第49話 人は見た目がナンチャラ
メキテマラの密林にあるアジトでの生活は、中東のそれとは天と地ほどの差があった。
提供される食事は、スパイスの効いたタコスや、新鮮な魚介をライムで締めたセビチェ。部屋には清潔なベッドとシャワーがあり、エアコンも効いている。
麻薬王ダニーは、淳史が大人しく従順にしている限り、「アミーゴ(友人)」として丁重に扱ってくれた。
だが、どんなに美食を与えられようとも、ここは檻の中だ。
窓の外には常に監視の目があり、淳史の自由は屋敷の敷地内に限定されている。
(ミライ、イーリヤ……。無事だろうか)
ふとした瞬間に脳裏をよぎるのは、砂塵舞うあの土地に残してきた家族のことばかり。
この安楽な生活は、彼女たちの犠牲の上に成り立っている仮初めの平和に過ぎない。淳史は決して心を許さず、しかし表面的には穏やかな顔を貼り付けて日々を過ごしていた。
ある日、組織の人間が一人の女性を案内してきた。
北米から南米へと広がる麻薬カルテルのネットワーク。その闇の口コミで集められた「顧客」の一人だ。
現れたのは、ハイブランドのドレスに身を包んだアメリカ人女性だった。
だが、その顔を見た瞬間、淳史は息を呑んだ。
それは人間の顔というより、精巧だが失敗作の蝋人形のようだった。
唇は蜂に刺されたように不自然に腫れ上がり、鼻筋は定規で引いたように真っ直ぐすぎる。皮膚は極限まで引っ張られ、笑おうとしても表情筋が動かない。
彼女は、表情のない能面のような顔で、悲痛な声を上げた。
「……ドクター。この顔を、元に戻してほしいの」
事情を聞けば、あまりに俗物的で、そして悲しい話だった。
彼女は数年前、宝くじで高額当選を果たした。一夜にして億万長者となった彼女は、幼い頃からの夢だったハリウッド女優になるべく、その大金を美容整形に注ぎ込んだ。
もっと美しく、もっと完璧に。
だが、繰り返される手術は彼女の個性を奪い、いつしか「整形モンスター」と呼ばれる異形へと変えてしまった。当然、オーディションには落ち続け、金だけが底をつきかけた今、彼女は「リセット」を求めてここまで来たのだという。
淳史は溜息を飲み込み、彼女の顔に触れた。
――タッチ。
皮膚の下に注入されたシリコンやヒアルロン酸が分解され、削られた骨が再生し、切開された瞼が癒着していく。
数分後。そこには、少しそばかすのある、ごく平凡だが人間味のある素顔が現れた。
鏡を見た彼女は、悲鳴を上げた。
「No……! なんて地味なの!」
彼女は素顔に戻った自分を受け入れることができず、慌ててバッグから大きなサングラスとマスクを取り出し、顔を覆い隠した。
「ありがとう。でも、もう二度と鏡は見たくないわ」
彼女は逃げるように去っていった。
夢を追いかけ、顔を変え、元に戻り、そして絶望する。
彼女が得たものは何だったのか。
その様子を見ていた監視役の男が、下品な笑い声を上げた。
「傑作だな! 顔を取り換える前に、演技の練習でもすりゃよかったのによ!」
男は「なぁ、そうだろう?」と同意を求めるように淳史の肩を叩いた。
確かに、その通りだ。正論すぎて笑える話かもしれない。
だが、淳史は笑わなかった。
彼は無言で男の手を払い、視線を逸らした。
人を拉致し、麻薬を売りさばき、他人の不幸を食い物にする連中と、同じ目線で笑い合うことなどできない。
それだけが、この黄金の鳥籠の中で淳史に残された、ささやかな抵抗であり、プライドだった。
淳史は解剖学の本を開き、彼らの嘲笑を遮断するように活字の世界へと没入していった。




