109 それぞれの思惑
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「こっちの赤いやつもうめえぞ。ロン、おめえも食ってみろよ」
「本当ですか、船長?」
「おう。最初のやつもかなり美味かったが、どちらかといやあ俺はこっちのほうが好みだな。このピリッとした辛さがたまんねえ」
ポートラルゴの大通りから建設中の新港へと続く道には、現在多くの屋台が立ち並んでいる様子があった。
どうやらそこは新港建設のために整備された道らしく、最近は大通りと変わらぬ賑わいを見せるほどになっている。
その新しい道を新港のほうに向かってぶらぶらと歩いているふたり。
それはゴードウィン商会のドラガンとロンだった。
「しかし、本当にこのままでいいんですかねえ。あっしらこうして食べ歩いてばかりで、まったく仕事をしていませんが」
「まあ、いいんじゃねえか。セレネ公国が船を貸してくれるまで、俺たちは陸に上がった魚と一緒なんだ。ジタバタと跳ねたってしょうがねえんだからよ」
「ですが、当面の生活費までいただけるとなると、何か裏があるんじゃないかと心配で」
「ばーか。そりゃあ、おめえ。そんだけゴードウィン商会の今後の働きが期待されているってことだろうが。それにルカルナの件もあっからな」
「はあ。やっぱり船長とお嬢の土下座が効いたんですかね。レッド大佐はちょっと迷惑そうでしたが……」
ルカルナは現在、セレネ公国の屋敷に住み込んで下女として働くことが決まっている。
セレネ公国側は何度も断ったのだが、本人がどうしてもといって譲らなかったために渋々と了承した形だ。
とはいえ、ルカルナの言う、命を助けられた恩返しをするためだという理由はどうみても建前でしかなく、レッド大佐に惚れているのは明らか。
セレネ公国の人間の顔には、ルカルナをどう扱えばよいかという困り切った表情が浮かんでいたが。
「なあに。子供さえこしらちまえばこっちのもんよ。ルカルナのやつ、見てくれだけは良いからよ。それにリリアーテ女史も大佐は手が早いって言ってたからな。酔っ払ったときにでもフラフラと手を出してくんねえかな」
「あなた、お嬢の実の父親でしょうが……。まあ、うちの商会にとってはセレネ公国が後ろ盾になってくれるというのは願ったり叶ったりの展開でしょうがね」
「ふんっ。父親だからこそだろうがよ。男勝りのあの性格じゃあ、嫁ぎ先を探すにもひと苦労するだろうさ。その相手が大佐なら、妾だろうが何だろうが良縁ってなもんよ」
「そりゃあそうかも知れませんが……」
「ルカルナのメイド服姿はまるで似合ってなかったがな。がはは」
「ははは……。それでお嬢はもうラーカンシアには戻らない気なんで?」
「おう。どうやらそうみてえだぞ。ルカルナにはゴードウィン商会を継がせるつもりでいたが、そこは仕方あんめえ。孫が出来るまで俺も引退ができなくなったってことよ」
「まさかとは思いますが、お嬢に早々に跡目を譲って、楽隠居を決め込むつもりだったんですかい?」
「ん? そうだが何か悪いのかよ」
「いやいや。船長はモースじいさんぐらいの年になるまで、ゴードウィン商会会頭として元気に頑張っていただかないと」
「ロン。おめえな……」
ほかの者が聞けば、ドラガンのことを想っての言葉に聞こえなくもなかっただろうが、ドラガンにはロンの言わんとしていることがしっかりとわかっていた。
何を甘っちょろいことを言ってるんですか。身体が動かなくなるまで働いてくれなきゃ困りますよ――ロンがそう言っているだけだと。
一族のようなゴードウィン商会の中でも、特に身内に近いロンだからこそ口に出来る台詞だろう。
そんな叱咤の言葉だったことがわかるだけにドラガンの顔には苦々しげな表情が浮かんでいた。
「っと、俺もそっちの赤いやつを試してみようかな」
さきほどの言葉を誤魔化すようにロンが屋台の女店主に注文しようとする。
と、そんなとき横合いから別の人間の声が聞こえてきた。
「なんだ。店主、辛口はこれだけしかないのか?」
「すいませんねえ。辛口のほうはこれが最後の1個なんですよ。普通のフライドチキンならまだ残っていますけどね」
「むむ。ちと遅かったか。仕方ない。それなら辛口を1個と、普通のやつを10個頼むぞ」
目の前で最後の1個が売り切れたのを見て、自分のほうが先に並んでいたのだと文句を言いそうになるロン。
だが、注文した男性の姿を見て、ロンは咄嗟に口を噤むことにした。
身なりの良さからしても、その男性が身分の高い人物であることは容易に想像できたし、男性のすぐそばには護衛の兵士らしき人物が控えていたからだ。
相手はおそらくエルセリアの貴族か高位の役人だろう。
横に居るドラガンもそのことにすぐ気付いたようで、どうしようかと悩んでいる様子がある。
商売人としては顔を繋げる良い機会には違いないが、相手がお忍びで来ているとなると下手に喋りかけても勘気を被るだけ。
ここは大人しくしていようと心に決めたロンだったが、意外なことに相手のほうからドラガンたちに声がかかった。
「お主ら、ラーカンシアの商人か?」
「は、はい? それは私どものことですか?」
「そうだ。ここにはお主らしかおるまい」
「いやまあ。仰るとおり、あっしらはラーカンシアの人間ですが」
おそらくドラガンたちの浅黒い肌や顔立ちからラーカンシアの人間だと相手は判断したのだろう。
いや。もしかしたらさきほどのドラガンたちの会話を耳にしており、ラーカンシア訛りがあることに気付いただけかも知れない。
「どの島かね?」
「シシール島です」
「となると、別陣営か。それにしてもセレネ公国の噂を聞いて、はるばるここまでやってきたのかね?」
別陣営という言葉が何を意味しているのか、ドラガンには少しだけ心当たりがあった。
ラーカンシアのそれぞれの島は表向き友好関係を築いているものの、裏では対立しており、同じラーカンシア商人でも出身の島が違えば、別陣営だと見做されているからだ。
この男性が声をかけてきたのも、もしかしたらその辺りが関係しているのかも知れない。
エルセリア王国の中央政権と関係が深いのがダマネスク島の商人。
エルセリア南部のロレーヌ伯と強い繋がりがあるのがラーカ島の商人。
シシール島の商人はその両陣営の隙間に入り込むとともにドゥワイゼ帝国向けの荷なども扱っているといった具合だ。
目の前の男性が、ドラガンたちをダマネスク島の商人だと思ったのか、それともラーカ島の商人だと思ったのかは定かでなかったが。
「え、えーっと……。おおむねそんな感じでございます」
「ふむ。なかなか耳敏い商売人のようだな。それでどうだ? 商売のほうは上手くいきそうかね?」
「お、おかげさまを持ちまして。セレネ公国のお方と知己を得ることが叶ったところでございます」
「それは運が良かったな。相手は大きな商会か?」
「い、いえ。それがその、知り合ったお相手というのがフローラ王女様でして」
「何?」
「何と言うかその、つい先日数奇な巡り合いがあったというか、偶然というか……」
「それならディアルガー提督とも会ったのかね?」
「はい。レッド大佐から紹介していただきました」
「ほう。その方、名は何と申すのだ?」
「も、申し遅れました。私、ゴードウィン商会のドラガンと申す者にございます」
ドラガンがそう名乗ったあと、ロンと一緒に深々と頭を下げる。
そんなドラガンたちを見るディフリードの視線は品定めするような厳しいものへと変わっていた。
「ディフリードだ。ワシは以前、ラーカンシアを訪れたことがあってな。そのときにシシール島にも赴いたぞ。あそこはたしか、グエスタという煮込み料理が美味かったはずだ」
「ははは……。よくご存知で」
「ワシは美味いものには目がない質でな」
「もしやエルセリア随一の美食家として名高いディフリード男爵様であらせられますか?」
「ふむ。まさかワシの名を知っている者がラーカンシア人の中にもおるとはな」
「やはりそうでしたか。ディフリード男爵様のご高名は広くラーカンシアまで響き渡っておりますとも」
「どうせ食い意地の張ったエルセリア貴族とでも伝わっているのであろう?」
「め、滅相もございません。ですが、何故このような市井の場にディフリード男爵様自らがお出ましに?」
ドラガンの疑問は尤もだろう。
いくら食道楽の貴族とはいえ、屋台飯など誰か使いの者に買いに行かせれば済む話。
それにディフリード男爵が、ジークバード伯爵とは敵対的とまでは言わないものの、あまり友好的ではない関係にあることぐらいドラガンだって知っている情報だ。
そんなディフリード男爵がわざわざこの通りまでやってくることに何か別の意味があるようにドラガンには思えていた。
「なあに。自分の足で歩き回って、美味いものを探すのが好きなだけよ」
そう言ってからからと笑うディフリード男爵。
が、よく見るとその目は笑っていない様子。
その様子に、マズイことを聞いたかと焦るドラガン。
何か別の思惑が隠されているのだとすれば、このまま今の会話を続けたら藪蛇になるだけだろう。
「それよりもお主は知っておるか? ここに並んでいる屋台の一部はセレネ公国の料理だということを」
「はい。セレネ公国の方から伺っております。何でも船員の方が故郷の料理が食べたいと仰られたため、ポートラルゴの宿屋でお願いして作ってもらったところ、エルセリアの方々にも好評だったとか。それでこうして屋台で売るようになったみたいですね」
「うむ。素材から調味料までほぼすべてをセレネ公国側が格安で提供しているらしいな。ずいぶんと気前の良いことよ」
「それでも儲けが出るということでしょうね」
そんな当たり障りのない返答でお茶を濁すドラガン。
ドラガンがフローラ王女やバルムンド提督とも繋がりがあるラーカンシア商人だと聞いて、ディフリード男爵が探りを入れてきたような雰囲気もある。
下手なことを言わないほうがよさそうだと、ドラガンの頭の中で警戒信号が鳴っていた。
「ふっ。ここでの商売が上手くいくとよいな。そうそう、ドラガンとか言ったな。もし王都エルシアードに立ち寄る機会があれば、そのときにはこのワシを尋ねてくるがよい」
「はっ。身に余るようなお申し出。是非そうさせていただきます」
ディフリード男爵はそれだけ言ったあと、フライドチキンの代金を護衛に払わさせて、その場から歩いて去っていく。
その姿が見えなくなってようやく、安心したようにふうーっと息を漏らすロンの姿があった。
「今のはいったい何だったんでしょうか?」
「さあな。ただ、エルセリアにも色々と問題があるみたいだからな。敵情視察ってところなんじゃねえのか?」
「なるほど。そういえばたしかディフリード男爵は宰相派の人間でしたね。きな臭いことにならなければいいんですが」
「俺たちにはそれほど関係がない話だ。ジークバード伯爵と直接の繋がりがあるわけじゃねえんだからな」
「まあ、それはそうなんですが……」
「おめえは心配のし過ぎなんだよ。それよりも次の屋台にいくぞ。おっと、先に飲み物を買っておくか。とりあえずコーヒーは欠かせねえな」
「あの豆をラーカンシアに持っていけば、間違いなく売れるでしょうね。船長、優先的に取引ができるよう、バルムンド提督に掛け合ってきてくださいよ」
「わかってるっての。だが、ワインや砂糖、小麦なんかも物品リストから外せねえんだよなあ。あれもこれもなんて欲張っていたら、重みで船が沈んじまうぞ」
「セレネ公国の魔導船を貸してくれるという話なんですから、これまでよりもたくさんの荷を積めるはずです。ここで欲張らないのは、商売人として失格じゃねえんですかい?」
「おめえ。さっきと言ってることがまるで違うじゃねえか。何が、何か裏があるんじゃないかと心配で、だよ」
「それはそれ、商売は商売でしょうが」
そんなじゃれ合いのような会話を続けながらも、ドラガンとロンのふたりが新港のほうへ向かって歩いていく。
ちょうど昼飯時に近かったせいもあるのだろう。
その新しく整備された道は、エルセリア人やセレネ人など多くの人間が行き交う姿で溢れかえっていた。
◆
「ネビア。俺が危惧していたとおりの展開になってしまったようだ。イザベラがどこかへ連れていかれた」
慌てた様子で安宿の部屋に駆け込んできたディーンが、ネビアに対して開口一番そんなことを口走っていた。
「そう……」
「そうって。これがどれだけマズイ事態かわからないのか?」
「まだ、我々が闇の使徒であるとバレたわけじゃないわ」
「それはそうかも知れないが……。ここにいれば、いずれ捕まって拷問されるかも知れなんだぞ」
「エルセリア各所から要人連中が集まっているせいで、現在ポートラルゴ周辺は警備が非常に厳重よ。下手に逃げ出そうとして捕まったら、もっと酷い目に遭うだけだと思うけれど」
「あと2,3日も経てば、その警戒も緩んでくるはずだ。そのタイミングを狙うしかあるまい」
「そう上手くいくかしら? だいたいロジャー様にはどう申し開きするつもりなのよ」
「俺のせいではないだろ。イザベラがあんなことにならなければ何も問題はなかったのだからな」
「そんな言い訳でロジャー様がお許しになられるとでも? あなただって裏切り者がどんな目に遭うのかはわかっているはずでしょ?」
「くっ……。だがな」
「もう少し落ち着きなさい、ディーン。ほら、こっちに来て」
そう言ってネビアがディーンのことを怪しくベッドの上へといざなう。
「あ、ああ」
何故かディーンはそのネビアの言葉に対して大人しく従い始めていた。
「そうよ、良い子ね。ディーンはもう少し落ち着いたほうがいいわ。大丈夫よ、何も悪いことは起きないから。あなたはイザベラがあんな状態になったことがショックで、不安に思っているだけなのよ」
「そ、そういう面は多少あるかも知れんが」
「ほら。私の身体を好きにしたかったんでしょ? いいわよ。今回は特別にやらせてあげる。そうすれば不安もなくなるでしょうからね」
「ネビア……」
ディーンの眼がとろんと落ち込む。
その様子はあきらかに普段のディーンとは違っていた。
さきほどまでの焦った様子も消え失せ、どことなくディーンの瞳に暗い影が宿り始める。
「そうそう。そんな感じに優しく私に口付けしてくれる?」
次第に言われるがままの行動を取り始めるディーン。
そしてゆっくりとふたりの身体が重なり合っていく。
それはネビアがマイルズに対して取っていた行動とよく似ていた。
「ディーン。もし闇の使徒であることがバレて捕まりそうなったら、あなたが私のことを守ってくれるわよね」
「あ、ああ……」
ただし、ディーンのことを落ち着かせるためにネビアがこんな行動を取ったわけではなかった。
ネビアが今しているのはディーンのことを自分の言いなりにするための行為でしかない。
籠絡というのがネビアのギフトだ。
その術中にいつの間にか自分が絡め取られていることに、そのギフトの存在を知っているディーンですら気付かぬままだった。




