GAAAAAAAAAAAAAAAA!」
そんなラグナヒルト宰相の後悔もよそに、元はベルディック男爵だった人狼が喉笛を喰い千切らんとラグナヒルト宰相に襲いかかる。
「あまりワシを舐めるなよっ!」
が、恐るべき牙が喉元に迫った瞬間、ラグナヒルト宰相は首にかけていたアミュレットを残った左手で引き千切り、人狼に向かって投げつけていた。
――ドカンという爆発音。
その音とともに護身用アミュレットが弾け飛ぶ。
その放たれた魔力の衝撃により、その場から吹き飛んでいく人狼と、反動のせいで反対側の壁へと叩きつけられるラグナヒルト宰相。
悲鳴を聞きつけた兵士たちが駆けつけたときに見たのは、エルメヴィラ王宮の入り口付近で倒れているふたりの姿だった。
◇
しとしとと雪が降り積もるブリスデンの町で俺は朝を迎えていた。
どうやらここブリスデンの町は内乱の際、マクシミリアン侯爵率いる反乱軍により大量の食料を奪われてしまったようで、貧民の一部には餓死者まで出ている状況らしい。
内乱の爪痕がいまだ深く残っており、春さえやって来れば何とかなるという希望にすがり、困窮に耐え忍んでいる様子がある。
そのせいかセレネ公国による食糧援助は大歓迎を以って迎え入れられており、町の広場ではさっそく炊き出しが行われていた。
輸送隊が運んできた物資は米とじゃがいも、それに卵などで、現在町の住民たちに配られているのは卵がゆだ。
マガルムークには米食の習慣がないものの、米自体はこの世界でも一応流通している穀物。そのせいか比較的すんなりと受け入れられている様子だった。
絶食後の弱っている胃腸に優しく、栄養価のほうも高いため、今の状況にはピッタリだろう。町の住民たちが頭を下げながら、セレネ公国の人間から卵がゆを受け取っている様子が広場にはあった。
昨晩この町の代官のフレイにも会っているが比較的まともな人物のように見えたし、物資を独り占めすることもないはず。
セレネ公国がわざわざ炊き出しまでする必要はどこにもなかったのだが、すぐに帰らなかったのには理由がある。
輸送隊がブリスデンの町に滞在中、俺とラウフローラ、そしてアケイオスの3名でドゥワイゼ帝国領内に潜入する予定だったからだ。
むろん亜人差別が極めて激しいドゥワイゼ帝国内ではアケイオスを連れて歩くことが出来ないため、アケイオスだけ別行動させるつもりでいるが。
俺たちのほかにも何名か輸送隊の護衛役に扮した自動機械が付いてきているので、3人ぐらい途中で抜け出しても不審に思われないだろう。
そもそも俺たち3人はエルセリア王国の冒険者で、セレネ公国に雇われた傭兵という立場。
万が一ルメロと鉢合わせすれば、俺とセレネ公国の関係性を疑われるかも知れないが、そこはあまり気にしていない。ディーディーという冒険者の裏に何かあることもルメロにはとっくにバレているのだから。
いずれにせよ、俺たちは今夜にでも西にあるアガスタ砦を迂回し、こっそりドゥワイゼ帝国内に潜入するつもりでいた。
「それにしても見事に女子供と年寄りだらけだな」
「一般兵として戦争に駆り出されて、そのまま帰ってこなかった住民が多いんでしょう」
「ここの領主はシアード王子派のはずだろ?」
「正規軍のほうもウルシュナ平原、ガルバイン砦と連敗して大勢の死傷者を出したみたいだからね」
「フランテール湖畔に現れたグールの中にも、ここの住民が混ざっていた可能性があるってわけか……」
戦争を起こしたのは俺ではないし、相手は所詮死体だ。
あのときにこの町の住民のグールを滅していたのかも知れないが、申し訳ないという気持ちは湧いてない。
まあ、あまり気分のいいものでもなかったが。
それよりも何よりも予想以上に犠牲者が多かったことに驚く。
もちろん兵士として徴兵されたまま、いまだ帰ってきていないだけという可能性もあるが。
そんな物思いに耽っている最中、俺はボロボロの衣服を身にまとったひとりの少年に声をかけられていた。
「なあ。兄ちゃんたちって冒険者か?」
「ああ、そうだぞ。はるばるエルセリア王国からやって来たのさ」
「へええ。ちょっと前まではこの町にもけっこう冒険者が居たんだけどな。みんな戦争でどこかへ行っちゃったんだよな」
「そうか……。坊主はこの町の子供か?」
「おいらは坊主じゃない。ルッカというちゃんとした名前があるんだからな」
「ルッカか。炊き出しの飯はもう貰ったのか?」
「ああ。久しぶりにお腹いっぱいに食べたぞ。これからしばらくの間、日に一度は貰えるんだってさ」
「美味かったか?」
「おう。妹のレレイも美味しい、美味しいって喜んで食べてたからな」
「そいつは良かったな」
両親も喜んでいたかと尋ねそうになったが、それは止めておいた。
ルッカのボロボロの衣服を見て、ろくでもない答えが返ってきそうな予感がしたからだ。
「そんでさ、聞きたいんだけど、兄ちゃんって強いのか?」
「見てわからないか? 自分で言うのもなんだが、かなりの腕だと思うぞ。それなりに腕が立たないと、隊商の護衛なんか任されないからな」
「だったら、おいら兄ちゃんに頼みがあるんだけど」
「ん、何だ? 俺に出来ることなら聞いてやらんこともないが……」
「おいらに剣の使い方を教えてほしんだ」
「ルッカにか?」
「ああ。触りだけでもいいんだよ。それともすぐにエルセリアへ出発する予定なのか?」
「いや、あと何日かはブリスデンの町に滞在するつもりだ。とはいえ、ずっと暇ってわけでもないんだが……」
「暇なときだけでいいんだ。なあ、頼むよ」
「ルッカは冒険者になりたいのか?」
「いいや。マガルムークのために戦って死んだ父ちゃんみたいにおいらも立派な兵士になって、将来マクシミリアンのような悪党が現れたら、退治してやるんだよ」
そんなルッカの言葉に俺は何ともやるせない気分になる。
あっけらかんとして悲壮感のないところが逆に俺の心をかき乱していた。
「そうか……。そうだな。剣を教えるのは構わないが、俺は他人に教えるのが下手なんでなあ。ルッカは女性に教わるのは嫌か?」
「もしかしてこっちの綺麗な姉ちゃんに剣を教わるのか? うーん、女かあ」
「妹のローラはそこら辺の冒険者よりも強いぞ」
出会ったばかりの他人に教えを乞おうっていうのに選り好みしているのは生意気だが、ルッカぐらいの年頃の少年ならば、女性に剣を教わることに抵抗があるのはある意味仕方ない話だろう。
「そうなのか。でもおいら、最低でも灰色狼をひとりで退治できるくらい強い冒険者から剣を教わりたいんだよ」
「灰色狼程度の魔物なんかローラは朝飯前だぞ。俺とふたりでドレイクを退治したことだってあるんだからな」
何も面倒くさいと思って、ラウフローラに押し付けようとしているわけじゃない。
俺の剣は力任せで、基本がなっていないことがわかっているからだ。
「嘘だあ。ドレイクって、何十人もの兵士が束になってやっと倒せるかどうかって魔物なんだろ?」
「良く知ってるじゃないか」
「へへん。昔、町の冒険者さんから聞いたことがあるんだ。相手がどんな魔物なのか知っておくのも重要だってな」
「本当だぞ。まあ、信じるも信じないのもルッカの自由だが。それでどうする? こっちの姉ちゃんが嫌なら、悪いがよそを当たってくれ」
「わ、わかったよ。それでお願いします」
そう言ってルッカが俺とラウフローラの両方に頭を下げてくる。
ドゥワイゼ帝国の偵察という重要な目的があるので、そこまで時間をかけられるわけではないが、剣の基礎を教えるぐらいの時間なら取れないわけでもない。
「ローラ、頼むな」
「仕方ないわね。それでルッカ、剣のほうは持ってるの?」
「ああ。父ちゃんが使っていた剣があるぞ。今から家に行って取ってくるから、ちょっと待っててくれよ」
「待っていてくださいでしょ。うーん、これは剣より先に言葉遣いのほうを教えるべきかもね」
ラウフローラがそう言う前に、家に向かって駆け出していたルッカ。
そんなルッカに苦笑を漏らしながらも、俺はこの世界の子供のたくましさに改めて感心していた。
◆
「セドリック。ラグナヒルト宰相の容態のほうはどうであった?」
「はっ。聖女エルミアーナ様のご尽力により、徐々にお身体のほうも回復されつつあるとのことです。ですが、失われた右腕のほうは……。申し訳ございません。タガトートス騎士団の精鋭が付いていながら」
「腕のほうは仕方あるまい。宰相自身にも油断があったのだからな。そのほうらの咎を責めるつもりはない」
エルメヴィラ王宮の玉座の間。
現在、玉座に座っているルベール3世の前の床に膝を付き、頭を垂れているひとりの男性が居た。
タガトートス騎士団団長セドリック・アイゼンバーグだ。
王宮前で起きた事件の連絡がセドリックの元に入り、現場に駆け付けたときにはすでに2匹のライカンも退治されたあと。
セドリック自身は別の仕事があったのでどうすることもできなかったのだが、タガトートス騎士団の責任を問われても仕方ない失態だ。
そういうわけでいかなる処罰も受ける覚悟で、こうしてルベール3世の元へ参上した次第だった。
「陛下には過剰なるお情けをいただき、タガトートス騎士団一同、感謝の念に耐えません」
「宰相もわかってくれよう。今はそれどころではないとな。たしかライカンスロープとか言ったか? あれが誰の仕業かわかったのか?」
「くっ……。それがまだ何も。コンスタンス、ベルディックの両名の首筋にライカンに噛まれた跡がございました。おそらくふたりを操っている何者かが近くに潜んでいたのかと」
「宰相もライカンに噛まれているらしいが、そっちのほうは大丈夫なのか?」
「人狼症の感染力を持つライカンは大元の1匹だけというのが一般的な認識です。それと念のためにエルミアーナ様にも診ていただきました。その結果、おそらく大丈夫だろうと」
「それなら良いのだが。宰相にとっては災難であったが、聖女殿がジークバード領から帰ってきた直後で運が良かったの。あとは今回の一件がロレーヌ伯爵の仕業だという確たる証拠さえ見つかれば、話は簡単なのだがな……」
ルベール3世が玉座に肘を付いて、ひとり考え込む。
ロレーヌ伯爵の仕業であることはまず間違いないが、証拠もなく糾弾することもできまい。
いや、今回のことに難癖を付けていっそのことロレーヌ伯爵を討伐してしまうか。
そんな計算がルベール3世の頭の中を駆け巡る。
正直ルベール3世からすれば、ラグナヒルト宰相も目の上の瘤でしかない。
ラグナヒルト宰相のことを心から信頼して重用しているわけでもなかったので、今回ラグナヒルト宰相の身に起きた出来事も良い気味だと内心ほくそ笑んでいたし、そのせいでロレーヌ伯爵という政敵まで減ることになれば、ルベール3世としては万々歳だった。
多少強引でもこの機に一気に邪魔者を排除するか……。
そうルベール3世が決断を下しそうになったとき、扉の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。
「へ、陛下。大変でございます。ロレーヌ伯爵率いる軍勢がグレーデン砦を越えて、今もなお西進中との報告が入っております……」
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年末年始の投稿はここまでになります。
小説家になろう様への投稿は、またある程度溜まってからになりますのでご了承ください。




