111 婚約
◇
「昨晩、どうやら新港建設予定地のほうでひと騒ぎあったみたいですね」
「ふぅ……。申し訳ない、フローラ様。現在より警戒を厳重に致すゆえ、何卒ご容赦願いたい」
セレネ公国の屋敷内。
客人として訪れていたジークバード伯爵がそう言って、目の前のテーブルに額を擦り付けんばかりに頭を下げてくる。
ジークバード伯爵が何故ラウフローラに謝罪しているかといえば、昨晩勝手に竜車を動かそうとした不届き者が現れたからだ。
ジークバード伯爵に命じられた兵士だって厳重に警備していたはずなのに、侵入者があったのはこれで3度目。
ジークバード伯爵からすれば面目丸潰れといったところだろう。
埠頭にある倉庫もこの世界の住人からすれば異質に見えるはずだが、どうやらそちらにはあまり興味がないらしい。
建物の内部や設備を公開していないせいもあるのだろうが、ちょっと変わった建物程度の認識みたいだ。
おそらくというか、目当ては竜車とみて間違いないはず。
使用権限がない人間が一定時間以上竜車に触れていると、警報装置が反応する仕組みになっており、そのせいでこれまで3名の不審者が捕まっている。
うちひとりはポートラルゴの住民で単なる興味本位からだったが、ほかの2名はグリンモルド子爵が連れてきた従者と兵士。
その件でジークバード伯爵もグリンモルド子爵に対して苦情を入れたそうだが、間違えて入ってしまっただけだろうと少しも悪びれずに聞き流されたという話。
というか、グリンモルド子爵というのは、どうやら宰相派の貴族らしい。
そのためジークバード伯爵としてもあまり事を荒立てたくない様子だった。
新港建設予定地は部外者の立ち入りが禁止されているが、塀や壁などで周囲を囲っているわけではない。昼間に新港建設予定地のほうへ近付けば、おのずと竜車が動いている現場を目撃することになるはず。
貴族たちにも事前に立ち入りを禁止する旨が通達されているはずだが、あまり守られていない様子がある。が、そこで過剰に反応して何か企んでいると勘繰られたくないということなのだろう。
こちらとしてはそういうことも起きるだろうと予測していたので、ジークバード伯爵のことを責めるつもりはないが、被害に遭ったセレネ公国側が何も言わないのもおかしな話だ。
ラウフローラとしても嫌味っぽくならないように気を付けたはずだが、ジークバード伯爵としては頭の痛い問題だったに違いない。
いずれにせよ、竜車がエルセリア貴族からの注目を集めているのは間違いない。こっそり盗もうとしたのか、どういう仕組みか調べるためだったのかは謎だが。
確かにあれほど目立つものなら気になって当然だろう。
もちろん開拓を円滑に進めるためという理由から竜車を表に出してはいるのだが、敢えてエルセリア貴族たちの目に止まるように仕向けた意図も隠されている。
初回の交渉の際に現れたアルフォンス男爵のように過激な考え方をする貴族も少なくないような気がする。
エルセリア王国よりもはるかに発展した国で、敵に回さないほうが無難な相手。
セレネ公国のことをそう認識してもらったほうが、今後の両国の関係のためにもなると睨んでのことだった。
「いやいや。こちらこそジークバード卿に迷惑をかけているのではないかと心配でしてな。我々が竜車など持ち込まなければ、このような問題も起きなかったはずですが」
「そのようなことは……。本来であれば数年はかかるであろう開拓事業。それがこれほどにも短期間で済みそうなのは、すべてあの竜車のおかげですよ」
ジークバード伯爵に対して気を遣ったのか、弁護するようなことを言うバルムンド。
そんなバルムンドの言葉をジークバード伯爵のほうは話半分に受け取っていそうな感じだったが、言っていることはおそらく本心だろう。
こちらが散々断っているにもかかわらず、何とか譲ってもらえないかとストレイル男爵から何度も打診されているぐらいだ。
竜車の有用性を一番よく理解しているのはジークバード伯爵に違いない。
それに売り物ではないと公言しているにもかかわらず、いくら出せば売ってくれるのか真剣に尋ねにくる商人が後を絶たない状況。
それでも竜車を売る気がないのは、簡単に軍事に転用出来てしまうからだ。
あんな建設機械でもこの世界では立派な兵器になり兼ねない。
たとえ相手がジークバード伯爵であっても、この世界のパワーバランスを一気に壊してしまうようなことはなるべく避けるべきだろう。
むろん魔導船だって使い方によっては軍用船としての運用が充分可能だ。
が、商人たちに貸し出す予定の魔導船に関しては、兵器類を一切搭載していないし、操舵手や機関士という名目で自動機械を一緒に配備するつもりだ。
それでも何かしてくる場合にはデッカー商会のように痛い目に遭ってもらうだけ。
セレネ公国の怒りを買えばどうなるかという見せしめになっていただくというわけだ。
「いずれにせよ、こちらには実害がないのでそれほど気にしていません。ただし、こう申し上げては失礼かも知れませんが、宰相派貴族の扱いに少々手を焼いておられるように見受けられますね」
「恥ずかしながら、フローラ様の仰るとおりですな。ラグナヒルト宰相はあまり他人を信用なされないお方ゆえ、ワシが野心を持っているのではないかと疑っているみたいなのですよ」
「野心がお有りになるのですか?」
「さて、それはどうですかね」
聞きようによっては礼を失しているようにも思えるラウフローラの言葉に、ジークバード伯爵がニヤリと笑う。
両者の間に冗談とも本気ともつかぬ会話が交わされるようになったのは、それだけジークバード伯爵がセレネ公国のことを信用した証拠だろう。
そういう俺たちもジークバード伯爵のことはある程度信用してもよさそうだと思い始めているが。
とはいえ、裏に隠された本心まではわからない。
ジークバード伯爵にはエルセリアの玉座を狙う野心がないと言い切れないのが実際のところだった。
「もしその気が有るとこのワシが言ったら、どうされますかな?」
「そうですな。セレネ公国としては、エルセリア王国との関係はジークバード伯爵の存在なしにはあり得ないとだけ。姫様、そうお答えしても差し支えありませんよね?」
「ええ、構いませんよ」
口約束には違いないが、どのような状況になってもジークバード伯爵に味方すると公言したも同然。
自分で聞いておきながらも、そんな答えが返ってくるとは予想だにしなかったのだろう。
ジークバード伯爵が少しだけ驚いたような表情を見せる。
竜車の話とは多少矛盾しているかも知れないが、ジークバード伯爵に野心があるのなら手を貸すことも考えている。
ルメロに肩入れしている以上今更だし、わざわざジークバード伯爵自らがセレネ公国の屋敷に出向いてきた目的についても正直どんなことか予想が付いているからだ。
「それでは、この前の話を受けていただけると?」
「ああ。そういえばそんな話もありましたね。レッド大佐?」
と、後ろに控えていた俺にラウフローラから声がかかる。
ジークバード伯爵の今の言葉が俺とエレナとの婚約についてだというのは、この場に居る全員が理解していることだった。
「はい。喜んで受けさせていただきます」
「おお、有り難い。レッド殿、娘をよろしく頼みますぞ。無鉄砲な娘でそちらに迷惑をかけることがあるかも知れんが、気立てがいいことはワシが保証するのでな」
ジークバード伯爵がある程度俺の正体に気付いていなければ、けっしてこういう話にはならなかったはず。
伯爵にはシオンという跡取り息子がいるので、セレネ公国と繋がりを持ちたいだけなら、そのシオンに嫁をほしいと言ってくるほうが自然だろう。
間違いなく何らかのギフトの持ち主ということだ。
そこはもう仕方ない。
どこまで露見しているのかは心配だったが、こんな話を持ちかけてくるぐらいだから、さすがに異世界人とまではバレていないはずだ。
それに、逆を言えばそのことがわかっていて俺に自分の娘を差し出してきたということにもなる。
それだけセレネ公国との関係を重要視しているという意思表示にほかならないだろう。
ジークバード伯爵にとってだけではなく、セレネ公国や俺にとっても非常に都合の良い話だ。
俺がエレナのことを気に入っているかどうかを抜きにしても、断るという選択は考えられなかった。
「ですが、すぐに結婚というのは……」
が、自分の結婚ともなるとそう簡単には覚悟が付かない。
しかもその相手が生物学的には別種ときている。
この世界の貴族の婚姻は家同士の結び付きを強めるためのものでしかなく、恋愛感情など関係ないのもわかっているのだが。
「結婚はそこまで焦らなくてもいい。一応、エルセリア王国の貴族の場合、半年間の婚約公示期間を設けるのが常であり、その間第3者からの異議申し立てがなければ、婚姻が許可されるしきたりになっているのでな」
「半年間ですか……」
「早くてもな。むろんセレネ公国はセレネ公国で、婚姻に関する風習が違っていて当然。一方的にこちらの風習を押し付けるつもりもないぞ」
「いやまあ、セレネ公国もそれほど変わりませんが」
「そうか。それなら明日にでもポートラルゴにある教会で婚約の手続きを進めようと思うが、どうかね? ワシがリンガーフッドに帰った後で婚約することになると、大佐はもとより、ディアルガー提督、それにフローラ様にもリンガーフッドまで赴いてもらうことになってしまうのでな」
「それはそうでしょうが……。それにしても明日ですか?」
「なあに。イシュテオール様の御前で誓いの言葉を述べるだけだ。そちらの立会人はディアルガー提督辺りに務めていただければ問題あるまい。ほかに何か問題でも?」
「あっ、いえ……」
顔は笑っているものの、有無を言わさぬ強引さで次々と畳み掛けてくるジークバード伯爵の迫力に俺はたじろぐ。
まるで娘を売り物とでも考えているかのような薄情っぷりだが、この世界の貴族社会ではこれが当たり前の感覚なのだろう。
第一、今更この話をなかったことにしてほしいなんてことも言えない。
俺は他人事のようにエレナに同情しつつも、ジークバード伯爵の言葉にただ黙って頷いていることしかできなかった。
◆
港町ポートラルゴから徒歩で2日ほど南に下った山間の道。
まだそこはジークバード伯爵が治める領内であったが、ここからさらに少しだけ南へ進めば、王都エルシアード方面へ続く道とロレーヌ領へ向かう道の分岐点にあたることになる。
昼間はそれなりに往来のある街道ではあったが、周りに村や町などはなく、民家の一軒も見当たらない。
どこか遠くのほうからマーサ・ドッグらしき遠吠えがかすかに聞こえており、日の落ちかけた街道をよりいっそう不気味なものへと変えていた。
そんなうらぶれた街道を南へと向かっている様子の男女の奴隷が5人。
そのうちのひとりが、突然その場にへたり込んだかと思うと、仲間に対して弱音を吐き始める。
「はあ。徒歩での移動なんてもうこりごり。ねえ、イザベラ。通りすがりの商人にでも頼んで馬車に乗せてもらいましょうよお」
「もう少し南下してからよ。表向き、私たちは奴隷という立場だということをわかってる?」
「セレネ公国から放逐されたんだから、奴隷のフリはもういいでしょお。私はもう歩くのがやなの」
「勝手になさい。それならあなただけこの場に置いていくわよ」
弱音を吐いて、その場に座り込んだドナにそう言い捨てるイザベラ。
それでもまだイザベラの態度はマシなほうだろう。
ほかの3人はドナのことなど完全に無視することにしたのか、歩きを止める素振りすら見せなかったのだから。
「ちょ、ちょっと待ってよお。そ、そうだわあ。ミューズ、あなたの能力なら私を背負って歩いても平気なんじゃないのかしらあ?」
「あん? 俺のは自分の身体が軽くなるだけだって言ってんだろ。だいたい背負っている最中に氷の刃でブスっとやられたら敵わないんで、どっちにしろ断るがな」
「そんなことはしないわよお。ねえ、仲間でしょお?」
「そんなもんになった覚えは一度もねえな。ロジャー様から命じられて一緒に行動しているだけだ」
「ふんっ。いいわよお。この場で商人か誰かがやって来るのを待って、私だけ馬車に乗って帰るからねえ」
「ドナ、あなたね……」
「イザベラ、遠くで足音がしているわ。多分北のほうからよ」
再びドナのことを注意しようとしたイザベラだったが、カーラがそばまで寄ってきて耳打ちしたせいでそれどころではなくなっていた。
「あ? セレネ公国の追っ手か?」
「わからないわ。足音からすればひとりだと思うけど……」
「それでカーラ、距離はどれぐらい離れていそう? それと念のためにムイスも固まって移動して」
「けっこう近いわ。私の遠耳に引っかからずに、ここまで接近されたことなんかないのに……」
「まずいわね」
「おかしいと思ったんだ。捕まえたイザベラたちをあっさりと解放したんだからな。最初から俺たちのことを始末する気だったんじゃ……」
「だったら、わざわざ私やムイスたちを治療した意味がないでしょ。それにまだ追っ手だと決まったわけじゃないわ。カーラ、本当に相手はひとりなのね?」
「え、ええ。多分……」
「それなら相手が貴人でもないかぎり大丈夫かもお。ムイスとミューズと私の3人で始末すれば簡単よねえ」
「そうね。私とカーラの能力はあまり戦闘に向いてないから。もし相手が追っ手だったら3人にお願いできる?」
「ああ。仕方あるまい」
「くそっ。セレネ公国のやつらに目に物を見せてやるぜ」
「ミューズ、たとえ相手が怪しくても出方をうかがってからにしてね。なるべくなら騒ぎを起こしたくないのよ。ムイスの能力なら最初の一撃は防げるはずだし」
「ちっ。わかってるよ」
カーラの遠耳の能力をすり抜けて接近してきたとすれば、相手は只者ではないはず。
が、相手はおそらくひとりきりで、こちらには5人の能力者がいるという慢心があるのだろう。
一旦山の中に隠れるという手も取れたはずだが、奴隷たちは何気ないふうを装いながら、後ろを見ずに固まって進むことにした。
と、しばらくして聞こえたバキっと木の枝を踏み潰したような音。
その音に5人の奴隷たちの顔には緊張が走ったが、その後すぐに聞こえてきたのは何とも呑気な若い男の声だった。
「よお。あんたらも歩き旅かい?」
その声にイザベラが後ろを振り返る。
と、その場に居たのはどこかの貴族の子弟に見えなくもない優男。
奴隷たちも皆それなりに若く、容姿のほうも整っていたが、それとはまた毛色が違う美男子で、遊び人特有の人懐っこそうな顔立ちの男だった。
「ええ、そうよ」
「おお。そいつはちょうど良かった」
「は? 何が良かったの? というか、あなたひとり?」
優男の言葉にイザベラが奴隷たちを代表して答える。
「まあね。見てのとおり、気ままなひとり旅ってやつさ」
「そうなの。それじゃあね」
「いやいや。そいつはちょっと冷たいんじゃないかい」
「冷たくて結構。たいした用事がないのなら私たちには構わないでほしいのだけど?」
「用があるから声をかけたんだよ」
優男のその言葉にムイスとミューズが身構える。
「ほら。盗賊とか魔物とか、ひとり旅は何かと危険だろ。あんたらはどっち方面に向かっているんだ? 王都方面か? それともロレーヌ領か? いや、途中まででも構わないからご一緒しようぜ。俺はエルパってもんだ」
エルパと名乗った若い男がそう言って、イザベラの身体に好色そうな視線を送り始める。
5人の奴隷たちはそんなエルパの言葉などまるで信じてなさそうな様子で、その場には一触即発の空気が漂っていた。




