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王子の秘密と風の声

 風は、ソフィアを優しく抱え、王宮の庭の、あの東屋の前に、そっと降ろしてくれました。足が石畳に着いた瞬間、浮遊感は消え、ソフィアは全身で、風の精霊の力と、その深い好意を実感したのです。


 そのとき、東屋の奥から、静かな、しかし確かな声がかけられた。 「ソフィア、風魔法で戻ってきたということは、風の精霊への挨拶は済んだんだね」


 ソフィアが顔を上げると、驚いたことに、そこにはチャールズ王子が立っていました。王子は、運ばれてきたばかりの紅茶の湯気を眺めています。まるで、ソフィアが村へ行き、精霊に会うまでのすべてを、最初から知っていたかのように、穏やかな面持ちでした。


「殿下、どうしてここに?」 ソフィアは、予期せぬ再会に、思わず声が上ずりました。


 チャールズ王子は、微笑み、人差し指を唇に当てました。 「内緒だよ、ソフィア」 王子は、庭の木々から吹いてくる、微かな風に耳を傾けるように、静かに言った。 「実は、僕は風の声が聞こえるんだ。空を飛んだり、風を操ったりはできないけれどね。王子としては、風の噂が耳に入るだけでも、ありがたいのさ。……その風が、君が戻ることを、僕に教えてくれたんだ」


 ソフィアは、思いがけず王子の秘密を聞かされてしまい、深い戸惑いを覚えた。王族の秘密とは、本来、世界の均衡に関わる、重いもののはずだ。それを、こうも軽やかに打ち明けられるとは、予想していませんでした。


「殿下」 ソフィアは、戸惑いを押し殺し、真剣な眼差しで王子を見上げました。 「秘密を、そんなに軽々にお話しになってはいけません。……それを、たった今、聞かされてしまった身にもなってください」 ソフィアの心は、風の精霊に愛された歓びと、王子の秘密を共有してしまった重みとで、複雑に揺れていた。風は、ただ、二人のやり取りを見守るように、静かに木々の間を吹き抜けていきました。


「僕は僕の秘密、風の声が聞こえるという事を信じてもらえる他人が現れるのを待っていたんだ。両親に話しても信じてもらえないし、他人だとよい諜報部員をお持ちですねって言われるんだ。風魔法使いのソフィアであれば信じてもらえると考えたんだ。さあ、風使いの村でのことを話してくれるかい」


 チャールズ王子は、東屋の縁に腰を下ろし、静かにソフィアを促しました。その声には、知的な探求心と、ソフィアへの深い関心が織り交ぜられています。


 ソフィアは、まだ身体に残る浮遊感と、胸の中でざわめく精霊の記憶を整理するように、言葉を選んで語り始めました。 「はい。村へ着くと、すぐに『風の精霊の木』という巨木に案内されました。その木に、風の精霊が棲んでいることは、すぐにわかったのです。近くに来いと言われているように感じて、その、何故か大変気に入られたようで……」 彼女は、風に身を任せて空を飛んだことや、精霊が彼女の力の根源を褒めてくれたことなど、今しがた経験したばかりの不思議な体験を、かいつまんで話しました。


「そうか」 王子は、満足そうに頷いた。「風たちが僕に話している内容と、少しも矛盾しないね。風たちは、ソフィアの事を心から大好きだよ」 王子は、ただ微笑んでいるだけだが、その言葉には、世界の秘密を覗き見た者だけが持つ、特別な響きがありました。


 それから、王子は表情を引き締め、年長者のように諭す口調になりました。「君のご両親には、帰りが遅くなるとは伝えてある。けれど、あまり長く心配させると、伯爵にも伯爵夫人にも、僕が叱られてしまう。早く帰って、安心させてあげなさい」 同じ年頃の王子が、まるで老練な執事のようなことを言ったので、ソフィアは思わず、くすりと笑ってしまいました。


「はい、殿下。早く帰って、両親を安心させます」 ソフィアは、膝を折って一礼を済ませると、再び、巨木の前でやったように、心の中で風に語りかけた。 「風たちよ、私を家まで運んでおくれ」 強い、けれど優しい風が、彼女の身体を包み込みました。瞬く間にソフィアの姿は、陽炎のようにゆらめき、東屋の前から掻き消えてしまいました。


 ソフィアが消えた後、チャールズ王子は、空になった空間をじっと見つめ、静かに独り言を漏らしました。 「馬車を用意しておいたけど……無駄になっちゃったな」 その声は、半分は残念そうであり、半分は、友が持つ驚くべき力への、純粋な感嘆を含んでいました。そして王子は、再び庭の風に耳を澄ませた。風は、新しい風使いの娘の物語を、王子の耳元で囁き続けていました。


 風は、ソフィアを、伯爵家のタウンハウスの、重厚な玄関扉の前に、そっと降ろしました。着地は完璧で、微塵の揺れもない。風の精霊の優しさが、その動き一つ一つに込められているようでした。


「只今帰りました」 ソフィアが、屋敷の奥に向かって声をかけると、堰を切ったように、館の奥から人々の気配が溢れ出してきました。父である伯爵、母マーガレットを始め、専属のメイドであるアリスや、他の使用人たちまでが、みな玄関へと駆け寄ってきてくれたのです。


「ソフィア!」 父は、ソフィアを見つけるや否や、駆け寄り、その小さな身体を力強く抱きしめました。 「チャールズ殿下からは、『帰宅が遅くなるが、心配せずに待っていよ』とは言われていたが、『風魔法使いに攫われた』と聞いたときには、父さんの心臓が止まるかと思ったぞ!」 父の腕の中で、ソフィアは「お父様、ちょっと苦しい」ともがきながら訴えました。父は、慌てて腕を緩めてくれたが、その瞳は、安堵と恐怖がない交ぜになり、微かに涙目になっていました。


 母マーガレットは、そっとソフィアの髪を撫でました。 「まあ、とにかく無事でなにより。どんなことを体験してきたのか、ゆっくり聞かせてもらいましょう。でも、まずは、みんなで食事にしましょう」 母は、安堵の表情を隠さず、皆を引き連れて食堂へと向かいました。使用人たちもまた、ソフィアの帰りを待って、皆、食事をせずに待っていたのでした。


 食卓に着くと、ソフィアは、まず頭を下げました。 「風魔法使いのゼフィーリアさんが、風使いの村に連れて行ってくださったのですが、あまりに突然で、出掛けることを伝えることもできず、ご心配をお掛けしました」


 父は、重々しく頷いた。 「その件は、殿下から聞いているよ。『風魔法使いが有無を言わせず攫うように連れて行ってしまったとな』、殿下はそう仰っていたが……」


 ソフィアは、一口紅茶を飲み、簡潔に答えた。 「精霊との面会を急ぐ必要があったようでした。ですが、おかげで、風の精霊と会わせていただき、ご挨拶をし、風魔法使いにしていただきました」 ソフィアは、自分の言葉の意味の大きさを理解している。 「馬車も使わず、馬車より遥かに早く、離れた場所に移動する方法を手に入れた、といったところでしょうか」 そして、その瞳に、未来への決意を宿しました。 「これから、風に魔法を教わりながら、風魔法使いとしても、皆の役に立つ魔法使いになりたいです」


 母は、ソフィアの真っ直ぐな言葉を聞き、優しく諭しました。 「最初から、そんなに気合を入れなくてもいいのよ、ソフィア。力というものは、必要なときに、必要な分だけ使えばいい。貴女が健やかにいることこそが、私たちにとって、何よりも大切なのだから」 その言葉は、ソフィアの胸に染み渡った。風の精霊に愛された強大な力を持つ娘を案じる、母の、変わらぬ温かい心でした。


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