106 邪教徒の噂
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「ジークバード伯爵様は例の噂に関してどのようにお考えでしょうか?」
ストレイル男爵の屋敷内。
その一室には、現在ストレイル男爵本人のほかに、ジークバード伯爵と白鷺騎士団の騎士団長であるレオンの姿があった。
「例の噂というと、ボーフム男爵が実は邪教徒なのではないかというあれか?」
「はい。その件です」
「うーむ、何とも言えぬ話であろうな。なにしろ聖女様がそのことについてひと言も言及されなかったのだからな」
「ですが、ボーフム男爵といえば以前から絶えず悪い噂が付きまとっている御仁。そんな御仁にあのような凶禍が降り注いだとあらば、イシュテオール様の神罰を受けたとみるのが妥当なのではありませんか?」
「昨今、何かと不穏な噂があるロレーヌ伯爵傘下の貴族でもあります。それにあの場で気を失った者の多くは、普段からあまり評判がよくなかった様子。むろん、全員が全員そうだというわけでもありませんが」
「うむ……」
ストレイル男爵とレオン団長が、畳み掛けるようにジークバード伯爵に対してそう言い募る。
ジークバード伯爵もそのことならとっくにわかっていたのか、ふたりの言葉を聞くなり口を結び、ふたりに返す言葉を選んでいる様子だった。
「実際のところ、あの光景を前にして、神罰の類いではないのかと疑いたくなる気持ちはわからんでもない。ようやく光が晴れたかと思えば、何人もの人間がその場に倒れ伏していたのだからな」
「やはりジークバード伯爵様もお疑いで?」
「聖女様の様子がどこかおかしかったことは確かだが、あれが神罰だったのかどうかはワシにもわからん。結局のところ何も証拠がないのだ」
「それはそうでございましょうが……」
「そもそも、ボーフム男爵の悪評自体がデタラメで、その噂を流しているのがラグナヒルト宰相だということも考えられるのだぞ」
「なるほど。ロレーヌ伯爵の勢力を少しでも弱めようという魂胆ですか。確かにあり得る話ですな」
「そういう可能性も考えられるというだけだがな。いずれにせよ此度の一件を大事には出来ぬ。なにせそのまま我々に跳ね返ってきてしまうことになるのだ」
「サイクス……ですか」
「うむ」
あの会場で気を失った者たちの中にはジークバード領内の人間も何名か存在した。
といっても、その者たちはジークバード領を拠点にしている商人だったり、下っ端の兵士だったりで、邪教徒ではないかと糾弾したところでジークバード伯爵からすれば痛痒を感じないところだったが。
問題はその者たちの中に白鷺騎士団、副団長のサイクスが含まれていることだろう。
下手にボーフム男爵が邪教徒ではないかと騒げば、その点をつつかれるだけだ。
さすがに麾下にある騎士団の副団長ともなると、そう簡単に切り捨てるわけにもいかず、ジークバード伯爵のほうも痛くもない腹を探られる可能性があった。
「して、レオン団長の目から見て、これまでサイクスが邪教徒かも知れぬと疑うような場面はあったのですか?」
と、ストレイル男爵の会話の矛先がレオン団長のほうへ向く。
「いえ。少しばかり増長している部分はありますが、私には邪教徒のような悪人には見えませんでした。私の目が曇っているのかも知れませんが」
「それを言うならワシも同じよ。サイクスを副団長に任命したのは、他ならぬこのワシ自身なのだからな」
「確かにむやみに決めつけるのは危険かも知れませんな」
ストレイル男爵がそう言って、どうしたものかとでも言いたげに盛大にため息を吐く。
「いずれにせよ、サイクスのほうもひとまず放置するしかなかろう。あれは代々騎士爵家としてジークバード家に仕えてくれたベンダー家の出だ。憶測のみで、いたずらに副団長の任を解くわけにはいくまい」
「わかりました」
「ですが、レオン団長の話では最近サイクスがしつこくエレナお嬢様に付きまとっている様子。お嬢様はあのとおり魅力的な方ゆえ、若い者が熱を上げるのは仕方ないこととはいえ、何か問題が起きてからでは遅いのでは?」
「ふむ。何か別の任務を与えて、エレナから遠ざけておいたほうが無難か……」
「そのほうがよろしいかと。特に今はお嬢様にとって大切な時期ですので」
「そうだな。此度の一件を王都に居るシオンに報告するために、ちょうど誰か使者を送ろうと思っていたところだ。その任務をサイクスにやらせるか。レオン。サイクスの調子はどうなのだ?」
「多少良くなってきているようですが、いまだに不調を訴えております。時折、頭痛やめまいがすると」
「3日のうちに王都に向けて旅立つように命じておけ。書簡のほうは後で届けさせる」
「承知いたしました」
これでこの話は終わりとばかりに、ジークバード伯爵がセレネ公国産のワインを手にして一気に煽る。
祝福がこの地に舞い降りたとは聖女から説明を受けているが、何が起きたのか正確に理解しているエルセリア人は誰ひとりとしてあの場に居なかったに違いない。
そうである以上、ジークバード伯爵としても疑惑は疑惑のうちに留めておくしかなかった。
「そうですか。うーむ……」
「なんだ。まだ何か言いたげな様子だな。そんなにも邪教徒の噂が気になるのか?」
「申し訳ありません。先にこちらをお伝えすべきでした。実を言うとマガルムーク関連でひとつジークバード様にご報告しなければならない儀がございまして」
「マガルムーク関連で?」
「はい。密偵から、まもなくマガルムークの内乱が終結しそうだとの報告が届いております」
「ほほう」
「決着がつきそうですと? まさかとは思いますが、ブルーム城が攻め落とされたということでしょうか?」
ウルシュナ平原、ガルバイン砦と連続で、シアード王子率いる正規軍がマクシミリアン侯爵率いる反乱軍に敗北を喫したことはすでにここに居る全員が知っている。
そのあと、ロッキングチェアの町にあるブルーム城に向けて反乱軍が進軍しているという情報も入っていた。
それらの情報によると、あきらかに反乱軍のほうが優位の様子。
そんな状況でもうすぐ内乱が終わりそうだと知らされたのだ。
ブルーム城が陥落したものとレオン団長が早合点したのも無理はない話だった。
「そうではない。どうやらフランテール湖畔にて、シアード王子の正規軍が見事マクシミリアン候の反乱軍を打ち破ったらしいのだ。その際にマクシミリアン候本人も捕まったそうだ」
「なんと!」
「ふむ。兵力が五分五分だったとはいえ、ここまでの勢いを見ればマクシミリアン候がマガルムークの玉座を手に入れてもおかしくないと予想していたのだが。シアード王子がギリギリのところで踏ん張ったか」
「あくまで噂話に過ぎませんが、シアード王子の危機に駆けつけた英雄リグルズの再来が何やら関係しているのだとか。ロッキングチェアに帰還した兵士たちの話によれば、それはもう目覚ましい活躍だったそうです」
「英雄リグルズの再来とな? まあ、ありがちな話ではあるが。勝ち戦を誇大に宣伝するために、ある程度活躍した兵士を英雄に祭り上げるというのは」
「最後には華々しく散ったという話なので、おそらくそんなところかと。それは良いのですが、ひとつ問題が……」
「なんだ?」
「フランテール湖畔の戦いの際に、マクシミリアン侯爵がグールを投入したとの話です」
「なにっ! まことか?」
「グール? それはまさかひとりでに死体が動き出すとかいう? あれは御伽話の中だけの話かと思っておりましたが……」
ストレイル男爵の言葉にジークバード伯爵とレオン団長が揃って驚きを露わにする。
ふたりともグールの存在自体は知っている様子だったが、ジークバード伯爵はともかくとして、レオン団長のほうは現実には存在しない魔物だと思っていたらしい。
「戦場にてその姿を確認したわけではありませんが、ロッキングチェアの町はその噂でもちきりだったそうです。密偵も最初はマクシミリアン候の邪悪さを喧伝するための作り話かと考えたらしいのですが、その後戦った兵士たちの口から直接話を聞き、真偽の確認が取れたそうです」
「なるほど。マクシミリアン候は邪教徒だったというわけか。それなら突如王家に反旗を翻したことにも説明が付く。そのせいでボーフム男爵が邪教徒かどうかを気にしていると?」
「はい。マガルムークの内乱が邪教徒の手により引き起こされたものだったとすれば、エルセリア王国とて呑気に構えてはいられません。もしロレーヌ伯爵が邪教徒と何か関係しているのだとすれば、マガルムークと似たような事態になることも……」
「お主が危惧している点はよくわかった。その点もシオンに伝えておくことにしよう。ラグナヒルト宰相にもそれとなくマガルムークの件を伝え、注意を促しておくようにとな」
「はっ」
ラグナヒルト宰相とはけっして良好とはいえない間柄。
が、相手が邪教徒となれば話は別だ。
神話の時代、イシュテオールが邪神ザルサスと戦った際に暗躍したほどではないものの、時代の節々に邪教徒と思われる存在が表舞台に姿を現しており、そのたびに世が乱れる結果に繋がっている。
そういうわけで両者の関係性にかかわらず、エルセリア王国全体として対処しなければいけない問題だった。
「それ以外に何か報告はあるか?」
「さようでございますね。あとはマガルムークからの避難民に関してになりますが、今後いかように扱えばよろしいでしょうか?」
「そこまで人数が多いわけでもなかろう。本人が故郷に戻りたいと言うのであればそのようにさせてやればよいし、ポートラルゴに留まりたいようであれば、マガルムーク側が何か言ってくるまでこの町の住民として扱ってやれ」
「それでよろしいので?」
「構わん。マガルムーク国内の領主が何か文句を言ってきても、内乱が落ち着くまでこちらで保護してやったと言い訳すれば済む話よ。まあ、今後内乱が落ち着いたとしても、わざわざ少数の避難民のために文句を言ってくるとは思えぬがな」
「承知しました」
今度は本当に難しい話が終わったのか、ストレイル男爵もテーブルの上に置いてあった酒杯に手を伸ばす。
祝福のこと、エレナの婚約の話、セレネ公国について。
3者による話し合いはいまだ終わらぬ様子であったが、比較的和やかな雰囲気がその場には流れ始めていた。
◆
「ジェマおばさん。明日は小麦パンを60個、お願いできますか?」
「おやおや。いいのかい、ミリヤ? そんなにもたくさん注文してしまって。もちろんうちとしては大助かりだけどね」
「はい、大丈夫です。お代ならちゃんと持ってきましたので」
「お金の心配をしているわけじゃないんだよ。今日の注文は40個だけだっただろ? 残った分を次の日に回したって一日ぐらい平気だけど、やっぱり美味しくなくなるからね」
ポートラルゴの大通りの一角にある一軒のパン屋。
奥のほうでは現在も石窯の中でパンが焼かれている様子があり、煙突からはモクモクと煙が立ち昇っている様子もあった。
「今日の分はお昼前には全部売れきれてしまったんです。皆さん、美味かったから明日も買いにきてくれるって」
「確かにホットドッグってやつは気軽に食べれるし、やたらと美味しいからね。肉をパンに挟んで食べる料理はエルセリアにもあるけど、あれとは何かちょっと違うんだよね」
「きっとジェマおばさんの作る小麦パンが美味しいからですよ」
「やだよ、この子ったら。お世辞まで使って。それでどうだい? ここでの生活には慣れたかい?」
「はい、おかげさまで。皆さんによくしてもらっているからです」
「セレネ公国の方々に感謝することだよ。避難民のマーシャとミリヤのふたりがホットドッグの屋台を出せるようにと、色々と準備してくださったのはあの方たちなんだからね」
「もちろんわかっています。これまでお借りしたお金も、ちょっとずつだけどお返ししていますので」
「そういう私たちだって何かとお世話になっているんだけどね。あの立派なパン窯だってセレネ公国の方が新しく作ってくれたものだし、この小麦パンだってセレネ公国から小麦が安く手に入るようになったおかげなんだからさ」
そう言ってジェマが奥にある石窯を見る。
最近はセレネ公国の屋敷からパンの注文が来るようになり、焼き加減や食感がセレネ人の好みに合うようにと、ジェマのパン屋には新しい石窯が作られていた。
といっても、元からパンを焼くための石窯を持っていたらしく、そのすぐ隣には一回り小さなサイズの石窯も残っていたが。
それに小麦パンといっても、100%小麦で出来たパンというわけではない。
この世界の基準よりもふんだんに小麦が使われているというだけの話ではあったが。
「あの、私たちがホットドッグを売り始めたせいで、ジェマおばさんのところのパンが売れなくなっているなんてことは……」
「ん? その分をミリヤに売っているじゃないか」
「いえ、そういうことではなく。私たちの分は少しだけおまけしてもらっているし、私たちの屋台のほうにお客さんが流れたせいで、ジェマおばさんのパン屋さんに立ち寄る人が減ってしまったんじゃないかと」
「そんなことは心配しなくてもいいんだよ。むしろ以前よりも売上が伸びているぐらいなんだからさ。最近はこの町に人が増えてきているようだし、セレネ公国の方もうちでパンを買ってくださっているからね」
「ほっ。それならよかったです。余所者の私たちのせいで、ジェマおばさんのところのパンが売れなくなっていたらどうしようって、昨日お母さんとも話していたんです」
「何を言ってんだい。あんたたちはそんなことを心配しなくてもいいんだよ。なにしろこの地はイシュテオール様のお力によって祝福を受けたんだ。善良な者たちが集う場所になるってね。そんな時期にここにミリヤとマーシャの親子がやってきたってことは、これもきっとイシュテオール様の思し召しに違いないんだろうさ」
「イシュテオール様の思し召し……」
「ああ、そうさ。ミリヤたちにだってあの光が見えただろ? このままポートラルゴに居れば、何も心配することなんてないんだからね」
誇らしげな様子でほほ笑みながらもそう口にするジェマ。
そんなジェマにミリヤのほうもニッコリと笑みを返していた。
隣国であるマガルムークから避難してきた親子だ。
なるべく差別を受けないようにひっそりと暮らさなければならないことを覚悟していたふたりの元には、思いがけぬ幸運が舞い降りていた。




