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113 生贄

 ミューズが振るったハンドアクスが何もない空を切る。

 まるで背後にも目が付いているかのように、エルパはあっさりとミューズの攻撃を躱していた。


「くそっ。満足に囮も熟せねえのかよ。こんなことならドナがやられるまで待って攻撃するべきだったな」


 ミューズとしては自信たっぷりの奇襲だったに違いない。

 その奇襲に勘付かれてしまったのは、攻撃が届く直前にドナがキョロキョロと辺りを見回したせいだと考えたのだろう。

 そのまま滑るように地面へと着地したミューズの口からはドナへの悪態が漏れていた。

 が、事前に示し合わせたわけではないこともわかる。

 ミューズの口ぶりからして、ドナを捨て駒にしても構わないぐらいには思っていそうな感じだ。

 おそらくお互いの間に仲間意識など皆無なのだろう。それにミューズの冷酷さもうかがえる台詞だった。


「なんだよ。いきなり攻撃してきて。ははあ、なるほどねえ。実はあんたらのほうが物取りだったってわけかい。か弱そうな美女が3人も居たんで、すっかり騙されちまったよ」


 が、ミューズという新手の登場にも、エルパはおどけた調子でそんな言葉を口にしただけ。

 その余裕な態度にドナの背筋が一瞬で凍り付く。

 自分の攻撃がまったく通用しなかったことについてもそうだし、ムイスがあっさりやられてしまったことについてもそうだ。

 ムイスの能力は完全防御。

 能力を発動したあとは丸一日ほど能力を使えなくなるはずで、けっして無敵というわけではなかったのだが、1分の間どのような攻撃も効かなくなるはず。

 それなのにあのザマだ。


 それがどうしてなのかドナには見当も付かなかったが、エルパという男は明らかに自分たちよりも格上の存在。

 いや。そうとは気付かなかっただけで、よもや貴人だったのでは?

 そんな恐ろしい予想がドナの頭の片隅をちらついていた。


「ちっ。ふざけやがって」


 が、そんなドナとは違い、ミューズのほうはまだエルパのことを甘く見ている様子。

 手にしたハンドアクスを振り下ろすような仕草をその場で見せたかと思うと、ミューズの身体が突然宙を舞い、エルパに向かって飛びかかっていた。


 あきらかに物理法則を無視した動きだ。

 その動きにエルパが一瞬だけ驚いたような表情を見せる。

 が、攻撃としては単調でそれほど早くもない。

 そのせいだろう。横っ飛びしただけで難なくエルパはミューズの攻撃を避けていた。

 しかし、エルパの頭上を飛び越え反対側の地面に降り立ったミューズがすかさず反転し、今度は逆方向からエルパへと襲いかかる。


「ぎゃあああああああああ」


 と、ミューズのハンドアクスが深く皮膚を抉り、真っ赤な鮮血がその場に飛び散る。

 といっても、ハンドアクスの攻撃が当たった相手はエルパではない。

 ふたりの戦闘にほかの奴隷が巻き込まれる形になっただけ。

 地面の上を転げ回り、痛みにもだえるドナ。

 ミューズとエルパが少しだけ距離を置いて対峙しているその横で、ドナの口からは悲痛な叫び声が上がっていた。


「おいおい。ドナはあんたの仲間だろ? 同士討ちってのはちょっと俺の予定になかった話なんだが……」

「ちっ。そいつがぼーっとしていたのが悪い。っていうか、お前がなんでこいつの心配なんかしてんだよ」

「そいつはちょっとだけ事情があってね。んー、それにしてもマズったな。実験材料はどちらかといえばドナのほうが良かったんだけどなあ」 

「実験材料? いったい何の話だ?」

「いやまあ、こっちの話だから気にしないでくれよ。おい、ミクス。急いでこっちに来てくれないか。予定外の怪我人を出しちまった。肩口から30センチメートルほどの挫創ざそうで、出血は有り。要救急処置ってところだな」

「はんっ。近くに仲間が潜んでいるフリでもしてるのか? そんな嘘でこの場をやり過ごそうっても無理な話だぜ。この付近に居るのがお前ひとりだけだってこともこっちは確認済みなんだからな」


 馬鹿にしたようにエルパにそう吐き捨てるミューズ。

 が、そんな言葉などまるで耳に入っていなかのように独り言を呟くエルパの姿があった。


「うーん、そうだな。お前のほうはもう用済みってことでいいか……。ドナと違って能力のからくりがどんなものか見当が付いたし、危険度のほうも無視していいレベルだったからな」

「は? な、何をわけのわからないことを」

「すまんが、実験材料はひとりいれば充分ってことだ。ドナの真似をするのなら、これであんたとはさよならってわけさ」


 そう言い放つと同時に手にした木の棒を力任せにミューズへと投げつけるエルパ。

 エルパが手にしている武器がもし剣や槍だったのなら、ミューズももう少し注意を払っていたかも知れない。

 が、どうみてもそこら辺に落ちているような木の棒でしかない。

 ただヒュンという風切り音が聞こえただけ。

 何かが自分の頭部を貫通したあとも、何が起きたのかミューズ自身はまるで理解できないままだった。


 そのままバタンと地面に崩れ落ちるミューズ。

 ドナが痛みでのたうち回っていなければ、その光景を見てあらん限りの叫び声を上げていたに違いない。

 そんなミューズと入れ替わるように空高くから何かが降ってくる様子もあった。

 その人影がエルパに向かって何ごとか話し掛ける。


「あーあ。せっかく手に入れた素体を無駄にしちゃってさ。おいらは知らないからな」

「だってよお。こいつってば、せっかくいい感じになりかけたドナの身体を傷物にしやがったんだぜ。こんなんじゃあ嫁にもらう価値がなくなっちまうだろ?」

「何言ってんだよ、エルパ。悪ふざけのし過ぎだって。そもそもふたりとも連れていく予定だったと思うんだけど?」

「いやいや。確保が難しそうなら、実験材料はひとりで構わないって言われてんだわ。そこはお前の判断に任せるってな。そういうわけなんで、何も問題がないはずだ」

「どこかにちょっとでも難しい要素があった? まあ、ある程度果断な決断をする方針に変更するってのはおいらも聞いているけどさ。うーん、ひとまずはこれでよしっと。この子は眠らせておいたからね」


 突然空から舞い降りてきて、ドナのことを治療しながら呑気にエルパと話し始める少年。

 その顔の両脇には尖った耳がふたつ付いており、幼い見た目にもかかわらず顔中が毛むくじゃらで、どことなく愛嬌のある顔だちをしていた。

 身長は1メートル20センチか30センチぐらいとエルパよりだいぶ低く、顎髭さえなかったらエルパの弟か親戚辺りだと思ったに違いない。

 が、あきらかに種族が人間ではないとわかる肌の色。

 それはこの世界のゴブリンと呼ばれる魔物に近い肌の色だった。


「ああ。この後はあいつで連れていくんだろ」


 エルパが空を見上げてそう尋ねる。

 奴隷たちの視力では気付かないようなはるか上空にミクスが乗ってきたエアバイクが停止していたからだ。


「うん。おいらには警備の仕事もあるんで、あまり長時間離れていられないんだよね」

「だろうな。まあこっちは俺ひとりでも大丈夫なんで、この女のことをよろしく頼むな」

「了解。残りの人間は間違っても始末しないようにね」

「わかってるよ」


 そう言ったかと思うと、負傷したドナの身体を持ち上げようとするミクス。

 いくらドナが小柄だといっても、ミクスに比べればだいぶ大きい。

 そんなドナを軽々と肩に担ぎ上げだミクスが、そのまま飛び跳ねるようにしてその場から去っていく。

 さすがにこの場でエアバイクに乗るわけにはいかなかったのだろう。

 はるか上空ではそんなミクスを追うように無人のエアバイクが移動する様子も見られた。


「ムイス。全部済んだからもう起き上がってもいいぞ。それにイザベラとカーラも姿を現してくれ」


 と、そんなミクスの後ろ姿を見送ったエルパが、何故か今度はさきほど自分が倒したはずのムイスに声をかけていた。


「やれやれ。終わったのか?」


 エルパの言葉にゆっくりと起き上がるムイス。

 そんなムイスには少しもダメージを負った様子がなく、今のやり取りからすればさきほどの戦闘もすべて演技だったことがわかる。

 ムイスだけじゃない。

 カサカサと茂みを揺らしながら姿を現したイザベラとカーラにも、エルパと敵対するような様子はまるで見られなかった。

 エルパと3人の奴隷が顔見知りだったかどうかは不明だが、少なくともこの場でそういうことが起きるということはあらかじめ知っていたはずだ。

 そして聞かされていた段取りに従った行動を3人が取っていたこともほぼ間違いない事実だった。


「ミューズ……」


 物言わぬ屍となってしまったミューズの姿を見たのか、イザベラがぼそりとひと言だけそう呟く。

 ドナのことについて触れようとしなかったのは、彼女がこれから辿るであろう境遇を知りたくなかったせいだろう。

 自分たちがミューズやドナをこういう運命に追いやったことに自責の念があるわけではないが、イザベラとしてはあまり気分のいい話ではなかったのかも知れない。


「さ、さっきのあれはいったい?」


 そんなイザベラの隣でカーラが震えながらエルパにそう尋ねる。


「ん? あれってなんだよ?」

「ゴ、ゴブリンよ。さっき人間の言葉を喋るゴブリンがここに居たでしょ?」

「ああ、ミクスのことか。あいつはブラウニーという種族の亜人だ。カーラはこれまでブラウニーを見たことがないのか?」

「あれが亜人……」

「カーラ、セレネ公国の方に失礼よ。それより、エルパさん。これで借りを返したと思ってもいいわよね?」

「ああ。だが、まだ半分くらいだな。お前たちの命の代償としてはちっと安すぎると思わないか?」

「そんな! や、約束が違うわよ。奴隷たちの中で戦闘向きの能力者を差し出せば、私たち3人の命を助けるっていう約束だったじゃない」


 実はイザベラもカーラも草むらに隠れた状態で、ミューズが殺される場面をその目でしっかりと見ている。

 そのせいで目の前に居るエルパという男が急に恐ろしくなったのだろう。

 かといって、何も言わずにはいられなかったのかも知れない。

 ブルブルと震えながらも抗議の声を上げるカーラの姿があった。


「そう息巻くな。ちょっとだけあんたらに頼みたいことがあるだけだ」

「頼みとは何だ? ロジャー様のことを裏切って、そちら側につけという話なら以前話したとおり無理だぞ」

「そういうんじゃないから安心しろ。ただのお使いみたいなもんだよ。ほれ」


 そう言ってエルパがイザベラに何かが書かれた紙と魔道具のようなものを差し出す。


「ボーフム男爵、ロミナー騎士爵……。これは?」

「お前たちと同じく記念式典の会場で倒れた人物のリストだな。もし機会があれば、あんたらにこいつらと接触してほしいってわけだ」

「は? 何故、私たちにそんな真似を……」

「もしかしてこちらの闇の使徒の情報を流せってことか? そういうことならお断りだ」

「早合点するな。単なる確認作業だ。イシュテオールの波動を受けた者が、その後どのような経過を辿るのか、調べているだけだからな」

「あなたたちならあれにも完全に対処できるんじゃないの? まさか私たちの身体も一時的に良くなっているだけで、また具合が悪くなったりするわけじゃないわよね」

「さあな。正直なところ、そこらへんはあまり保証できないな。イシュテオールの呪いがいつまで続くのか、俺たちだって完全に把握しているわけじゃないんでね」

「くっ……。忌々しい呪いね」

「いずれにせよエルパさんの頼み事とやらはちょっと難しいかもね。だって知らない人間がほとんどですもの」

「そういう機会があればという話なんだ。それにそのリストの人物と会って2,3会話するだけで構わない。これなら裏切ったことにはならないだろ? 報酬のほうも出すしな。ちょっとした小遣い稼ぎみたいなもんだろ」

「ほう……」


 ムイスは今の話に俄然興味を持った様子。

 ムイスとしてはロジャーを裏切ることにならないという話なら、仲間などいくら売っても構わないとさえ考えている。

 そのうえで報酬をもらえるという話なのだからあまり断る理由もなかった。


「それで仮にその人物と接触したとして、どうやってあなたに連絡すればいいわけ?」

「その魔道具の丸い部分を押せば、あんたらの居るおおまかな位置がこちらに伝わるようになっている。手が離せない状況でなければ、この俺が2,3日中にはその場所へ向かうはずだ」

「そう……。便利な魔道具ね」

「どうだ、頼めるか?」

「もしこの話を断ったら?」

「そのときにはあんたらとの約束はすべてなかったことになる。それがどういう意味か、わかるだろ?」

「なっ。私たちのことを脅す気?」

「おいおい。あんたらの命を助けてやったのはどこの誰だと思ってんだ? これぐらいの頼み事は聞いてくれて当然だと思うが?」

「わかったわ、エルパさん。でも、接触する機会があればという話なのよね?」

「まあな。こちらとしてはそこまで差し迫っている問題でもない。期限を設けたりもしないんで、ある程度あんたらの都合に任せるさ」

「そういうことね……」


 何となく納得のいかない顔を浮かべるイザベラ。

 今のエルパの説明はどことなく不自然だったような気がする。

 わざわざ自分たちにやらせようとしていることにしてもそうだ。

 とはいえ、さきほどのような一方的な戦闘を見せつけられたあとでは無下に断ることなどできない。

 そんなわけでイザベラとしては黙ってエルパの言葉に頷くしかなかった。


「そんじゃあ頼んだぞ。これでもけっこう忙しい身でね。俺にはほかにも片付けなければならない用事がたくさん待っているんだわ」


 それだけ言って、やって来たときと同じ道を戻っていくエルパ。

 その姿がいち早く消えてくれることを願っている3人の奴隷たちの姿が、日が落ちかけたうらぶれた街道にあった。

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