第35話 国会証人喚問
ある日、イカロス財団の特別枠オークションが、とある肺がんステージ4の患者によって落札された。
落札額は数億円。資金の出所は、彼が加入していた多額のがん保険の給付金とのことだった。
調査部のベテラン調査員・光男が担当した事前調査の報告書には、【不審な点は無し】の判子が押されていた。
審査は滞りなく通り、淳史によるタッチが行われた。患者の肺を蝕んでいた癌細胞は消滅し、彼は涙を流して感謝し、帰っていった。
すべては、いつも通りの「奇跡」の光景だったはずだ。
タッチから数日後。
理事長室の直通電話が鳴った。ディスプレイに表示された名前を見て、真千子は姿勢を正した。
国土交通大臣・鶴美だ。
「はい、もしもし」
『あ、真千子? ちょっと耳に入れておこうと思って』
鶴美の声は、いつもの豪快さが消え、どこか歯切れが悪かった。
『先日、お宅がタッチした肺がん患者のことだけど……あれ、ちょっと「あれ」ね』
「……あれ、とは?」
『詳しくは言えないけど、きな臭いってことよ。じゃあね』
一方的に通話が切れた。
真千子は受話器を握りしめたまま、眉をひそめた。
内閣府の管轄下にあるイカロス財団のタッチ授受者リストは、政府高官によって定期的にチェックされている。その中でも「女帝」と呼ばれる鶴美が、わざわざ直接電話をしてくるということは、よほどの事態だ。
真千子は即座に隆史を呼び出した。
「隆史、お願いがあるの。この前の肺がん患者について、もう一度洗い直して。……調査部の光男さんを通さずに、内密にね」
隆史は一瞬訝しげな顔をしたが、元妻の勘の鋭さを誰よりも知っている彼は、無言で頷いた。
数日後。
隆史が持ち帰ってきた報告書を読み、真千子は愕然としてデスクを叩いた。
「……なんてこと」
そこには、医療の闇と、身内の裏切りが記されていた。
あの患者は、悪名高い製薬会社「ゼノラ・ファイマ」が開発した肺がん新薬の、極秘治験の被験者だった。
治験は失敗だった。新薬は癌を治すどころか悪化させ、さらに副作用で重篤な間質性肺炎を引き起こしていた。
通常なら、治験中止と健康被害の報告が義務付けられる。だが、この新薬の認可に社運を賭けていた製薬会社は、悪魔的な隠蔽工作を思いついた。
『タッチを受けさせればいい』
淳史の力で癌も副作用も消してしまえば、「治験失敗の事実」そのものが消滅する。その上で、「治験中に原因不明の自然寛解が起きた」あるいは「被験者は健康上の理由で離脱した」としてデータを改ざんする。
特別枠の落札金は、保険金などではなく、製薬会社が用意した裏金だったのだ。
そして、その事実を調査段階で見抜きながら、あえて隠蔽したのが、調査員の光男だった。
「……なぜ? 光男さんは、あなたが一番信頼していた先輩でしょう?」
真千子の問いに、隆史は苦渋の表情で答えた。
「理由は分からない。だが、彼は嘘の報告書を提出した直後、依願退職届を出して実家の木更津に帰っている。……光男先輩の件は、俺に任せてほしい」
真千子の怒りは頂点に達していた。
イカロス財団は社会貢献の一環として、誠実な研究を行う別の製薬会社に助成金を出していた。その会社が開発中の新薬は、今回の悪徳企業の新薬と競合関係にあった。あちらはデータ改ざんと官僚への贈収賄で認可を急ぎ、こちらの真っ当な新薬は不当な審査で足止めを食らっている。
淳史の神聖な力が、悪徳企業の尻拭いに利用された。
その屈辱と怒りが、真千子を突き動かした。
彼女は単身、厚生労働省へと乗り込んだ。
「説明なさい! あなたたちが認可しようとしている新薬は、データが捏造されているわ!」
担当局長の部屋で吠える真千子に対し、エリート官僚は冷ややかな笑みを浮かべて鼻を鳴らした。
「イカロスの理事長ともあろうお方が、証拠もなく因縁をつけるとは。……お引き取りください」
門前払いだった。
それだけではない。コケにされた官僚と製薬会社は、即座に反撃に出た。
数日後、真千子の元に一通の封書が届いた。
『証人喚問呼出状』。
国会への召喚。名目は「財団運営の透明性に関する疑義」。
裏で糸を引いているのは明らかだった。彼らは真千子を公の場で吊るし上げ、財団の解体と、全国の医療機関への出入り禁止を突きつけるつもりだ。
四面楚歌。
イカロスは、設立以来最大の危機に立たされた。
その頃。千葉県木更津市。
海沿いの古びた一軒家に、隆史の姿があった。
元調査員・光男の実家だ。
光男は、やつれた顔で隆史を出迎えた。
問い詰める必要はなかった。家の中からは、医療機器の電子音と、苦しげな咳き込みが聞こえてきたからだ。
「……弟か?」
隆史の問いに、光男は力なく頷いた。
「難病だ。保険も効かない、海外の未承認薬しか手がない。……金が必要だったんだ」
イカロス財団の職務規定、第一条。『職員およびその三親等以内の親族は、タッチを受けることを禁ずる』。
私物化を防ぐための鉄の掟。それが、光男を追い詰めた。
目の前に人を救う力があるのに、自分は使えない。その絶望につけ込んだのが、あの製薬会社だった。
「俺は魂を売った。……どんな罰も受けるつもりだ」
土下座しようとする光男の肩を、隆史は掴んで止めた。
「先輩。俺は、あなたを裁きに来たんじゃない」
隆史は光男の目を真っ直ぐに見据えた。
「あなたのしたことは許されない。だが、その弟さんへの想いまで否定するつもりはない。……取引をしませんか」
「取引?」
「製薬会社の不正データと、贈収賄の証拠。あなたが持っているはずだ。元捜査一課の敏腕刑事が、丸腰で悪魔と契約するはずがない」
光男の目が揺れた。
「それを渡してくれれば、今回の件は財団内部で処理します。そして……弟さんの治療費は、俺が個人的に支援する。タッチはできないが、できる限りのことはする」
光男は涙を流し、震える手で押し入れの奥からハードディスクと、一本の血液アンプルを取り出した。
「……これが改ざん前の生データだ。それと、このアンプルはタッチ直前の患者の血液。分析すれば、治験薬の成分が検出されるはずだ」
「ありがとうございます」
隆史は証拠を受け取り、愛車に飛び乗った。
ここから東京・永田町の国会議事堂まで、通常なら一時間弱。
証人喚問の開始には間に合うはずだった。
だが、運命は意地悪だった。
アクアラインの入り口で、隆史は絶望的な光景を目にした。
赤色灯の海。トンネル内で大型トレーラーの横転事故が発生し、全面通行止めとなっていた。
迂回ルートを使えば、三時間はかかる。
間に合わない。
真千子が、イカロスが、潰される。
隆史はハンドルを叩きつけたが、すぐに冷静さを取り戻した。
陸がダメなら、空だ。
彼は後部座席に積んであったケースを見た。調査用の高性能ドローン。
だが、木更津から東京湾を横断し、国政の中枢である永田町へドローンを飛ばすなど、航空法違反どころの騒ぎではない。自衛隊に撃墜されても文句は言えない暴挙だ。
正規のルートを通せる権力者が、一人だけいる。
隆史はスマホを取り出し、国会で休憩中であろう真千子に電話をかけた。
『隆史!? 今どこよ! もうすぐ午後の部が始まるわよ!』
真千子の悲鳴に近い声。
「証拠は確保した。だが、アクアラインが死んでる。車じゃ間に合わない」
『そんな……じゃあ、終わりじゃない!』
「まだ手はある。……真千子、近くに鶴美大臣はいないか?」
『え? 鶴美さんなら、さっき廊下ですれ違ったけど……』
「捕まえてくれ。そして電話を代わってくれ」
数分後、不機嫌そうな鶴美の声が響いた。
『なによ、私の電話を無視して再調査させた挙句、今度は泣きつき? いい度胸ね』
「大臣、単刀直入にお願いします。木更津から国会議事堂まで、ドローンを一機飛ばしたい。防衛省と警視庁に話を付けて、飛行禁止区域の解除と、緊急の飛行ルートを確保してください」
『はあ!? あんた、今どれだけテロ対策の規制が厳しいか知ってて言ってるの? 私の首が飛ぶわよ!』
「大臣の首と、日本の医療の未来。天秤にかけるまでもありませんよね」
隆史は畳み掛けた。
「それに、このドローンが運ぶのは、腐敗した官僚の首を飛ばすための爆弾です。大臣にとっても悪い話じゃないはずだ」
電話の向こうで、短い沈黙があった。
やがて、鶴美の楽しげな笑い声が聞こえた。
『……いいわ。その爆弾、私が誘導してあげる。五分で空域を空けるから、さっさと飛ばしなさい!』
木更津の海岸。
隆史はドローンをセットし、コントローラーを握った。
プロペラが唸りを上げ、機体が空高く舞い上がる。
東京湾の青い海を越え、一直線に都心へ。
モニターには、あり得ない光景が映っていた。羽田空港の離発着が一時的に制限され、警察のヘリコプターがドローンの先導をしている。
「女帝」の力、恐るべし。
国会、予算委員会室。
証人喚問は佳境に入っていた。
「イカロス理事長。あなたは医学的根拠のない施術を行い、医療秩序を乱している。さらには特定の企業への利益誘導の疑いもある。……財団の解散を宣言すべきではありませんか?」
厚労省の局長が、勝ち誇った顔で詰め寄る。
真千子は唇を噛み締め、沈黙を守っていた。
その時。
議事堂の窓の外から、ブーンという羽音が聞こえてきた。
警備員がざわつく中、窓が内側から開けられた。鶴美の手引きだ。
一機のドローンが滑り込み、真千子の目の前の机に、カタリと着地した。
騒然とする委員会室。
真千子はドローンからハードディスクを取り外すと、高らかに掲げた。
「お待たせしました。これが、あなた方が隠蔽した真実です!」
モニターに映し出されたのは、光男が命がけで守った「真の治験データ」だった。
治験薬投与後の腫瘍の増大、間質性肺炎の発症、そして被験者死亡の予測データ。
さらに、血液分析の結果、患者の体内に高濃度の治験薬成分が残留していた証明書。
完璧な証拠だった。
「な、捏造だ! そんなものは……!」
局長が狼狽する。
「捏造したのはあなた達でしょう! 国民の命を守るべき厚労省が、金のために毒薬を認可しようとしていた。これが医療秩序を乱すということでなくて、何なんですか!」
真千子の怒号が、議場を震わせた。
マスコミのフラッシュが一斉に局長へと向けられる。
形勢逆転。
その瞬間、イカロス財団の存続は決定的なものとなった。
夕刻。
国会議事堂の前庭。
全ての戦いを終えた真千子は、夕日を見上げて大きく息を吐いた。
そこへ、鶴美が歩み寄ってきた。
「派手にやってくれたわね。おかげで私のスマホは各方面からのクレームで鳴りっぱなしよ」
「あら、感謝してますわよ。……ありがとうございます」
真千子が頭を下げると、鶴美はふっと笑みを消し、遠くの空を見つめた。
「……いずれ、淳史君はこの世界のルールそのものを変えてしまう存在になるわ」
「……」
「病気がなくなる世界。死から逃れられる世界。それが本当に幸せなのか、私にはまだ分からない。彼自身にも、まだその自覚と決意は見えない」
鶴美は真千子の方を向き、珍しく優しい声で言った。
「その時が来るまでは、私たちが守ってあげましょう。大人の汚いやり方を使ってでもね」
そう言って、鶴美はヒールを鳴らして去っていった。
その背中は、権力者としての威圧感よりも、守護者としての頼もしさに満ちていた。
真千子は、空を見上げた。
木更津から飛んできたドローンは、もう回収されてここにはない。
だが、見えない空の道は、確かに繋がっていた。
隆史、淳史、そして多くの仲間たち。
彼らがいる限り、イカロスの翼は折れない。
真千子は強く頷き、新たな戦いが待つ日常へと歩き出した。




