まるで水槽
自宅のマンションのリビングでくつろいで居るときに、何気なしに熱帯魚の水槽に目をやる癖がある。その癖を自覚したのは、水槽から熱帯魚がいなくなってからだ。
かつては色とりどりの熱帯魚が、そこを泳いでいた。彼女と暮らすようになってしばらくして、
「ねえ、プラティを飼ってよ。二人で育てようよ。プラティは可愛くて、かしこいの。きっと好きになるよ」
と彼女が言い出した。
それで二人は、色違いのプラティを熱帯魚屋さんに買いに行ったのだ。
プラティたちは最初のころは新しい環境になれず、落ち着き無く泳いだり、喧嘩をしたりしていた。しかし、それにもすぐになれた。二人が水槽に近づいてながめれば、わいわいと寄ってくるようになった。たしかに、プラティは可愛いだけでなく、頭も良い熱帯魚のようだった。
「名前はつけたりする?」
彼女は言った。
「そうだね。色でいいんじゃない? みんな色が違うし、それで十分識別できる」
「なんだそれ。雑だなー。まあいいけど」
彼女は笑った。
しかし、これが間違いであることに気がついたのは、一番最初に、プラティが病死した後だった。赤色のプラティだった。
二人は、一匹少なくなって寂しくなった水槽を眺めていた。
「もう一匹、プラティ増やそうか」
そして熱帯魚屋さんに行って、やっと気がついた。新しいプラティを買うと、いま水槽にいるプラティたちと、あらかた色がかぶってしまうのだ。
かぶらないのは赤色のプラティだったが、はたして我々は、彼のことを何と呼べばいいのだろうか。二人は言葉を交わさなかったが、眉をかすかにしかめながら赤色のプラティを眺める彼女は、きっと同じことを考えていたと思うのだ。
二人は、プラティを増やさないことに、無言のうちに合意した。家に帰り水槽をながめると、残りのプラティたちがわらわらと寄ってきた。この判断はよかったのだろうか。良くわからない。
それから月日が経つに連れて、熱帯魚は一匹、また一匹といなくなっていった。病気でなくなるものもいれば、飼い方がへたくそで死なせてしまったものもいるのかもしれない(もちろん、大切に丁寧に育てたつもりではあった。熱帯魚のほうは、自分が死ぬ瞬間には、そう思っていなかったかもしれない)。いずれにせよ、熱帯魚を増やすことはなかった。
そして最後の一匹。白いプラティ。次第に元気を無くしていき、エサもあまり食べなくなってしまった。
彼が亡くなる前日の夜。水槽をながめるとこちらに寄ってはくるのだが、やはりエサは口にせず、その身体はすこし傾いていた。口をぱくぱくと動かしながら、じっと私の顔を見ていた。
いつもであれば、彼は飽きてすぐどこかにいってしまうのだけれども、その日はずっと私の顔を眺めていた。
「あなたのことが好きなのね」
彼女が冷蔵庫からビールを持ってきてくれた。私は彼からよく見えるソファにすわり、彼を眺めながらビールを飲んだ。彼は相変わらず口をぱくぱくとしていて、何かを話しかけてくれているようだった。そう思うのは単なる私の勝手で、彼はただ単に苦しいだけなのかもしれなかった。
何を思っているかも分からないくせに、よく勝手に親密な気持ちになれるものだ。
ソファから目が覚めると、彼は動かなくなっていた。網ですくい上げようとすると、網が身体に当たって、ツツーっと滑った。すでに、生き物の動きでは、なくなっていた。
彼が水槽からいなくなっても、ふとした瞬間に水槽を眺めてしまう。水槽がからになり、置いてあるだけになっても、つい水槽を眺めてしまう。そして、わらわらと寄ってくる熱帯魚の幻影がかすかに頭に浮かび、からっぽの水槽がやんわりと、丁寧にそれを打ち砕くのである。
やがて水槽に目をやる癖もなくなったが、ビールを飲んだりしていると、ふと彼らに会いたくなる。まだ元気だった、あのころの彼らに。しかし、会えないのだ。いやになるけれども、そういうルールなのだ。
酔っ払って部屋のベッドに寝転ぶ。四角い天井が視界に入る。まるで水槽みたいじゃないか。そんなことを思ってしまうのは、酔っ払っているからなのだろう。