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雲上タッチ ~触れるだけで、命を救う。神の力を宿した青年が世界を変える、奇跡の物語。~  作者: 団田図


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第12話 サイコ野郎

公益財団法人イカロス。その輝かしい「奇跡」の裏側には、必ず泥臭い実務が存在する。

 調査部の隆史たかしにとって、それは日常そのものだった。


 財団本部、セキュリティロックで閉ざされた調査部フロア。

 隆史はデスクに積み上げられた書類の山と格闘していた。モニターには、先日行われた「抽選」で選出された候補者たちのリストが表示されている。

 イカロスの「タッチ」を受ける権利は、完全なるランダム抽選によって決定される。だが、当選即治療、というわけではない。

 ぬか喜びさせてはならないのだ。

 もし当選通知を出した後で、対象者が既に亡くなっていたら? あるいは、現代医学で完治可能な病気だったとしたら? さらには、淳史の能力が効かない「先天性疾患」だったとしたら?

 それらを事前に、かつ対象者に悟られないよう秘密裏に精査するのが、隆史たち調査部の仕事だった。


「さて、次の案件は……」


 隆史はファイルを手に取った。

 対象者・美樹みき。二十一歳。病名は筋ジストロフィー。

 筋肉が徐々に萎縮し、最終的には呼吸筋や心筋も侵される難病だ。


 調査の手順はマニュアル化されている。

 まずは生存確認。隆史は架空の保険会社の社員を装い、実家に電話を入れた。家族の対応から、美樹が存命であり、現在も闘病中であることを確認する。

 次は、最も重要な「医療照会」だ。

 通常、個人情報保護の壁は厚いが、イカロスには強力な武器がある。

 『イカロスに関する調査協力についてのガイドライン』。

 かつて官房長官だった鶴子が、厚労省に圧力をかけて作成させた伝家の宝刀だ。これにより、財団は国内のあらゆる医療機関に対し、候補者のカルテ開示を要求できる。


 隆史はスーツを整え、美樹が入院している大学病院へと向かった。


 主治医の名は、四郎しろう

 神経内科の権威として知られるベテラン医師だ。

 院長室に通された隆史は、ガイドラインの書類と身分証を提示した。


「……なるほど。財団の方でしたか」


 四郎は銀縁眼鏡の奥から、冷ややかな視線を投げかけてきた。協力的どころか、明らかな敵意を含んでいる。

 通常、主治医たちは自分の患者が助かると分かれば、手放しで喜ぶか、あるいは医学的興味から食い気味に質問してくるものだ。だが、四郎の反応はそのどちらでもない。


「カルテの開示、ですね。法律で決まっている以上、拒否はしませんが……」

「何か問題でも?」

「彼女の病状は極めてデリケートでね。外部の人間が安易に介入して、彼女の精神バランスを崩してほしくないんです。ぬか喜びさせるのが一番残酷だ」


 もっともらしい理由だが、隆史の長年の勘が警鐘を鳴らしていた。

 この男は、何かを隠している。

 隆史は形式的にカルテの写しを受け取ると、早々に病院を後にした。だが、調査を終わらせたわけではない。むしろここからが本番だった。


「……黒だな」


 隆史は病院近くのカフェに入り、受け取ったカルテと、独自に入手していた看護師たちの証言ログを照らし合わせた。

 矛盾がある。

 美樹の病状進行スピードが、一般的な症例に比べてあまりに不自然だ。さらに、投薬記録には記載されていない謎の空白期間が定期的に存在する。


 隆史は調査部の特権を使い、より深い階層のデータへアクセスを試みた。四郎の個人研究データ、薬品管理簿、そして削除されたはずの「裏カルテ」。

 数日後、隆史のデスクには戦慄すべき報告書が出来上がっていた。


 四郎は、医師の仮面を被った怪物だった。

 彼は希少な難病患者を、治療対象ではなく「コレクション」として扱っていたのだ。

 特に美樹のことはお気に入りのようで、未承認の劇薬や違法な薬物を投与し、病状がどのように変化・悪化するかを克明に記録していた。それは治療ではなく、緩やかな拷問であり、人体実験だった。

 彼女の筋肉が壊れていく様を、彼は特等席で眺めて楽しんでいたのだ。


「許せるかよ、こんな野郎」


 隆史は煙草を灰皿に押し付けると、警察と医師会への通報ダイヤルを押した。


 翌日。

 病院は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 捜査令状を持った警察官たちが雪崩れ込む。隆史もその先頭に立ち、四郎の研究室へと踏み込んだ。


「何だ君たちは! ここは神聖な研究室だぞ!」


 四郎は白衣を翻して抗議したが、隆史が突きつけた裏カルテのコピーを見ると、その顔から血の気が引いた。

「……どこでそれを」

「あんたのパソコンの中だよ。セキュリティが甘かったな」


 警官に腕を掴まれ、手錠をかけられる四郎。

 その時、廊下の奥から車椅子に乗った美樹が、看護師に連れられて様子を見に来た。騒ぎを聞きつけたのだろう。痩せ細った体、不安げな瞳。

 四郎は彼女を見つけると、取り押さえられながらも獣のような形相で叫んだ。


「ダメだ! 連れて行くな!」

「往生際が悪いぞ!」

「治療中なんだ! まだデータが取りきれていない! その子は……その子は俺の最高傑作なんだ!」


 四郎の絶叫が廊下に響き渡る。

 医師としての矜持など欠片もない。それはお気に入りの玩具を取り上げられた子供の癇癪そのものだった。


「俺のコレクションに触るなァァッ!」


 美樹が恐怖で身をすくませる。

 隆史はとっさに彼女の前に立ちふさがり、その視線から彼女を遮断した。


「連れて行け」


 隆史の冷徹な指示で、四郎はずるずると引きずられていった。

 静寂が戻った廊下で、隆史は震える美樹の目線に合わせてしゃがみ込んだ。


「……もう大丈夫です。怖い思いをさせてすみません」

「先生は……私を、治そうとしてくれてたんじゃ……」

「いいえ。でも安心してください。これからは、本当の治療が始まります」


 隆史は懐から、一冊の冊子を取り出した。

 『当選ガイドブック』。

 それは、地獄から抜け出し、天国への階段を登るためのパスポートだった。


 数日後。

 淳史によるタッチが実行された。

 美樹の体から病魔は消え去り、萎縮していた筋肉には瑞々しい力が戻った。

 彼女が自分の足で立ち上がった時、隆史は調査部としての任務完了を報告書に記した。


 しかし、仕事は終わらない。

 次の抽選が、次の調査が待っている。

 隆史は、美樹に手渡したガイドブックの文面を思い出しながら、苦いコーヒーを飲み干した。

 奇跡はタダではない。

 それを受け取るには、相応の覚悟が必要なのだ。




【抽選枠 当選者向けガイドブック】


タッチを受ける皆様へ


 当選、おめでとうございます。

 今あなたは、突然訪れた幸運に驚きと喜びを感じていることでしょう。長年の苦しみから解放される希望に、胸を躍らせているかもしれません。

 しかし、まだ喜ぶのは早いです。

 施術者の能力が突然消えてしまう可能性もゼロではありません。また、調査の結果、あなたの疾患が「先天性」のものであると判明した場合、残念ながら治すことはできません。

 どうか過度な期待を膨らませず、静かにその時をお待ちください。


 本ガイドブックは、奇跡を受け入れるための心の準備をするものです。以下の項目をよく読み、冷静さを取り戻してください。


スケジュールの可視化

タッチ当日までの過ごし方、そして健康を取り戻した後の人生設計を具体的に思い描いてみましょう。「治ったら何をしたいか」ではなく、「何をするか」を計画してください。


情報管理の徹底

誰に当選を知らせるか、リストを作成してください。ただし、一人でも他人に話せば、噂は水のように広がることを覚悟してください。親戚が増えたり、怪しい勧誘が来る可能性もあります。


言動への注意

SNSへの書き込みは厳禁です。安易な発信は特定班の標的となり、あなたや家族の平穏を脅かします。後悔するような軽はずみな言動は慎みましょう。


精神状態の自覚

当選直後は、アドレナリンが分泌され、正常な判断ができない興奮状態にあります。大きな決断(退職、高額な買い物、人間関係の清算など)は控えてください。


自己の再確認

自分の性格やクセを見つめ直してください。病気が治っても、あなたの人格が変わるわけではありません。健康な体を手に入れたからといって、急に聖人君子になれるわけではないのです。


幸福の定義

当選はゴールではありません。あくまで「幸せになるための手段の一つ」を手に入れたに過ぎません。その体を使ってどう生きるかは、あなた次第なのです。


 我々イカロス財団は、あなたが新たな翼で人生を飛翔することを心より願っています。

 ただし、太陽に近づきすぎぬよう、くれぐれもご注意を。




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