アイリスの大冒険
投稿開始1周年の記念作品です。
一部残酷な描写があります。流血表現などが苦手な方はご注意下さい。
それはよく晴れたある日のこと。
「お父さま、おはようございます。」
「おはようお寝坊さん。兄姉たちは皆行ってしまったよ。」
「そんな、急がなくちゃ!」
私の家は大きな木々が生い茂る森の中にある。
今日はお気に入りの場所へ行くの。
そこは木漏れ日で気持ちよく過ごせる芝生の原っぱ。
外でお腹が空かないように朝ご飯をしっかり食べて、身だしなみを整えたらさあ出発!
「アイリス待ちなさい。いつものを忘れているね。」
いつものお約束を忘れていました。私たちのお父さまは優しくも厳しいのです。
「はい、お父さま。」
本当はすっぽかしてしまいたいのですがそうは許して貰えません。
私も早くお家を出たいのに。
いつものお約束を少し早口で暗唱します。
「知らない場所にはひとりで行かない。危険な生き物には近づかない。夕食までにはお家へ帰る。」
「陽が傾くまでに帰るんだよ。」
「心配性なお父さま!」
私は玄関から勢いよく飛び出した。
お母さまが亡くなられてからというもの、お父様は過保護になってしまったの。
沢山の兄姉がいるけれど、末っ子の私が心配でしょうがないみたい。
「今日は本当にいい天気!」
しげみでは蛇に気をつけて、白いお花の絨毯をぐるっと一周駆け抜ける。
池まで来たらひと休みしてオークの切り株を飛び越える。
いつもは皆で向かうお気に入りの場所。
急いで追い付かなくちゃ。
目印にしているひときわ大きなオークを越えればもうすぐそこ。
「お姉さま!お兄さま!」
走り抜けるそのままのスピードで、ザッと勢いよく原っぱに飛び出た。
「お姉さま?お兄さま?」
皆で私のことを待ってると思ったのに、お気に入りの場所にはお姉さまもお兄さまも居なかった。
もしかして!
「一番のりなんて初めて!!今日は何もかもが完璧だわ!」
お家からの競争も、いつも手加減なしの兄姉たちに負けてしまうから私が一番になるのは初めてのことだった。
「きっと皆で寄り道をしているのね!」
私は浮かれた気分で日があたる芝生に寝転がる。
背中に当たるチクチクとした感触と濃い緑と土の臭いに包まれて気持ちがいい。
2日前に降った雨のおかげで芝生たちが元気になったみたい。
お日さまの気持ちいい日差しを浴びて、ついうとうとしてしまう。
最近夜中に聞こえる音で起きてしまうことが多くてよく寝付けていなかったからせいかもしれない。
お父さまも心配していたっけ。
兄姉たちを待ちながらまどろんでいると、どこからか不思議な香りが漂ってきた。
「なんの香りかしら?」
体を起こして臭いが漂ってくる方へ視線を向ける。
風が運んでくる臭いを頼りに少し進めば、さらに臭いは濃くなってきた。
「マリー姉さま?ロビン兄さま?」
嗅いだことのない臭いに体が警告を発する。
なのにその臭いには姉マリー、兄ロビンの香りが混ざっている気がした。そう気がしただけ。確かではない。
天を仰げば、うたた寝をしている間にお日様も真上を過ぎてしまっている。
『日が傾くまでに帰る』お父さまとの約束が頭をよぎる。
だが兄姉の気配を感じてしまったせいで、この臭いの元を確かめたくなってしまった。
「もうちょっとだけ。」
きっと大丈夫。
ここに遊びに来て危険なことには一度も遭遇しなかった。
お父さまも安全な場所だとわかっているからここに来ることを許してくださってるはず。
芝生とオークの境界線からじっと森の中の様子を探った。
聞こえるのは鳥のさえずりと木の葉の揺れる音、それに私のうるさい心臓の音。
どれくらいじっとしていたでしょう。
一歩ずつ慎重に、物音をたてないように進みます。
あの香りが漂ってくるのは家と逆の方向。
この先に何があるのか検討もつきません。
どれだけ進んだでしょうか。
啄木鳥の巣穴とキノコの群生を抜けた木々の間に、小屋のような建物が見えてきました。
小屋の周りには見知らぬ大人の男たちが数人、不思議な匂いもはっきりと嗅ぎとれます。
「お父さまに知らせなきゃ。」
ここにきてようやく『危険』を実感して、ゆっくりと後ずさる。
ーガルゥ!!
「きゃ!」
死角から犬が飛び出してきた。
私は脇目もふらず走り出す。
もう辺りは薄暗い、うまく行けば逃げ切れる。
それに初めて見る犬だった。
お気に入りの芝まで行ければ私の方が土地の利があるはず!
「なんとか、あそこまで・・・!!」
翻弄するようにたまに方向を変えながら、キノコの群生を走り抜ける。
突如、足元でガキンッという凶悪な音が鳴った。
罠だ。
「っ!!」
あれに挟まれたら、ひとたまりもない。
背後からは複数の足音。犬一匹と人が何人か。
怖じけずく時間も息をついている暇もない。
「はぁ、ぁ!」
啄木鳥の巣穴はもう越えただろうか。
罠を越えてから犬の気配は遠ざかっていた。
もう少しもう少しだ!
足を止めず一心不乱に森を駆ける。
「あぁ!お父さま助けて!」
息もたえだえになりながら木々の切れ目から飛び出した。瞬間、森に大きな音が響く。
「ぇ?」
森を駆けていた私の身体がドサリと芝生に落ちた。
身体が痛くて熱い。
男たちの足音が迫ってくる。
「ハハッ!今日は入れ食いだなぁ!!」
「まぁ、さっきのよりか小振りだが充分だろう。」
男たちはなにかを言いながら私の後ろ足を掴んで持ち上げた。
怖い怖い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
逆さ吊りにされたことで血が一気に頭に上る。
一人の男が顔を不細工に歪めてニタリと笑うと私を掴んだまま、森の奥へと歩きだした。
「そっちじゃない!私は!帰るの!」
ニンゲンに私の言葉は届かない。
掴まれた足に力を入れるが、男が握った手はびくともしなかった。
頭に逆流した血が胸に空いた穴から流れていく。
どうして。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
あの時に家へ引き返していたら、もっと早く逃げ出していたら、この危険な臭いに気がつけていたら。
意識が絶つ寸前。私は私の命の末路を悟った。
ああ きっと、
あすには おいしいおいしいラビットパイ―。