108 腐った肉体
◇
いかにも安宿といった具合の殺風景な部屋。
その部屋に置かれているのは、ギシギシと軋みそうな古めかしい寝台とテーブルがひとつだけだった。
窓のようなものは一切見当たらず、燭台の灯りが薄っすらと室内を照らしている様子がある。
さきほど画面越しに見たポートラルゴの安宿よりもすいぶんと質素な作りだ。
とはいえ、寝台に敷かれているシーツはいかにも清潔そうで、女が身に着けている肌着もこの世界にしては珍しく、真っ白で綺麗な状態だった。
この世界特有のカビ臭い匂いもしない。
現在、そんな部屋の中にある寝台の上で、イザベラという奴隷女が比較的穏やかな呼吸を繰り返していた。
「フローレンス。どうだ、対象の具合は?」
イザベラという奴隷女を見下ろしながら、俺はフローレンスにそう問いかける。
フローレンスは狐のような耳と長い尻尾が特徴的なドール。
格納庫近くに設置した実験農場における研究と、医療関係を任せているドールで、万が一のことを考えドルトミクスとともにウーラアテネ内で留守番をさせている。
つまり、この部屋自体がエルセリア王国のどこかだと錯覚させるために作られたウーラアテネ内の施設というわけだ。
「いくつかの臓器がボロボロの状態ですね。現在は鎮静剤による効果と、NBSが臓器の機能を補助しているために落ち着いていますが、それもいつまで持つかわかりません。後は人工臓器に切り替えるぐらいしか手はありませんね」
「原因は?」
「不明です。遺伝子のほうに異常は見られませんし、細菌などに感染した痕跡もありませんでした。腹部周辺の臓器の一部が腐敗している様子があるというだけです」
「となると、やはりイシュテオールの仕業というわけか」
「はっきりとは断言できませんが、未知の現象なので可能性はあるかと」
「この状態でも尋問することは可能か?」
「そちらは問題ありません。すぐに覚醒させますか?」
「ああ。やってくれ」
俺の命令により、フローレンスがジェット噴射式の注射器をイザベラの肩口へ押し当てる。
この注射器の中には覚醒を促すステロイド系の薬物が混入されているだけではなく、神経伝達物質を阻害する物質も一緒に含まれているはず。
いわゆる自白剤というものだ。
ただし、都合が悪いことに関して嘘を吐こうとする判断が難しくなるとともに、正常な判断力がなくなるせいで、その情報が正確がどうかも多少怪しくなってくるらしいが。
まあ、その辺はほかの情報とすり合わせて判断を下すしかない。
そもそもこの女から秘密のすべてを引き出せると考えているわけでもない。
多少でも情報が掴めれば御の字だろう。
と、イザベラの目がゆっくりと開き、口元からは吐息がこぼれたような呟きが漏れていた。
「う、うーん……」
「もう質問しても大丈夫そうか?」
「ちょっと待ってくださいね。あなたのお名前は? どう、質問に答えられそう?」
「イ、イザベラ……」
「大丈夫そうです。現在のイザベラの状態では会話内容を記憶に残せないはずなので、自由に質問してもらっても構いません。ただし、難しい質問には答えられないかも知れませんが」
「そうか、わかった」
いまだ半覚醒のような状態。
いや、注射した薬物がそうさせているのだろう。
イザベラの目はうつろに見開かれ、視線が宙を彷徨っているような感じがある。かろうじて俺の姿が視界の端に映っていてもおかしくないが、しっかりと認識できているかは疑わしかった。
「イザベラ、お前は闇の使徒で間違いないな?」
「え、ええ。そうよ……」
「その闇の使徒とはいったいどのような存在なんだ?」
「こ、この世を統べるべき、選ばれし存在……」
あまり意味がない質問だったか。
正直に喋ると言っても、本人が思っていることをそのまま口にするだけなのだろう。もう少し詳しい内容を知りたかったのだが、フローレンスの言うとおり難しい質問だとイザベラが答えられない可能性がある。
「それじゃあ闇の使徒や貴人の目的とはなんだ?」
「この世界の支配と……、ザ、ザルサス様が望む混沌をもたらすことよ」
「うーむ。闇の使徒は全部で何人ぐらい居る?」
「……わからないわ」
「お前と一緒にポートラルゴに来た奴隷たちは全員が闇の使徒なのか?」
「そ、そうよ」
「ほかには?」
「……知らないわ」
「それなら拠点の場所は?」
「決まった場所が……あ、あるわけじゃないわ。エルセリア王国内の……い、至る所に存在しているもの。この先ポートラルゴにも作る気でいるし」
「ポートラルゴへ来たのはそれが目的か?」
「……いいえ。セ、セレネ公国について情報を集めることね」
「セレネ公国と敵対するためにか?」
「い、いいえ。……、ロ、ロジャー様からそういう行動は絶対に取るなと厳命されているわ」
「それで何か情報は掴めたのか?」
「え、ええ……。ディアルガー提督はどうやらマガルムークの混乱に乗じて領土を奪い……、こ、この大陸に侵攻しようと画策しているみたいだわ……。その話をエルセリア王国にも持ちかけているようなの」
これはこちらがわざと流した情報だ。
セレネ公国とエルセリア王国が協力して、マガルムークの領土の一部を奪ってしまおうとしていると。
そんな偽の情報が誰に伝わるかを確認したかったということだ。
まかり間違ってその噂が世間に流れてしまったとしても、あまり現実的な話ではないし、そもそも俺たちにそんな気がないのだからデタラメで済む話だ。
「闇の使徒になると身体に印が現れるんだろう?」
「ええ……。そ、そうね」
「どんな印だ?」
「ザルサス様の下僕である証……、え、栄誉ある印よ」
「イザベラにもあるのか?」
「……も、もちろんあるわ」
イザベラのことは裸にして体中をくまなく調べてある。
が、そのような印など、どこにもなかったはず。俺たちが気付かなかっただけなのかも知れないが、その辺りがどうにも不思議な話だった。
「それはどこに?」
「お、お腹の下辺りよ。みんな秘部の上に……し、使徒の印が浮かんでくるはずだから」
「イザベラにそんなものがあるようには見えなかったが?」
「下等な人間には見えないだけ……。や、闇の使徒同士じゃないと無理ね」
ちっ。
そういうことか。使徒の印がわかれば、闇の使徒かどうかも簡単に判別できたのだが、どうやらそう上手くはいかないらしい。
まあ普通に考えて、誰にでも判別可能な印ならば、闇の使徒は身体のどこかに印が現れるという情報が漏れただけで、魔女狩りが始まってもおかしくはない。
なので納得のいく話ではあったが。
「それならお前とロジャーの関係は?」
「か、関係……。私はロジャー様の忠実な部下」
「それはわかっている。ロジャーという男は貴人なのか?」
「……いいえ。そうじゃないわ」
「ならばロジャーはいったい誰の部下だ? 闇の使徒は貴人に従っているんだろ?」
「ロ、ロジャー様が従っているのは――」
そこまで喋ったイザベラの動きが突然変わる。
まるで呼吸ができなくなったように口を大きく開くと、身体をブルブルと震わせながらもがき苦しみ初めていた。
そしてイザベラの口から叫びにならない無音の悲鳴が上がる。
その様子を見ていたフローレンスが、すぐさまさきほどとは違うらしい薬物をイザベラの身体へと注射していた。
「フローレンス、これはどういうことだ?」
「わかりませんが、急に心拍数や血圧が上昇したようです。かなり危険な状態ですが、ひとまずはこの処置で何とかなるだろうと」
おそらく鎮静剤や降圧剤の類いだろう。
フローレンスの言葉どおり、イザベラの様子もすぐに落ち着いてくる。
が、そのせいでイザベラは再び睡眠状態に入ったらしい。
俺たちの会話にも一切反応を示さなくなっていた。
「いったい何が起きた?」
「すみません。これまで特に何か変化があったようには見えなかったのですが」
「もしかして貴人の名前を尋ねられたことと何か関係があるのか?」
「タイミング的にはそう考えられますね」
「だとすれば、何らかの制約があるって感じか……」
「もう一度同じ質問をしてみれば、確認ができるはずです。ですが、その場合イザベラの命の保証はできないかと」
「いや。そこまで重要視している情報でもない。仮に貴人の名前が確認できたところで、それが本当の名前かどうかも疑わしいし、逆にそいつが偽名を使っていれば意味がない話になってしまうからな」
最初からそこまで期待していたわけでもないのだが、期待通りの答えはまるで得られなかった。
使徒の印についてはとんだ期待外れで、そのほかの情報についてもすでに判明していることばかり。
まあ、イザベラや奴隷たちが闇の使徒だとわかっただけでも収穫があったとみるべきか。
「いずれにせよ、これ以上質問するのはしばらく無理そうだな」
これ以上イザベラに無理をさせたところで、有益な情報を聞き出せるとは思えなかった。
闇の使徒などと大層な名を名乗っているが、そもそもこんな場所に奴隷として送り込まれてくるぐらいだ。所詮は使い捨ての下っ端に過ぎないはず。
そんな下っ端に貴人がペラペラと秘密を喋っているとはちょっと考えにくい。
なので貴重な情報は知らされていないものと見るのが妥当だろう。
仕方がない。とりあえず保留にするか。
イザベラが深い眠りについたことをしっかりと確認したのち、俺とフローレンスはもうひとつの用事を片付けるために、その薄暗い部屋から出ていった。
◇
「記憶障害か……」
寝台の上に腰掛け、ぼうっと宙に視線を送っている少女。
イザベラの部屋から出た俺はモーライズ村で助けた少女を、隣部屋からハーフミラー越しに眺めていた。
頭部の傷はすっかり癒えており、治療の際に髪の毛を添った部分もわからなくなるぐらいには隠れている。
年齢は10代前半から中盤辺りだろうか。
証明するものが何もないので年は不明だが、この世界の一般的な認識と掛け合わしても俺は少女にそんな印象を抱いていた。
なかなか容姿が整った少女で、やぼったく無造作に垂れ下がっているブロンドの長い髪さえ何とかすれば、貴族の子女と間違われてもおかしくない可憐さの持ち主。
こちらの少女のほうはすでにある程度の報告を受けていた。
少女が覚醒状態のときに何度かフローレンスがこの少女から話を聞いていたからだ。
その話によると、この少女は重度のエピソード記憶障害らしい。
過去に起きた出来事をすっかり忘れているようで、物事の言葉や意味も辛うじて理解している程度。
ただし、受け答え自体は思いのほかしっかりしているという話だったが。
「はい。ここまで綺麗にエピソード記憶だけが抜け落ちているというのも少し妙なのですが、バイタルの反応からしても、この少女が嘘を吐いている様子はありませんでした」
「ストレスや心的外傷から思い出したくない記憶を消してしまうことだってあるはずだ。けっしてありえない話じゃないさ。そもそもこの少女が嘘を吐く理由がどこにもない」
「ええ。それはそのとおりだと思いますが」
「それで記憶を思い出す可能性は?」
「脳外傷による記憶障害の場合、思い出す可能性は若干ながらありますが、基本的には難しいかと」
「そうか」
問題はこの少女をどうするかだ。
当然ながらいつまでもウーラアテネ内に置いておくわけにはいかない。
さきほどのイザベラと同じく、現在はウーラアテネ内に作られた偽装部屋に閉じ込めている状態。
フローレンスがこのままずっと面倒を見続けるのでは、ほかの仕事に支障をきたすだけだし、いずれこの少女が部屋から出てみたいと言い出すのは目に見えている。
かといって、このまま外部に放り出せば、言葉もろくに話せない状態ではおそらく生きていけまい。
この世界にも孤児院のような施設はあるが、この少女は基本的な生活もままならない状況。最低限はひとりで生活できるような状態にならないと、孤児院で生活させるにしても厳しいかも知れない。
「仕方ない。ポートラルゴの屋敷に連れていくか」
「よろしいので?」
「ああ。誰か適当な人間に世話をさせるつもりだ。しばらくはリリアーテに任せるつもりでいるが、リリアーテはドラガンたちと一緒にラーカンシアに向かわせる予定なんで、その後どうするかだな」
「自動機械でも構わないのでは?」
「そうだな。この少女の世話ぐらいなら自動機械でも何とかなりそうだが。まあ、そのときまでに考えておくさ」
孫六の扱いと一緒だ。
ペットとまでは言わないが、記憶障害というのならそれはそれで身近に置いてもそこまで問題にならないということにもなる。
もちろん内輪話はあまり聞かせないつもりだが、俺たちの秘密を外部に漏らす恐れも低く、そこまで気を遣わなくても済む相手だろう。
「名前はたしかシャーラだったな」
「はい」
少女が自分の名前を思い出したわけじゃない。
少女の近くにあった荷物の中にそのような名前の刻まれたペンダントがあったというだけだ。
荷物自体が別人の物かも知れないし、そうではなくこの少女の母親の名前という可能性だってある。
このまま名前がないと不便なので、勝手に俺たちがシャーラと呼ぶことにしたってわけだ。
そんなわけで俺は一旦シャーラの隣部屋から出ると、面会を果たすために廊下を通ってシャーラが居る部屋へと入っていった。




