第27話 おどけた顔で乗り越えて
それは、財団設立から三年目のこと。
イカロス財団のオフィスに、宮崎県日向市の風が吹いていた。
「皆様、お疲れ様です。私の実家から、ささやかですがお土産です」
休憩スペースで茶を啜っていた真千子、法務部のかおり、そして調整部のノゾミの元へ、秘書の正則がうやうやしく盆を差し出した。
そこに載っていたのは、名物の「日向夏饅頭」。
そして、なぜか人数分の「ひょっとこのお面」だった。
「……正則、このお面は何?」
真千子が怪訝な顔でつまみ上げると、正則は涼しい顔で答えた。
「日向はひょっとこ踊りの発祥の地ですので。魔除け、厄除け、商売繁盛。縁起物ですよ」
「あんたねえ、これをオフィスのどこに飾れっていうのよ」
「まあまあ。いざという時の変装用にも使えますから」
正則は冗談とも本気ともつかないことを言いながら、真千子にもう一つ、お面と饅頭のセットを手渡した。
「これは『雲上さん』の分です。後で渡してあげてください」
そう言い残すと、彼は他の職員にも「魔除けです」と言いながらお面を配るべく、優雅な足取りで去っていった。
残された三人は、シュールな顔つきのお面を見つめ、苦笑するしかなかった。
饅頭を口に運びながら、かおりがタブレットを取り出した。
「ところでボス(真千子)。最近、ちょっと気になるWEBサイトがあるの。早めに手を打っておいたほうがいいと思うわ」
画面に表示されていたのは、大手クラウドファンディングのサイトだった。
『末期ガンと戦う26歳! 最期の希望、奇跡のタッチを受けたい!』
そんな扇情的なタイトルと共に、点滴に繋がれた青年の写真が掲載されている。
プロジェクトオーナーは、晋吾。
大腸ガン、ステージ4。肝臓や小腸への多発転移あり。余命数ヶ月。
問題なのは、その「リターン(支援者への見返り)」だった。
――資金調達達成の暁には、特別枠でタッチを受け、その瞬間の感動をライブ配信で皆様にお届けします!
「……馬鹿なこと考えてくれるわね」
真千子は眉間を押さえた。
イカロス財団は、施術中の撮影・録音を一切禁止している。淳史の正体を守るためであり、奇跡を安っぽい見世物にしないためだ。
財団は直ちに声明を発表した。
『施術中のいかなる撮影・配信行為も固く禁じます。違反した場合、施術を中止することもあります』
だが、ネットの反応は残酷だった。
『ケチくさいこと言うな』『死にかけてる若者の最期の願いだぞ』『奇跡があるなら見せろ』。
興味本位の若者や、感動ポルノを消費したい層を中心にSNSで拡散され、晋吾のプロジェクトは瞬く間に目標金額を達成してしまった。
資金を手にした晋吾は、正式な手続きを経て、財団の特別枠へ応募してきた。
困り果てた真千子は、まずは調査と面談を行うことにした。
調査の結果、晋吾の病状に嘘はなかった。本当に切羽詰まった末期患者だった。
面談の日、真千子と調整部長、そしてノゾミが晋吾と対面した。
「いやだなあ、ライブ配信だなんて。あれは資金集めのための冗談ですよ、ジョーク」
晋吾は痩せこけた頬で、ヘラヘラと笑った。
「支援者の皆さんも分かってくれますよ。僕が治ればそれでいいんですから。当日はスマホの電源も切りますよ」
その態度は妙に素直で、逆に不気味だった。だが、患者である以上、拒む理由は見当たらない。
真千子は一抹の不安を抱えながらも、タッチの実施を許可した。
そして当日。
会場となる財団の大広間には、車椅子に乗った晋吾が案内された。
その様子を、真千子と淳史は会場裏手の理事長室から、カメラのモニター越しに監視していた。
現場では、ノゾミが晋吾に最終確認を行っている。
正則が差し出した「撮影禁止」の誓約書にも、晋吾は大人しくサインをした。
「それでは、関係者は一度退室します。その後、施術者が入室しますので」
ノゾミが告げ、正則と共に出口へ向かおうとした、その時だった。
晋吾が動いた。
隠し持っていたカバンから、自撮り棒を取り出し、装着していたスマホを掲げたのだ。
「――はい、どうもー! 晋吾チャンネルのお時間です! 今、奇跡の現場に来てまーす!」
晋吾の甲高い声が響く。
「ちょっと! 何してるんですか!」
ノゾミが駆け寄るが、晋吾は車椅子を巧みに操作して距離を取った。
「約束が違うじゃないですか! 今すぐやめてください!」
「うるせぇ! こっちは金払ってんだよ!」
晋吾の形相が一変した。
スマホの画面には、続々と視聴者が流入し、コメント欄が滝のように流れている。
「俺はな、今日治らなきゃ死ぬんだよ! 見ろ、このコメントの数を! みんなが見てるんだぞ! 俺を見殺しにする気か! 早くタッチしろよ! それともインチキか?」
それは、死の恐怖に追い詰められた人間の、なりふり構わぬ暴走だった。
ネットという「正義」を味方につけ、財団を脅迫しているのだ。
モニターを見ていた真千子が立ち上がった。
「中止よ。警備員を呼んでつまみ出しなさい!」
だが、現場のノゾミは引かなかった。
彼女はスマホのカメラレンズの前に立ちはだかり、晋吾を睨みつけた。
「晋吾さん。聞いてください」
「どけよ! 邪魔だ!」
「私たちは、施術者のことを何も知りません。顔も、名前も。……でも、彼は本当の奇跡を起こしてくれる、唯一の人なんです!」
ノゾミの悲痛な叫びが、広間に響いた。
「私は医者です。でも、今の医学ではあなたを救えない。悔しいけれど、私の投げたサジを拾ってくれるのは、彼しかいないんです! 私だってそんな力が欲しい。誰だって欲しい。だからこそ、たった一人しかいない彼を、私たちは守らなきゃいけないんです!」
ノゾミはその場に膝をつき、深々と頭を下げた。
「お願いします。彼を危険に晒さないでください。カメラを切ってください」
その真摯な姿に、晋吾が一瞬たじろいだ。
だが、スマホの画面に流れる無責任なコメント――『やれやれ』『隠すなんて怪しいぞ』『権利を主張しろ』――が、彼の自制心を破壊する。
「……知るかよ。俺が助かればいいんだよ!」
晋吾が再びカメラを向けようとした瞬間。
キーン、というハウリング音と共に、会場のスピーカーから放送が流れた。
声の主は、その場にいるはずの正則だった。彼は胸元のマイクスイッチを入れ、館内放送に割り込んだのだ。
『業務連絡、業務連絡。イカロス財団全職員に告ぐ』
いつもの冷静沈着なバリトンボイス。だが、その内容は常軌を逸していた。
『全職員は、ただちに「私のお土産」を顔に装着し、大広間へ集合せよ。繰り返す。全職員は、ただちに「ひょっとこ」になり、大広間へ突入せよ!』
理事長室で聞いていた真千子は、一瞬ぽかんとしたが、すぐにニヤリと笑った。
「……なるほど。やってくれるじゃない」
真千子はゴミ箱を蹴り飛ばし、捨ててあったお面を拾い上げると、淳史に押し付けた。
「ほら、あんたも着けなさい!」
「えっ、これ? 本気?」
「いいから! どさくさに紛れてタッチしてきなさい!」
広間の扉が、一斉に開かれた。
なだれ込んできたのは、異様な集団だった。
スーツ姿の男、制服の女子社員、清掃員のおばちゃん。
その全員の顔が、とぼけた表情の「ひょっとこ」だった。
「な、なんだお前らは!?」
晋吾がカメラを向けるが、画面は無数のひょっとこで埋め尽くされる。誰が誰だか分からない。顔認証システムさえも拒絶する、アナログかつ最強のセキュリティ。
「晋吾さんの体に触れて、励ましてあげてください!」
正則の号令で、ひょっとこたちが晋吾を取り囲む。
「頑張れよ!」
「良くなるぞ!」
「ひょっとこパワーだ!」
口々に叫びながら、職員たちが晋吾の肩や背中を叩く。
その狂乱の渦の中に、一人の小柄なひょっとこが混ざっていた。
淳史だ。
彼は揉みくちゃにされながらも、晋吾の腕を掴んだ。
――タッチ。
晋吾の体内で暴れまわっていた癌細胞が、ひょっとこの踊りに誘われるように消滅していく。
熱い奔流が全身を駆け巡り、痛みが嘘のように引いていく。
「……あっ、あ……?」
晋吾の手から、自撮り棒が滑り落ちた。
スマホが床に転がり、天井を映したまま配信が途切れる。
職員たちが波が引くように去っていくと、そこには呆然と立ち尽くす晋吾だけが残されていた。
顔色が劇的に良くなっている。
晋吾は自分の腹をさすり、信じられないという顔で涙を流した。
「……痛くない。体が、軽い」
そして、人が変わったように床に手をついた。
「僕は……なんてことをしてしまったんだ。命の恩人を売るような真似をして……ご迷惑をおかけしました! 本当にごめんなさい!」
号泣しながら謝罪する晋吾。
そこへ、お面を外した真千子が鬼の形相で入ってきた。
「ふざけるんじゃないわよ! どうせまた、反省したふりをして再生数稼ぎにするつもりなんでしょ!」
真千子が詰め寄ろうとした時、ノゾミが両手を広げて立ちはだかった。
「待ってください、真千子さん!」
「ノゾミ、退きなさい。こいつは確信犯よ」
「違います。医学的な根拠があるんです!」
ノゾミは早口でまくし立てた。
「彼は大腸ガンでした。そして小腸にも転移していた。……腸は『第二の脳』と呼ばれるほど、独自の神経ネットワークを持っています。脳腸相関と言って、腸の状態は性格や精神状態にダイレクトに影響するんです!」
ノゾミは晋吾を指差した。
「彼の腸内環境は、ガンによって最悪の状態でした。そのストレスが脳に伝わり、攻撃的で衝動的な性格に変えてしまっていた可能性があります。でも今、タッチによって腸が正常に戻った。だから、本来の彼の性格に戻ったんです!」
かなり強引な、しかし妙に説得力のある医学的こじつけだった。
真千子は毒気を抜かれたように立ち止まり、晋吾を見た。
彼はまだ床に額をこすりつけ、子供のように泣きじゃくっている。その姿に、さっきまでの悪意は感じられなかった。
「……分かったわよ。今回はノゾミの顔に免じて許してあげる」
真千子は大きくため息をついた。
「その代わり、二度とこんな真似はしないこと。いいわね!」
「はい! 一生、感謝します!」
晋吾が帰った後、オフィスには平和が戻った。
だが、デスクのあちこちには、あのひょっとこのお面が置かれたままだ。
正則が満足げに言った。
「どうです、理事長。私の土産、役に立ったでしょう?」
「……悔しいけど、完敗ね」
真千子は苦笑いした。
「正則、これ、追加発注しておきなさい。今後、テロ対策用装備として各フロアに配備するわ」
「承知いたしました」
こうして、最先端医療を行うイカロス財団の備品リストに、伝統工芸品「ひょっとこ面」が正式登録されることになった。
それは、科学と奇跡、そして人間の知恵とユーモアが融合した、この財団を象徴するアイテムなのかもしれなかった。




