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104 影と光

「イシュティール教国の聖女様ですか。私はセレネ公国からやって参りましたフローラ・エリザベート・リアムと申す者。エルミアーナ様、今後何卒よしなに」


 面差しはいかにも優しげだというのに、何故か人間味が感じられない女性。

 俺の目にはエルミアーナという女性がそんなふうに映っていた。


 もし俺の母親が生きていれば、同じぐらいの年齢だろうか。

 どことなく母性を感じるふくよかな体型と、年齢を重ねてもなお女性としての魅力を失っていない美しい顔立ちをしているエルミアーナに、俺は何故かひどく興味を惹かれていた。

 いや、理由はわかっている。

 エルミアーナが俺の母親に似ていたからだ。

 他人の空似とまでは言わないが、雰囲気的によく似ている気がする。

 といっても、母親の顔に関しては俺の思い出の中にあるおぼろげな記憶に過ぎない。実際に記録映像で確認してみたら、全然違っていたなんてこともあり得るが。


 ともあれ、今のストレイル男爵の説明からすると、どうやらエルミアーナ本人はイシュティール教国の人間らしく、現在はエルセリア王国内にあるエルシアード大聖堂で司教を務めているという話。

 ここエルセリアではイシュティール教が広く信奉されており、エルセリア人の信者もけっこう多い様子。なのでイシュティール教国が聖職者を送り込んでくるのはそこまでおかしな話でもない。

 エルセリア王国としても国教とまでは言えないが、イシュティール教に対してはおおむね肯定的な様子だ。

 それはエルセリア王国のみならず、マガルムークやドゥワイゼ帝国においても多少の温度差こそあれど似たような扱いのようだった。

 

 が、何でわざわざ聖女がこの場に?

 ストレイル男爵にも少しだけ驚いた様子がある。その表情から察すればおそらくエルミアーナの来訪を知らなかったということになりそうだが。

 それか、イシュティール教国から使者がやって来ること自体は知っていたものの、それがまさか聖女だと思っていなかったとか。


 だが、セレネ公国のことがラーカンシア諸島連邦まで伝わったのがつい最近の話だ。

 ドゥワイゼ帝国のさらに西に位置しているというイシュティール教国までセレネ公国の話が仮に伝わっていたとして、そのあとすぐに使者を出しても間に合わない計算になるはずだが。


「それでエレミアーナ様。本日はいかなるご用向きで?」


 俺と似たような疑問を抱いたのか、ストレイル男爵がエルミアーナに対してそう問いかける。

 祝典に訪れてくれた客人に対する言葉としては、少しばかり非礼なようにも聞こえたが、それほどストレイル男爵にとっても予想外の出来事だったのだろう。


 エルパドールからの報告によれば、聖女は複数名存在するとの話。

 なので、そこまで特別な存在でもないのだろう。

 とはいえ、尊敬されている人物には違いなく、イシュティール教国内でも序列に関係なく、イシュテオールに愛された特別な存在であるという認識らしかった。

 今わかっていることといえばそれぐらいか。

 人間味のない表情ももしかしたら聖女ということと何か関係があるのなのかも知れない。


「セレネ公国の方々も深くイシュテオール様を信仰していると聞きました。海の向こう側にある見知らぬ地にもイシュテオール様のご威光がしっかり届いていることがこれでわかったのです。そんな神の子同士の出会いのためにイシュテオール様へ祝福を請いにきたのですよ」

「おお。それは素晴らしいお考えですな」

「ですが、私が個人的に祝福を請いに来ただけ。イシュティール教国を代表しているわけではありませんので、その点は誤解しないでくださいね」


 なるほど。それなら納得もいくか。

 エルミアーナが個人的にと念押ししてきたのは、イシュティール教国がセレネ公国を認めたというふうに言質を取られないようにするためだろう。

 そもそもセレネ公国の人間がイシュテオールを信仰しているという噂を流したのは俺たち自身にほかならない。

 まったく違う土地なのに同じ神を信仰しており、神の名まで一緒だったというのも出来過ぎた話だが、神の存在が身近なこんな世界だからこそ逆に信用されるんじゃないかと俺は睨んでいた。

 下手に違う名前にした結果、異教徒だと断罪されてしまう可能性だってある。

 エルセリア人やマガルムーク人を見るかぎり、異教徒に対する扱いは非常にひどいものだ。そういう宗教的な対立を避けたかったというわけだ。


「むろん心得ております。イシュティール教国が関係しておらずとも、聖女様に祝福を請うていただけるだけで望外の喜び。セレネ公国、エルセリア両国にとって素晴らしい門出となること間違いございません」


 祝福というものが謎だが、儀式の終わりなどに聖職者が唱える祝祷しゅくとうのようなものか?

 単なる祝いの聖句ならば問題ないが、これがギフトということもあり得る。

 セレネ公国の嘘が暴かれるような事態にはさすがにならないと思うが、何があるかはわからない。おかしなことにならなければいいのだが。


「うふふ。本当のところは珍しいお菓子がいただけると聞いて急遽やってきたのです。ラング・ド・シャでしたか? 信者の方から少しだけわけていただいたのですが、あれはとても良いものですね。王都でも評判になっていますよ」


 そう言っていたずらっぽく笑うエルミアーナ。

 むろん本当にそれが目的ではないはず。

 社交辞令というか、茶目っ気たっぷりの挨拶といったところか。

 それにしてもここに来て初めて人間味のある表情が見られたような気がする。

 そんなエルミアーナの笑顔が、俺には母親の面影と重なって映っていた。


 ◇


 記念式典のほうは滞りなく進んでいた。

 といっても、壇上の上からラウフローラとジークバード伯爵、そしてディフリード男爵が二言三言ほど挨拶を口にしたあと、3名で握手を交わしたぐらい。

 そのあとは会食形式へと変わり、皆おもいおもいに食事や飲み物に手を出しながら談笑し始めていた。

 その中心に居るのはバルムンドとジークバード伯爵のふたり。

 バルムンドたちが座るテーブルは貴族連中が占拠しており、高官や役人連中はそれとは別のテーブルで談笑している様子。おそらく身分差からバルムンドたちには近付くことができないのだろう。

 出された飲み物にも手を付けずに中庭の隅っこでひたすら大人しくしているだけの港町ポートラルゴの住人に比べればましだが、身分差というものを否が応でも感じる場面だった。


 ラウフローラにも貴族の子息らしい若者が何人か話しかけてきたが、ラウフローラが既婚者であることを伝えると、残念そうな顔を浮かべたあと会話もほどほどにそそくさとその場から離れていく。

 エレナのほうも似たような状況らしく、独身連中の恰好の的になっているみたいだったが、そばでジークバード伯爵が睨みを効かせているせいか、そんな連中もすごすごと退散するはめになっていた。


 結局のところ今回来訪した貴族たちにとって、こういう式典も社交の場でしかないのだろう。

 わざわざポートラルゴくんだりまで家族連れで訪れた貴族も多く、それだけ暇を持て余している証拠であるように俺には思えた。

 自分の領地を持たないような下級貴族は特にそうなのかも知れない。

 ただし、全員が全員物見遊山にやってきた貴族ばかりでもなさそうな感じだった。


 バルムンドに対して無遠慮にセレネ公国のことをあれこれと尋ねてくる貴族。

 あきらかにセレネ公国のことを見下している様子で、いかにエルセリア王国が強大かを語り始める貴族。

 この機会にジークバード伯爵派に鞍替えしようとでもしているのか、やたらと腰の低い貴族と、貴族たちの反応は様々。


 そんな貴族たちを相手取り、ここまで無難な対応をみせているバルムンドだったが、バルムンドやジークバード伯爵とお近付きになろうとしている貴族が意外にも多いことに気付く。

 その連中が金や権力の匂いに釣られているだけなら問題ないが、その態度を額面通りに受け取るのはいささか危険だろう。

 裏にどんな思惑が隠されているのか、わかったもんじゃない。ラグナヒルト宰相から何らかの指示を受けていることだって充分に考えられるのだ。

 まあ、その辺はジークバード伯爵が判断することで、俺たちにはあまり関係のない話だったが。


「どんな感じですか? あなたたちの目から見たエルセリア王国という国は?」


 と、そんなことを考えている最中、ふいに掛けられた声に俺は驚く。

 貴族たちの様子を観察していたせいで、後ろから近付いてきたエルミアーナに俺はまったく気付かなかったのだ。

 が、エルミアーナはついさきほどまで俺の前方で楽しそうにテーブルに並べられたお菓子を選んで摘んでいたはず。

 それがいつの間にか後方へと移動していることに気付かなかったとは……。


「はい? どんな感じとは?」

「セレネ公国の新しい友人として、エルセリア王国が信用できそうかということです」

「聖女様……。なかなか答えにくい質問をされますね。というか、私はただの護衛ですよ」

「あなただってセレネ公国のお方でしょう。セレネ公国の方々は遠い昔に離れ離れになった兄弟のようなもの。そんなあなたたちから見て、エルセリア王国の印象がどう映ったのかを私は聞きたいのです」

「兄弟ですか……。そうですね。素晴らしい友人になることを願っておりますが」

「それはまた何とも面白みのない答えですね。鋭い目つきでエルセリア貴族たちを品定めしていた男性の口から出る言葉とはとうてい思えませんが」

「護衛という立場上、周囲を警戒しているだけですよ。そんな目つきで見ていた覚えはありません」

「まあ、そういうことにしておきましょうか。それよりも気を付けなさい。あなたのすぐそばにザルサスの影が伸びているのが見えましたから」


 急に真剣な表情になり、そんなことを言ってくるエルミアーナ。

 どうやらそのことを言うためにエルミアーナは俺に近付いてきたらしい。が、何故いきなり邪神ザルサスの話を持ち出してきたのか俺にはさっぱりだった。


「その名をみだりに口にしないほうがよろしいのでは? セレネ公国でもその名を口にすれば、悪しき存在を呼び起こすだけだと、古くから伝わっておりますけど?」

「心配しなくても大丈夫ですよ。この場には聖女であるこの私がおりますからね。ザルサスが手を伸ばそうとしても、すぐにイシュテオール様に見つかり、追い払われるだけのこと。あなたは私の真似をしないほうがいいでしょうが」

「なるほど。ですが、私はイシュテオール様に誓って邪神の信奉者などではありませんよ」

「うふふ。そのようなことはわかっています。わざわざあなたに忠告しているのは、あなたがザルサスの標的にされている様子があったからです。何か身に覚えはありませんか? 知り合いなどから強烈に恨まれていたりとか」

「身に覚えですか……。私に他人から恨まれるようなことをした覚えなどないのですがね」

「そうですか。いずれにせよ気を付けることです。あなたがいくらイシュテオール様に忠実で、誠実に生きていたとしても、思わぬことから嫉妬や憎悪の対象になることがあるのです。あなたにザルサスの影が伸びているのは、闇に堕ちた者があなたに悪意をぶつけている証拠ですよ」

「それならその闇に堕ちた者というのが、どこの誰なのか私に教えていただけませんか?」

「残念ですが、私にもそれはわからないのです。そもそもちょっとした欲望や嫉妬、憎悪の念を抱いただけで、そのような感情をザルサスに付け込まれて闇に堕ちることもあります。あの貴族たちをご覧なさい。嘆かわしいことに、あの中に邪教徒が隠れていることだってあるのですから」


 そう言ってエルミアーナが鋭い眼差しで貴族たちの姿を睥睨へいげいする。


「聖女様でもわからないのですか? まあ、ご忠告はしっかりと心に留めておきますが。それとひとつだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「構いません。何ですか?」

「さきほど祝福を請いに来たと仰られましたよね。あれはいったいどういう意味なのでしょうか? こちらの大陸では一般的な慣習なのかも知れませんが、セレネ公国では一度も聞いたことがない言葉でしたので」

「ああ、祝福のことですか。特に何かするというわけでもありません。普通にイシュテオール様に祈りを捧げるだけですよ。ただし、稀にイシュテオール様が祝福を与えてくださることがあります。すべてはイシュテオール様のご意思次第。そしてこの場に居る全員のイシュテオール様への信仰次第なのです」

「はあ……」


 そんなあやふやな答えに俺は問い返す言葉をなくしてしまう。

 祝福を請いにきたなんて言っているくせに、もしかしたらエルミアーナ本人も何が起きるのかわかっていないのかも知れない。

 となると、何も起きなかった場合はイシュテオールへの信仰が足りないってことになるのか?

 セレネ公国とエルセリア王国の両国にとっては記念すべき第一歩だ。

 アグラの一件があるので俺としては何も起きないほうが有り難いのだが、そうなったらそうなったでケチが付いたような気がしなくもない。


 そんな複雑な感情を抱いたまま、俺は母親によく似たエルミアーナという女性の顔を漫然と眺めていた。


 ◇


「我が父にして母なる神、イシュテオール様。あなた様の子供がこの世に生を受けてから、雨に打たれた魔晶石がすり減ってなくなってしまうほどの長い月日が経ちました。ようやく今日ここに離れ離れになったあなたの子供たちが一堂に会したことをご報告申し上げます。そしてイシュテオール様のお導きの元、兄弟同士が手を取り合い、協力しようとしています。願わくばこの敬虔な子供たちに祝福を授けていただきたく、伏してお願い申し上げます」


 滔々とエルミアーナの祈りの言葉がその場で紡がれていく。

 式典に集まったものたちは皆静かに面を下げ、その祈りの言葉を耳にしていた。


 が、はっきりと聞き取れたのはそこまで。

 言葉の響きからして、古代文明マトゥーサの時代に使われていた聖句の一種だろう。

 呪文や祈りの聖句にはマトゥーサ人の言語が使われることが多いという報告を受けていたこともあり、何となくそんな気がする。

 エルミアーナの口から放たれる言葉はまるで魔法の呪文のような怪しい響きを孕むものへと変わっていた。


 と、エルミアーナの聖句の一節が変調した瞬間、うつ向いた俺の視界が突然ぐにゃりと歪んだような錯覚を覚える。

 俺がそう感じたのもつかの間、ラウフローラが小声で異変を知らせてきた。


「レッド。気を付けなさい。今提督に確認しましたが、周囲の人間の状態がどこかおかしいようです。もしかしたら集団催眠か何かかも知れません」

「フローラ様は何か異常を感じられましたか?」

「いいえ。あなたのほうは?」

「少しだけ。いや、何故か周囲が眩しくなっていますね。それと高周波の音を聞いたときのような耳鳴りも若干していますが」

「そうですか。念の為、退避しましょうか?」

「それは最終手段かと。これが祝福だというのならけっして危険なことにはならないはずです」

「そうですね。わかりました」


 俺とラウフローラがこっそりそんな会話を交わしている間にも視界は徐々に光に満たされていく。

 耳鳴りのほうもだんだんと強くなっており、エルミアーナが唱える聖句以外の音をすっかりかき消してしまうほどだった。


 眩い光。

 か細い悲鳴のような耳鳴り。

 何も見えなくなった光だけの世界に、俺ひとりだけ囚われているような錯覚に陥る。


 が、エルミアーナの聖句が途切れた瞬間――。


 俺は目に見えない何者かに抱きしめられていることをはっきりと知覚していた。

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