三
シーディショップに足を運んでみたが、近辺に彼の姿はなかった。ついでと思って中に入ってみるとラヴァーズの特設コーナーは撤去されていた。まだ半月と経っていなかったが、時代の流れの速さなのか、それとも件のニュースに関連して早々に対応したのかはわからない。ショップとしても売れないものを置いておいても仕方ない。
家に帰り着くと、求めていた猫は玄関の前にいた。
「どうも」猫は後ろ足を伸ばして先端を舐めながら、「中に入れていただけますか」
そんなことを言う。大したやつだなと思う。
「この間は人通りが多すぎましてね。あなたが不審がられやしないかとひやひやしていました」
「そりゃ、配慮をどうも」
中に入ると猫はすたすたと居間へ向かい、座布団の上に鎮座した。
「ご用件をお聞きしますよ。また、何か盗んで欲しいですか?」
「なあ」僕が言うと彼はちらりとこちらを見る。「あいつらから盗んだものを、返してやってくれないか」
それは予想の範囲内だったのか、彼は首を振る。
「返すことは出来ません。僕は盗みが専門です。盗んだものを返す泥棒なんてあったものじゃない」
「そこを何とか頼むよ。この部屋にあるものなら何でも盗って行っていい。だからそれと引き換えに」
「無理なものは無理ですよ。それに」と言って彼は姿勢を崩す。「僕が盗んだものは未来。そもそもが不確定なものなのです。彼らにちゃんとした地力があったのならば、こんなことにはならなかったとも言える」
「じゃあ、ツアーが失敗したのはあいつら自身のせいだと?」
「そうも言える、という話です」
「そんな話」
と言いかけて、確かに彼らはライブ時のトラブルに関しての対応力がなかったと思い当たる。ひとつひとつは小さなものだったかもしれない。むしろ、それを盛り上げる材料に出来るバンドマンだっているにはいる。彼らはプロとして活動をしていたが、そのプロとしての意識が足りなかったと、言えなくもない。
しかし、それは詭弁だ。
「往々にして、事象は起こるべくして起こります。僕が未来を盗んだ結果なのかどうか、そもそもそれ自体あなたにはわからないはずです」
「そうは言うが、君は未来を盗むと俺に明言したじゃないか」
「僕にも盗めるものと盗めないものはありますよ。そう考えることも出来る、という話ですが」
どうもこの猫、口が達者だ。
言い返せば言い返すだけ負けの数が増えていくだけのような気がする。
「返してやれないと言うのなら、俺は一生君を恨むよ」
「見当違いも甚だしい。あなたが望んだ、だから叶えた。それが、この結果なのです」
「俺が望んだのは、こうじゃない」
「嘘は見抜けますよ。あなたは羨ましくて仕方なかった。自分との差を明確に見せ付けられて悔しかった。そうでしょう。僕は、望まれたところにしか現れません。あなたが望まなければ、そもそも出会うこともないのです」
ぺろり、と舌を出して口の周りを掃除している。それが酷く馬鹿にされているようで、腹が立った。
「わかったよ。俺からして間違いだった。それは認めよう。君の言うとおり、俺は羨望だの嫉妬だのを抱えてる。それは俺自身が余所見をしてきたから生まれたものに違いない。逃げた俺が悪いってことももう十分わかった」
「あなたが悪い、とは言っていませんよ」
「でもそういうことだろ」にたにたと笑っているように見えて仕方がない。「俺はもうあいつらに顔向けできない。実際がどうであれ、俺自身が、彼らの未来を奪ってしまったんだと思うからだ。そんなこと、誰に許されるはずもない。誰にもそんな権利はないんだ」
「権利の問題ではないですよ。あなたにはそれが出来た、だからそうした。それだけじゃないですか」
「こんなに後悔するなら最初から」その先をなぜ言いよどんだのか、僕自身にもわからない。「最初から、俺一人で、ひっそり死ねばよかった。羨ましいというばかりで何もせず、あまつさえ他人の可能性を奪った。もう、生きている価値などない」
猫は不思議そうな顔をした。
「生きる価値? それは誰が決めるものですか? もう結果は出ているのです。あなたは嘲り笑えばいいだけですよ。そこに、惨めな自分を投影して。彼らはもうあなたの望むものは持っていない」
僕の、望むもの。
そうだ。何も音楽ばかりに未練があったわけじゃない。
何もかもを諦めてきた僕が手にしたかったのは、
「夢か」
明確な何かではなく、「何かを追い求める自分」それ自体を、僕はいつの間にか失っていたのか。それをこの猫は、多分、知っていた。そういうことなんだろうと思う。
でも、
「君には、人の夢の価値などわからないだろうね」
「人の夢の価値」
「何でも盗んで手に入れられる君には、そこへの果てしない思いも、惜しみない努力も、わからないだろう。だから簡単に奪ってしまえる。無知は罪だな」
猫は何も言わなかった。
何かを考えているのかどうかも、その顔からは窺い知れない。ただ、しゃんと座りなおし、キッとこちらを見る視線は、何か、憎悪や悪意に満ちているような、そんな気がした。あるいはそんな感情すら、彼にはないのかもしれないが。
「つき合わせて悪かったよ。もう終わりだ。君は俺の願いを叶えてくれた、ただそれだけだ。こんなもの、何を言っても八つ当たりに過ぎないだろう。だから、帰ってくれ。君と話すことも、もうない。盗んでくれてありがとう。後悔しか残らないよ」
「ご満足いただけて幸いです」
するりと身を翻し、猫は部屋を出て行った。
一人の部屋を、煙草の煙で満たす。
因果応報というものだろうか。
心があれば、苦しくなる。
誰かの未来は、誰かから見た僕の未来だ。
同じように与えられた可能性のひとつを、僕は今、そっと絶やした。
登場人物に自分の状況を重ねすぎて駄目でした。
そしてロシアンブルーが安定しない。よく喋る猫だ。
次から別の話です。