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116 交易の余波

 ◆


 エルセリア中央部西に位置するルーベンの町。

 現在この場所はきな臭い空気が張り詰めていた。

 この土地はセレネ公国を国として認めること、さらにそのセレネ公国とジークバード伯爵がポートラルゴで交易をすることへの見返りとして、エルセリア国王に譲渡された領地だ。

 その領地を現国王であるルベール3世が、ルーベンの町に隣接している領主であるコンスタンス男爵とベルディック男爵のふたりに下げ渡すと明言したことが事の発端だった。


 現時点では宰相派だが、ロレーヌ伯爵に近寄っている噂があるコンスタンス男爵のことを引き止めようという目論見があったのかも知れない。そんなこと関係なく、ルベール3世としては、気前の良さを見せたかっただけなのかも知れないが。


 いずれにせよ、ジークバード伯爵が譲り渡したルーベン以南の土地はそれほど広い領土でもなく、魔晶石の鉱床としても近年は産出量が低くなっており、それほど旨味がない。

 直轄領からは離れているので飛び地になってしまうこともあり、それだったら臣下に下げ渡したほうが賢明だと判断したのだろう。

 

 そのことに同意したラグナヒルト宰相が、ベルディック男爵の名前まで上げたのは、コンスタンス男爵とベルディック男爵のふたりが長年紛争を繰り返してきた間柄だったからだ。

 貴族の間ではエルセリア王国に従っている小国という意識が思いのほか強い。

 そのためコンスタンス男爵とベルディック男爵のように、エルセリア王国内の貴族同士が争うケースもそれほど珍しいわけではない。

 といっても、所詮は小競り合い。

 頃合いを見て、ルベール3世が調停に乗り出してくることも最初から織り込み済みで、その時点で両者は矛を収め、勝ち負けの度合いによって多少領地の境界線が変わったり、賠償金を支払うのがエルセリア王国内での慣習となっていた。


 なまじっか両者の領地と隣接しているのがジークバード伯爵領だったこともある。

 そちらには手を出せないので、弱者同士で喰らい合っていたということだろう。

 そんな事情もあり、コンスタンス男爵にはルーベン以南にある魔晶石鉱床の大部分、ベルディック男爵にはルーベンの町や鉱床の残り部分と、ルーベンの町やそれ以南にある領土を二分して分け与え、それにより紛争を止めさせるという狙いもあった。

 むろん手柄があったわけでもないのにこのふたりにだけそんな褒美を与えたりすれば、ほかの貴族からの不満が出るのは当然。

 が、そこはラグナヒルト宰相が対応に苦慮しながらも何とかなだめすかしている状況だった。

 そこまではまだ良かった。


「コンスタンスのやつはいったい如何なるつもりだ?」 


 ついさきほどのこと、ラグナヒルト宰相が居る王宮内の執務室には緊急の伝令が駆け込んでいた。

 その伝令が持ち込んだのは、コンスタンス男爵がベルディック男爵に与えられたはずのルーベンの町まで占拠したという報告。


 此度の領地の下賜かしについてはコンスタンス男爵とベルディック男爵の和解が条件であることを両者ともに了承したはず。

 その約束を反故にするなど、正気の沙汰とも思えない。

 たとえコンスタンス男爵とベルディック男爵との間に長年に渡るわだかまりがあったとしても、エルセリア国王ルベール3世の厚意に泥を塗った形。

 それに仮に裏でロレーヌ伯爵派に寝返っていたのだとしても、地理的に考えて援軍は望めないはずで、無謀な行動にしか思えない。今の状況でそんなことをすればたちまちのうちに捻り潰されるだけだろう。

 コンスタンス男爵の真意がどこにあるのか、ラグナヒルト宰相からしてもさっぱりわからなかった。


「コンスタンス男爵が動員できる兵士はたしか従士を合わせても300名前後であったな。万が一のことがあっても2個中隊ほど送れば対処が可能か」


 エルセリア王国軍の核であるタガトートス騎士団の中隊は200名前後での編成。

 その中隊が5つで大隊となっている。

 その上にさらに連隊もあるが、連隊レベルの兵を動かすとすれば国家間の争いだけだろう。

 いささか心もとない戦力差だが、大量の兵を送って王都の守りを手薄にしたくない。それに現地に赴けばベルディック男爵の兵も計算に入れられるはずだ。

 むろんラグナヒルト宰相としてもすぐさま戦闘を開始しようとしているわけではなく、コンスタンス男爵に使者を送って言い訳を聞いてからのことだったが。

 ただし、その返答如何によっては戦闘に発展するのもやむを得ない状況だとラグナヒルト宰相は判断している様子。

 マガルムークのような例もある。

 早めに禍根を取り除いておいたほうがいいと考えるのも無理のない話だった。


「一応ロレーヌ伯の動きも見張っておくか……」


 ラグナヒルト宰相が誰にともなくそう呟く。

 仮にロレーヌ伯爵がこの件に関わっているのだとして、いったい何をしようという気なのか?

 そこがまったく見えてこない。

 コンスタンス男爵が有する兵など、エルセリア王国軍にとっては恐るるに足らぬ存在。一時の陽動にすらならないはずだ。

 とはいえ、コンスタンス男爵の行動が意味不明過ぎて、ほかに意図があるとしか思えない。

 そんな懸念を抱えながらも、コンスタンス男爵に対して今回の愚行の理由を問いただす内容の書状をしたためるラグナヒルト宰相の姿があった。


 ◆


 セレネポート。

 いつからか、そして誰が呼び始めたのかもわからないが、港町ポートラルゴの北側にある新港を皆がそう呼ぶようになっていた。

 形式的にはストレイル男爵が治める土地でポートラルゴの町の一部ということになるが、旧市街と区別するための呼称がどうしても必要だったのだろう。

 ストレイル男爵やセレネ公国がその呼び方に異を唱えることもなく、ほぼ正式名称として定着しつつあった。


 現在そのセレネポートは商人の町といって良かった。

 遅ればせながらに駆け付けてきたエルセリアの商人。

 それにマガルムークからだったり、わずかながらもラーカンシアから噂を聞きつけた商会が入ってきている様子がある。

 ゴードウィン商会がセレネ公国の魔導船に助けられてから、おおよそ2ヶ月程度は経っただろうか。

 いまだゴードウィン商会の元には新型の魔導船が届いておらず、さすがのドラガンも焦りを感じ始めている様子だった。


 ほかの商会がすでに動き始めているからだ。

 連日何台もの荷馬車がセレネポートに到着し、翌日にはパンパンに荷物を積んだ状態で出発しているのを見て、ドラガンだって何か思うところがなかったわけじゃない。

 セレネ公国から立派な倉庫を何棟も貸してもらったというのに、ほかの商会の分を一時的に保管しておく中継倉庫になっているのが現状。

 まるでその分を丸々損しているみたいな気分だった。

 ロンやモースじいさんなんかは、あっしらいつの間に荷役夫に転向したんですかねと嫌味を言ってくる有り様。

 まあ、保管した分の手数料は入ってくるので、まったく儲けがないわけでもないのだが。

 それにそのおかげで搬竜車という荷物を運搬する魔道具の扱いにもだいぶ慣れてきている。 

 なにより、エルセリアの大商人たちと面識が出来るだけでも儲けものだろう。

 倉庫前でちょっとだけ世間話をした相手がフガート商会のミラーだったと後になって知ったときには腰を抜かしそうになったほどだ。


 だが、そのミラーから商人たちの会合への参加を求められたドラガンは現在弱り果てていた。


「ささ。ドラガン殿はこちらの席に」

「い、いえ。あっしは隅っこのほうで結構ですんで」


 そう言ってしきりに最前席の目立つ席を勧めてくるミラーと、必死になってそれを固辞するドラガン。

 いざ会合場所の倉庫の中に入ってみると、そこにはいくつものテーブルが並んでおり、すでに多くの商人たちが集まっている様子があった。

 代表者のほかにもう1名だけ連れてきていいと聞いているので、ドラガンはモースじいさんを連れてきたのだが、商人たちは優に100人以上集まっていそうな感じだ。

 おそらく現在セレネポートを訪れている商会のほぼすべてが集まっているのだろう。


 なにせフガート商会の呼びかけだ。

 断る商会もあまりないだろうな。

 そんなことを思いつつも、へいこらと頭を下げながら隅のほうのテーブルにドラガンが向かおうとした際、ミラーから声を掛けられたという状況。


 が、中央のテーブル席はどう考えても名だたる商人たちの集まり。

 その中にセレネポートで知己を得た商人の姿も見えたので、あそこのテーブル席には後で挨拶しに行ったほうが良さそうだななんてことを考えながらも、そこから一番離れた隅っこの席に座ろうとしていたところだ。

 それが何故かミラーから中央のテーブル席を勧められる始末。

 むろんゴードウィン商会がセレネ公国からの覚えがめでたいことが、そんな状況に繋がっていることはさすがに理解している。

 だとしても、とてもじゃないがあそこのテーブル席に座る度胸はドラガンにはない。

 ラーカンシア諸島連邦に置き換えれば、評議員とさほど変わらない面子だろう。

 ドラガンの頭の中ではボードウィンの天秤が左右へと振れ始めており、不穏な空気さえ感じる。

 そんなわけで逃げるように隅っこの席へと腰を落ち着かせるドラガンとモースじいさんの姿があった。


 その様子に若干の戸惑いをみせつつも、仕切り直したかのようにあらためて口を開くミラー。


「皆、よく集まってくれた。本日集まってもらったのはほかでもない。セレネ公国との今後の交易の在り方についてだ」


 そんなミラーの言葉にその場にいる一同が静まり返って耳を傾ける。


「現時点で各々が商売を始めていることとは思う。今この場に集まっている方々はいずれも機を見るに敏。商売人としての才覚に優れた方だと私は見ている」


 フガート商会のミラーといえば、エルセリアの商人でその名を知らぬ者がおらぬほどの人物。それどころかラーカンシアやマガルムークの商人の間にもその名が知れ渡っているほどだ。

 そんな人間から認められて気分を悪くする商人はこの場に誰ひとりとして居なかったに違いない。

 何人かは密かに頬を緩ませているような様子も見受けられた。 


「が、新たな市場ゆえ、これといった慣例もなく、ルールも定まっておらぬような状況だ。これほどの市場規模となると、いずれあちこちで問題が噴出するのは目に見えているのではなかろうか?」

「ふむ」

「まあ、それはそうでしょうな」

「たしかに。些細ないさかいなら現状でも起きていますからな」


 ミラーの言葉にしきにり頷きながら相槌をうつ、中央のテーブル席に座った商人たち。


「そこでだ。そういった様々な問題に対処するためにも、今この場でセレネポート商業組合の設立を提言したいと思う。簡単なルールの取り決めや、交易品の調整のためだ。これはストレイル男爵様やディアルガー提督様からもご許可を頂いている話になる」

「商業組合ですか? セレネポート商業組合ということはこの町に限定した話になるのでしょうか?」

「ええ。あくまで、セレネ公国相手の商売やここポートセレネを中継した場合の商売に限ります。これまでの商売に影響することはないので、そこは安心してもらいたい」

「ふーむ。確かに取り決め自体は必要かも知れませんな」

「よいではありませんか。我がジラート商会はミラー殿の提案に賛同いたしますぞ」


 まるであらかじめ筋書きが定められているかのようにテンポよく話が進んでいく。

 喋っているのはほぼ中央のテーブル席に座った商人たちで、その周りに居る商人は黙って話を聞いているだけ。

 そういうドラガンもいったいどのような成り行きになるのかと耳を傾けていたうちのひとりだった。


「というわけで、ご賛同いただける方はこの場でご起立願いたい。賛同するもしないも各商会の自由ですが、のちのち問題が起きても組合は関与しないことになってしまいますので、その点はご注意を」


 脅しとも取れるミラーの物言いだったが、この程度の脅しは当たり前のこと。結局は大商会が美味しい商売を持っていき、余り物を残りの商会でわけるのがこの世界の常識だ。

 組合などといっても公平性はあまりなく、組合に入らなかった商会が今後どのような扱いになるのかも目に見えていた。

 取り引きの邪魔をされたり、ちょっとした嫌がらせを受けることにもなり兼ねない。 

 そのことに文句を付けても始まらない。

 中央のテーブル席に付いた豪商たちが揃って立ち上がったことに倣い、ドラガンを含めすべての商会がその場で立ち上がっていた。


「お座りを。どうやら皆様にご賛同いただいたものと受け取って構わないみたいですな。では、現在を持ってセレネポート商業組合が発足したという形を取らせていただきます」


 会場に居る商人たちから大きな拍手が湧き起こる。

 大きな商会は心から歓迎している拍手。小さな商会のほうは渋々そうしているだけだったが。


「となると、まずは取りまとめ役を決めなければなりませんな。自薦、他薦を問いません。どなたかご意見はありませんか?」


 こんなものあくまで形式的なものだ。

 組合長にはフガート商会のミラーが推され、副組合長にはノーランド商会のガザムか、ジラート商会のジラート辺りが選ばれるだけだろう。

 隣に居る商人とわざとらしく顔を見合わせながらも会場に居る商人のほとんどが内心ではそう思っているはず。

 が、そのガザムの口からは思いがけぬ人物の名前が挙がっていた。


「ゴードウィン商会のドラガン殿でよろしいのでは?」

「うむ。ここはそれが自然な流れだろうな」

「そうですね。ドラガン殿以外にはこの大役難しいかと」

「なるほど、なるほど。このミラーもドラガン殿が適任ではないかと考えていたところです。ドラガン殿、ここはひとつ組合長の任を引き受けていただけませんかな?」


 明らかに中央のテーブル席に座る人物の間では打ち合わせ済みだとわかる、わざとらしいやり取り。

 そのやり取りに訳知り顔の商人が頷く様子もあった。

 が、会場に居る全員がそういうわけでもない。

 最近港町ポートラルゴにやってきた商人なんかは、ドラガンが誰なのかも知らないらしく、隣に座った商人にどんな人物なのかと聞き始める始末。

 が、一番わけがわからなかったのはドラガン本人だろう。

 ミラーからこんなことになるとはひと言も伝えられておらず、突然話を振られただけだ。

 そんなドラガンの顔には明らかに驚いている様子があった。


「へ? あ、あっしですかい?」

「ええ。セレネポート商業組合はドラガン殿にまとめていただくのが一番かと」

「いやいや。い、いったい何を仰っているんですかい。ミラー殿が組合長になるのが筋でしょうが」

「私よりもドラガン殿のほうが適任だと皆申しておりますが? もちろん私もそう思っていますよ」

「そ、それにあっし、いや私はですね、まもなくラーカンシアへ赴かなければならない仕事を抱えておりまして」

「ドラガン殿がお忙しい身なのはこちらも重々承知。そこを何とか引き受けていただきたい」

「忙しいと言うか……。そもそもが組合長なんていう立派な役職に付けるほどの人間ではございませんし、そんなものに一度もなった経験がなく」

「ドラガン殿やほかの方に異論がなければ、不肖このミラーがドラガン殿を補佐したいと考えています。それでもご不満でしょうか?」

「不満などとは滅相もない。しかしながらですね……」

「半期に一度ほどの会合に顔をお出しになり、組合の方針を決定していただくだけでも構いません。そこで決められた方針を元に我々で力を合わせセレネポート商業組合を運営してまいりますので」

「そ、そんな……」


 この決定は譲れないとばかりにミラーが語気を強める。

 その威圧的な態度に何かしら嵌められようとしているのではないかと疑うドラガン。

 商売人としてはたいした実績もないし、ちょっと前までゴードウィン商会は風前の灯火だったぐらいだ。

 自分がそんな器ではないこともわかっている。

 セレネ公国と繋がりが出来たのもただ幸運だっただけで、自分から何かしたわけじゃない。


 ボードウィンの天秤が頭の中で激しく振れる。

 まるで口答えは許さないとばかりに何とかドラガンに組合長の座を押し付けようとするミラーに、ドラガンは黙ってその場に立ち尽くすことしか出来ないでいた。

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