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112 騙し合い

「おいおい。あんたら、なんか殺気立ってねえか。まさかとは思うが、俺のことを物取りの類いだと勘違いしているんじゃないだろうな? 勘弁してくれよ。ほれ、ご覧のとおり武器ひとつ持ってないんだ」


 そう言って回転するようにひらりと身を踊らせるエルパ。

 その言葉どおりとまでは言えなかったが、エルパは背中に1本の木の棒を背負っていただけで、剣や槍のように殺傷力の高そうな武器は一切身に着けていなかった。


「あっ、こいつは違うぜ。魔物に襲われたとき用だからな」


 そんなエルパの姿を見て、改めて警戒の色を強くする奴隷たち。

 といっても、エルパの背中に見える木の棒が脅威として映ったわけじゃない。

 あれだってけっして武器にならないわけではないが、暗殺者が使う武器としてはいささか物足りないような気がする。

 そんなことより、エルパがろくに荷物を持たずに旅していることのほうに奴隷たちは違和感を覚えていた。


 食料が入っていそうな背嚢を背負っているわけでもなく、旅道具が入った鞄も腰に見当たらない。

 いくら無謀な若者でも、こんな軽装で旅をしようとは思わないはずだ。

 となれば、エルパに何か別の目的があって接近してきたのではないか。

 いかにも怪しんでくれと言わんばかりのエルパの格好に、奴隷たちがそう考えたのも自然な話だった。

 そもそも自分たちと同じギフト持ちだとすれば、武器を所持しているかどうかなど、あまり関係のない話だったが。


「あら、いいわよお。途中までならねえ。といっても、私たちはこれから休憩するところだけどお」


 が、ほかの奴隷たちが明らかに警戒している様子とは異なり、小柄な巻き毛の女の口からはそんな呑気な言葉が発せられる。


「ちょっと、ドナ。まだ休憩すると決めたわけじゃないわよ」

「えー、いいじゃない。そろそろ日が沈む頃合いだもの。ちょっと早いけどお、野営の準備をしたほうがいいと私は思うのよねえ」


 イザベラとしては完全に日が落ちる前に分岐点ぐらいまでは進んでおきたかったみたいだが、ドナの言葉に渋々ながらも頷く様子を見せる。

 ドナがエルパに対して何か仕掛けようとしているのが見て取れたからだ。

 ロジャー様からはこちらから仕掛けるなと命令されているが、相手がこちらをやる気でいるのなら、悠長に構えていられないのが現実だ。

 黙って相手にやられるなんてことは、この場に居る誰ひとりとして考えていなかったに違いない。

 そもそもエルパはセレネ公国の人間だと名乗ったわけではない。何も知らなかったと白を切れば、それで済む話だった。


 問題は勝てるかどうかだが、エルパからは貴人特有の禍々しさを感じない。

 それならば充分勝算の見込める相手のはず。

 それはドナも感じていることのようで、不意打ちをすればどうにでもなる相手だと考えていそうな雰囲気がある。

 その結果どのような展開になろうとも、イザベラとしてはドナの行動を止める気がなかった。

 ムイスとカーラも同じ考えらしく、3人で目配せしたあと、諦めたように言葉を発するイザベラの姿があった。


「仕方ないわね。予定より少し早いけど、今日はここで野宿することにしましょうか」

「うむ。そうだな」

「イザベラ。ここで休むのはいいんだけどよお。俺はこいつのことをあまり信用してないんだが……」


 ミューズのほうはエルパの合流に否定的な様子だったが、本心とは少しばかり違うような気がする。

 ドナのみならずミューズまであっさりとエルパのことを受け入れてしまえば、逆に疑われ兼ねない。少しぐらいは疑ってみせたほうが自然ではないかと考えたのだろう。

 そんな具合にミューズが何も気付いていないフリを装い、相手の油断を誘おうとしているのはイザベラもよく理解していた。

 どのみちイザベラとしては予定どおりの行動を取る以外に選択肢はなかったのだが……。

  

「わかってるわ。たしかあなた、エルパとか言ったわね。あなたがこの辺りで休むのは勝手だけど、あまりこちら側に近寄らないでくれる?」

「ん? どうしてだよ。せっかくこうして偶然にも巡り合ったんじゃないか。そんなつれないことを言わずに、楽しくお喋りでもしようぜ」

「悪いけどそんな気分じゃないの」

「私はお喋りしてもいいわよお。エルパがどんなところに住んでいるのか興味があるし、どうしてひとりきりで旅をしてるのかも知りたいからねえ」


 ドナが良く使う手だ。

 あんなふうに男の興味を惹きながら寝首を掻くのが得意で、そのことに興奮する性質の持ち主がドナという女だった。

 そういう状況を作り出すためなら自分の身体を餌にすることすら厭わないので、たいていの男はコロッと騙されてしまう。


 が、相手は闇の使徒である可能性が高い。

 となれば、ドナが何か企んでいることなどすでに察しているのかも知れない。

 それにドナの攻撃が通じるかどうかもまだわからないのだ。

 一瞬で方が付くようなら問題ないが、もしそうならなかった場合にイザベラまで戦闘に巻き込まれるのは御免だった。


「それじゃあ私は薪になりそうな枝を集めに行ってくるから。そうね、カーラも私と一緒にきて枝を集めてちょうだい」


 戦闘が得意なドナとミューズ、そしてムイスにこの場を任せたほうがいい。

 そう判断したのか、イザベラはほかの3人にそう言い残すと、カーラと一緒にそれとなくこの場から離れることにした。


 ◆


「へええ。エルパってリンガーフッドの出なんだあ。あそこって、けっこう都会なんでしょお?」

「そりゃあまあ、なんと言ってもあそこはジークバード伯爵のお膝元だからな。人も多いし、最近はセレネ公国から色々な品が入ってきているせいで、商人が運んできた珍しいもので溢れ返っている状態さ」

「そうなんだあ」

「もしかしてドナってこれまで一度もリンガーフッドを訪れたことがないのか?」

「実はそうなのよねえ。今度エルパが連れていってくれる?」

「おう。任せとけ。ドナを連れていって色んな場所を案内してやるよ」


 ほかの者たちから少しだけ離れた草むらの中。

 まるで恋人のようにピッタリと身体を寄せ、エルパの腕に抱きついて会話しているドナの姿があった。

 イザベラとカーラは薪になりそうな枝を探しに行ったし、ムイスとミューズも野営の準備で今は忙しいはず。

 そんな4人にはばかることなく、ふたりきりの世界に入っている様子のエルパとドナ。

 といっても、お互い服を着ている状態だったし、楽しくお喋りをしているだけだったが。

 とはいえ、エルパとドナの顔の位置はいまにも触れ合いそうなほどに接近していたし、これからいかがわしい行為が始まってもおかしくない怪しげな雰囲気がふたりの間には流れていた。


「それでさっきの話なんだけどお、エルパの家がお金持ちって本当なのお?」

「まあな。それなりに大きな商会ではあるぞ。といっても、商売のほうはもう兄貴が継ぐことに決まっているんで、俺は気ままな風来坊ってやつだ」

「でもでもお。エルパだって、この先商会内で重要な地位を任されるんでしょお?」

「そりゃそうさ。その前にこうして各地を旅して世間を知ってこいと親父から言われているだけだ。まあなんていうか、嫁探しのためでもあるんだけどな」

「へええ。それならエルパのお嫁さんになるのも良いかもお。あまり忙しいのも大変だし、かといって貧乏は嫌だからねえ」


 まるで自分が選ばれるのは当たり前とでも言いたげなドナの台詞にエルパが苦笑を漏らす。

 確かに良い雰囲気になってはいたが、エルパのほうはドナに嫁に来ないかなんてひと言も聞いてない。

 まあドナのように整った容姿の持ち主なら田舎では引く手あまただろうし、ドナが調子に乗っていても何ら不思議ではなかったが。


「でも本当に残念ねえ……」

「ん? 何が残念なんだ、ドナ?」

「だって、これでエルパとはお別れなんだもの」


 ドナがそう口にした瞬間――


 刃のように見える何かがエルパの喉を切り裂いていた。


「うっ!」


 喉を抑えて、その場でゆっくりと倒れていくエルパ。

 血しぶきは見えなかったが苦しそうにもがくエルパの姿がその場にはあった。

 そんな状況だというのにドナの口からは叫び声ひとつ上がっていない。

 それどころか驚いた素振りすら見せなかった。

 それもそのはず。

 エルパの喉を切り裂いたのはそのドナにほかならなかったからだ。

 が、そのあとエルパにトドメを刺そうとはせず、後方へ跳躍するドナ。


「まだよお。手応えがなかったからねえ。エルパ、下手な演技は止めてほしいんだけどお」


 草むらの中にうつ伏せに倒れているエルパにドナがそう声をかける。

 その声を聞いて、エルパもゆっくりと顔を上げていた。


「おっと、バレてたか。というか、この調子じゃあドナを嫁にもらったら浮気するたびに刺されそうだよなあ」

「あら、大丈夫よお。浮気なんかする前に刺し殺してあげるからねえ」

「そいつはちょっと暴力的過ぎねえか? だいたい何をそんなに怒ってるんだよ。俺は何もしてねえだろ?」

「ちっ」


 いかにも余裕そうなエルパの口ぶりが気に触ったのか、ドナの口から舌打ちが漏れる。

 と、同時に何もない空中に出現した幾本もの氷の刃がエルパの頭上に降り注いでいた。


「おっと。危ねえなあ」


 が、サイドステップを踏んでその場から軽やかに跳躍すると、氷の刃をさっと躱すエルパ。


「ちょっとお、エルパ。逃げないでくれる?」

「はい? そういうわけにはいかないだろ」

「へええ。その身のこなしからすると、やっぱり追っ手だったってわけねえ」

「追っ手っていったい何のことだ? 俺のほうが一方的に怒りっぽい女から攻撃されているだけだと思うんだが」

「ふんっ。言ってなさいな」 

「まあ、こうなったらもうどっちでもいいか。それにしてもなるほどなあ。氷の刃を作り出せる能力ってわけか。それに力や方向性まで付与できるんだからたいしたもんだ」


 そんな会話を続けている間にも2度、3度とエルパの頭上に氷の刃が降り注ぐ。

 そのすべてをエルパは難なく躱し続けていた。

 とはいえ、ドナに近付くこともできない様子。

 接近しようとすればそちらにも氷の刃が降ってくるからだ。

 そんなふうにエルパが逃げ回ることしかできないとでも思ったのか、ドナの顔には愉快そうな笑みが浮かび始めていた。


「あら、ずいぶんと余裕そうじゃない。でも、いつまでそうやって逃げ回っていられるかしらあ?」

「はん。こんなもの逃げ回らなければ済む話だぞ」


 半分馬鹿にしたような口調でそう呟きながら、隙を見てここに来るまで背に担いでいた木の棒を地面から拾うエルパ。

 そしてゆっくりドナの元へと近づきながら、自分に当たりそうな氷の刃だけ木の棒を使って弾き始める。


「なっ」


 そうやって氷の刃を弾きながらだんだんとドナに迫ってくるエルパの姿に、ドナの顔からは徐々に笑みが消えていく。


「こいつ、ヤバイわ。絶対に普通の人間じゃないわよ」

「あ? 人を化け物みたいに言わないでくれよ」

「止めてよお。それ以上、私に近寄らないでくれる?」

「そんなこと言うなって。ついさっきまで愛を語らい合った仲だろ?」


 これまでの余裕などすでに消え失せたのか、ドナの口から切羽詰まった声が上がり始める。

 と、そんなドナを守るためなのか、どこからか飛び出してきてエルパとドナの間に割って入る人間がいた。


「ムイス!」


 5人の奴隷の中ではひときわ体格のいい男、ムイスだ。

 おそらく近くの草むらの中にでも隠れていたのだろう。

 が、ムイスがエルパに襲いかかろうとしたその瞬間、エルパの突き出した木の棒がムイスの鳩尾に深々と食い込んでいた。


「うっ」


 むろんカウンターにはなっているだろうし、しっかりと急所にも当たっているはずだ。

 が、それほど強力な一撃にも見えなかった。

 だというのに、ムイスはその場で前のめりに倒れ、そのままピクリとも動かなくなってしまう。


「そ、そんな……。ムイスには完全防御の能力があるはずなのに」


 そんなムイスには見向きもせず、再びドナに狙いを定めたかのようにじりじりっとエルパが前へ進み始める。


 ドナの顔が一気に青ざめる。

 氷の刃はもう出し尽くしたのか。

 それともそれどころではなくなっているだけか。

 まるで追い詰められた鼠のように、辺りをキョロキョロと見回し、助けを求めている様子のドナ。

 が、そんな鼠を追い詰めようとするエルパに向かって、空中から襲いかかってくるミューズの姿があった。

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