雪降る夜の出会い
それは白い雪がちらつく夜のことだった。
飛はいつもどおり夜の鍛錬を終え、薪を担いで家に戻るところだった。周りには人っ子一人いない。森に囲まれたこの場所に、人が入ることはない。自分はそれを望んでここにいる。
家に入る前に、肩に担いだ薪を下ろす。その一つを掴むと、高く天へと投げた。小さな点となった薪がくるくると回りながら落ちてくる。その瞬間を逃さず、自分は足を高く上げた。すねが額に届くか届かないかのところで止まるとぴっとつま先をつまびいた。
からん、からんと二つに割れた薪が地面に落ちる。長年の鍛錬の結果、つま先に気をためることによって、刃物よりも鋭い武器となった。
熱い胸板、太い手足、そしてその体躯から想像できる素早さ。
それを維持し続けるために今もなお修行を続ける。
くだらない鍛錬だ。
これが何の役に立つという。
ひたすら肉体を鍛えた。それにより、何が得られたというのか。
人の見世物となり生きてきた半生を嘆き、逃げ出した自分になにがあるというのだ。
ふとしたことで自虐に陥りながらも、割れた薪を拾う。家に入り、暖炉に薪をくべなくてはなかった。
己一人ならば、この寒さは鍛錬という一言で我慢できよう。しかし、家にいるのは自分一人ではなかった。
薪をくべて粗末な夕食をとり、さっさと眠ろうと思っていたときだった。
!?
気配がする。
家のほうからだ。
飛の周りの空気が一気にはりつめた。
息を殺し、そっと家の方を見る。
大きな男が窓をのぞいていた。長い髭が後ろからでも見える。派手な赤い衣を身にまとっているが、その上からでも引き締まった筋肉がうかがえた。
こんな至近距離にいたとは。
ぞくりと飛の全身の毛が逆立った。悪寒とともに、昂揚感がおさえきれない。
相手も飛の存在に気づいたのか、ゆっくりと振り返った。白髪の老人、だが、その目はぎらぎらと満月のように輝いていた。
物盗の類か。
男は大きな袋を抱えていた。
こんな家に金目のものはない。
荒らすなら荒らすがいい、と言いたいところだがそうもいかない。
飛はゆっくりと前にでると、右足を前に出して、構えをとった。見よう見まねで覚えた拳法に自分なりの改良を加えたもの。ふざけた型に見えるかもしれないが、それを笑ったものたちは今はもう生きていない。
握った黒い拳に、何人の血が染まっているだろうか。これ以上増やすつもりはなかったというのに。
飛は地面を蹴る。一気にその巨体を白髪の老人へと近づける。
一撃で仕留めるはずが、老人は老いを見せぬ動きで返す。くるりと身をひるがえすと、飛の腕を掴む、それをそのままねじ切るように回す。
そうはいくか。
飛は自分の身体をねじらせ、老人の手から離れる。間合いをとった飛の視界には、赤い衣をきた老人が立っている。柔和な顔から想像できない気が、その全身から立ち上っている。
できる。
飛は構えなおした。
自分の身体から、老人と同じく気が立ち上るのがわかる。思わず、舌なめずりをしてしまう。
これは、久々の好敵手だと。
捨て去ったと思った心がどんどんわき出でてくる。なんとも強欲な己の我を憎々しげに思いながら、それでもその心に嘘はつけなかった。
気が付けば拳を繰り出していた。老人は飛の拳を受け流し、そして、時に反撃を加える。
飛が剛の拳なら、老人は柔の拳だ。
昔から、柔よく剛を制すとあるが、飛はそうは思わない。
組手のような拳のぶつかり合いがどれくらい続いただろうか。
飛の血は高揚していた。頭は冷静なつもりだったが、久しぶりの好敵手に気持ちが高ぶっていたのだろう。口から唸り声が漏れる。理知的に生きようとしても、その野生は忘れられぬ、それが本能故仕方ないと諦めている。
その喉ぶちを食いちぎってやりたい。口から唾液があふれてきた。遠い昔に祖先が捨てたはずの食欲がわき出でてくる。
血走った目で獲物を追い、その鋭い爪で内臓をえぐる。獣の本能を体現し、それを身体が実行しようとする。しかし、老人の臓物を引きちぎることはできない。
ふと、老人がその目をゆっくり伏せた。
飛を憐れむような目をしていた。老人は飛の後ろへとくるりとまわりこむと、その耳元で囁いた。
「獣よ、なぜ、争おうとする?」
くだらない質問だ。
それが本能だからだ。
「お前の祖先は、とうにそれを捨て、肉を断ったのではないのか?」
老人は飛のすべてを知り尽くしたかのように語りかける。
黙れ!
力任せに振り上げられた拳は、老人に届くことはなかった。老人の年齢を感じさせぬ軽やかな動きに、翻弄されるだけだ。
なにが好敵手だ。
飛はより高い次元の人間を相手にしていることに気が付いた。
老人は長い髭を擦り、にやにやと笑う。
飛は、そのくまに覆われた目をぎらぎらとさせて、老人を睨む。
「お前さん見た目は立派だが、中身はまだまだ若造だな」
うるさい、と吐き捨てたくなる。しかし、この老人にはそんなの言わなくてもわかるだろう。
構えをつくり、もう一度老人へと掌底を放とうとするが、それはなんなく掴まれ、ぐるりとからめとられてしまった。
「若いのにこれだけの血の匂い、いやになる」
すん、と鼻を鳴らし、老人の柔和な顔が一気に険しくなる。
「その本性、お前はこれからも捨てられぬだろうよ」
老人は、しわがれた指先を伸ばした。太くごつい指だが、月明かりの中でまるで刃物のように輝いた。
「儂がそれを摘み取ってくれよう」
飛は悟った。
この老人は飛がどんな生き物かわかっているのだろう。その本性の獰猛さを隠しきれず、群れで生きることを拒んだ獣。
そして、その獣の危険性を。
刃物はゆっくりと飛の首へと当たり、また離れる。その刃が次に振り下ろされるときが、飛の最後だろう。飛がつま先で薪を割ったように、老人も手刀で飛の太い首を落とすことなどたやすいはずだ。
ふざけた生き様だった。
ちらりと、家を見た。
薪、無駄になったな、と思いながら目をつむる。その首に断罪の刃がおりるのを待つ。
しかし、それが下りることはなかった。
しんしんと雪が降る中、ぽかぽかと間抜けな音が響いた。
老人の履に小さな生き物が張り付いている。一冬をこすのも難しい、小さな小さな体躯の生き物だ。暖炉に薪をくべなければ、寒くて凍えてしまう。
老人は怪訝な目で、その邪魔者を見る。
鈴、よせ。
小さな生き物は、泣きながら老人を殴るのをやめない。きっと虫に刺されたとも思わない痛みなのだろう、老人はぽかんとした表情で鈴を見た。
「なるほどなあ」
老人が、鋭い目つきをやめ、また柔和な笑みへと戻す。
「お前さんみたいなのに、薪など必要ないと思ったら、そういうことかい」
老人は散らばった薪を見て、笑った。
なにがおかしい。
ぎっと睨む飛。老人は笑いをやめない。足をゆっくりあげ、しがみついてくる小動物をつかむ。じたばたと鈴は両手両足を動かす。老人の髭を掴み、思い切り引っ張った。さすがに老人も顔をしかめた。
「ふふぉふぉふぉ、ずいぶんお転婆じゃのう」
好々爺の笑みを浮かべて、老人は言った。
よくそんなんで雌ってわかったもんだ、と飛は妙に感心してしまった。
「……儂も少し短絡的だったようだな」
老人は、引っ張られた髭を撫でながら、鈴を飛の懐へと投げた。鈴は飛の胸板にしがみつくと、鼻づらをくっつけた。
汚れるだろう、離れろ。
そう言いながら、肩へと鈴をのせる。
老人は手をおろし、飛をじっと見る。
「お前は、罪を重ねすぎたようだ。だが、それでもここで消してしまうのは惜しい」
老人は、目を細めて、持っていた白い袋からなにかを取り出した。
小さな箱、それには赤いリボンが丁寧に結んである。
「もともと、先に怪しまれる行為をしたのは儂だったからの」
老人は、小さな箱を鈴の頭の上にのせる。鈴はぷんぷんと怒って箱を投げ捨てたが、やはり気になったらしく肩をするりとおり、積もりかけた雪の上でその箱を広げた。
中には、小さな木の実で作られた玩具があった。
鈴は目をきらきらさせ、雪の上で踊る。
まだ幼い鈴は、手足を真っ赤にさせていた。飛はそっと指先でつまむと、また肩の上にのせる。
老人はその様子を妙に微笑ましい顔で見る。
飛は、いますぐ殴りかかりたい衝動に駆られながら必死におさえる。
「おまえさん、儂の弟子になる気はないか?」
いきなり言い出したことに、飛は目を丸くした。
老人はにやりと人の悪い笑みを見せる。
「いや、いいんじゃよ。別にならんでも。そのときは、儂がお前を責任もって始末してやろう」
これは脅しと言わずして何と言おうか。
飛のかわりに鈴が木の実の玩具を振りながら威嚇するが、老人が新しい箱をちらつかせるのを見て少し目をきらきらさせて黙った。
そんな餓鬼だって飛はよく知っている。
親が死んで干からびていたところでこいつを拾ったときもそうだった。泣き止まないかと思いきや、木の実の一つを与えたら大人しくついていった。
小さいなら小さいなりに生きる道を知っているのだと、飛は鈴を見て実感した。
もし、ここで飛が消えたとしても、この小娘は次に老人のもとへと行くだろう。老人は、子どもがすきなようだ。飛が育てるよりもっといい生活ができるだろう。面倒くさい奴が消えてせいせいする。
飛はにやりと笑う。
ころせ、と口を動かす。
「そうか、残念じゃな」
老人はまた鋭い目を飛に向ける。
「お嬢ちゃん、これをあげるから、少し向こうへいってくれないかい?」
優しい声で老人が鈴に言った。鈴は老人がさしだす箱に興味があるようだった。
それでいい、さっさといけ。
飛は邪魔だとばかりに、鈴を肩から投げ捨てた。積もった雪の上に、小さな身体が落ちる。
ちょっと離れていればいい。雪が降り積もる中、倒れた飛の身体はすぐ隠されるだろう。降り積もった雪はそのまま、春までとけないだろう。呪わしく思う雪かきをしなくていいと考えれば、実はある意味幸運じゃないだろうか。
しかし、鈴は老人のいうことを聞かなかった。ふるふると首を横に振り、飛の足にしがみついている。
離れろ、と蹴りを入れた。
でも離れない。
小さな小さな生き物だ。こんなでかい生き物にくっついてどうなる。そのうち、丸かじりされるかもしれないぞ、と。
元はそのつもりだった。
とうに祖先が捨てた肉を食らうことを、飛は好んで行っていた。その血がしたたり鼻につく鉄臭さが自分の生を感じさせた。
非常食にくらいなるだろうと。
そんな生き物のために薪をくべるなんて、随分無駄なことをしていた。
さっさといけ。
しかし、鈴は首を振りながら、飛にしがみついたまま離さない。
「おまえさんも、そんなに儂に教えを乞うのは不愉快か?」
当たり前だ。
その派手な格好を自分にしろというのか。
老人の老人ならざる派手な格好に辟易していた。
「ふーん。お前のモノトーンの色調に比べたらましかとおもうんだがのお。それともなんだ? 雪の中で隠れるような格好しかできないというのかねえ」
あおるような物言いで老人が語りかける。
そんなもの知るかと、飛は睨み付ける。
老人は髭を撫でながらつづける。
「より強くなれる方法を知っておるんじゃがの」
にたにたと笑う老人は、ぎりっとにらむ飛を見たままだった。
「どうじゃ? その子のためにも、やってみんか?」
おまえさんなら、その素質があるよ、と老人は言った。
あれから何年がたっただろうか。
またこの時期がやってきた。
なにが強くなれるだ。
騙されたと思った。一年のほとんどは基礎鍛錬に近い作業を行い、この時期だけは人里へと上る。四足の獣でそりを引き、目的を達成させねばならない。
一年に一度、そのノルマは数千、数万。それをこなすにはどれだけの体力が必要だろうか。
最初の年は、十件もできなかった。老人に鼻で笑われ、鈴は焼き菓子で餌付けされていた。
翌年、さらに翌年と成せる数を増やしてきたが、あのジジイにはいまだ敵わない。
さっさとくたばってしまえ。
いや、引導を渡してやる。
そうして、襲い掛かるが未だ勝てる気配はない。
最近、神経痛がとかいっているが、あと百年は軽く生きるだろう。
やってらんねえ。
だが、やらなくてはいけない。
さあ、いくか。
それに返事をするように、派手な赤服の襟が動いた。
あいさーといわんばかりに、鈴が手を上げる。
さて、仕事の始まりだ。
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