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118 暗躍

 ◇


 裸の女が俺の身体の上に乗り、淫らな姿を見せていた。

 頬を上気させ、うっとりとした眼差しで快楽に溺れている様子がある。

 なんせ久しぶりの逢瀬だ。

 熱に浮かされたように幾度となく恋人の愛情を求めてくるのも仕方ない話だろう。

 そんなラァラがひときわ大きな歓喜の声を上げたあと、ぐったりと俺の身体の上へと倒れ込んでくる姿があった。


「んっ。ディーディー。ちゅっ」


 俺の頬に伝わってくるラァラの唇の感触。

 そして一途な愛情も。

 だというのに、いまだラァラは俺の元に来る気がないらしい。

 もちろん価値観というか、この世界における男女の関係が地球人とは根本的に異なっていることも理解しているつもりだ。

 それにラァラが俺とはけっして一緒になれないと考えているのは、アグラという葛藤を抱えているせいだということも。

 それでも俺が釈然としないのは、アグラという存在がラァラの心の一画を占めていることだ。

 結局のところ俺は嫉妬しているだけかも知れない。

 この俺がアグラ当人だとすれば、何とも馬鹿げた話だが。


「それでどんな感じだった? ルメロの結婚式は」


 甘えて俺の左腕に絡み付いてくるラァラの髪を撫でながら、俺は嫉妬心を誤魔化すようにそんなことを尋ねる。


「ものすごく盛大だったわ。アンドリュース伯爵様から祝い酒も振る舞われたし、街中がお祭り騒ぎになっていたもの」

「まあそうだろうな。いまやルメロはマガルムークの英雄だからな」

「そうね。1週間ほど来るのが早ければディーディーも式に間に合ったのよ。カイル様からも何とかディーディーと連絡が付かないかってお願いされていたんだけど」

「それはルメロにすまないことをしたな。まあ、今度会ったときにでも詫びておくさ。花嫁はアンドリュース伯爵の娘らしいな」


 花嫁が誰かなんてことは聞かなくてもとっくに知っていたし、俺に連絡を取れないかという話はグランベルのほうにもあった。

 が、その理由が友人である俺を結婚式に呼びたかったという純粋な気持ちだけかといえば、おそらくそうではないはず。

 この先を見据えて、俺や古き民のことを表舞台に引っ張りだそうという魂胆が隠れていそうな気がする。

 それに他国にも協力者が居ることを匂わせれば、ルメロ陣営を実際以上に大きく見せることにも繋がる。

 そういった理由から賓客であるマガルムークの貴族たちにエルセリア王国の友人ですと紹介されても困るだけだ。


「ええ。パレードのときに遠くからお見かけしたけど、クリスティーナ様はとてもお綺麗な方だったわ。ジェネットの町ではお優しい聖女のような方だという評判らしいし」

「救国の英雄様とお似合いってわけか」


 そんな会話を続けている間も、俺の左腕に絡み付き愛おしそうに頬ずりしてくるラァラ。

 今日は何故かやたらと甘えてくる。

 といっても、2ヶ月以上離れ離れだったのだ。

 もっと会いに来てくれみたいな我が儘を言わないラァラだが、心中は寂しかったのかも知れない。

 それでも俺のところにやって来ようとしないのだから困ったもんだが。

 と、そんなラァラが唐突に俺に尋ねてくる。


「ねえ、ディーディー。この入れ墨って何か意味があるの?」

「何のことだ?」

「左腕のこれ。私の氏族でもイシュテオール神に仕えていることを示すためにこういう模様を入れることがあったから、もしかしたらそういうものなのかなって」


 そうやって俺の左腕に触れてくるラァラ。

 が、俺にはラァラが何を言っているのかさっぱりわからなかった。

 俺の左腕に入れ墨はない。それどころか身体のどこにも入れ墨を彫った覚えなどないのだから……。

 とはいえ、ラァラが冗談を言っているようにも見えない。

 本当に何かが見えているような様子で、俺の左腕の肘から下の部分を指で優しくなぞっていた。

 

「模様? ラァラには何か見えるのか?」

「ん? 見えるってどういうこと? これって入れ墨じゃなかったとか?」

「いや、いい……。それでどんな模様に見えるんだ?」


 模様どころかそんなものはないときっぱり否定しなかったのは、俺にも少しだけ気になる点があったからだ。

 ゲートリングの爆発により被った火傷跡。

 あとになって記録画像で確認しただけだが、治療前に火傷跡があったのがちょうどラァラがなぞっている辺りの位置で、俺にも何となく模様のように見えていたからだ。

 そのときにはそう見えるだけだと、ろくに気にも留めなかったが。

 これは偶然なのか?

 いや、俺の目に見えていないものが、ラァラに見えている時点でおかしい。


「そうね。以前、どこかで似たような模様を見た気がするんだけど」

「それはどこで見たんだ?」

「ごめんなさい。儀式的な何かで見たような気もするけど、実は覚えてないの。何となく記憶にあったというだけで……」

「そうか」

「前来たときにはなかったけど、何か意味があって彫ったんでしょ? ディ-ディーにはよく似合ってるけど」


 そう言って俺の左腕に愛おしそうにキスをするラァラ。

 何となくその行動に過剰なものを俺は感じていた。愛情以外の何かがそこにあるような……。

 何も見えないのは俺だけじゃない。

 ルカルナやエレナにはひと言もそんなことを言われていないし、昼間会ったグランベルにだってそうだ。

 突然ラァラにだけ見える模様が浮かんできたとでも言うのか?

 が、もし本当に見えているのなら、それが何なのか俺には思い当たる点がひとつだけあった。


 記念式典の際、聖女エルミアーナから思わせぶりな台詞を言われたときに、俺がアグラだと気付く何かがあったんじゃないのかと俺はずっと考えていた。

 それが何なのか結局のところわからず終いだったが、誰の仕業かは薄々見当が付いている。

 そのときの状況を考えれば、十中八九イシュテオールの仕業だろう。


 聖女が祈りの聖句を唱えている最中、俺の身体に触れてきた何者か。

 あのときに印を付けられたのか。

 アグラという猟犬の印を……。

 いや、おそらく最初から付けられていたはずだ。

 それをウーラが消してしまったと。

 そしてもう一度付けてもまた同じように消されてしまうだけだろうと、今度はラァラのような生け贄にだけ見える形にしたのだと考えれば一応は説明が付く。

 ただし、聖女エルミアーナがラァラと同じように入れ墨に気付いていたのかといえばそれは疑問だ。

 わざと視線を逸らしていた可能性もあるが、聖女には俺の左腕に注目していた様子がまったくなかったからだ。

 いずれにせよ、その昔マトゥーサ人全員がアグラを崇拝していたのならば、アグラだとわかる何らかの目印があったと考えるほうが自然だろう。


 というか、邪神ザルサスの標印や闇の使徒の印もそうだし、この世界の神々はどうやら自分の持ち物に印を付けるのがお好きらしい。

 ラァラに今見えているのもそんな印なんじゃないのか?


 ラァラの額にそっとキスをする。

 イシュテオールが俺のために用意した女か……。

 俺はそんな複雑な心境を抱えながらも、愛するラァラの身体に覆いかぶさっていた。


 ◆


 王都ドガの南西に位置するモースタッドの町。

 マガルムーク内においては主要な都市というよりかは田舎町に近い地域。

 人口はそれなりに多く、内乱に巻き込まれなかったおかげで田畑も荒らされていない様子。

 が、この地を治めるブッフォン伯爵がマクシミリアン侯爵寄りの立場を取っていたことにより、現在はいささかマズい状況に追い込まれていた。

 ブッフォン伯爵はシアード王子やマクシミリアン侯爵の出兵要求をのらりくらりと躱し続け、最終的には兵を出していない。

 が、ずっと中立だったかといえばそうでもなく、ガルバイン砦が落ちたあとはマガルムーク西部からの正規軍による進軍を牽制するような動きを見せていたぐらい。

 それゆえ中立とは名ばかりで、日和見的な態度に終始したのは誰の目にも明らかだった。


 とはいえ、現時点では反乱軍側に付いた貴族の処分のほうが優先されているため、ブッフォン伯爵が今すぐ断罪されることはないはず。

 王都ドガでの決着後、急ぎシアード王子の元へと駆け付け、おかしな動きを見せたのは反乱軍に奇襲をかけるタイミングを狙っていたからだという言い逃れをしたものの、当たり前のようにシアード王子からは信じられていない様子。

 そもそもシアード王子からの出兵要請を断っている時点で、所領の一部没収ぐらいは持ち出されてもおかしくない状況。

 たとえシアード王子から咎められなかったとしても、ブッフォン伯爵が今後マガルムーク内の権力争いにおいて傍流になることだけは間違いなかった。


「それにしてもマクシミリアン侯爵は詰めが甘過ぎるのではないか?」


 自らの失態を何ら顧みることもなく、マクシミリアン侯爵に対して罵倒の言葉を口にするブッフォン伯爵。

 その恨みがましい視線はひとりの老人に対して向けられていた。


「まことに申し訳ありません。私が流れの魔道士に騙されていなければこんなことには」

「いや、サルジウスのせいではない。お主は使者としてマガルムーク各地を飛び回っていたのだろう?」

「それはそうなのですが、呪術の類いが用いられていることに気付けなかった某にも責任があるかと」

「やはりこれは貴人の仕業だったと?」

「おそらくそうではないかと……。グールを使役したり、顔や名前を思い出せなくなる呪術など、ただの野良魔道士が使えるとは思えません。この私も古文書に書かれてある知識としてかろうじて知っていただけなのですから」

「なかなか恐ろしい術だな。が、結局はこうして敗れているのだ。貴人とやらもたいしたことがあるまい」


 ブッフォン伯爵とサルジウスはつい最近まで面識がなかったものの、内乱の勃発後マクシミリアン侯爵からの使者として何度か会っていたため、まったくの知らぬ仲ではない。

 当初中立を決め込んでいたブッフォン伯爵の立場を理解し、マクシミリアン侯爵にとりなしてくれたのもこのサルジウスだ。

 そのためにブッフォン伯爵のサルジウスに対する感情は比較的良いほうだった。


「そうですな。いずれにせよ、リグルスの再来には気を付けねばなりません。マクシミリアン様が失敗したのもリグルスの再来のせいなのですから」

「そいつは戦死したという話ではないのか?」

「いや、あれは替え玉でしょう。ルメロ王子はあれでなかなかの策士。手駒を隠しておきたかったのかと」


 このような状況に追い込まれたのも、すべてマクシミリアン侯爵のせいだとブッフォン伯爵は憤っていたが、己の保身のためにサルジウスの身柄をシアード王子に差し出すつもりはなかった。

 使者のひとりを差し出したぐらいで今の立場が良くなるとはとうてい思えなかったし、このサルジウスという老人が何かと役に立ちそうだったからだ。


「シアードの元では栄達の道が閉ざされたも同然。こうなればルメロ派に鞍替えするのも一手か?」

「ですが、ルメロはグラン家のひとり娘と結婚したばかり。そのうえ、ジュリアス公まで後ろ盾に付けた様子。果たしてブッフォン様のことを手厚く扱うか……」

「それでもシアードよりはマシだろうよ」

「ほかにも手ならございますよ」

「むっ。それはどんな手だ?」

「ドゥワイゼ帝国にございます」


 そんなサルジウスの言葉にブッフォン伯爵が眉をひそめる。

 モースタッドの町の西は深樹海が広がっており、さらにその先にあるのはドゥワイゼ帝国の領土。

 ただし深樹海は別名迷いの森とも言われており、まともに通れるルートがかぎられていた。

 マガルムークとドゥワイゼ帝国を結ぶ正式な街道はもっと北のほうにあり、そのおかげでこれまでモースタッドの町がドゥワイゼ帝国の標的になったことはないが、見方によっては隣り合わせているともいえる立地だった。


「は? まさかこの私にマガルムークを裏切れと?」

「現在マガルムークに王は存在致しません。ブッフォン様がお仕えしたのは先王ガルミオス様であって、シアード王子を裏切るわけではないかと」

「それは詭弁であろう」

「ですが、このままでは浮き上がる目がございません。でしたら……」


 そこまで言ってサルジウスの表情が怪しげに変わる。


「か、仮にそのように致すとして、どのような形でドゥワイゼ帝国に話を持ちかける気だ?」

「某にお任せを。帝国の内部にも多少繋がりはありますので」

「相当な見返りでもないかぎり、私は裏切ったりせぬぞ。これでも祖国への忠誠心は厚いほうだからな」

「それはむろんのこと。必ずやブッフォン様のご満足いただける交渉結果を持ち帰るとお約束致します」

「うむ」


 どこが忠誠心は厚いだ。

 そう内心馬鹿にしながらも、サルジウスがにこりと微笑む。

 そんなサルジウスのことを睥睨したブッフォン伯爵の顔には、まるでマガルムークを手に入れたかなようなずる賢そうな表情が浮かんでいた。


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