第41話 対岸のタッチ
地下牢の重い鉄扉が開く音。それが、淳史にとっての一日の始まりであり、絶望の合図だった。
薄暗い処置室に引きずり出された淳史は、目の前に座る男を見て違和感を覚えた。
いつもの粗暴な兵士ではない。仕立ての良いスーツを着崩した、金髪の白人男性だった。中東の砂塵にまみれたこの場所には、あまりに不釣り合いな姿だ。
男は淳史を見ると、値踏みするように目を細め、流暢な英語で話しかけてきた。
「……本当か。こんな薄汚れた猿が、噂の『魔法のランプ』だとはな」
訛りのある英語。男はロシア人だと名乗った。
病状は末期の肝硬変。酒と不摂生が生んだ死の病だ。
治療の準備をさせられながら、淳史は男の口から信じがたい事実を聞かされた。
「お前の『一回』は、ダークウェブのオークションで高値で取引されているんだ。支払いは足のつかない暗号通貨。……テロリスト共に莫大な資金を提供してまで命を買うなんて、我ながら狂っていると思うがね」
淳史の背筋が凍りついた。
自分の力が、ただ兵士を治すだけでなく、組織の活動資金そのものになっていたのか。
この男が支払った金で、また新しい銃が買われ、爆弾が作られ、アーリヤのような無実の人々が殺される。
その事実は、淳史の心を、拷問以上に苛んだ。
「……頼む、助けてくれ」
淳史は監視の目を盗み、男の袖を掴んで囁いた。
「僕をここから連れ出してくれ。それが無理なら、せめて日本の政府に居場所を……」
男は冷ややかな目で淳史の手を振り払った。
「馬鹿を言うな。私が金を払ったのは『健康』のためだ。『トラブル』のためじゃない。奴らを敵に回して生きて帰れると思うか?」
交渉決裂。
淳史は絶望の中で、男の肝臓に手を当てた。
――タッチ。
光が溢れ、男の顔色に生気が戻る。男は歓喜の声を上げ、礼も言わずに去っていった。彼にとって淳史は、高価な医療機器に過ぎないのだ。
その直後だった。
淳史は兵士たちによって目隠しをされ、トラックの荷台に放り込まれた。
エンジンの振動が伝わってくる。移動だ。
高額な取引のたびに、足がつかないようアジトを変えるつもりなのだ。
揺れる闇の中で、淳史は膝を抱えた。
今日から、終わりのない放浪が始まる。
国境なき医師ならぬ、国境なき囚人。
世界中の富豪や悪党の欲望を満たすためだけに生かされ、砂漠の海を漂い続ける。
ミライとイーリヤはどこにいるのだろう。
遠ざかるエンジンの音だけが、淳史の問いかけに虚しく答えていた。




