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泥棒猫は今日も盗む  作者: 枕木きのこ
「お姉さんの四年間、僕が盗んであげる」
2/7

「あれ、なんか今日肌ツヤツヤじゃない?」

 職場に着くと、更衣室の中でカサギさんが声を掛けてきます。カサギさんは私と同い年の先輩に当たる方で、普段からよく気にかけてくれる優しい方でしたが、今は、できればそっとしておいてほしいなと思うのが本音で、さらに言えば「同い年」という表現が正しいのかどうか、不鮮明で困惑してしまいます。

「そんなことないですよ」

 すらりと伸びた白い四肢を剥き出しのままに、そそくさと着替える私を眺めているカサギさんの目は、疑いというよりは羨望のように窺えます。などと言うと、自惚れでしょうか。実際に身体が若返っている以上、彼女より肉体的経過時間が短いことになりますが、私から見れば自惚れなど淡いもので、彼女が私をどう見ようとも、私にはカサギさんの身体はとても美しく見えます。

 しかし、

「早く着替えた方がいいですよ」

 今はお互の身体を眺めている暇はありません。

 勢いと言おうか、結局どんなことが起きようと日々のルーティンから抜け出すことは難しいもので、私は淡々と仕事をこなしました。彼に捨てられた悲しみも、身体が若返った驚きも、あのロシアンブルーの謎も、今は思考の隅に追いやります。

 幸いというべきか、朝のカサギさんからの一言以外、私の若返りに言及するような言葉を浴びることはありませんでした。戻ったのにこんなものかと拍子抜けするような気持ちもありますが、大抵の人間は些細なことであれば疑問に思ってもそのままにしてしまいがちですから、中には気付いていたけれど言わなかっただけの方もいるでしょう。ましてや本質的に身体が若返るなどありえないと思うのが普通で、火傷の痕の件がなければ、私だって何気なく過ごしていたと思います。なんとなくいつもと違うような気がする、と思うのが精々です。

 ただそうした僅かな認識の差異が、案外重要なのだと、思い知るのです。

 仕事帰り、ロシアンブルーのお望みのかつお味の猫缶と、憂さ晴らしのビールを買いにドラッグストアのレジに並ぶと、なんと年齢確認をされたのです。確かに四年ほど前は、二十歳を三年も過ぎたのによくこれをされていましたが、今はその時にも増して、免許証の生年月日に驚かれます。そうです、私、本当は二十七歳です。

 家についてから窓を開けて様子を窺っていましたが、ロシアンブルーは顔を見せませんでした。「たまに」という文言は曖昧なものだなと思います。

 一人シャワーを浴び、ご飯を食べていると、携帯電話が鳴りました。カサギさんからのメールです。

「なんかいいアンチエイジング見つけたならもったいぶらずに教えてよね」

 私はカサギさんのこういったお茶目ともいえよう一面が微笑ましく、彼女のことを好きだなあと感じるのです。と言っても、しゃべるロシアンブルーにお願いしたら若返りますよなどと教えることは出来ません。教えたところで怪訝に眉をひそめる彼女の顔が浮かびます。

「何もしていませんよ」

「何もしていなくてそれならみんな若いよ!」個人的にはカサギさんは十分に若く美しいと思うのですが、そんな甘い匂いのする思考は次の一言で脆く朽ちます。「彼も喜んでるんじゃない?」

 確かに私は望んだとおり、彼と過ごした四年分、すっかり若返ったようです。それはもはや認めざるを得ない事象と言えましょう。しかし、彼との思い出までなくなったわけではありません。私は二十七歳の精神のまま、ただ単純に身体だけが若返ったのに過ぎないのです。

 私よりも若い女の子に流れていった彼は、きっと今の私を見たら「出会った頃のようだ」と、喜んでくれたかもしれません。でも、そんな可能性を打ち消したのは彼で、私もそれを強引にせよ認めたからこそ、一人でシャワーを浴びご飯を食べているのです。

 どんなにすばらしい思い出も、共有すべき相手を見失えば虚ろになります。却って錘になる場合だってあります。

 私は捨てられた身であって、だからこそ四年前に戻りたいと願いました。しかし戻ってみても何にもなりません。彼が帰ってくるわけでもありません。私の中に蓄積した感情や記憶は消えません。

 じゃあ私はどうして時間を取り戻したいと願ってしまったのでしょう。戻ったら何が起こると期待していたのでしょう。

「彼とは別れたんです」

 文字にすると、重みが増すのがわかります。それは変えがたい事実でしかないのだと実感します。

 優しいカサギさんは、電話を寄越してくれました。私は泣きたいような、怒りたいような、自分でもわからない思考を抱えたまま、それでも彼女ならよい選択肢を投げてくれるのではないだろうかと、こんな私を許容してくれるのではないだろうかと、そう思って通話ボタンを押しました。

 ところが彼女の第一声は、とても予想だにしないものでした。

「よし、合コンに行こう!」

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