第59話 未来への希望
その日、東京・丸の内にある日本外国特派員協会は、かつてない熱気に包まれていた。
会場を埋め尽くす世界各国の記者たち。無数のフラッシュが焚かれる中、壇上に一人の女性が立った。
真千子だ。
彼女はもう車椅子ではない。弟が再生させた自分の足で、凛と大地を踏みしめている。
「お時間となりました。これより、元・公益財団法人イカロスの施術者でありました淳史による、記者会見を始めさせていただきます」
真千子のよく通る声が響き、視線が中央の席へと注がれる。
淳史は、ゆっくりと立ち上がり、一礼してからマイクを握った。
かつて、人前に出ることを恐れ、姉の背中に隠れていた少年の面影はもうない。そこには、地獄を見て、そこから這い上がり、世界を背負う覚悟を決めた一人の男がいた。
「……まず初めに」
淳史の声は静かだが、力強かった。
「私が三年前に突然姿を消した際、タッチを行う予定だった患者様、そしてそのご家族の皆様へ。約束を果たせず、希望を絶ってしまったことを、心よりお詫び申し上げます」
淳史は深々と頭を下げた。
「もし、まだご存命であれば、すぐにでも伺ってタッチをさせていただきます。それが、私の最初の償いです」
会場がどよめく中、淳史は顔を上げ、自身の空白の三年について語り始めた。
テロ組織による拉致。中東、中南米での監禁生活。意に反するタッチの強要。
赤裸々な告白に、記者たちは息を呑み、ペンを走らせる音だけが響く。
「しかし、私は帰ってきました。日本政府と、命がけで動いてくれた仲間たちのおかげで」
淳史は会場の隅にいる隆史と、テレビの向こうにいるであろう鶴美総理に向けて、感謝の眼差しを送った。
「そして今日、私は宣言します。新生『イカロス』を始動させます」
淳史は前を見据え、熱を込めて語った。
「目的は、世界の構造改革です。テロや戦争の資金源を断ち、飢えを無くし、医療と教育を万人に届ける。そのために、私の力を使います」
どよめきが大きくなる。一人の人間に何ができるというのか。
「これまでは一日一人しか救えませんでした。しかし、私は地獄の中で学び、進化しました。人体の構造を完全に理解した今、私は一日三〇人の治療が可能です」
一日三〇人。年間一万人以上。
それはもはや「個人的な奇跡」ではなく、「社会的インフラ」になり得る数字だ。
「この枠組みを、こう使います。週一日は、無料の抽選枠。残りの週五日は、完全有料の特別枠とし、AIを用いた価格変動制を導入して、世界中の富裕層から最大限の対価を頂きます」
淳史は、カメラのレンズを射抜くように見つめた。
「得られた莫大な利益は、すべて還元します。無償医療の提供、医療・福祉の人材育成、最先端研究所の建設。さらには貧困世帯への救済、ドラッグの根絶活動、教育の無償化」
それは、富の強制的な再分配。
人間の尽きない「生への欲望」をエンジンにして、資本主義の歪みを是正するシステムだ。
「また、未知の殺人ウイルスによるパンデミックに備え、ワクチン開発拠点と製造ラインを建設し、マスクや医療機器の大量備蓄を行います。……想像できる悲劇は、現実に起こり得るからです」
それは、カプセルの中の研究者を救った時に感じた、淳史なりの未来への防波堤だった。
会見の終わり際。淳史はふっと表情を緩め、マイクから少し体を離して、語りかけるように言った。
「最後に、一つだけ。……もし、あなたの隣の人が傷ついていたら、どうかその痛がっている場所に手を当てて、声を掛けてあげてください」
淳史は自分の掌を見つめた。
「『痛いの痛いの、飛んでいけ』。……たとえ私と同じ力が無くても、その優しさには意味があります。温もりは、薬よりも深く心に届くことを、私は知っていますから」
会場の空気が、温かいものに変わった。
「小説の中の『ある日』みたいな奇跡は、いつだって起こり得るんです。どうか、毎日を大切に生きてください。以上です」
割れんばかりの拍手とフラッシュの嵐の中、淳史は一礼して壇を降りた。
会見直後、真千子のスマートフォンが鳴った。
内閣総理大臣、鶴美からだ。
『見事だったわ。……これで彼を止める者は誰もいなくなった』
鶴美の声は弾んでいた。
『閣議決定したわ。新生イカロスには、「独立行政法人」の格を与える。国が全面的にバックアップするわ。存分に暴れなさい』
「ふふ、ありがとう。……でも、手綱を握るのは大変そうよ?」
『望むところだわ』
夕暮れ時。
丸の内の銀杏並木を、奇妙な、しかし幸福な一行が歩いていた。
ミライを抱いた淳史、その手を引くイーリヤ。そして、並んで歩く真千子と隆史。
黄金色に染まる歩道を歩きながら、真千子が尋ねた。
「さて、大風呂敷も広げたことだし、これから忙しくなるわよ。何から始めるの?」
淳史は空を見上げた。一番星が光り始めている。
「まずは……アーリヤの葬儀をあげたいんだ。ちゃんとお墓を建てて、弔ってあげたい。彼女の死と向き合って、生きていくために」
「そうね。それが一番のけじめね」
真千子は優しく頷いた。
「それから、もう一つあるんだけど……」
「何よ、改まって。言いたいことがあるなら教えなさいよ」
淳史は少し悪戯っぽい顔をして、隣を歩く隆史と真千子を交互に見た。
「……姉ちゃんと隆史さん、二人の顔がプリントされたカステラを食べられたら、最高なんだけどな」
時が止まった。
真千子が「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げる。
それは、七年前。物語の始まりの日に、淳史が篤人の家へ持って行った、あの結婚式の引出物のカステラのことだ。
淳史は、二人に「もう一度」を求めているのだ。
隆史が、こらえきれずに吹き出した。
「ぶっ……! お前、まだあの趣味の悪いカステラを覚えてたのか」
「忘れられるわけないだろ。……どう? 今度はもっと美味しいやつ、頼むよ」
真千子は顔を真っ赤にして、隆史を見た。
隆史もまた、満更でもなさそうに肩をすくめ、そして優しく微笑んだ。
「……まあ、理事長の許可が下りれば、な」
「……馬鹿言わないでよ!」
真千子はそっぽを向いたが、その耳まで赤くなっているのを、淳史は見逃さなかった。
笑い声が、並木道に響く。
かつて孤独だった「雲上人」はもういない。
ここには、愛する家族と、頼れる仲間がいる。
淳史はミライを抱き直し、頬ずりをした。
「さあ、行こう」
「どこへ?」
「ノゾミさんのところへ。……これからの未来の話をしに」
淳史は一歩を踏み出した。
その足取りは軽く、確かな希望に向かっていた。
「ある日」は、待つものではない。自分の足で歩いて、掴み取るものなのだから。
第1章 完
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