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雲上タッチ ~触れるだけで、命を救う。神の力を宿した青年が世界を変える、奇跡の物語。~  作者: 団田図


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第18話 シバハマンドリーム

 新宿三丁目。ネオンの海に浮かぶ、古き良き木造建築の寄席小屋。

 調査部の隆史たかしは、提灯が揺れる入り口をくぐり、桟敷席の隅に身を沈めていた。

 元刑事の鋭い眼光を少しだけ緩め、彼は舞台を見つめる。


 今日の任務は、三年前にタッチを受けた元患者の「追跡調査」だ。

 対象者は、落語家の寿亭能登舞喜ことぶきてい のとぶき

 事前にアポイントの連絡を入れたところ、「堅苦しい話は抜きにして、まずはあたしの高座を見ておくんなさい。話はそれからです」と、この寄席を指定されたのだ。


 ――ジャン、ジャン、ジャカジャカ……。


 軽快な出囃子の音色が響き渡ると、高座の座布団に一人の男が座った。

 小柄だが、目が大きく、愛嬌のある顔立ち。三年前、肝臓癌で死にかけていた男とは到底思えないほど、肌には艶があり、声には張りがあった。


「えー、お運びをありがとうございます。わたくし、寿亭能登舞喜と申しまして、名前の通り、日本海をズドンと突き刺す能登半島の出身でございます」


 能登舞喜が扇子を広げて挨拶すると、客席から温かい拍手と笑いが起きた。

 彼はニカリと笑い、滑らかな口調で語り出した。


「さて、昔から『おごれる者は久しからず』なんて言葉がございますが。海の向こうの西洋には、ギリシャ神話にイカロスなんて名前の青年がいたそうで。頭のいい彼は、蝋で固めた翼を使って空高く飛んだはいいものの、『まだいける、もっと高く』なんて調子に乗って太陽に近づきすぎちまった。結果、熱で蝋が溶けて海に真っ逆さま、お陀仏しちまったそうで」


 隆史は眉をぴくりと動かした。

 イカロス。財団の名前だ。まさか、いきなり核心に触れるつもりか。

 隆史が懐のICレコーダーを確認する中、能登舞喜は話を続けた。


「昔から、男って生き物は調子に乗ってしくじるもんでして。今日はそんな、あっしの身に起きた、ちょいと不思議な話をさせていただきましょう」


 能登舞喜は羽織を脱ぎ、手ぬぐいで額の汗を拭った。そこから先は、一人の噺家の「独白」でありながら、完成された「芸」の世界だった。


「まだ元号が平成と申しておりました時分に、二枚目でめっぽう面白い噺家の男がおりました。……ええ、あっしのことでございますが」


 客席がドッと沸く。


「この男、いつも着流しに雪駄履き。手ぶらで色んな高座を渡り歩いちゃあ、貰ったお給金をその日のうちに全部使って、仲間と朝まで酒を飲み明かすってぇ、自堕落な生活をしてたんですわ。宵越しの金は持たねぇ、なんて言えば聞こえはいいが、要はただの飲んだくれだ」


 能登舞喜は扇子を猪口に見立て、美味そうに酒を煽る仕草をした。その所作だけで、酒の香りが漂ってくるようだ。


「ところが、ある日どうも調子が悪い。体がだるくて、顔色が土色だ。こりゃいけねぇと、医者でもある古女房に診てもらったんです。うちの女房ってのがまた、あーた、鬼より怖い医者でしてね」


 能登舞喜は声色を変え、鋭い女性の口調を演じた。


『……あんた、覚悟はおし。重度の肝臓癌だよ』

『ええっ!? 嘘だろお前さん。……てことはあれかい、俺はあと何合、酒が飲めるんだい?』

『馬鹿お言い。あんたの体にはもう、そんな肝機能も、酒を買うお金も残っちゃいないよ』


 厳しい宣告。

 会場の笑いが、ふっと静まり返る。


「驚きましたねぇ。肝臓摘出手術を受ければ助かるが、一生酒は一滴も飲めない。噺家としての枯れた芸も、もう出せねぇかもしれない。万事休す、って時でした。……風の噂に聞いたんです。『どんな病も手一つで治す、魔法のまじない』があるってね」


 隆史は息を呑んだ。

 「魔法のまじない」。淳史のタッチをそう表現したか。

 舞台上の能登舞喜は、当時の切迫した状況を熱演する。


「あっしは藁にもすがる気持ちで応募しましたよ。そうしたら、なんと当選しやがった! しかも、その知らせが来たのが、手術台の上。麻酔のマスクを当てられる、まさに直前だったってんだから運命ってのは分からない」


 能登舞喜は身振り手振りで、手術室から飛び出し、白衣のまま駆け出す様子を演じた。


「『手術は中止だ! 善は急げだ!』ってんで、まじない師の元へ転がり込んだ。そしたら、仏様のような好青年が現れましてね、あっしの体にスッと手を触れた。……するとどうだい。体中のよどみがサーッと消えて、五臓六腑に力が漲ってくるじゃあありませんか!」


 パン! と扇子を叩く音が響く。


「あっという間に全快だ。これでまた酒が飲めるぞと、あっしは有頂天になりましてね。早速、悪友どもを集めて快気祝いの大宴会。浴びるように酒を飲んで、泥酔して家に帰った」


 そして翌朝。

 能登舞喜は、二日酔いで頭を抱える男と、それを冷ややかに見下ろす妻の二役を演じ分けた。


『うぅ……頭が痛ぇ。おい、水くれ』

『あら、お目覚めかい。……肝臓も無いのに、こんなに飲んで死ぬ気かい?』

『へ? 何言ってやんでぇ。俺は昨日、神秘のまじないを受けて、肝臓はサラピンの新品同様にしてもらったんだよ!』


 妻は冷たく鼻で笑う。


『まじない? 寝ぼけてるんじゃないよ。あんたは昨日、手術を受けたんだ。酒飲みたさのあまり、麻酔の夢でも見たんだろ』

『ゆ、夢……? そんな馬鹿な。あんなにリアルな……』

『夢だよ。あんたの肝臓はもう半分無いんだ。これ以上飲んだら、今度こそあの世行きだよ』


「……愕然としましたね」

 能登舞喜は観客に語りかけるように戻った。

「あれだけの奇跡が、夢だったのかと。道理で、久しぶりに酒を飲んだらやけに回ると思った。……あっしは、こりゃいけねぇと一念発起しましてね。酒をきっぱり断って、真面目に働き始めたってわけです」


 そこからの語り口は、涙を誘う人情噺へと変わっていった。

 酒を断ち、稽古に打ち込む日々。

 素面で見える世界の鮮やかさ。客の反応の温かさ。

 仕事に没頭することで、久しく忘れていた落語の本当の楽しさに目覚めていく男の姿。

 そして三年後。

 男は念願の「真打」に昇進した。


「その年の大晦日の晩です。除夜の鐘を聞きながら、女房があっしに手をついて、こう言ったんです」


『……あんた、すまなかったねぇ』

『なんだい藪から棒に』

『実はね……三年前のあれは、夢じゃなかったんだよ』


 妻の告白。

 男がまた酒浸りになって身を持ち崩すことを恐れ、わざと「夢だ」「手術はした」と嘘をついたこと。

 真打に昇進し、お得意さんもつき、人間として成長した今なら、真実を話しても大丈夫だと思ったこと。


「女房の目から、ポロポロと涙がこぼれましてね。……あっしも泣けました。俺のために、俺の体を思って、三年間も嘘をつき通してくれたその心がね」


 能登舞喜は目元を拭う仕草をした。客席からもすすり泣く音が聞こえる。

 落語の名作「芝浜」のオマージュだ。

 大金を拾った夫に「夢だ」と嘘をついて更生させる妻の話。能登舞喜は、自身の体験した「タッチ」という非日常を、古典落語の枠組みに見事に落とし込んだのだ。


「『久しぶりに、どうだい』と、女房が酒を勧めてくれました。琥珀色のいい酒だ」


 能登舞喜は震える手で、見えない湯呑みを持つ仕草をした。

 口元へ運ぶ。香りをかぐ。喉が鳴る。

 三年ぶりの美酒。

 しかし。

 唇に触れる寸前で、彼はピタリと手を止めた。


「……どうしたの、お前さん?」


 妻の問いかけに、能登舞喜はニッコリと笑って、静かに湯呑みを置いた。


「よそう。……また、夢になるといけねぇ」


 下げ(オチ)が決まった瞬間、会場は一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手に包まれた。

 隆史も思わず拍手を送っていた。

 見事だった。

 イカロスとの契約、妻の愛情、そして自身の更生。それら全てを笑いと涙のエンターテイメントに昇華させていた。


 終演後。

 楽屋口から出てきた能登舞喜を、隆史は出迎えた。


「よお、どうでした? あっしの今の体調、分かっていただけましたかい?」


 能登舞喜は悪戯っぽく笑いかけた。

 隆史は苦笑しながら、ICレコーダーの電源を切った。


「ええ。顔色も良いし、何より芸のキレが最高でしたよ。……ただ」

「ただ?」

「我々との契約書には『タッチ時の状況の公言禁止』という条項がありましてね。今日の噺、ギリギリ……いや、完全にアウトな気もしますが」


 能登舞喜は「おっと」と首をすくめた。

「勘弁してくださいよ、旦那。あれはあくまで『創作落語』、噺家の作った夢物語でさぁ」

「夢、ですか」

「ええ。夢なら、誰も傷つかない。そうでしょう?」


 隆史は夜空を見上げた。

 新宿の空には、本物の月が浮かんでいる。

 この男は、タッチという現実を「夢」として処理することで、酒という欲を断ち切り、噺家としての成功を掴んだ。

 それを野暮な規約で縛るのは、それこそ「夢」から覚ますような無粋な真似だろう。


「……そうですね。とても良い夢を見せてもらいました」


 隆史は能登舞喜に握手を求めた。

「真打昇進、おめでとうございます。これからも、良い高座を」

「へい! ありがとごぜぇます!」


 能登舞喜は深々と頭を下げ、軽快な足取りで夜の街へと消えていった。

 隆史はポケットの中の報告書を取り出し、『健康状態・極めて良好。精神状態・充実。特記事項・なし』と心の中で書き込んだ。


 粋な嘘なら、ついてもいい。

 それが人を幸せにする嘘ならば。

 隆史は少しだけ口角を上げ、雑踏の中へと歩き出した。


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