115 欺瞞と虚言
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「正体がバレたというのに、貴様らのことを処分もせずに治療をしたあとただ開放しただと?」
冷ややかな視線が奴隷たちの上に突き刺さる。
イザベラとカーラ、そしてムイスの3人はその場に平伏し、ロジャーの口から発せられる言葉に肩を震わせていた。
屈辱もあるのだろう。
力を持つ者に従わざるを得なくなるのはイザベラたちとて理解していることだったが、数ヶ月前までロジャーは闇の使徒ですらなく一介の商人。
ロジャーが貴人に気に入られていなければ、このように従う理由すらなかったはずだ。
闇の使徒の上下関係を決めるのは内包する闇の濃さ。
邪神ザルサスに仕えた年数が何の意味も持たないこともわかっている。
とはいえ、闇に落ちるような人間は元々が傲慢な性格の持ち主ばかり。それに内包する闇の濃さが今後ずっと同じというわけでもない。
イザベラたちがロジャーに心酔して仕えているかといえば、けっしてそういうわけでもなかった。
「は、はい。端的にいえばそういうことになります」
「聖女の祝福とやらのせいで貴様らが呪いにかかった以上、手元に置いておくのは危険だと判断したのは私にもわかる。だが、少々おかしくないか? 関係ないミューズとドナのふたりはやつらの手で殺されたのだろう?」
「それはミューズとドナのふたりが私たちの制止を振り切り、セレネ公国の人間と敵対したせいかと。それとミューズが殺られたのは直接この目で確認していますが、ドナがどうなったかまでは……」
「相手側に連れていかれたのなら同じことよ。だが、何故だ。一度は開放しておきながら、その後向こうから接触してくる意味がどこにある?」
「そ、それは……」
「まさか貴様ら、我らのことを裏切っているのではなかろうな?」
「お、お待ち下さい、ロジャー様。けっしてそのようなことは。私たちは運悪くイシュテオールの呪いを受けてしまっただけで……」
「そこはまあ仕方ない。問題は貴様らが見逃された点だ。普通に考えて、セレネ公国にとって何か利するところがあったとみるのが妥当だろう。ほかの5名をそのまま放置しているのもわけがわからん」
「残りの者は人質になったということでは?」
「馬鹿を言え。やつらにそのような価値などあるものか。ドナとミューズ以外の者が皆裏切ったというなら、このような事態になったのも頷ける話だがな」
元々捨て駒にする気でいたのか。
どうやらロジャーはイザベラたちだけ無事に戻ってきたという事実が気に入らないらしい。確かにイザベラたち3名は助けたというのに、ミューズとドナを始末したというのは不自然に思える成り行きだ。
それに残りの5名については、まるで気にもかけていないかのように放置したまま。
「ち、違うのです。実をいえばロジャー様が今お疑いのとおり、私たち3人を助命する代わりにミューズとドナのふたりを差し出せと、セレネ公国から取り引きを持ちかけられていたのです。私たち3人はやつらの言うことを聞くフリをし、情報を集めようとしただけで……」
ロジャーの疑いの眼差しに慌てて弁明を始めるイザベラ。
どこかおかしいとイザベラ自身も感じていたし、ロジャーに疑われるだろうこともわかっていたので、ここに来るまでどう説明すれば良いものか悩んでいたところだ。
エルパから聞いた話を鵜呑みにするわけにもいかない。
かといって、セレネ公国の目的が何なのか、イザベラには説明のしようがなかった。
「ミューズとドナを引き渡すように持ちかけられていただと? そんなこといちいち貴様らに断らずとも済む話だろう」
「私たちというより、奴隷を勝手に処分した結果ロジャー様がお気を悪くしないかと考えたのでは?」
「ふんっ。この私に配慮したというのか? だが、そもそもどうしてそうなった?」
「ドナとミューズのふたりはポートラルゴで身勝手な行動を取っていたため、やつらの癇に障ったのかと」
「まあ、見せしめのために殺すというのは貴人ならやりそうなことではあるな。わざわざお前たちの目の前でふたりを殺ったことにしても、脅しと考えれば一応は筋が通るが……」
「或いはこちらの実力を測るためだったのかも知れません」
「セレネ公国が話を持ちかけてきたのは、そのふたりのことだけか?」
「それが……。おかしな魔道具を渡してきて、しばらく経ってからそれを使ってセレネ公国に連絡を入れろと」
「それで?」
「私たちも頷くしかなかったのです。セレネ公国とは敵対するなと命令されている以上、私たちに選択権はなく」
「だが、それで貴様らに二心がないことを、どうやって証明するつもりだ?」
「私たちがロジャー様を裏切ろうとしているのならば、こうして洗いざらいお話しするはずがないではありませんか。そもそもザルサス様の目はけっして誤魔化せません。ロジャー様とて、そのことはご存知のはずでしょう」
欺瞞や虚言はザルサス様の好むところ。
多少話さなかった部分があるとしても、それだけで裏切りに繋がるわけではないこともイザベラは充分に理解していた。
そもそもセレネ公国側にも貴人が存在しているのなら、ザルサス様を裏切ったことにはならないはず。
エルパという闇の使徒の圧倒的な力を見せつけられたのだ。
どちらの陣営にもおもねっておいたほうが賢明だという判断をこの場に平伏している闇の使徒3名は下していた。
「ふんっ、どうだかな。まあ良い。それでその魔道具とやらは?」
「どうやら場所がわかる魔道具のようです。この場に持ってくるのは危険かと思い、念のため普段使用していない隠れ家に置いてきました。それでもロジャー様が持ってこいと仰るのなら持参いたしますが」
「くっ。ディアルガー提督や相手側の貴人の意図がいまいち掴めぬ。が、どうやら完全に敵視されているわけではなさそうだな。となると、こちらの計画にそれほど支障を来すこともないか。そもそも相手側の支配者も貴人だとすれば、何を考えているかなど我らの理解が及ばないところか……」
完全に納得したわけでもなさそうだったが、この分なら裏切り者として処分される事態だけは避けられそうだ。
そもそもが聖女の登場というイレギュラーな事態が起きたせいだが、イザベラたちの失態であることも間違いない。
そのわりには上手く言い逃れできたと、ひと安心するイザベラ。
今はこれで良い。
見方によってはセレネ公国側の貴人と繋がりができただけだ。
すぐに裏切る気はないが、力の強いほうに付くのは闇の使徒としては当然の選択。
それはイザベラだけではなく、カーラやムイスも似たような気持ちを抱いているはずだ。
そんな考えが頭に浮かんでいたイザベラは思わず顔がニヤけそうになるのを必死にこらえていた。
◇
セレネ公国の屋敷の庭。
現在そこには簡易的なガーデンテーブルが設置されており、つい先日俺の婚約者になったばかりのエレナが膝の上に孫六を抱きかかえながら椅子に座っている姿があった。
孫六が大人しくエレナの膝の上に座っているのは、目の前のチーズケーキに釣られているせいだろう。
その反対側ではシャーラがルカルナの膝の上に座り、ルカルナの手で同じくケーキを食べさせてもらっているようだった。
ルカルナとエレナは今日が初対面だったはず。
それにしてはまるで古くからの友人同士だったかのように楽しくお喋りしている様子がある。
おそらくお互いに気があったのだろう。
一夫多妻が当たり前の世界だって嫉妬深い女性は存在するはず。
が、俺とエレナが婚約したことはルカルナだって当然知っているはずなのに、そんな様子を一切見せていない。
まあ、平民と貴族の娘では身分が違い過ぎて、そういう感情が湧かないだけかも知れない。俺としては余計な揉め事が起きなくて助かっているが。
そんな様子を俺は屋敷の中で、バルムンドからの報告を聞きながらぼうっと眺めていた。
報告の内容はロジャーと邪教徒たちによる会話や捕まえたドナの様子だ。
いかにも何かありそうな感じで手渡した魔道具のほうはダミーで、そこに何か意味があるはずだと勘違いさせようとしているだけ。
会場で倒れた人物についてもそうだ。
そいつらを追跡調査しようとしているのもまた事実だが、そこまで重要視している情報でもない。
イザベラたち3名には治療の際にNBSが投与されてあり、彼女らの視覚や聴覚を通して相手側の会話を常時盗撮中。
まあ、下っ端に過ぎない邪教徒に重要な情報をベラベラ喋るとも思えないので、何か掴めることがあればいい程度だが。
結局のところ、これらは目くらましみたいなもんで、こちらの意図を掴ませないようにするために色々と仕組んでいるだけ。
どちらかといえばドナから得られる情報のほうが有益だろう。
現在格納庫内に隔離しているドナは、いささか非道なようだが実験体としての扱いをしている。
ドナに関してはこのまま開放する気がないので、イザベラたち3名にしたようなVR空間での体験ではなく、治療を施したあと普通に隔離部屋に閉じ込めている。
ウーラアテネ内部の設備も一切隠していない。
そこでドナに命令を下し、色々とやらせている状況だ。まだ始まったばかりなので、情報らしい情報は入手していないみたいだが。
まずは能力の確認。
氷のギフトでどの程度のことが出来、どれほどの頻度で発動できるのか、またそのときのバイタルの状態や、魔法との関連性を調べるために周囲のマナの様子を調べたりと、ひと通り確認するつもり。
その確認が終わったら、次は洗脳して邪神ザルサスのことを無理やり裏切らせ、イシュテオールへの帰順が可能かどうかの実験だ。
イザベラたちに貴人の名前やザルサス関連の情報を問いただそうとした際には、突如イザベラが苦しみ始めたために中断。が、今回は極限まで追い込むつもりでいる。
とはいえ、洗脳するといってもそれほど簡単なことじゃない。
本人の意志に反した行為をさせることは相当難しく、言動や思想をすべてこちらの思いのままに操れるわけでもない。
あくまで思考を誘導するだけで、完全に成功するとは限らない話だ。
俺も最初は、いくら邪教徒だとはいえそのような実験は非人道的ではないかと考えていた。
そもそもこの争いはこの世界の住人の問題。
部外者である俺やセレネ公国は傍観者を決め込んだほうがいいと。
そういう理由から邪教徒の処遇に関しても二の足を踏んでいたわけだが、ラウフローラに指摘されて考えを改めている。
邪教徒の手がセレネ公国にも伸び始めている現状、部外者だなんてことも言っていられない。
どちらのほうが正しいかにかかわらず、邪魔者は排除するだけだ。
もちろん相手側が敵対行動を取ってきた場合を考慮しての話で、こちらから何か仕掛けるためにやっているわけではなかったのだが。
庭のほうから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
エレナは明日ジークバード伯爵と一緒にリンガーフッドへ帰る予定だと聞いている。
婚約直後はしばらく外出を控えるのが慣習だからだそうだ。
あのエレナが大人しくしていられるのかは疑問だが。
俺はバルムンドからの報告を聞き流しながら、生まれて初めて出来たそんな婚約者の姿を眺めていた。
◆
弦楽器が奏でる優雅な調べが大広間を賑わせていた。
いくつも並べられたテーブル上にはこの土地の名物であるグラン・オーロックステーキを初め、美味しそうな料理の数々が置かれており、客たちがすべて食べ切る前に給仕が現れて出来立ての料理と取り替えていく。
最近マガルムーク貴族たちの間で流行り出したセレネ公国産の高級ワインも、まるで安酒のようになみなみと客たちのグラスへ注がれていた。
この料理や酒だけでいったいいくらぐらい費用は掛かっているのだろうか?
列席者の中にはそんなことを考えている者も絶対に居たはずだ。
さすがは名門。落ちぶれたといっても、まだまだこれだけの力を誇っているのか。
――改めてグラン家をそう見直した者も数多く居そう。
むろん、これがただの祝宴ではなく、ルメロ王子とアンドリュース伯爵の娘、クリスティーナとの結婚披露宴だったために、アンドリュース伯爵がかなり無理をして散財したのだろうとは考えていたが。
だが、実際のところアンドリュース伯爵の懐はまるで傷んでいない。
今回の披露宴の費用のほとんどは実はベルナルド商会が捻出しているからだ。
記念品として来賓客に渡される予定のチョコレート菓子も、磁器製の花婿花嫁をあしらった彫像も全部ベルナルド商会が用意したもの。
そんなこととは知らない来賓客たちは、いまだグラン家の威光が衰えていないことに驚いている様子だった。
いや、むしろ今マガルムーク国内において、これだけの披露宴を催せる貴族がどれほど居るものか?
列席者のほうもそうそうたる顔ぶれだ。
シアード王子やシアード派の貴族は形ばかりの名代を寄越した者も多いが、それ以外の派閥は当主本人が列席している貴族家も少なくない。
マガルムークの内乱を収めたのはシアード王子。
一応名目上はそういう形になっているが、ルメロ王子の活躍は隠しようもなく、ルメロ派という新たな勢力がマガルムークに存在するようになったのは周知の事実だった。
中でもその筆頭と目されているのが、ジュリアス・フォート・ジェス・マガルムーク公爵。
現在はまだ病気が快癒していなかったため、ジュリアス公爵本人はブルーム城で療養中とのこと。が、その息子であるポール侯爵がジュリアス公の代わりに列席している姿があった。
王都ドガを奪還したあと、地下牢に幽閉されていた貴族たちなどはそっちのけで、財宝の確保に向かったシアード王子と、少しだけ遅れて王都ドガに到着するやいなや、すぐさまポール侯爵やほかの貴族たちの救出に向かったルメロ王子。
どちらの評判が良かったかといえば、俄然ルメロ王子のほうだ。
特にポール侯爵の場合は救出された後すぐ母親であるロザーナ夫人と一緒にジュリアス公が待つブルーム城に送ってもらったことや、ジュリアス公爵の病気を治療してもらったことで、ルメロ王子に対して強い恩義を感じている様子。
まるで臣下の礼を取るように恭しくルメロの結婚に対して、祝辞を述べるポール侯爵の姿がグラン城の大広間にはあった。
「ルメロ殿下、それにクリスティーナ夫人、このたびはご成婚誠におめでとうございます。我が父、ジュリアスも殿下のご成婚をこの場に赴いて祝えぬことをしきりに嘆いておりました。いまだ療養中のため、列席できぬ非礼を許してほしいとのことです」
「ポール卿、ありがとう。その後の叔父上のお加減はいかがでしょう?」
「お陰様で快癒の方向へ向かっています。ただまだひとりで立ち上がれるほどの体力がないみたいですが。本人はもう大丈夫だと寝所から抜け出そうとして、アンソニー師から怒られている始末ですよ」
「ははは。叔父上らしいな」
侯爵といっても1代限りの名誉的な儀礼称号で、ポール侯爵自身はそこまで権力を持っているわけではない。
が、父親のジュリアス公爵の存在も含め、派閥とはいかないまでも付き従う貴族はそれなりに居た。
それらの貴族のほとんどがいまやルメロ派に属している。
そういうわけでマガルムーク国内におけるルメロの存在はだんだんと無視できぬものになりつつあった。
そんなふたりの横で淑女らしく余計な口を挟まず、ただニッコリと笑顔を浮かべているだけのクリスティーナ。
民衆からイシュティール教とはまた違った意味で聖女と崇められている彼女の存在も今のところはルメロの評価を後押しをする形になっていた。




