10年目のI love you.
少し前に書いたショートショートです。
感想などいただけると嬉しいです。
それではどうぞ!
「わたしと一緒に帰れるカズ君はしあわせものだよねー」
「お前ね、確かにお前と一緒に下校するのは俺にとっては幸せな時間だけど、よくもまあそんな恥ずかしい事を堂々と言えるな」
「だって、カズ君がしあわせなのと同じくらい、わたしもしあわせなんだもん」
俺の彼女……彼女なんだよな、一応……は、普段はどうしようもないくらい照れ屋で、人と話す時も声がひっくり返ったりするくらいの小心者だ。それが、俺と二人きりの時にはまるで人が変わったかのようによく喋る。
二重人格なのかと疑いたくなることも多々あったが、よくよく観察してみると、俺と二人の時のテンションの高さは「頑張って」そうしているのが分かるようになってきた。言葉を口にするときの一瞬の逡巡とか、視線の泳ぎ具合とか、頬にさした朱色とか……。まあ、かわいい嘘というか、自分じゃない自分を演じているのかもしれない。
もしかすると、普段の彼女の方が嘘で、こうして明るく俺に話しかけてくる彼女の方が本物なのかもしれないが、そんなことは別に問題じゃない。だって、おれはどっちの彼女もまとめて好きだからだ。
俺の彼女の名は雛子という。名前の通り、ひな鳥のようなふわふわした印象の小柄な子だ。顔は……まあかわいい部類にはいるんじゃないかな。地味目だけど。でも、正直に言うと俺の理想のタイプとはかなりかけ離れている。どっちかというと、少しくらいスレた感じの女の子の方が、話もしやすいし、好みだった。そんな俺たちがなぜ付き合うようになったのか。それはほんの二週間ほど前のある日の放課後まで遡らねばならない。
***
退屈な授業も終わり、ホームルームも終わった。俺は部活に精を出すようなタイプの生徒じゃない。当然、放課後になれば悪友と街に遊びに繰り出すか、さっさと帰ってやりかけのゲームの続きでもするのが俺にとっての日常だった。勉強だってそんなに出来るわけじゃないし、でも別に先生に目をつけられるような問題児でもない。
その日もさっさと荷物をまとめると、昇降口へと向かいかけて、ふと窓の外を見た。
五月の爽やかな風に揺れる木の葉に紛れて、なんかちっこい女子生徒が木の枝にしがみついていた。
二人の視線が絡み合うと、その女子生徒はこまったような笑顔を浮かべた。なんだろう。もしかして降りられないのか?今いるのは二階で、枝の高さも大体窓と同じくらい。女の子が飛び降りるにはちょっと高すぎる。大体、この子はなんでこんな高い木の枝にしがみついてるんだ? その疑問は彼女の視線の先を追うことで氷解した。
真っ黒な毛玉がぷるぷる震えている。いや、毛玉に見えたのは一匹の仔猫だった。なるほど。仔猫が降りられなくなってるのを見かねて救出に向かい、二重遭難した、っていうことか。
「がんばれよ」
俺はその子の幸運を祈る言葉を残して立ち去ろうとした。立ち去る前に見た女子生徒の顔は、こまったような笑顔のままだったが、その両目には光る滴がたまり始めていた。
「……ええい! 降りる手段くらい用意してから登れよっ!」
俺は昇降口に通じる階段を一段飛ばしで駆け下り、自分の下駄箱からはき慣れた革靴を取り出すと、乱暴に足を突っ込んだ。枝はしっかりしたものだったから、滑り落ちたりしなければ大丈夫なはずだ。俺はさっきの窓の下、そして件の樹の生えている地点へと走った。
昇降口から校門へ向かうのとは逆方向にある樹の下には、誰も助けには来ていなかった。つまり、この俺が何とかこの子を無事に地上に降ろしてやらなければならないわけだ。
「大丈夫か? そこから動けるか?」
枝の下から頭上の女子生徒に声をかける。ふわふわの髪の毛が風に揺れる。どうやら下を見るのが怖いらしく、女子生徒はこちらを向かずに
「だだだ、ダメですっ!動いたら落ちちゃいます。自由落下です! それに、まずこの猫ちゃんをおろさないと……」
恐がりなのか大胆なのか分からない返事を返してきた。
猫はいつの間にか女子生徒が両の手のひらで抱えていた。猫を手で持っている分、当然枝にしがみつく女子生徒の身体は不安定になる。そういえば、さっきより枝の先端に近い所にしがみついているように見える。
「猫、受け止めてやるから! 下に落とせ!」
「だ、大丈夫でしょうか?」
「ちゃんと受け止めるから、早くしろ!」
「は、はい」
俺は落下してくる仔猫を受け止めるべく、枝の下で身構える。
「大丈夫だよ、下でちゃんと受け止めてくれるからね」
女子生徒は震える黒い毛玉に向かってささやくと、「落とします!」と合図してきた。
猫って生き物は高いところから逆さに落とされてもくるりと向きをかえて着地するものだと思い込んでいたが、その黒い毛玉は落とされた時の姿勢のまま、万有引力の法則にしたがって俺の腕の中に落ちてきた。
「だ、大丈夫ですかっ? 猫ちゃん、怪我したりしてませんかっ?」
「大丈夫だよ。ちゃんと受け止めたから。さて、こら毛玉。お前は地面でじっとしてろ」
少々荒っぽい救出のショックからか、猫はぶるぶると震えたまま逃げようともしない。猫の次は人間の女の子の番だ。
「よし、次はお前だ。ゆっくり、枝にぶら下がるんだ。落ちないように気をつけて!」
女子生徒は俺に言われたとおり、ゆっくり慎重に、枝の上で身体を動かした。あ、スカートがめくれてぱんつが見えかけてる。注意した方がいいのかな。
「えーと、パンツが見えそうだから気をつけろ!」
「え? ええええっ!?」
女子生徒は慌てて両手でスカートを押さえた。当然枝にしがみついていた手は――。
「あ……、きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
いくら小柄な子だとはいえ、二階と同じ高さから落ちてくる人間をしっかり受け止めるなんて、漫画の主人公でもない限り無理だ。それでも俺は女子生徒を受け止めるべく両手を差し伸べた。次の瞬間、予想より遥かに大きな衝撃と共に、俺の記憶は途切れた。
白い天井が目に映った。天井が見える? さっきまで俺は女の子を樹から下ろそうとしてて……いてて、後頭部がズキズキする。ここは……保健室?
俺は糊の利いたシーツの上で寝かされていた。消毒液の匂いが鼻をつく。
「あ、気がつかれましたかっ?」
にゅっと眼前にふわふわの髪の毛をした女の子の顔が現れる。色素が薄い髪の毛が、西日を浴びてきらきらと光って見える。ああ、寝てるのが俺だけってことは、この子は無事に樹からおりることができたんだ。
「さっきは本当にありがとうございましたっ。私一人じゃいつまでもあのまま樹の上でした」
「いいよ。無事におりられたんならそれで。怪我、なかったか?」
「ちょっと擦り剥いただけです。消毒もしてもらいました」
「そっか。で、俺どのくらい伸びてた?」
「一五分くらいです。ちょうど保健室の目の前だったんで、保険医の先生を呼んで……」
そっか、助けたつもりが俺が助けられちまったんだな。そんなことを思っていると、白衣を着た若い女性が携帯電話をポケットにしまいながら保健室に入ってきた。
「お、目は覚めたみたいね。でも頭打ってるから、一応救急車呼んでおいたわ。病院行って検査してもらいなさい」
「大丈夫ですよ。このくらい……いてて」
身体を起こそうとすると、後頭部の痛みはさらにひどくなる。ベッドの脇に座っていた女子生徒が背中を支えてくれて、ようやく身体を起こせた。
「無理はしないの。場合によっては命に関わるのよ。だから、ちゃんと検査うけてきなさい。家にはもう連絡いれてあるから」
「はい……」
木登り少女の手を借りて、再びベッドに身を横たえる。窓の外から救急車のサイレンが風に乗って小さく聞こえてくる。
「そういや、猫は?」
「無事でした! ここにいますよ!」
女子生徒の制服の胸のあたりがもこもこと動くと、ひょこっと黒い毛玉が顔を覗かせた。みぃ、と小さな声で鳴く。猫が恩義を感じているかどうかなんか俺には分からないけど、その鳴き声は何となく俺を気遣っているように感じられた。
結局、単なる頭部打撲で、脳には異常はなかった。病院に着いて検査を受けている間も、女子生徒は黒い毛玉を制服に隠して俺を待っていた。
「どうでしたっ?」
「なんだ、待ってたのか。もう遅いだろ? 先に帰ってればよかったのに」
「そんなこと出来ません。だって、あなたは命の恩人ですから! それに……」
「それに、なに?」
何だか息をするのを我慢してるような表情で目をぎゅっと閉じて、見る間に真っ赤になっていく女子生徒。なんだなんだ? 俺は何か悪い事でも言ったか?
「せ、先輩のこと、ずっと前から好きだったんですっ!」
病院のロビーの時が止まったかに感じられた。受付時間外の待合室に人はいなかったから、止まっていたのは俺とその地味めな女生徒だけだったんだけど。そういえば、制服のタイの色がターコイズブルーということは、この子は新入生。つまりは一つ年下の後輩である。
いやちょっとまて。ずっと前から好きだったって? 俺はこの子の事なんてぜんっぜん知らない。話した記憶もないし。地味だけど結構かわいいんだから、何か接点があればちょっと位は記憶に残っててもおかしくないんじゃないか?
「せ、先輩はわたしのこと覚えてないと思いますけど、助けていただいたの二度目なんですっ」
ますます解せない。そんな大事件があったなら、なおのこと覚えていないとおかしいだろう。
「えーっと、俺が君を助けたのは、今日で二回目なんだよね? 一回目って……いつ?」
「そう、あれはもう十年以上前……」
「ちょっと待った! そんなに前なの!?」
「はい。まだ桜町幼稚園の年少組だったころ、園庭にあったびわの木に登っていて、降りられなくなったんです。そこに現れたのが先輩で……」
俺の記憶の扉がギシギシと音を立てて開かれていく。
ああ、そういえば幼稚園のころ、園庭で女の子に樹の上からダイブされてびーびー泣いた覚えが……。
「って、俺ただ下敷きになって泣いただけじゃん!」
「そんなことありません! あの日から、幼稚園では『カズ君』『ひなちゃん』って呼び合って……」
「そんな恥ずかしい過去のことまでしっかり記憶してるのかよ!」
その女生徒、「ひなちゃん」は当然だとばかりちょっと控えめな胸を反らしてみせる。正直、そんな仕草がすごくかわいく見えた。
「でも、先輩小学校から私立の学校に行っちゃって、私は普通の公立の小学校に上がって……。だから、高校で先輩を見つけたときはすっごく嬉しかったんです! その日はもう眠れないくらいでしたっ!」
頬を染めながらも一生懸命にその時の気持ちを伝えようとしてくる「ひなちゃん」の笑顔は、幼稚園の時からすれば大分薄汚れた高三の俺にはすこしばかり眩しすぎた。
「そして、今日。先輩はまた私を助けてくれました。これはきっと神様の導きですっ!」
「何を大げさな……」
じっと俺を見つめてくる「ひなちゃん」には、確かに幼い頃の面影があった。くりくりと大きな瞳。ちょっぴり低い鼻と、桜の花びらのような唇。地味なのに、俺の好みはもっとこう派手な美人だというのに、『ひなちゃん』から目をそらせない。
「先輩……わたし……ずっとずっと好きだって言いたかったんです。私じゃ、ダメですか?」
嬉しそうに思い出を語っていた「ひなちゃん」が一転憂いを帯びた表情に変わる。うん、こんな表情もなかなかかわいいな、じゃなくて! つまり俺はいま告白されているって事だよな? 俺、自分から告ったことはあっても、告られた事なんて初めてだよ!
「……えっと……それって『付き合いたい』ってこと?」
「えっ……そ、そこまでは……その。でも、先輩さえよければぜひ! いやでもいくら何でも厚かまし過ぎる気も……」
「ぷっ……はは、ははは! いいよ。こんな俺でよければ。でも、まずは十年分の時間を取り戻すことから始めないとね」
***
とまあ、つまり雛子と俺は実は幼稚園以来の仲と言えなくもないのだが、実際に付き合ってまだ二週間ほどしか経っていないホヤホヤの新米カップルなのだった。通学路を並んで歩く俺たちの影が、西日に照らされたオレンジ色の路面に長く落ちる。
そういえば、病院のロビーでの告白劇のあとから今まで、俺はまだ雛子が待ち望んでいる言葉を口にしていない。記憶の扉は開かれ、当時のことを鮮明に思い出しても、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
「カズ君が今何考えてたかあててみよっか」
「やめろ、多分当たってるから」
「えーっ! ずるいー!」
頬を膨らませて上目遣いに俺を見る雛子に俺は手を差し伸べる。それは小さい頃に前に当たり前だった光景。
「いいから行こうぜ『ひなちゃん』!」
ぽかんと口を開けたまましばらく動かなかった雛子は、全身で嬉しさを表現するかのように俺の差し伸べた腕に抱きついてきた。
「うんっ!」
俺たちはこれから、一緒にいられなかった十年分の時間を取り戻す。それと同時に、これから新しい思い出をどんどん作っていく。
『ひなちゃん、だいすきだよ』
『わたしもカズ君だいすき!』
遥か過去の自分たちが口にしていた言葉が、十年以上の時を超えてよみがえった。
いかがでしたか? 少しでも楽しんでいただけたとしたら、書いた者としてこれ以上の喜びはありません。