失われた文化
『失われた文化』 二−A 榊原アミラ
皆さんは、失われた文化というと、まず何を連想されるでしょうか。
もうすぐ、西暦二一〇〇年を迎えます。この節目に失われた文化を考えようという趣旨での研究課題ですが、私は、特に日本の文化、そしてメディアでの懐古の対象になっていないような文化を考えたいと思います。
そこで私は、常日頃から失われた文化を再興したいと願っているひいおじいちゃんに協力してもらうことにしました。同じ志を持つ方々で会議を開いてもらい、その様子を見学させてもらうことにしたのです。
大変熱い会議でした。失礼な表現になりますが、ご老人の集まりとはとても思えない熱気を感じました。
深く感銘を受け、これは多くの方に知ってもらいたい、もっと広めたい──心から、そう思いました。
では、実際の音声、映像をご覧ください。
*
二〇九九年、十月某日──
関東圏にある老人福祉施設、『シルバー快適生活空間 ドキドキ』では、ある重大な会議が開かれようとしていた。
参加シルバーは、男女含め総勢二十人。全員、かつてはその道を極めていたと豪語する、平均年齢約百歳の猛者たちだ。
『ふれあい会議室』の中央には、巨大な丸テーブル。彼らはそれぞれ姿勢良く席につき、会議の開始を待っていた。
議題は、『失われた文化』について。
朝十時を報せるベルが鳴った。同時に、丸眼鏡のシルバーが、仰々しく咳払いをした。
「では、会議を始めよう。進行は、私、榊原拓郎が務める。尚、事前に報せていることだが、ひ孫であるアミラが傍聴する」
部屋の端にイスを与えられていたアミラは、立ち上がって会釈したが、そちらに注意を払うものはほとんどいなかった。皆、拓郎を見ている。
茶目っ気を演出するはずの丸眼鏡をしているというのに、拓郎は強面で充分通用するシルバーだった。平均寿命が百五十歳まで延びた現代において、百十歳の拓郎はまだまだ若造といっていい部類だったが、それでも皺だらけの顔には威厳が感じられた。
何より、信念があった。
今回の会議を実のあるものにして、次に繋げていきたい──いや、繋げなければならないという、確固たる信念。
失われた文化を、日本国に取り戻すために。そして、遅れて生まれた愛するひ孫が、無事研究課題を終わらせるために。
「その前に、全員、目の前のPBを片づけてくれ。それは必要ない」
拓郎は、眼光鋭く一同を見わたし、びしりといい放った。PBというのはパーソナルボードの略称だ。メモ機能に特化した、手のひらサイズの携帯情報入力機器。ディスプレイはなく、空気中の物質を利用した映像投影法が採用されているが、近年、眼球神経への悪影響が懸念されている。
「しかし、拓郎さん。おれらは、これがなくちゃあ、なんもできんじゃろ」
「そうよう、手元にないと、心許ないわ」
白髪の祐三と、ナイスバディの紀美子が、口々にいう。
拓郎は、重々しく息をついた。
「かつてのパソコンや携帯電話……というよりも、いわゆるネット環境が、私たちが再興を願う文化の普及に一役買ったのは間違いない。そういう意味で、PBの祖先たる彼らに感謝の念もある。だが、そこに頼っていたのでは、再びあの感動に打ち震えることはできないのだ! いまは、勇気を持って、文明の機器に背を向けるとき!」
拓郎は、力強くテーブルを叩いた。シルバー陣が息を飲む。うち三人が咳き込んだ。
なんと、鬼気迫る様相だろう……こいつ、本気だぜ……──シルバーたちは、気を引き締め、全員おとなしくパーソナルボードを片づけた。
拓郎は、満足げに笑った。改めて、先ほどよりも真剣な面持ちになった十九人をゆっくりと見た。うむ、とうなずく。
「では、議題に入ろう。事前に、各々の譲れないものについて、意見を寄せてもらった。矛盾して悪いが、PBを介してな。あえて、ボードは用いず、私の脳に記憶されている意見のすべてを、伝えよう。とりあえず、聞いてくれ」
もったいぶるように、拓郎は丸眼鏡をかけ直した。
榊原拓郎、百十歳。記憶力では、若いものに負けない自信がある。
「──『メイド』」
まず、一言。
力ある一言を、放った。
シルバーたち、とくに男性陣が、おおお、とうなるような声をあげた。拓郎は続けた。
「『女子高生』、『巫女』、『ナース』、『婦警』、『スク水』、『赤フレームの眼鏡』、『天才幼児』、『ドジッ子』、『迂闊なしっかり者』、『オレっ子』、『妹』、『ネコミミ』、『内気(大きい)』、『ツンデレ(小さい)』……」
「大変じゃ! 光彦さんが鼻出血を!」
「拓郎さん、ちょっとペースを落としてくれ! わ、わしらには、刺激が強すぎる」
光彦が血を吹き、まわりのシルバーがフォローにまわる。目を閉じ、まるでお経を唱えるように淡々と告げていた拓郎は、初めて会議室内の惨状を見た。
男性陣のうち、目を爛々と輝かせ、身を乗り出して食いついているのが約半数、残り半数は、動悸、息切れに喘いでいた。
「おじいちゃん、ちょっとやりすぎじゃあ……それに、よく、意味がわからないわ」
見かねて、アミラも意見を口にする。拓郎は愛するひ孫を哀しい瞳で見つめた。
「そうか、わからないか……」
つぶやいて、あからさまに肩を落としてしまう。他のシルバー陣からも一気に注目され、鼻をすする音まで聞こえてきて、アミラはひるんだ。自分はあくまで傍聴の立場として、空気のような存在であろうと思っていたが、自分の放った一言でここまで落胆されてしまったのでは、黙っているわけにもいかなかった。
「ねえ、わかるように教えて。さっきの単語の羅列は、どういう意味なの? 聞き覚えのないものもあったし、共通点も思いつかないのだけど」
「お嬢さん、女子高生だろう」
パンチパーマの健吾が、アミラに話しかけた。アミラは、曖昧に首をかしげる。
「女子、高生……そうですね、ええと、スチューデントです、ハイスクールの」
「ふふ……スチューデント、ね。拓郎さん、いったんさい」
悟りを開いたような表情で、健吾は拓郎を促す。拓郎は、アミラにびしりと指を突きつけた。
「もうそこが、『失われた文化』だ」
他のシルバーも、重々しくうなずいている。アミラは少々面食らったが、それでも反論を口にした。
「名称変更はもう何十年も前のことよ、おじいちゃん。まさか、そういう意味での失われた文化? 私が知りたいのは、もっと……」
「嬢ちゃん、わかってないのう。女子高生、という言葉が失われたというのが問題じゃあない。問題は、女子高生、という言葉と共に失われてしまった、あの要素」
白髪の祐三が、しみじみと続ける。アミラは息を飲んだ。
「──と、いうと?」
「言葉でいっても伝わらないだろう。魂で理解してもらわないといけない。──裏を返せば、アミラが理解できたのなら、文化の再興も夢ではないということだ」
その真剣な眼差しに、アミラは生唾を飲み込んだ。
もしかしたら、自分はいま、重大な時代の局面に居合わせているのではないだろうか──そんな気すらしてきて、意見を口にするのをやめた。ここは、黙って動向を見守るべきだ。
わかればいい、とでもいうかのように、拓郎はゆっくりと首を縦に振る。それからシルバー陣に向き直った。
「実は今回、ある道具を用意した。現在では大変貴重となったが、家の大掃除の結果、発掘に成功したものだ。──これだ」
拓郎は、イスの下からブラウンのアタッシュケースを取り出した。骨張った、しかししっかりとした手で、中から一枚のまっさらな紙を取り出す。
かすかにざわついていた室内が、水を打ったように静まりかえった。
だれもが──アミラも例外ではなく──A4サイズの紙に目を奪われた。
一枚の、何も書かれていない紙だ。続いてテーブルに出された、色鉛筆や色ペン、クレヨン等、画材の数々。
「か、か、か、紙だ──!」
だれかが叫んだ。それを皮切りに、シルバーたちは立ち上がり、少しでも近くでそれを拝もうと、拓郎を取り囲んだ。
「紙だ! 何も書いていない、罫線もない、紙だ! なんと久しいことだ──!」
「匂い、匂いじゃ、匂いを嗅がせてくれ!」
「うおおおおお、広がる世界、無限に広がる世界!」
「コピックだわ! 水彩色鉛筆も! トーンは、トーンはないのっ?」
だん、とテーブルが固い拳で叩きつけられた。
喧噪は一気に集束し、視線が拓郎に集まる。黙らせた主である拓郎は、あえて囁くような声でつぶやいた。
「──ここに、イラストを描こうと思う」
電撃が駆け抜けたかのように、シルバー陣は一様に目を見開いた。
資源不足が叫ばれる中、紙の製造が取りやめになったのはもう半世紀も前のことだ。同時に、紙に記すのを目的とする鉛筆や画材の類も、市場から姿を消した。
いまでは、それらを公然と手に入れられるのは、金持ちか、芸術家としてのライセンスを持つ資格者だけだ。
しかし、いま、二十人のシルバーとアミラの前には、紙があった。
鉛筆も、ペンも、あった。
そこにイラストを描くという。なんと、贅沢なことだろう。
「そこで、だ」
もったいぶるようにじらしつつ、拓郎は各々の目を見て、ゆっくりと続けた。
「皆の意見を、聞きたい。さあ、文化再興のために、この紙に何を描くか! いま、皆のセンスが問われるのだ!」
「巫女だ!」
パンチパーマの健吾が叫んだ。
「耳! 獣の耳を!」
ノースリーブの朋子が続く。
「背景も重要じゃ! 月、月じゃ! 月に変わっておしおきじゃ──!」
「元気ッ子を、こう、全面に!」
「神秘的な魅力を持つ、目つき悪い系を!」
「二の腕ははずせん! 腕は出すべきだ!」
「ツンデレー!」
「ヤンデレー!」
「薙刀じゃ──!」
「ご奉仕じゃ──!」
「語尾は『にゅ』で」
「『にょ』だ!」
「裏設定は妹」
「他人として出会って、付き合っているうちに兄妹だと発覚──!」
「男はいらん」
「主人公はわしじゃー!」
「夢小説でいこう」
「お姉様もイイ!」
白髪の祐三、ナイスバディの紀美子、熱血漢の光彦、ハンターの伸吾、ニヒルな二枚目義男……──彼らは口々に、己の情熱をぶつけた。
意見を丁寧に拾いながら──もちろん、すべてを採用することは不可能だったが──拓郎は、慣れた手つきで鉛筆を動かしていった。
そのうちに、全員が黙った。息を飲んで、拓郎の作業を見守った。
下絵が完成し、着色に取りかかっていく。できあがりゆく様子に、涙を流すものもいた。
どれほどの時間が経ったのだろう。
物音一つたてるのがためらわれるような、重厚な沈黙が続いた。トイレに立つものすら、ひとりもいなかった。
「……でき、た──!」
拓郎は、色鉛筆をテーブルに置いた。
一枚のイラストが、その姿を堂々と晒していた。
バックには煌々と輝く丸い月。袖無し巫女服を着た元気少女と、神秘的な美少女。頭にはウサギの耳。
「アツイ……!」
赤く染まった鼻ポンを詰めた状態で、熱血漢の光彦が呻いた。ああ、アツイ、アツすぎる、とだれもが同意した。
「これこそが、失われた文化」
拓郎は、アミラに向けて、誇らしげにイラストを掲げた。
「こ、これが、失われた文化……!」
アミラの中にも、何かアツイものがこみあげてきた。
ものすごい熱気を感じた。この二十人で世界が獲れる、と思うほどの。
「さあ、みんな、いまこそ、叫ぶときだ──!」
拓郎が立ち上がる。シルバー陣は打ち震えながら、右の拳を天井に向け、叫んだ。
「萌えー!」
「萌えー!」
「萌えー!」
*
いかがでしたでしょうか。
もはや、この映像に加える説明も考察も、不要だと思われます。
ともかくも私は深く感動し、この文化を広めたいと、そう思ったのです。映像からでも充分に伝わるかと思いますが、実際にその場に居合わせた私に伝わってきた感動は、とても言葉にできるものではありません。
輝いていました。
みなさん、本当に、きらきらしていました。
私は、この『萌え文化』を再興させたい、そうしてみなさんに輝いていただきたいと、心から願っています。
追記になりますが、萌えの属性というものは様々あるようです。
今回紹介した絵は男性向けの王道ともいえる萌え要素が詰め込まれているとのことです。先輩方との話し合いの結果、私の萌え属性は、『短パン』、『ひざ』、『三白眼』、『不器用』、『年下』にあるだろうことがわかりました。もっと極めて、ぜひ、全力で萌えたいと思っています。
いつの日か、萌えが世界中に広がることを願って──
二〇九九年 十月二十二日 榊原アミラ
了
読んでいただき、ありがとうございました。
これは、『小説風景12選』(10月)参加作として、御神楽羽奏先生のイラストに物語を加えさせていただいたものです。
イラストを拝見した瞬間、あまりの萌え要素満載なかわいらしさに、もう「萌え」しか思いつかず、こういった内容になってしまいました。
精進します。