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陰謀の破綻と王国の未来

 冷たい石の床が敷き詰められた地下牢は、たとえ貴族牢といえども公爵家の子息として、生まれついての甘さとぬるま湯のような生活しか知らぬサイモンにとって、地獄の底に等しかったのです。 先だって捕らえられた兵たちが、聖魔法という良心の光に炙られて、ようやく重い口を開いたというのに、サイモンは、良心の光が届くよりも早く、牢内の孤独と寒さに耐えかねて動揺し始めていました。


 貴族牢で一睡もできずに一晩過ごした後には「僕は悪くない、僕は悪くない…」と独り言が始まっていました。


 そして、彼の自白は、ひどく見苦しいものでした。


「今度の事件は私が企てたことではないのです。父である公爵がすべて計画し、私は立場上、セドリック殿下の側近であったために、公爵に利用されたに過ぎません。王宮の情報を公爵に流したり、王都での穀物の買占めの作業をしたに過ぎないのです。王位の簒奪は、そもそも父が言い出したことで、私はこれでも反対したのですが、父をいさめることができなかったのです」


 責任は全て父親の公爵に擦りつけ、自らの無力さと従属を殊更に強調する、その卑怯な言葉の連なりは、セドリック王子の耳には、まるで水の底から聞こえてくる子どもの泣き言のように響きました。


 セドリックは、自らがこのような小物を、最も信頼すべき側近として重用していたという事実に、激しく恥じ入りました。


 サイモンの証言は、公開の場でも改めて行われ、サザーランド公爵家の悪行とたくらみは、王都を覆っていた厚い雲を払うかのように、白日の下に詳らかにされました。


 王家は公爵の責任を問い、厳罰をもって没落を企図しました。しかし、サザーランド公爵家という大木は、一朝一夕に根絶やしにできるほどその根は浅くはありませんでした。長きにわたり王国の血肉となり、隅々まで根を張っていたその影響力は、王家の斧をもってしても、その根元まで切り込むことは難しかったのです。


 結果として、マイケル・サザーランド公爵は隠居を強いられ、長女のローラ・サザーランドが家督を継ぐこと、公爵家は侯爵家へと降爵すること、そして、広大な領地の一部が召し上げられ、王家の直轄領となることなどが決められました。


 王位簒奪という大罪を企図したにもかかわらず、公爵がその身を保ち、一族が侯爵として存続できたという事実は、王家の斧が、木の枝を払うに留まり、王国の憂いの根幹にまで切り込むことは叶わなかったことを示しています。禍根は、まだ大地の下に残されたままでありました。


 事件が一段落した後、王室を離れていたチャールズは、セドリック王子に強く請われ、サイモンの後任として側近となりました。彼はもはや王子ではなく、王国を支える剣として、摂政であるセドリックを支えていくことを、その魂に誓ったのです。


 そして、ソフィアとチャールズの婚姻。


 それは、ソフィアの父、フレイザー伯爵の反対によって暗礁に乗り上げていました。伯爵は娘の幸せを願いながらも、その婚姻が王国の政情不安に利用されることを恐れていたのでした。


 だが、ここで、一回り大きく成長したセドリックが、二人のために動きました。


「チャールズは、私にとっての最も信頼できる側近だ。そして、ソフィアは、この王国を救った聖女。二人の結びつきは、王家の権威ではなく、王国の希望となるべきものです。伯爵、どうか、二人に未来を与えてやっていただけないだろうか」


 王子の、私情を越えた真摯な言葉に、フレイザー伯爵はついに折れました。 「……王子がそこまで仰るのでしたら」


 王命ではなく、王子の願いによって、ソフィアとチャールズの婚姻は許されました。 フレイザー伯爵家は、その功績により伯爵から侯爵へと陞爵し、さらに一時的に王家直轄領となっていた旧サザーランド領の一部を掌中とすることとなり、王国の新たな安定の柱となりました。


 ソフィアは、婚姻の儀を前に、チャールズと二人で風使いの村へと赴きました。光溢れる村の中で、二人は風の精霊たちに婚姻することを報告し、村人たちは心から二人を祝福しました。


 精霊たちが囁きかける風の音の中で、ソフィアは、自らがこの世に存在する真の使命を悟りました。


 魔王との戦いは終わりました。しかし、この王国には、飢餓や陰謀という、地に根差した闇が、まだ深く残っています。彼女の持つ聖なる光と風の力は、チャールズの剣と知恵と共に、この王国を守る不動の楯となること。それが、彼女に与えられた責務なのだと。


 ソフィアは、風の中で、深く、精霊に誓いを立てました。


「わたしは、愛するチャールズ様とともに、この王国の守護者となり、その使命を果たすために、力を尽くします」


 風の精霊は、その誓いを受け入れ、祝福の光となってソフィアを包み込みました。二人の道は、王国の希望となり、未来へと続いていくのでありました。


 フレイザー伯爵邸(現在は侯爵邸)の控室。 花嫁支度を終えたソフィアが、静かに父の入室を待っていました。 扉が開き、正装に身を包んだジェイムズが入ってくるなり、彼は言葉を失い、その場に立ち尽くしました。


 純白のシルクに、精霊の祝福を受けたかのように輝く銀糸の刺繍。かつて「地味だ」と評された娘は、今や誰よりも気高く、美しい「王国の盾」としてそこにいました。


「……お父様?」


 ソフィアが恥ずかしそうに微笑むと、ジェイムズは咳ばらいをして、潤みかけた瞳を誤魔化すように天井を仰ぎました。


「ああ、……綺麗だ。本当に、綺麗になったな」


 その声は、震えていました。 彼はゆっくりとソフィアの前に歩み寄ると、その小さな手を、壊れ物を扱うかのように両手で包み込みました。


「ソフィア。六歳のあの日、お前に全属性の魔力が宿ったと知った時……私は正直、恐ろしかったのだよ」


「恐ろしかった、のですか?」


「ああ。この強大すぎる力が、いつかお前を私たちの手の届かない場所へ連れ去ってしまうのではないかと。……普通の幸せなど望めなくなるのではないかと、そればかりを案じていた」


 ジェイムズは、苦笑いを浮かべました。


「だが、お前は自分の足で歩き、友を得て、愛する人を見つけ、そして国さえも救ってみせた。……私が守ろうとするよりもずっと強く、お前は自分自身の幸せを掴み取ったのだな」


「お父様……」


「チャールズ殿は、良い男だ。王位を捨ててでもお前を選び、泥にまみれてお前と共に歩む覚悟を持っている。……悔しいが、認めざるを得ない」


 ジェイムズは、ソフィアの手をぎゅっと握りしめました。


「行っておいで。私の自慢の娘。……だが、辛いことがあったら、いつでも帰ってくればいい。フレイザー家は、いつだってお前の家なのだから」


 ソフィアの目から、真珠のような涙がこぼれ落ちました。彼女は、偉大な父の胸に飛び込み、幼い頃のようにしがみつきました。


「はい……! ありがとう、お父様!」


 そして、華やかな祝宴が終わり、夜風が心地よく吹き抜けるバルコニー。 喧騒から抜け出したソフィアとチャールズは、二人きりで夜空を見上げていました。月明かりが、二人の薬指に光る揃いの指輪を照らしています。


 チャールズが、愛おしそうにソフィアの肩を抱き寄せました。


「疲れたかい? ソフィア」


「いいえ。……なんだか、まだ夢の中にいるみたい」


 ソフィアは、チャールズの温かい体温を感じながら、彼の胸に頬を寄せました。


「ねえ、チャールズ。私、本当に幸せになってもいいのかしら。こんなに強大な力を持って、王国の防衛なんて重い使命を背負って……普通の夫婦のような幸せを、望んでも」


 チャールズは優しくソフィアの顎を持ち上げ、その瞳を真っ直ぐに見つめました。風使いの村で見た時と同じ、飾り気のない、けれど何よりも熱い瞳でした。


「君は『王国の盾』になると言ったね。なら、僕はその盾を支える『礎』になろう。君が重荷に耐えきれそうになったら、僕が半分背負う。君が泣きたい時は、僕が隠す」


 彼は、ソフィアの唇に、誓いの口づけを落としました。それは、式場の祭壇でしたものよりも長く、深く、甘い口づけでした。


「それにね、ソフィア。英雄も聖女も、家に帰ればただの人だ。……これからは、僕だけのソフィアでいてほしい。僕も、君だけのただのチャールズだ」


「……はい、あなた」


 ソフィアが顔を赤らめて頷くと、チャールズは悪戯っぽく笑いました。


「さて、そろそろ部屋に戻ろうか。風の精霊たちも、今夜ばかりは気を利かせて、覗き見しないように言ってあるからね」


「まあ! 殿下ったら……いいえ、チャールズったら」


 二人の笑い声が、夜風に溶けていきます。 王国の未来を背負う二人の、ささやかで、けれど確かな幸せの始まりの夜でした。


 おわり


最後までお読みいただきありがとうございました。

次回作は19世紀末のイギリス・ケント州のアシュフォードを舞台にしたスチームパンクっぽい物語になります。2月26日午後8時から投稿を開始しますのでよろしかったらそちらの方も読んでいただけると嬉しいです。

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