99 運命の天秤
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ドラガンとルカルナの目の前でゴードウィン海運商会の船が沈んでいく。
間一髪のところで船員たちは全員救助されていたものの、その間に船は積み荷と一緒に深き海の中に消え失せていた。
「あああ。俺様の船が……」
海面を覗き込んでいたドラガンがそう言って救助された船の上でへたり込む。
浸水のせいで船尾が重くなり船体が真っ二つに割れていたので、その時点でもう手の打ちようもなかったのだが、何ひとつ残らず海の底へと沈んでしまった船を前にして、ドラガンは大きなショックを受けている様子だった。
「おっ父、しっかりしなって。こうして命が助かったんだ。それだけでものすごい儲けものじゃないか」
「ルカルナ……。そうだけどよ」
「すみません。おっ父がこんな調子で。わ、私たちはラーカンシア諸島連邦所属のゴードウィン海運商会の者にございます。交易のため港町ポートラルゴへ向かっている道中、運悪く海獣に出くわしてしまい……。危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」
まるで魂が抜け落ちてしまったようなドラガンの代わりに、ルカルカが頭を下げて目の前の男に礼を言う。
むろんその男は自分たちの命の恩人だ。
が、それ以上にルカルナは恐縮している様子だった。
何故なら目の前に居る男が、いかにも高級そうな仕立ての良い服にその身を包んでいたからだ。
どう見ても普通の船員には見えない若い男。
腰に吊るしている見事な意匠の付いた剣帯も、男がただの平民でないことを示している。そもそもこんな大きな船は海運業が活発なラーカンシアでも一度として見たことがなかった。
となれば、おそらくはエルセリアの軍船か何かだろう。
そう考えたルカルナが目の前の男の身分は高いはずだと予想したのも、そう不思議な話ではなかった。
「ラーカンシアの商船か。そいつは不運だったな。が、命が助かったことに喜ぶべきだな。不幸中の幸いってやつだろうさ」
「はい……」
「お前たちは港町ポートラルゴで降ろすことになるが、それでいいか?」
船と積み荷をすべて無くしてしまったルカルナたちは今はほぼ無一文。
ラーカンシアには一応まだゴードウィン海運商会の建物が残っているが、倉庫の中は空っぽの状態だった。
そのうえ現状で港町ポートラルゴに降ろされてもただ途方に暮れるだけ。
ルカルナは命が助ったことに安堵しつつも、この先どうなるかという不安に苛まれている様子だった。
さりとてこの場でラーカンシアまで送ってくれなんて我が儘を言うわけにもいかない。
もしかしたらゴードウィン海運商会以外にもラーカンシア船籍の船がポートラルゴに立ち寄っているかも知れない。
こちらの事情を話せば、乗船させてくれる船があるはずだ。だが、その場合には後払いで高い運賃を払うはめになりそうだが。
最悪ラーカンシア船籍の商船でなくても構わない。
臨時の船員として雇われるなどして、少しずつでもラーカンシアがある南方へ近付くという手も考えられる。
いずれにせよ、港町ポートラルゴからはどうにかして自力で帰るしかなかった。
「は、はい……。出来ればそうしていただければ。それで、あの海獣はいったい何がどうなったんでしょうか? 今は動いていないみたいですが、再び海獣が暴れ出したら……」
「ああ、安心しろ。あの海獣はもう死んでいるぞ」
「ほっ……。それではもしや貴方様が海獣を退治してくださったということなのでしょうか?」
「そうだ。あのままではお前たちが海獣に喰われてしまいそうだったのでな」
「あ、ありがとうございます。おっ父。そうやっていつまで呆けているつもりなのさ。きちんとこの方々にお礼を言いなよ」
ルカルナがそう言って、へたり込んだままのドラガンを足で蹴る。
いつもの癖でついそんな行動を取ってしまったルカルナだったが、目の前の男に苦笑されてしまい、ルカルナは顔を真っ赤にしていた。
が、そのおかげでようやく我に返ったようで、その場に立ち上がり礼を言うドラガン。
「溺れ死んじまうところを救っていただき、誠にありがとうございます。あっしはゴードウィン海運商会会頭のドラガン・ゴードウィン。こっちは娘のルカルナ・ゴードウィンです。そ、その……。もしかしてこのご立派な船はエルセリアの軍船で?」
「いや、俺たちはセレネ公国の人間だ。たまたま近くの海域を通りかかってな」
「へ? セレネ公国……と仰られますと?」
「もしかしてラーカンシアにはまだセレネ公国の情報が伝わっていないのか?」
「あ、いや……。申し訳ございません。あっしが無知というだけで」
現在はラーカンシアにもセレネ公国の情報が伝わっている。
実際のところ、ドラガンの船がラーカンシアを旅立つ少し前に、耳聡い商人たちの間では噂になり始めていたぐらいだ。その時点でそれどころではなかったドラガンがその情報を掴み損ねただけ。
そうは言っても、もう何日かだけドラガンたちがラーカンシアに留まっていれば、おのずとセレネ公国のことを聞くことになっていたはずだが。
「まあ無理もないか。そうだな。セレネ公国については道中説明をする。ただ、現在このヴィクトーリア号にはセレネ公国の高貴なお方が乗船しておられる。なので、お前たちに船内をウロウロされては困るんだ。すまんが、港町ポートラルゴに着くまでは船倉の中で大人しくしていてもらうぞ」
「へ、へい。承知致しました」
「俺はレッド・グリーンウッドだ。数時間程度の船旅だと思うが、困ったことがあったら何でも声をかけてくれ」
「そ、その……グリーンウッド様はもしやセレネ公国のお貴族様なので?」
「階級で言えば大佐になる。身分制度がこちらの大陸とは若干異なっているが、おおむねそんな感じだと受け取ってくれ」
そう名乗った男がドラガンに握手を求めてくる。
その手をドラガンが握りしめた瞬間、ボードウィンの天秤はピタリと動きを止めていた。
◆
「船長、こっちのも食ってみてくださいよ。信じられないほど美味い飯ですから」
セレネ公国の魔導船であるヴィクトーリア号の船倉内。
そこにはゴードウィン海運商会の船員たちが大騒ぎしている姿があった。
さきほど海獣に襲われたことなどもう忘れてしまったのか、まるで船旅を楽しんでいるような船員たちの顔がその場には並んでいる。
海を超えた先にセレネ公国という見知らぬ国が存在していることに驚き、深き海を悠々と航海している魔導船の大きさや、海を切り裂くように走る魔導船の速さに驚愕し、その魔導船が海獣を倒したと聞き感嘆の声を上げ、さらにはセレネ公国から豪華な食事が出されたことに喜びの声を上げていた。
船と積み荷のすべてを失ってしまったが、結果として誰ひとりとして海獣の餌食にならなかったのだ。
船員たちにしてみれば、そこまで落胆するような状況ではなかったのかも知れない。
ロンやモースじいさんは現在の経営状況が非常に悪いことを理解していたが、ほかの船員たちはそこまで詳しい話を聞かされていたわけじゃない。
今度もきっとドラガン船長が何とかするはずさ。そんなふうに楽観的に考えている船員も少なくない様子だった。
が、実際のところゴードウィン海運商会は倒産寸前。
そのことはドラガン自身が一番よくわかっているはずだったのだが……。
「おっ、本当に美味いじゃねえか。この辛さがやたらと癖になるんだよな。いったいどんな調味料を使ってんだ?」
船員たちと呑気に出された料理に舌鼓をうつドラガン。
見たこともない料理の数々に驚きながらも、ドラガンと船員たちが出された食事を片っ端から平らげていく。
「ルカルナ。おめえは食べねえのか? 異国の料理なんだ。そう滅多に味わえるもんじゃねえぞ。飯はラーカンシアが一番だと思っていたが、これからはその認識を改めなければなんねえようだ」
「はあ……。こんな状況でよくもまあそんな馬鹿みたいに食べていられるわね」
「この先いつ食べられるかもわからねえんだ。それにグリーンウッド様だって遠慮せずにどんどん食べていいと仰ってくださっただろ。港町ポートラルゴに着いたら、船内に残った食料は全部捨ててしまうんだってよ」
「そういうことじゃないだろ。おっ父は今の状況がわかってないのかよ」
ついさきほどは茫然自失になって甲板の上にへたり込んでいたはずだというのに、何故か急に元気になっているドラガン。
そんなドラガンにルカルナが多少苛立つのは無理もなかろう。
確かにしっかりしなとは言ったが、呑気でいられるような状況でもなかったのだから。
「俺だって今の状況ぐらいわかってらあ。だがなあ、もう心配するこたあねえんだ。ルカルナもそんなにカリカリしてないで、一緒に飯でも食おうぜ」
「は?」
「実はな、あれほど激しく振れていたボードウィンの天秤がピタリと止まったんだよ。俺がグリーンウッド様と握手したその瞬間にな」
「ん? それがどうしたっていうのさ?」
「こんなもん、どう考えてもグリーンウッド様が俺たちに幸運を運んできてくださったってことだろ。いいか、ルカルナ。ボードウィンの天秤ってもんは止まったタイミングもけっこう重要なのよ。その瞬間に運命が決まったってことになるんだからよ」
「だけど、悪い方向に運命が決まったのかも知れないだろ」
「まあそりゃそうだが……。だがな、ルカルナだってさっきのグリーンウッド様のお話を聞いたはずだ。セレネ公国という国はどうやら交易を生業としているみたいじゃねえか。そこのお貴族様とこうして知り合いになれたんだ。そこにボードウィンの天秤が指し示していた商機があるってえわけよ」
「私たちは無一文になったんだ。商機どころか、奴隷落ちする寸前だってえの」
「うーん、問題はそこなんだよな。ルカルナ。おめえいっちょ、グリーンウッド様の寝所にでも忍び込んで、借金の相談をしてきてくんねえか? もし借金を返せなければ、奴隷にでも何でもなりますってな」
「なっ、何言ってんだい。そんなんで金を貸してくれるとでも思ってんのか? そもそもグリーンウッド様が私なんかを相手にするわけないだろうが」
「それはわかんねえだろ。それによ、おめえがグリーンウッド様に会うたびに顔を真っ赤にして、ぼうっとのぼせ上がってんのはこちとら丸わかりなんだぞ」
「そ、そりゃあ何と言ってもグリーンウッド様は私たちの命の恩人なんだし、あれほど高貴なお方とはこれまで直に喋ったことがないっていうか……」
「どっちにしろおめえにその気がないってわけでもねえんだろ?」
「そ、それは……」
ドラガンに図星を突かれてしまったのか。
見る見るうちにルカルナが顔を赤らめていく。
そんなドラガンとルカルナの会話を遮るように扉をノックする音が聞こえてきたかと思うと、扉の向こうから噂の張本人であるレッド・グリーンウッド大佐が姿を現していた。
「ちょっといいか?」
「ひゃ、ひゃい。な、なんでしょうか? グリーンウッド様」
「ドラガンとルカルナのふたりはちょっと俺に付いてきてくれ。フローラ様からお前たちに重要な話があるそうだ。といっても、ゴードウィン海運商会にとって悪い話じゃないと思うぞ」
「は、はい」
そんなレッド・グリーンウッド大佐の言葉に従い、船倉を出て後ろを付いていくルカルナとドラガン。
こっそりルカルナに目配せしたドラガンの顔には、さっき俺が言ったとおりになっただろと言わんばかりに得意げな表情が浮かんでいた。




