天国――永遠の命――
女には夢があり、それがいま叶えられようとしていた。
『天国』と彼女の名付けたシステムの完成。
例え擬似的なものであろうとも、永遠の命と幸せが約束された、事実上の天国が完成したことに女は誇りを持っていた。
いまの時代、誰もが脳とネットの直接接続を果たしている。
無論プライバシーは保障され、パーソナリティの崩壊を伴うことはない。
通常であれば。
女の作ったシステムは違法なものだ。
けれど、それはもう完成した。
稼動させることにためらいはない。
わたしの一生は、すべてはこの時のためにあったのだ。
蓄えてきた財力も。
培った技術も。
女はシステムの起動スイッチに手をかけながらそう思った。
女は考える。
幼い頃、両親が死んだ。
不幸な事故で。
もう決して会えなくなった。
悲しかった。
この世を呪った。
もうあんな思いを、誰にもさせたくはない。
『天国』があれば、それが出来るのだ。
『天国』が起動した。
後はもう、システムの保守だ。
つまり、システムの問題点の発見と修復だ。
それより他には、女にとってこの人生でやり残したことがなかった。
やがて自らも『天国』に行く時を、心待ちにするばかりだった。
※※※
問題点は見つからなかった。
女はそれから三十年ほど生き延びた。
そうしてある日突然、脳卒中で死んだ。
その三十年の間、世界では様々な死が起こっていた。
そして『天国』は、彼らをどんどんと受け入れていった。
『天国』の機能は、基本的にはデジタルデータの保存でしかない。
誰かの死の瞬間、ネットを経由して脳へ違法なアクセスを行い、そのすべての情報をデジタルデータへ置き換える。
記憶も。
意識も。
何もかも。
そうして『天国』内でそのデータを走らせる。
その結果、死者の記憶と意識は新たな形に置き換えられ、女の設定した安楽な空間でいつまでも楽しく、幸せに暮らすのだ。
『天国』のデータ記憶は数多いる人類の脳の一部に依存している。
ネットを経由して膨大なデータの演算と保存を、生存している人間の脳に行わせるのだ。
だから理論上、人類が生き延びる限り、『天国』は存在し続ける。
そのシステムは完璧だった。
すべては女の意図どおりに出来ていた。
そしていま、女が『天国』へ降り立った。
※※※
どうなっているのか、はじめはわからなかった。
だが、声が聞こえてきた。
『天国』内へ移し変えられたときに行われる特殊なデータ挿入だった。
彼女の死を知らせる言葉と、『天国』内での暮らし方のアナウンスだった。
それで女は満足した。
すべては自分の設計通りだ。
女はいつのまにか、ホテルの一室のようなプライベートスペースにいた。
ここの設計は、自分の意のままに変えられる。
女は意識によってその操作を行い、その空間を、生前の自分の部屋へと変貌させた。
満足すると、やがて女は『天国』へ来ている友人へ、精神通話を試みた。
脳とネットが直接つながれていた生前と同様、そういった機能は使用できるはずだった。
やがて、友人へとアクセスが出来た。
「久しぶり。ここ、天国のようね。居心地はどう?」
彼女はとぼけながらそういった。
『天国』の製作者であることは知れわたってはならない。
人々の意識の中においては、『天国』を、人為の世界ととらえて欲しくなかった。
自然の摂理として、誰もが訪れる場所と認識していて欲しかった。
「ああ、あなたも来たのね」
そう友人の乾いた声がした。
そうしてその声が続けた。
「かわいそうに。みんなここに来るのね。とんでもない場所よ、ここは」
女は動揺した。
とんでもない場所?
なぜ?
『天国』は完全に安楽な場所のはずだった。
おそるおそる、女はたずねてみた。
「とんでもない場所ですって? どうして……居心地はよさそうなのに……」
友人はひとつ、大きなため息をついた。
「はじめのうちはね。思うがままに出来るし、死も病気も、空腹さえもない。そりゃ、楽しかったわ。一月ぐらいはね。だけど、後は何をするの? 私はここに来て三年目。でももうやることがない。何一つ。みんなそう。退屈に倦んでいる。ねえ、教えて? 私たちはここで何をしたらいいの? どうしたらいいの? ただ、永遠を過ごすことしか出来ないの? 何のために、私たちは永遠に生きていけばいいの?」
女には、答えることが出来なかった。