第45話 クローンの焦点
その日、地下の処置室に現れた二人の男を見て、淳史は奇妙なめまいに襲われた。
一人は白衣を着た初老の男。もう一人は、二〇代前半と思われる青年。
二人の顔立ちは、鏡写しのように酷似していた。まるでタイムマシンで連れてこられた同一人物のように。
「親子……ですか?」
淳史が尋ねると、初老の男は薄ら笑いを浮かべて首を振った。
「いや。オリジナルと、コピーだ」
男はクローン技術の研究者だった。
そして隣に立つ青年は、彼自身の体細胞から作られたクローン人間だという。
青年は、美しかったが、不気味なほど無機質だった。焦点の定まらない瞳、ダラリと下げられた腕。人間らしい生気が全く感じられない。
「こいつは私の『保険』だ」
研究者は、自分の所有物を自慢するように語った。
「私がいずれ老いて、臓器不全や癌になった時、こいつから若くて健康なパーツを移植する。心臓、肝臓、角膜。拒絶反応の心配がない、完璧なスペアだ」
そのために、青年は「人間」として育てられていなかった。
言葉は教えられず、教育も施されず、ただ栄養を与えられ、肉体だけを培養された植物のような存在。
「……感情はないのですか? 恐怖や、性欲といった本能は」
「食事に特殊な薬物を混ぜてコントロールしている。自我が芽生えると面倒だからな」
今回の依頼は、その薬物に関するものだった。
長期間にわたり、鎮静と多幸感を与えるためにモルヒネを投与し続けた結果、耐性がつき、投与量が増加。その副作用で呼吸抑制が頻発し、肝心の「器」が死にかけているという。
「私のスペアが死んでは困る。お前のタッチで、薬物の耐性をリセットしてほしいのだ」
狂っていた。
命を、車の部品か何かのように扱っている。
だが、淳史に拒否権はない。兵士が銃口を向けて監視している以上、従うしかなかった。
淳史は青年の腕に触れた。
冷たく、陶器のような肌。
――タッチ。
光が走る。
体内に蓄積された薬物への耐性が初期化され、呼吸中枢の機能が正常に戻る。
施術が終わった直後だった。
青年が、ふと顔を上げた。
耐性がリセットされ、一時的に薬の効果が切れた瞬間。彼の瞳に、初めて「光」が宿った。
彼は淳史を見た。そして、研究者を見た。
その表情が、ゆっくりと歪んでいく。
それは、言葉を持たない者が全身で表現した、深淵のような「悲しみ」だった。
自分が何のために生かされ、何のために殺されるのか。本能で悟ってしまったかのような、絶望的な瞳。
「……あ」
淳史は思わず手を伸ばそうとした。
だが、研究者はすぐに青年の腕を掴み、連れ出した。
「よし、これでまた管理できる。行くぞ」
引きずられていく青年は、最期まで悲しげな目で淳史を見つめていた。
助けられなかった。
体を治すことはできても、その運命までは救えない。
淳史の心臓が、きしむような音を立てて痛んだ。
その直後、淳史はまたもや目隠しをされ、車に乗せられた。
アジトの移転だ。
数時間の移動の後、降ろされた場所の空気を吸い、淳史はハッとした。
この乾燥した土の匂い。風の音。
最初の屋敷だ。アーリヤと暮らし、彼女を失った、あの場所。
部屋に押し込められると、そこには懐かしい影があった。
「パパ!」
「淳史!」
ミライとイーリヤだった。
数週間ぶりの再会。淳史は駆け寄ってきたミライを抱き上げ、強く抱きしめた。
温かい。柔らかい。
さっきのクローンの青年とは違う、愛されて育った命の重み。
「……よかった。無事だったんだな」
イーリヤも涙ぐんでいる。
束の間の安息。だが、淳史は知っていた。これが長くは続かないことを。
組織の警戒は厳重になっている。またすぐに移動させられるだろう。その時、また家族と一緒にいられる保証はない。
アーリヤを守れなかった後悔が、淳史の胸を焦がす。
ミライには、同じ思いをさせたくない。この子には、未来を生きてほしい。
淳史は決意し、首から下げていたドッグタグを外した。
二枚一組の認識票。かつて親友・篤人と共に在った証。
淳史はチェーンから一枚を引き抜いた。
「イーリヤ、これを持っていてくれ」
淳史は一枚を自分の首に戻し、もう一枚をイーリヤの小さな手に握らせた。
「これは?」
「僕の身分証明書だ。……もし、どうしようもない時が来たら、これを持って日本大使館へ駆け込むんだ。そして『この持ち主を知っている』と言うんだ」
これは賭けだ。
日本政府が、あるいはかつての仲間たちが、自分を探してくれていると信じての。
「必ず助けが来る。この銀色のプレートが、君たちを守ってくれるはずだ」
イーリヤは真剣な眼差しで頷き、ドッグタグを大切に服の中にしまった。
「分かった。……淳史、あなたは?」
「僕は大丈夫だ。必ず、また会える」
嘘だった。
自分の命は、もう長くないかもしれない。使い潰されるか、殺されるか。
だからこそ、希望のかけら(ドッグタグ)だけは、彼女たちに託しておきたかった。
翌早朝。
予感通り、兵士たちがやってきた。
淳史だけが連れ出される。
振り返ると、鉄格子の向こうでミライが手を振っていた。無邪気な笑顔で。
淳史は笑顔で手を振り返し、涙をこらえて背を向けた。
車が走り出す。
窓の外に広がる荒野を見つめながら、淳史は胸元の、一枚だけになったドッグタグを握りしめた。
半分になった魂。
だが、それはもう半分が世界のどこかにある限り、決して切れることのない絆の証でもあった。
淳史はまた、終わりのない旅へと連れ去られていった。




