表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/57

チャールズ王子の出奔

 風使いの村へとソフィアが旅立ってから、王宮の空気は一変しました。王の苛立ちは、目に見えぬ濃霧のように王城全体を覆い尽くしていました。


「何としてでも、ソフィアを呼び戻せ! 風使いの村を探し出せ!」


 王命は、まるで地脈の唸りのように響き渡り、チャールズ王子を始めとする臣下たちは、風の行方を追うという、徒労の極みのような捜索活動に駆り出されました。


 チャールズ王子は、父王に何度も進言しました。 「ソフィアは魂が癒えれば、必ず戻ります。焦らずお待ちください」


 しかし、一度大災厄の恐怖を味わった王は、もはや理性的な判断力を失っていました。ソフィアという力の源を、何としても自分の手の届く場所に置きたがりました。 彼女が持つ、世界の均衡を保つ目に見えぬ力への執着。それはやがて、婚礼という形でソフィアを王族に取り込むという、禍々しい企てへと姿を変えました。


 王は宰相に相談し、フレイザー伯爵には「娘を差し出すように」と暗に圧力をかけました。そして、ソフィアが王都に戻ってきた際には、有無を言わさず、チャールズ王子との婚儀が執り行われるよう、周到に仕組んでいたのです。


 チャールズは、父の意図を正確に把握していました。 ソフィアは彼の親友であり、もし「娶れ」と言われれば、彼は喜んで彼女を妻に迎えたいと思っていました。しかし、彼は同時に、ソフィアという女性がどのような精神の在り方をしているのかも知り尽くしていました。


「父上、ソフィア嬢はすでに自立した人間です。きちんと対話し、彼女自身が私と共に歩むことを望まない限り、彼女は納得しないでしょう。王命という強制の力で繋ぎ止めれば、彼女の魂は永遠に不自由となり、不幸になる。それはこの国にとっても決して得策ではありません」


 チャールズは力説しましたが、父王は「女などというものは一緒になりさえすればどうとでもなるものだ」と言って、王子の言うことは歯牙にもかけません。 そうしたやり取りが続く中で、チャールズの心の中に、王への反発が徐々に積み重なっていきました。


 王とチャールズ王子の衝突は、日に日に激しさを増していきました。そしてある日、ついに、王から冷徹な王命が下ったのです。


「お前を勘当する。王宮から立ち去れ」


 チャールズは、逡巡しませんでした。彼は、もはや父のいる王宮に留まる理由も、意味も見出せなかったからです。王宮を出た彼は、ただ一つの目的のために、風使いの村を探す旅に出ました。それは、王子の地位を捨て、友の魂を案じる一人の人間としての、彼の選んだ道でありました。


 その旅路、王都から遠く離れた、古い街道でのことでした。


 チャールズが焚き火を前にして夜の帳に包まれていると、突然、周囲の木々が大きく揺らめきました。風の渦が起こり、その中心から、風魔法使いのゼフィーリアが音もなく現れました。 彼女の目には、王都で起きている政治の渦と、ソフィアを巡る魂の葛藤を正確に見通す、冷たい光が宿っていました。


 ゼフィーリアは、チャールズの前に立ち、その鋭い視線を向けました。


「お前は、王都で起こっていることを全て捨てて、ここへ来たということだな。それはいいだろう」


 風の声音を持つゼフィーリアは、単刀直入に、チャールズの心の最も深い場所を抉る問いを投げかけました。


「聞かせてもらおうか。お前は、ソフィアのことをどう考えているのか」


 それは、親友としてか。愛する者としてか。あるいは、王家の道具として利用しようとした父王と同じ目論見を隠し持っているのか。 風は、チャールズの真実の言葉を待っていました。そして、風を扱うゼフィーリアはチャールズの魂の正直な言葉を待っていました。


 チャールズは、ゼフィーリアの問いかけに対し、迷うことなく、魂の正直な言葉を選びました。 夜の闇と焚き火の炎が交錯する中で、王子の威厳も、王宮の権力も、すべてを脱ぎ捨てた一人の男の言葉が響きました。


「私は、ソフィアの幸せを願っているだけだ。今はただ、彼女の魂が、あの過酷な戦いからどれほど癒されているのか、それを確かめたい」


 その声は、飾り気の全くない、真水のような響きを持っていました。 彼は、自分の願望や父王の思惑、そして婚儀という巨大な柵からソフィアを解放したいという切実な思いを、たった二つの願いに集約して伝えました。


 彼の言葉は、夜風に乗って、周囲に渦巻く風たちへと届きました。 風は、ただの空気の流れではありません。それは精霊の意志であり、耳そのものです。風たちは、チャールズの言葉を吟味し、その心の奥底に偽りがないかを確かめるように、静かに、しかし厳しく、応えました。


 ゼフィーリアは、その場に立ち尽くしたまま、しばらく沈黙を守っていました。彼女の周囲を回る微細な風の流れが、まるで目に見えぬ会議を開いているかのように、複雑に絡み合い、解けていきました。風の精霊たちと、彼らを使役する魔法使いとの、無言の対話。


 やがて、ゼフィーリアは顔を上げ、チャールズを正面から見据えました。その瞳には、すでに決断が宿っていました。


「わかった。お前を風使いの村へ連れて行ってやろう」


 ゼフィーリアは静かに、しかし、重要な情報を付け加えました。


「ソフィアは、お前が王子の地位を捨て、王宮を出てきたことを知らない。我々は、外界の動きを、あえてソフィアには知らせていない」


 それは、ソフィアが一切の政治的な思惑から解放され、純粋に魂の静養に専念できるようにとの、風使いの村の配慮でした。そして、チャールズに課せられた役割は、重いものでした。


「お前の口から、すべてを伝えるがよい」


 次の瞬間、チャールズを地面に立たせていた足は、何の予兆もなく、大地から離れました。再び、体は宙に浮きます。それは、ソフィアを包み込んだのと同じ、優しくも強靭な風の腕でした。


 焚き火の炎が、瞬く間に遥か下方の小さな光点となります。木々が、夜の闇が、天を駆ける奔流となって、彼の周りを流れ去っていきます。チャールズは、抵抗することなく、その風の奔流に身を委ねました。


 彼の体は、ゼフィーリアと共に、風の道を最速で突き進み、王宮の企ても、父王の怒りも届かない、風使いの村へと、ただひたすらに飛んでいったのでした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ