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雲上タッチ ~触れるだけで、命を救う。神の力を宿した青年が世界を変える、奇跡の物語。~  作者: 団田図


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第48話 本領発揮

 環境の変化は劇的だった。

 ヘリコプターからプライベートジェットへ、そして給油地を経由して丸二日。

 窓の外に広がっていた乾いた茶色の世界は、いつしか濃密な緑の海へと変わっていた。

 密林の中に突如現れた滑走路。ジェット機が着陸し、タラップを降りた瞬間、ムッとするような湿気と草いきれが淳史を包み込んだ。

 中南米、メキテマラ共和国。

 麻薬カルテルが実効支配する、無法のジャングルだ。


「ようこそ、アミーゴ(友よ)。遠いところをご苦労だったな」

 出迎えたのは、陽気なラテン系の男だった。派手なアロハシャツに、金無垢のネックレス。手には極太の葉巻とテキーラのボトルを持っている。

 男の名はダニー。この地域を牛耳る麻薬組織「クロアナカルテル」の最高幹部だ。

「一杯どうだ? 極上のやつだぞ」

 ダニーは親しげに淳史の肩を抱き、テキーラを勧めてきた。手錠も足かせもない。誘拐された被害者というよりは、VIP待遇のゲストのような扱いだ。

「噂は聞いているぜ。自分への銃創も治したんだってな? 不死身のドクターなんて、最高の買い物だ」

 ダニーは上機嫌で笑った。中東での一件――マニキュアの女による強奪と、その後の淳史の自己治癒――の情報は、既に共有されているらしい。

 あれは神様による一回限りの特別サービスだと言いかけたが、淳史は口をつぐんだ。過大評価させておいた方が、身の安全には繋がるかもしれない。


 車に乗せられ、悪路を揺られること一時間。到着したのは、貧しい村にある小さな診療所だった。

 診察室には、ダニーと懇意にしているらしい現地の医師が待っていた。

 医師は淳史を見ると、すがるような目で事情を説明し始めた。

「……一年前のことです。政府軍が、この辺りの大麻畑を枯らすために、セスナ機で強力な除草剤を散布しました」

 空から降ってきた毒の霧。それは大麻だけでなく、そこで働いていた農民たちの体も蝕んだ。

「多くの作業員が悪性リンパ腫を発症しました。抗がん剤も足りず、手の施しようがないのです。……どうか、彼らを救ってください」

 ダニーが横で頷く。

「俺の可愛い働き手たちだ。それに、甥っ子も含まれている。頼んだぜ」

 麻薬栽培に従事させておいて「可愛い」もないものだ。それに、政府の無慈悲なやり方にも憤りを覚える。

 だが、患者に罪はない。

 淳史は頷き、一人目の患者の前に立った。首のリンパ節が腫れ上がり、苦しげに息をしている青年だ。

 淳史は深呼吸をした。

(試してみよう)

 生死の境で出会った、あの小人の神・少彦名の言葉を思い出す。

 『傷や病がどこにあり、どれだけの大きさか。それを理解し、意識して触れよ』

 今までは、ただ闇雲に「治れ」と念じてエネルギーを放出していた。だが今回は違う。

 淳史は目を閉じ、青年の体内をイメージした。

 リンパの流れ。増殖する腫瘍細胞。その位置と形状を頭の中で特定し、そこだけを狙い撃つように力を流し込む。

 ――タッチ。

 今までとは違う感覚。力が拡散せず、レーザーのように患部に吸い込まれていく。

 目を開けると、青年の腫れは引き、顔色が劇的に良くなっていた。

 そして何より、淳史自身に疲労感がほとんどない。

(これなら、いける)

 効率化された奇跡。

 淳史は休むことなく、次々と運ばれてくる患者たちに触れた。ダニーの甥を含む一〇人全員を治療し終えても、まだ余力があった。

「すげえ……マジで魔法使いかよ」

 ダニーが口笛を吹いて賞賛した。


 治療が終わり、一息ついていると、診療所の医師がおずおずと自分の左手を差し出してきた。

「ドクター……つかぬことを伺いますが、これは治せますか?」

 医師の左手親指は、第一関節から先が欠損していた。古い怪我のようだ。

 欠損の修復。

 今まで淳史が「不可能」だと思い込み、避けてきた領域だ。

 淳史は一度、医師の親指に触れてみた。

 ……ダメだ。何も起きない。

 やはり無理なのか? いや、神様は言った。『無いものは作ればいい。設計図を頭に描け』と。

 淳史は診察室を見渡した。本棚に一冊の分厚い本を見つける。

 スペイン語で書かれた『人体解剖図譜』。

 淳史はそれを手に取り、手の骨格、筋肉、血管、神経が描かれたページを開いた。

 食い入るように見つめる。

 指骨の形状。屈筋腱の配置。指動脈の走行。爪母の位置。

 それら全てを脳裏に焼き付け、3Dモデルとして構築する。

「もう一度、いいですか」

 淳史は再び医師の手に触れた。

 今度は漠然としたイメージではない。明確な「設計図」を元に、細胞に建築命令を出す。

 骨よ、伸びろ。血管よ、繋がれ。皮膚よ、覆え。

 ――タッチ。

 ピリピリとした刺激と共に、光が凝縮する。

 医師が驚愕の声を上げた。

 欠損した断面から、肉が盛り上がり、白い骨が伸びていく。それは早回しの植物の成長を見ているようだった。筋肉が巻き付き、皮膚が形成され、最後に小さな爪が再生された。

 数分後。そこには、指紋まで完全に復元された親指があった。

「神よ……!」

 医師は震える手で十字を切った。

 全てを見ていたダニーが、目を爛々と輝かせて近づいてきた。

「ブラボー! 最高だ! おい淳史、俺と組め。その力があれば、麻薬なんて目じゃない。世界中の金持ちから搾り取れるぞ。一緒にビッグになろうぜ」

 ダニーは淳史の肩を抱き、下品に笑った。

 淳史は冷静にその手を外した。

「断る。……僕を解放してくれ。日本に帰してほしい」

 ダニーの笑顔が、瞬時に消えた。

 陽気なアミーゴの仮面の下から、冷酷なマフィアの素顔が覗く。

「……勘違いするなよ、ドクター」

 ダニーの声は低く、凍えるように冷たかった。

「お前に選択肢はない。お前は俺の所有物だ。言うことを聞くか、痛い目を見るか。好きな方を選べ」

 交渉の余地はない。

 淳史は小さくため息をつき、覚悟を決めた。

 ここはまだ、檻の中だ。だが、今の自分には武器がある。

「……分かった。戻るよ」

 淳史は車に向かおうとして、足を止めた。

「一つだけ、頼みがある」

「なんだ?」

「あの本を……その解剖学のテキストを、貰っていきたい」

 ダニーは意外そうな顔をしたが、すぐに鼻で笑った。

「なんだ、そんなもんか。勉強熱心なこった。いいぜ、持ってけ」

 

 再び車上の人となった淳史の膝には、分厚い解剖図譜があった。

 これはただの本ではない。

 自分の力を進化させ、不可能を可能にするための「魔法の書」だ。

 窓の外に流れる密林を見つめながら、淳史はページをめくった。

 知識を蓄えろ。構造を理解しろ。

 いつか、この檻を破壊し、本当の自由を掴み取るその日まで。

 淳史の瞳には、かつてのような怯えではなく、探求者としての静かな光が宿っていた。


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