ねぇおにいちゃん、どうしていつもおうちにいるの?
またきたか。
妹のどうして病だ。
時も場所も選ばずに唐突に発生する病。
動物園に行けば、どうしてキリンの首が長いのか。
電車に乗れば、どうしてジャンプしても置いていかれないのか。
テレビを見れば、どうしてこの人はいつも殺人事件に巻き込まれるのか。
この病気の処方箋はなく、成長すればやがて自然と消えるものだと聞いている。
とりあえずお兄ちゃんであるところの自分が答えをひねり出すというのが、目下の応急処置だ。
俺は振り向かなかった。キーボードを操作する手も止めない。
「どうしてって」
一応の、考えるポーズをとる。有名な石像と同じ格好を、椅子の上で。
今は目の前のゲームが大事だし、関心事はあと何時間か後から始まるアニメの放映内容だけ。
それまでどうやって時間をつぶそうか、ゲームをしつつ、広大なネットの世界を彷徨っているところだ。
何時に寝なければいけない、明日何時に起きようかも考えなくていい身分は自由だった。
時間はたくさんある。
でも、妹のどうして攻勢につきあっているとキリがないのだ。
「学校なんて行きたいやつだけが行けばいいんだ。俺には必要がない」
「そうなんだ、じゃあリコもおうちにいようかな」
「リコはダメだ」
「どうして?」
一度しか味わえない青春がどうの、集団生活がどうの、勉強と学歴がどうの、世間体がどうの。
全部自分に跳ね返ってくる言葉で、俺はどうしようもなくほの暗い気分を味わう。
「父さんと母さんが悲しむから」
「パパとママ悲しくなるかな?」
「…… ならないかもな」
普通の家庭の両親ならなると言い切れるんだが、うちの家庭の両親に関しては言い切れない。
つまり、解答とするには不適格。
答えがとっさに思い浮かばないときは逆に質問で返すとよい。
兄は学んだスキルを発動する。
「リコは学校行きたくないのか?」
ふるふると首が横に振られる。
母親ゆずりのゆるくウェーブを描く髪が肩の上でふわふわと揺れる。
「学校、楽しいか」
こくこくと今度は首が縦に振られる。
学校で何か嫌なことでもあったのだろうかと思ったが、この妹にその類の心配をすることはこれから先もないような気がする。
「そうか、よかったな」
「うん。お兄ちゃんは、学校楽しくないの?」
質問返しがきた。
「楽しくない」
即答すると、妹は小首をかしげる。
「どうして?」
どうしてだろう。
友達もいないし彼女もいないし勉強やスポーツも得意じゃないし手先も器用じゃないし。
委員会入ってないし部活動も入ってないし、唯一妹に鍛えられたおかげでクイズというかなぞなぞは結構得意なんだが披露する時と場所がない。
じゃあなんのために学校行ってるのか、と、自分に問いかけたら答えがなかったのだった。
だから行くのをやめた。
でも、どうして? という妹の問いに呼応するものは俺の中にもあるのだ。
楽しくないなら行かなくてもいい、これが正解なら、もっと学校に行く必要がないやつっていっぱい気がする。
ならどうして、みんなは学校に行くんだろう。
「お兄ちゃんは頭がいいんだね」
「はあ?」
妹がどう思考してその結論にたどりついたのか見えなかった。
椅子を回転させて後方を見ると、妹は床の上でやりかけになっていたジグソーパズルの続きをしていた。
父親がくれたものだ。学校行かないと暇だろうからと、一万ピースのパズル。
部屋の床のほとんどを占領している。完成までの道のりは遠い。
妹の小さな手がピースを一つ持ち上げ、はめたところがちょうどぴたりと合わさった。
おお、と感心すると、胸をはって得意げになる。
しかしすぐに表情をくもらせた。
「私の友達にね、学校に来たくても来られないって子がいるの」
「あー、それっていわゆる」
「イジメなの」
妹の口からシリアスな言葉が飛び出してくるとダメージが大きい。
小学校四年生でもうイジメがあるのかー。
比較してみたけれど、俺の時代でもあったな。イジメって言葉が今ほどの認識がされてなかっただけで。
標的にされるほどの個性が自分にはなかったので、当事者になることはなかったが。
どうしてイジメがあるの? と、今聞かれたら少し悩むかもしれない。
兄はひきこもりなりに自分の度量の中で導き出した正解だけを妹に伝えようという気概を持っていた。
どうでもいい信念だったが、数少ない譲れないものではある。
幸いにも妹はどうして、と聞いてくることはなかった。
「その子もお兄ちゃんを見習えばいいと思うんだ。学校好きじゃなくなったら、行きたくないから行かないって思えるよね」
はあ、とため息をつく。その音色は切なげだ。
「リコはその友達に学校に来てほしいって思ってるの?」
「ううん、別に」
妹はにっこり笑って首を振る。
見た目が天使のようであっても、中身までそうとは限らない。
しかしどこか勝手に落胆のようなものを覚えていると、妹はまた一ピースあるべき場所に戻すことに成功していた。ぱちん、とはまる。
ジグソーパズルを完成させるのに必要なのは根気と直感と気まぐれだ。
「その子が少しでも楽しければいいなって、思ってる」
学校でもおうちでも。昼も夜も。
俺は椅子から立ち上がり、ジグソーパズルの横に座った。
フローリングの床は冷たい。スカートの妹はさらに冷たいだろう。
外枠はすでにすべて作り終えて、完成図を確認してピースを色ごとに山にして分けてある。
海と空の色は判別しづらいし、真ん中にある建物は東西南北、上のほうも下のほうも同じ灰色に見える。
けれど、一つ一つ違っているから、間違ったピース同士だとはまらないのだ。
「リコは、その友達が楽しむために自分ががんばってもいいと思ってるのか?」
妹の眉が中央に寄る。質問の意味が少し難しかったようだ。
自分でも回りくどい言い方になったと思う。言い直した。
「リコはその友達のために何かしてあげたいの?」
「うん」
「何かしてあげたくてこんなこと聞いたのか?」
ねえお兄ちゃん、どうしていつもおうちにいるの?
少し上目遣いにこちらの機嫌を伺うようにしてから、妹はうなずく。
「学校行かないようにすればその友達の気持ちがわかるかもって?」
「うん」
「行ってない俺に聞けばその友達の気持ちがわかるかもって?」
「うん」
「その答えはな、そんな簡単にわかってたまるか、だ」
妹がパズルから完全に視線を外して、こちらを見ているのを感じる。
俺は逆にパズルに集中する。
「友達はきっと、そう思ってる」
ぱちん、とはまる。その瞬間は、性別も年齢も人種も飛び越えて、ごほうびになる。
学校にもパズルを一つ置いておけばいいんじゃないだろうか。
だって俺と妹、こんなに隔たっていても同じ時間、同じ場所で同じことができる。
「わかった」
妹はこくりと一つ深くうなずいて、部屋を出て行った。
扉がぱたりと閉じて、やりかけのパズルはまたしばらく放り出される。
妹のどうしての答えの先を、俺はいつも知らないんだな。
階段を稲妻のように駆け下りていく足音を聞きながら、椅子の上で考えた。