119 狼の鳴き声
◇
何台もの荷馬車が隊列を組んで薄っすらと雪が積もった街道を北西へと向かっていた。
現在、隊列はマガルムーク北西部にあるブリスデンの町へ向かっているところ。
キャラバン隊にも見える荷馬車の集団。
その1台1台にセレネ公国の国旗が掲げられており、数センチメートルほどの積雪の上に新たな轍を作りながらゆっくりと進んでいる。
俺がエルセリア王国を旅立ってからすでに2週間以上が経過。
ウーラアテネに立ち寄ったあとジェネットの町でラァラと会い、そのあとは隠れ里エルシオンでずっと暇を潰していたことになる。
そのエルシオンではマガルムーク各地からラオが連れてきた亜人の入植が進んでおり、今のところ問題らしい問題は起きていない様子。
ラングルやジーナの指導の元、小角鬼族の長老ラプラールが亜人たちをよくまとめているみたいだ。
問題だったのはミリシアを初めとした半妖精族が俺にべったりだったのと、亜人たちが俺のことを神のように崇めていることに多少きまりの悪い想いをしたことか。
まあ領主という立場なのだから農奴から頭を下げられるのは自然なことだが、その場に膝をついて崇拝し始める亜人がことのほか多く、亜人たちと気軽に会話を交わすこともままならない状況。
例外的にプッチが俺の姿を見かけるたびに駆け寄ってきては、卵から雛が産まれただとか、昨日食べたお菓子がものすごく美味しかっただのと話しかけてきてくれるのが唯一の救いだったが。
ただレミのほうはプッチのように気安く接してもいいものか悩んでいる様子があり、好意を感じないわけでもないが大人たちと同じく微妙な距離感があった。
そんな感じに隠れ里エルシオンで無意味に暇を潰していた理由は、マガルムークとセレネ公国による交渉がまとまるのを待っていたからだ。
言わずもがな食料援助の件だ。
フローレンスからの報告を受けた翌日には、密かに貨物輸送船を使ったセレネ公国の使者が王都ドガに到着していたし、交渉のほうもトントン拍子に話が進んでいた。
どうやらマガルムークにとっては渡りに舟の提案だったらしく、むしろこれを機にエルセリア王国を含む3か国同盟を考えてみてはどうだろうかという話まで一部では持ち上がっていたらしい。
マガルムークの国力が落ちている現状、セレネ公国はともかくエルセリア王国との関係を強めようとする動きがあるのだろう。
さすがにジェネットの町南にある大断崖地帯の領有権には渋い顔をされたが、それ以外の条件はすんなりと呑んでくれたみたいだ。
当たり前だが、マガルムークだって他国の情報収集をまったく行っていないはずがない。
セレネ公国の情報はすでに伝わっていたし、貴族たちの間ではセレネ公国産のワインが評判になり始めているとのこと。
食料援助と引き換えにセレネ公国を新たな国として認めることに関して、ほぼ満場一致で議決されていたとの話だった。
ただし、すでにセレネポートまで食料を輸送していたことが前提だとしても、交渉のあと、使者の帰還、マガルムークへ送る食料の準備、荷馬車での輸送と、最低でも2週間程度は期間を空けなければ不自然。
食糧援助の輸送隊の護衛として、マガルムーク北西部を訪れる予定の俺たちも隠れ里エルシオンで足止めを食らっていたというわけだ。
「兄さん、ブリスデンの町が前方に見えてきたわよ」
前方に小指の先ほどの黒影が映る。
先導している輸送隊の灯りを道しるべに、積雪と闇で道がよく見えなくなった街道をひたすら歩くことに俺もちょっとだけ疲労感を覚えていたところだ。
道中魔狼の群れに遭ったぐらいで、盗賊たちと遭遇しなかっただけでも幸先が良いが。
むろん盗賊に襲われたとしても退治すること自体は容易い。が、中には内乱のせいで仕方なく盗賊に身をやつした者も居るはずだ。
出来ればそんなやつらと出くわしたくなかっただけ。
傷付けずに武装解除したところで、結局はマガルムークの役人に突き出さなければならないのだから。
まあ、ほかの町にも自動機械が扮した輸送隊を出している。
その食料さえ手に入れられれば、そういうやつらも元の生活に戻るかも知れない。
「ようやくか」
「ドゥワイゼ帝国が侵攻している様子はないけど、一応気を付けてね」
「ああ。わかってる」
ブリスデンの町はマガルムークとドゥワイゼ帝国を結ぶ街道の要所。
ドゥワイゼ帝国が正攻法で戦いを仕掛けてくるとすれば、けっこうな確率でここブリスデンの町が最初の標的になるはずだ。
正確なことをいえば、この町から5キロメートルほど西にアガスタ砦があって、過去何度も戦地になっているらしいので、おそらくそこが最前線になるのだろうが。
俺やウーラは冬を越えると同時にドゥワイゼ帝国がマガルムークに手を出してくるものと睨んでいる。
そういう兆しがあるのかどうかも現地に赴いて確かめたかったというわけだ。
輸送隊の横に並び、雪で足が滑らないようにゆっくりと歩を進める。
一見平穏そうに見えるブリスデンの町。
その西にある森に隠れて見えないアガスタ砦も今のところまだ開戦の狼煙が上がっていない様子だった。
◆
エルセリア王国、王都エルシアードにあるエルメヴィラ王宮前の中庭。
現在そこにはひとりの罪人が縛に就いた状態で地面の上に座らされており、罪人の首にはダガトートス騎士団中隊長イワノフの大剣が押し当てられていた。
罪状は違勅罪。
王命に背いたという意味の罪で、エルセリア王国において極めて重い罪状のうちのひとつと言っていい。
罪人の名前はコンスタンス男爵。
つい先日、エルセリア国王ルベール3世からベルディック男爵に下賜されたはずのルーベンの町を不当に占拠した男だ。
が、結局はタガトートス騎士団の手によって捕まり、こうしてラグナヒルト宰相の元へ引っ立てられてきたという次第だった。
とはいえ戦闘行為にまで発展したわけじゃない。
ルーベンの町を囲んだタガトータス騎士団に向かってコンスタンス男爵は多少暴言を吐いたものの、比較的大人しく縄に付いたという話。
そんな報告を受けたラグナヒルト宰相としては、目の前に座るコンスタンス男爵が何を目論んでこんなことを仕出かしたのかさっぱりわからなかった。
「コンスタンス男爵よ。何か言い分はあるかね?」
いずれにせよ爵位の剥奪は免れまいが、理由如何によっては酌量の余地があるかも知れない。
そう考えたラグナヒルト宰相がコンスタンス男爵に一応尋ねる。
まだ刑が確定したわけじゃない。
公平に裁かなければならないなどという偽善的な考えはラグナヒルト宰相の中にはないが、全容を知らずして一方的な判断を下すほどの愚か者でもなかった。
「言い分も何もルーベンの町は某の土地。かような扱いを受ける覚えなどござらん」
「自分の領地だとのたまうか。どうやら卿はルベール陛下のご厚情がまるでわかっておらぬらしいな。あまつさえ王命に逆らおうなどとは」
「逆らってなどおらぬ。どうも誤解があるらしい。ルーベンの町は友好の証としてベルディック男爵のほうから某に贈ってきたのだ。そこに居るベルディック男爵に聞いてもらえればわかる」
「本当かね? ベルディック男爵?」
疑わしげにベルディック男爵にそう問いかけるラグナヒルト宰相。
ふたりはこれまで長年争ってきた間柄だ。
しかも自分の領地を譲るなど普通は考えられない話。
ジークバード伯爵のように見返りを求めてのことだというならまだ理解もできるが、友好の証として贈られたなどいうのはコンスタンス男爵の言い訳にしか聞こえなかった。
「そのようなことを申すわけがございません。いったい何故、私がコンスタンス男爵に? まるで意味がわかりませんな」
案の定、ベルディック男爵の口からは否定の言葉が漏れる。
ストレートに考えれば、デタラメを言っているのはコンスタンス男爵のほうだろう。
ただし、それにしてはあまりにも嘘が見え透いている。
コンスタンス男爵がそこまで賢くないこともラグナヒルト宰相は知っていたが、いくら何でもそのようなバレバレの嘘を吐くだろうか。
これはベルディック男爵が一芝居うった可能性もあるのではないかと、ラグナヒルト宰相は考え始めていた。
「ベルディック男爵はこう申しておるぞ」
「な、なんだと……。貴殿は某にあの土地を譲ると、その口で約束したではないか!」
「知らぬな」
「貴様っ! とぼける気か!」
拘束されている縄を引き千切らんばかりに顔を真っ赤にして、その場で立ち上がろうとするコンスタンス男爵。
が、すぐさま中隊長のイワノフがコンスタンス男爵の身体を無理やり押さえ付け、その場に跪かせていた。
「落ち着け、コンスタンス男爵よ。ベルディック男爵の主張が正しいと一方的に判断したわけではない。とはいえ、まさか卿も口約束のみでその話を鵜呑みにしたわけではなかろう。ベルディック男爵からルーベンの町の領有権に関する証書を譲られているのか?」
念のためにラグナヒルト宰相はそうコンスタンス男爵に確認したものの、内心では証書のやり取りなどなかったのだろうと考えていた。
ここまでのやり取りを聞くかぎりではコンスタンス男爵に嘘を吐いている様子は見られない。
ただし仮にこれがコンスタンス男爵を嵌めるためにベルディック男爵が企てた罠だったとしても、コンスタンス男爵のことを庇う気にもなれなかった。
そんな口約束を鵜呑みにして騙されるほうが悪いのだ。
コンスタンス男爵がそのような単細胞なら男爵位を取り上げることも致し方ない成り行きだとすらラグナヒルト宰相は考えていた。
「証書を持っていないのならばどうしようもあるまい。本当にそういうやり取りがあったとしても、証明できぬのなら意味がないからの」
「そ、それは……。はあはあ……。うっ、はあはあ……。うっ、うううっ、あぐっ、ううううううううううっ……」
と、イワノフに押さえ付けられていたコンスタンス男爵が池面に突っ伏して呻き始める。
突然奇っ怪な行動を始めたコンスタンス男爵にラグナヒルト宰相のみならず、周りの兵士たちも唖然としている様子があった。
泣き叫んでいるのか、はたまた苦しんでいるのか。
怒りと興奮のあまり、血の巡りが上がり過ぎて胸患いでも起こしたのではないかと心配する者も居たほど。
「だ、大丈夫か? コンスタンス男爵?」
さすがに心配になったのか、ラグナヒルト宰相もそう声をかける。
が、そんなラグナヒルト宰相の言葉に返事もせず、コンスタンス男爵はただぶるぶると身を震わせただけ……。
そして次の瞬間――、
コンスタンス男爵の背中からゴキゴキと音が鳴り、背中の筋肉があり得ないほどに盛り上がっていた。
「なっ……」
ブチブチという縄が千切れる音。
そして、ゆっくりと頭を上げたコンスタンス男爵の頭部が徐々に変貌を遂げていく。
毛むくじゃらの顔。
前方に突き出た大きな口。
その口からは牙のようなものまで見えていた。
本来側頭部にあるはずの耳が何故か頭部の頂上へと移動している様子もある。
そんな狼のような容貌への変化に、イワノフが咄嗟に注意を促していた。
「ラ、ライカンだ! 皆、気を付けろ!」
ライカンスロープ。
魔物に分類してしまってもいいのかは微妙だが、人外の化け物には違いない。
人狼症、或いは狼憑きと呼ばれる病気の一種だとも言われており、辺鄙な田舎の村で稀に発生するため、兵士たちのうちの何名かは知っている様子。
「お前たち、何をしている! 全員で飛びかかってコンスタンス男爵のことを今すぐ拘束するのだ!」
相手は一応貴族だ。
人外の姿をしているとはいえ、剣を向けてよいかどうか迷ったのだろう。
イワノフの怒号にはっと我に返り、素手でコンスタンス男爵へと飛びかかり始める兵士たち。
「があああああああああああああっ!!」
が、最初に飛びかかった3名の兵士の身体がコンスタンス男爵の腕のひと薙ぎで吹っ飛ぶ。
あきらかに人間離れした膂力。
普通の人間がこうも易々と鎧を身に着けた騎士3名を振り払えるはずがない。
化け物と化したコンスタンス男爵の様子に後続の兵士たちがその場で立ち止まり、迂闊に近付くのを止める。
けっして臆病だったわけじゃない。
これでもタガトートス騎士団の精鋭たちで、ライカンと戦った経験がある者もこの中に居たくらい。
剣を使っていいのならいくらでも対処のしようがあったのだろうが、素手でこの化け物を抑え込めと言われてもどうしようもなかったのかも知れない。
そんな状況をマズいと判断したのか、イワノフがラグナヒルト宰相に対して許可を求める。
「ラグナヒルト様、討伐のご許可を!」
「わ、わかった。お主らの責は問わぬゆえ、コンスタンス男爵……、いや、この化け物を切り捨ててしまえ」
現在中庭に居る兵士は20名ほど。
騒ぎを聞きつけた増援もすぐにやってくるはずだ。
多勢に無勢ならけっして勝てない相手でもない。
じりっじりっとにじり寄り、兵士たちがコンスタンス男爵のことを取り囲んでいく。
「ラグナヒルト様はあちらへ。やつのことは一旦兵士たちに任せ、安全な場所へ避難致しましょう」
「あ、ああ。そうだな……」
ベルディック男爵がラグナヒルト宰相の腕を掴み、なかば強引に王宮の奥へと連れていく。
「そこの兵士! お前は陛下にこのことをお知らせしろ。手の空いている残りの者はタガトートス騎士団の加勢に向かうんだ」
そう言ってテキパキと王宮前を警備していた兵士たちにも指示するベルディック男爵。
本来ならラグナヒルト宰相の役回りだったのだろうが、ラグナヒルト宰相は相当気が動転している様子。
後ろを振り返りつつ、王宮の中へ逃げ込んでいくラグナヒルト宰相とベルディック男爵の姿があった。
「何かあるとはワシも思っておったが、まさかコンスタンス男爵が狼憑きだったとは……」
「だから言ったのです。あの男は何を仕出かすかわからないと。はあはあ……」
「う、うむ」
「こ、この辺りまで来れば安全かと。はあはあ……。ど、どうやら怪しい者も居ないみたいです。うっ、うううっ。あがっ……」
「ど、どうした? ベルディック男爵? もしやどこかを痛めでもしたのか?」
と、王宮の中で立ち止まったかと思うと、突然顔を伏せて苦しそうな声を出し始めるベルディック男爵。
「だ、だ、大丈夫です。はあはあ……。ラグナヒルト様はお気になさらずに。うっ、ううううううううっ」
「だ、誰ぞおるか。急ぎ治療師か神官を探してきてくれ……。べ、ベルディック男爵の様子がおかしいのだ。ん? ベルディック男爵。そ、その顔はいったい、どうし――ぎゃあああああああああああああ!」
悲痛な叫びが王宮内に響き渡る。
その場にはラグナヒルト宰相の右腕に噛み付くもう1匹のライカンスロープの姿があった。




